QUAD・ESLについて(その12)
スピーカー用のLCネットワークの減衰特性には、オクターブあたり6dB、12dB、18dBあたりが一般的である。
最近ではもっと高次のものを使われているが、6dBとそれ以外のもの(12dBや18dBなどのこと)とは、
決定的な違いが、ひとつ存在する。
いまではほとんど言われなくなったようだが、6dB/oct.のネットワークのみ、
伝達関数:1を、理論的には実現できるということだ。
スピーカー用のLCネットワークの減衰特性には、オクターブあたり6dB、12dB、18dBあたりが一般的である。
最近ではもっと高次のものを使われているが、6dBとそれ以外のもの(12dBや18dBなどのこと)とは、
決定的な違いが、ひとつ存在する。
いまではほとんど言われなくなったようだが、6dB/oct.のネットワークのみ、
伝達関数:1を、理論的には実現できるということだ。
少し前に、あるスピーカーについて、ある人と話していたときに、たまたま6dB/oct.のネットワークの話になった。
そのとき、話題にしていたスピーカーも、「6dBのカーブですよ」と、相手が言った。
たしかにそのスピーカーは6dB/oct.のネットワークを採用しているが、
音響負荷をユニットにかけることで、トータルで12dB/oct.の遮断特性を実現している。
そのことを指摘すると、その人は「だから素晴らしいんですよ」と力説する。
おそらく、この人は、6dB/oct.のネットワークの特長は、
回路構成が、これ以上省略できないというシンプルさにあるものだと考えているように感じられた。
だから6dB/oct.の回路のネットワークで、遮断特性はトータルで12dB。
「だから素晴らしい」という表現が口をついて出てきたのだろう。
井上先生だけでなく、瀬川先生も長島先生も、タンノイの一連のスピーカーシステムを、
蓄音器の音に通じる共通の響きをもつものとして捉えられていた。
長島先生は、ステレオサウンド 41号に書かれている。
※
タンノイのスピーカーユニットの場合、他のスピーカーユニット少し異なっていて、最初から、エンクロージュアの効果が計算の中に入れられてユニットがつくられているように思われる。しかも最初に計算したエンクロージュアの効果が普通のスピーカー用エンクロージュアの考え方と少し異なったアコースティック蓄音器を原点とする考え方の中にあったように思われるのである。
※
瀬川先生は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ タンノイ」に書かれている。
※
そう思い返してみて、たしかに私のレコード体験はタンノイから本当の意味ではじまった、と言えそうだ。とはいうものの、S氏のタンノイの充実した響きの美しさには及ばないにしても、あのピラミッド型のバランスの良い音を、私はどうもまだ物心つく以前に、いつも耳にしていたような気がしてならない。そのことは、S邸で音を聴いている最中にも、もやもやとはっきりした形をとらなかったものの何か漠然と心の隅で感じていて、どこか懐かしさの混った気持にとらわれていたように思う。そしていまとなって考えてみると、やはりあれは、まだ幼い頃、母の実家であった深川・木場のあの大きな陽当りの良い二階の部屋で、叔父たちが鳴らしていた電気蓄音器の音と共通の響きであったように思えてならない。だとすると、結局のところタンノイは、私の記憶の底に眠っていた幼い日の感覚を呼び覚したということになるのか。
※
この文章は、瀬川先生が追い求められていた「音」について語るうえで、
絶対に見逃せないものだと思う。
これについては、別項の「瀬川冬樹氏のこと」のところで、あらためて書く。
QUADのESLのほかに、遮断特性(減衰特性)6dB/oct.のカーブのネットワークを採用したスピーカーとして、
井上先生が愛用されたボザークが、まずあげられるし、
菅野先生愛用のマッキントッシュのXRT20も、そうだときいている。
これら以外にもちろんあり、
ダイヤトーンの2S308も、トゥイーターのローカットをコンデンサーのみで行なっていて、
ウーファーにはコイルをつかわず、パワーアンプの信号はそのまま入力される構成で、やはり6dB/oct.である。
このタイプとしては、JBLの4311がすぐに浮ぶし、
1990年ごろ発売されたモダンショートのスピーカーもそうだったと記憶している。
比較的新しい製品では、2000年ごろに発売されていたB&WのNSCM1がある。
NSCM1ときいて、すぐに、どんなスピーカーだったのか、思い浮かべられる方は少ないかもしれない。
Nautilus 805によく似た、このスピーカーのプロポーションは、
Nautilus 805よりも横幅をひろげたため、ややずんぐりした印象をあたえていたこと、
それにホームシアター用に開発されたものということも関係していたのか、
多くの人の目はNautilus 805に向き、
NSCM1に注目する人はほとんどいなかったのだろう、いつのまにか消えてしまったようだが、
井上先生だけは「良く鳴り、良く響きあう音は時間を忘れる思い」(ステレオサウンド137号)と、
Nautilus 805よりも高く評価されていた。
アルテックのA5、A7で使われていたネットワークは、N500、N800で、
12dB/oct.のオーソドックスな回路構成で、とくに凝ったことは何ひとつ行なっていない。
QUADのESLのネットワークは、というと──かなり以前に回路図を見たことがあるだけで、
多少あやふやなところな記憶であるが──通常のスピーカーと異り、
ボイスコイル(つまりインダクタンス)ではなく、コンデンサーということもあって、
通常のネットワークが、LCネットワークと呼ばれることからもわかるように、
おもなパーツはコイルとコンデンサーから構成されているに対し、
ESLのネットワークは、LCネットワークではなく、RCネットワークと呼ぶべきものである。
低域をカットするためには、LCネットワーク同様、コンデンサーを使っているが、
高域カットはコイルではなく、R、つまり抵抗を使っている。
このRCネットワークの遮断特性は、6dB/oct.である。
フェイズリニアが論文として発表されたのは、1936年で、
ベル研究所の研究員だったと思われるジョン・ヘリアーによって、であると、クックはインタビューで答えている。
ウーファーとトゥイーターの音源の位置合わせを行なっていた(行なえる)スピーカーシステムは、
QUADのESL以前にも、だからあった。
有名なところでは、アルテックのA5だ。
1945年10月に、”The Voice of The Theater”のAシリーズ全10機種のひとつとして登場したA5は、
低音部は515とフロントロードホーン・エンクロージュアのH100と15インチ・ウーファーの515の組合せで、
この上に、288ドライバーにH1505(もしくはH1002かH805)ホーンが乗り、
前後位置を調整すれば、音源の位置合わせは、できる。
ほぼ同じ構成のA7は1954年に登場している。
クックは、A5、A7の存在は、1936年のアメリカの論文の存在を知っていたくらいだから、
とうぜん知っていたであろう。
なのに、クックは、ESLを、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーだと言っている。
KEFのレイモンド・E・クックは、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーシステムは、
「1954年、QUADのエレクトロスタティック・スピーカー」だと、
1977年のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」のインタビューで、そう答えている。
ただ当時は、位相の測定法が確立されていなかったため、まだモノーラル時代ということもあって、
ESLがフェイズリニアであることに気がついていた人は、ほんのひとにぎりだったといっている。
そして、QUADのピーター・J・ウォーカーに、そのことを最初に伝えたのはクックである、と。
このインタビューで残念なのは、そのとき、ウォーカーがどう答えたのかにまったくふれられていないこと。
KEF社長のクックへのインタビューであるから、しかたのないことだとわかっているけれども、
ウォーカーが、フェイズリニアを、ESLの開発時から意識していたのかどうかだけでも知りたいところではある。
井上先生は、タンノイのウェストミンスターを呼ぶとき、
スピーカーではなく、「ラッパ」という言葉を使われていた。
なにも、そのときの気分でスピーカーだったり、ラッパと呼ばれたりするわけではない。
さりげなくではなるが、きちんと使いわけされていた、と私は思っている。
井上先生のタンノイのイメージは、「世界のオーディオ」に書かれている「私のタンノイ観」が参考になる。
※
タンノイの音としてイメージアップされた独特のサウンドは、やはり、デュアル・コンセントリック方式というユニット構造から由来しているのだろう。高域のドライバーユニットの磁気回路は、ウーファーの磁気回路の背面を利用して共用し、いわゆるイコライザー部分は、JBLやアルテックが同心円状の構造を採用していることに比べ、多孔型ともいえる、数多くの穴を集合させた構造とし、ウーファーコーンの形状がエクスポネンシャルで高域ホーンとしても動作する設計である。
したがって、38cm型ユニットでは、クロスオーバー周波数をホーンが長いために1kHzと異例に低くとれる長所があるが、反面において、独特なウーファーコーンの形状からくる強度の不足から強力な磁気回路をもつ割合に、低域が柔らかく分解能が不足しがちで、いわゆるブーミーな低域になりやすいといった短所をもつことになるわけだ。
しかし、聴感上での周波数帯域的バランスは、豊かだが軟調の低域と、多孔型イコライザーとダイアフラムの組み合わせからくる独特な硬質の中高域が巧みにバランスして、他のシステムでは得られないアコースティックな大型蓄音器の音をイメージアップさせるディスクならではの魅力の弦楽器音を聴かせることになる。
※
井上先生にとって、幼いときに聴かれていた、1-90に始まりクレデンザに至る、
蓄音器の音をイメージさせる音をもつ佳き時代のスピーカーを、「ラッパ」と呼ばれていた。
私は、そう受けとっている。
井上先生は、記事の中で、エンクロージュアの剛性の高さが、リジッドさが、音に、
特に低音に関しては、強く出ていると発言されている。
アメリカ・東海岸のスピーカーメーカー、ボザークやマッキントッシュの特徴でもある、
重厚で緻密な低域が、ごく低い周波数だけにとどまることなく、ウーファーのかなり上の帯域まで、
同じ音色で統一されている、とのことだ。
低域に関しては、アメリカ・東海岸のスピーカーに共通するものをもちながらも、
中高域になると、従来からタンノイトーンと呼ばれる、中高域の独特の輝きを、
他のタンノイのスピーカーよりも、目立たないようにバランスしている点が、
イギリスの伝統的なスピーカーにしか出せない独特の魅力へとつながっている、と指摘されている。
井上先生は、バッキンガムを鳴らすための組合せとして、
コントロールアンプに、バッキンガムのやや控えめな性格をカバーする意味合い、
音像を立体的にする目的から、コンラッド・ジョンソンのデビュー作のPreamplifier(管球式)を、
パワーアンプは、音に積極性を持たせるためにSAEのMark 2600を選ばれている。
これらのことは、バッキンガムが、どちらかといえば控えめであり、おっとりしたところを、
うまく補うためでもある。
では、いま現在、無色透明な音は存在し得ないのか。
そんなことはないと思う。
スピーカーひとつひとつに固有音がある。アンプやその他のオーディオ機器に固有音がある。
もちろんレコード(録音)にもあるし、アンプやスピーカーを構成するパーツや素材にも、固有音は存在する。
固有音が存在しないものは、いまのところ世の中にはない。
そう、聴き手であるわれわれにも、固有音があるのではなかろうか。
だから、同じ部屋で同じ音を、同時に聴いて、音の評価が大きく異なることがすくなくないのも、
そのことが関係しているのかもしれない。
個々人の耳に、それぞれ固有音があるとしたら、あるとき、ある瞬間だけ、
固有音すべてが相互に関係し合い、打ち消し、補整することで、無色透明の音は存在し得ないとはいえない。
すべて人にとって共通の無色透明は音は、いまのところない。
あるひとにとって、未来永劫、無色透明な音もない。
けれど、すべての条件が、たまたまうまく絡み合ったときに、起き得ないと、だれが言えるのだろうか。
ずっと以前は、モニタースピーカー・イコール・アラ探しのためのスピーカーと捉えられていたようだ。
いま、そういう捉え方をする人は、ほとんどいないだろうし、そういうスタジオモニターも、
ほとんどないといってもいいだろう。
ならば、モニタースピーカーの定義とは、何なのだろうか。
はっきりした定義は、いまだないように思う。
なんとなく、これはモニタースピーカー、あれは家庭用スピーカーだな、と個々人が、
勝手に、そこに境界線を引いているという、あいまいさが残ったままなのか。
どんなスピーカーにも、かならず、そのスピーカーならではの固有音がある。
固有音、つまり個性・癖がまったく存在しないスピーカーこそ、無色透明のスピーカーとなるわけだが、
いまのところも、これからもさきも、少なくともあと10年、20年ぐらいで、
「スピーカーの音」というものがなくなるとは思えない。
いまのスピーカーの原理であるかぎり、パワーアンプから送られてくる電気信号の、
ほんのわずか数%しか音に変換できない。のこりは熱となって消費されているわけだ。
これが70%以上、そんなにいかなくてもいいかもしれない。
50%程度でも音に変換できるようになれば、スピーカーの音というものは、ずいぶん大きく変容することだろう。
さらに80から90%ほど音に変換できるようになれば、ほとんど変換ロスがなくなってくれば、
スピーカーの音は、かぎりなく無色透明になっていくのであろうか。
1990年前後から日本の録音スタジオにモニタースピーカーとして導入され、
知名度を急激に上げていったスピーカーがある。
絶賛する声も、現場では多かった反面、
「このスピーカーでは仕事(モニタリング)ができない」という声もあったときいている。
このスピーカーと、たとえば誰も絶賛しないけれど、誰も「使えない」と全面否定もしない、
いわば可も不可もなく、といったモニタースピーカーがあったとして、
さて、どちらがモニタースピーカーとして優れているのか、
あえて点数をつけるとすれば、どちらが高い点数を獲得するのか。
そんなことを考えてみたくなる。
前者のスピーカーには、ひじょうに高い点をつける人もいれば、
まったく点を与えない人もいるだろう。そうすると平均点はそれほど高くならない。
後者のスピーカーはどうか。高い点は得られないだろう。でも極端に低い点をつける人もいないだろう。
となると平均点は、前者のスピーカーと対して変わらない、ということになるかもしれない。
つまりこのふたつのモニタースピーカーは、ほぼ互角かというと、決してそんなことはなく、
ここがスピーカーの選択・評価の、微妙なところであり、面白さであろう。
JBLの4343もモニタースピーカーだし、ロジャースのLS3/5AもLS5/8も、やはりモニタースピーカーである。
モニタースピーカーとはいったいどういう性格の、性能のスピーカーのことをいうのだろうか。
コンシューマー用スピーカーとの本質的な違いは、あきらかなものとして存在するのであろうか。
たとえばヤマハのNS1000Mの型番末尾の「M」はMonitorの頭文字である。
だからといって、NS1000Mが、モニタースピーカーとして企画され、開発製造されていたとは思わない。
あきらかにコンシューマー用スピーカーなのだが、1970年代、スウェーデンの国営放送局が、
このスピーカーをモニタースピーカーとして正式に採用している。
そうなると、単なる型番の名称ではなく、「モニタースピーカー」と堂々と名乗れる。
QUADのESLも、純然たる家庭用スピーカーの代表機種にもかかわらず、
レコーディングのスタジオモニターとして採用されていたこともある。
スタジオモニターといえば、大きな音での再生がまず絶対条件のように思われている方もおられるかもしれないが、
モニタリング時の音量は、アメリカ、日本にくらべるとイギリス、ドイツなどは、かなり低めの音量で、
一般家庭で聴かれているような音量とほとんど変らないという。
だから、ESLでも、多少の制約は、おそらくあっただろうが、
もしくはESLで、なんら制約も感じないほどの音量がイギリスでのモニタリング時の一般的な音量なのだろう。
とにかくESLは、十分モニターとしての役割を果していた。
リビングストンによれば、バッキンガム、ウィンザーに関しては、世界市場も含めて、
月12台くらいという予測を立てていたのに対して、
カナダ放送局でのスタジオモニターとしての使用をはじめ、予想の3倍以上の40台のペースで注文が来ていたとのこと
両機種とも手作りなこともあり、生産が追いつかない状況だったらしい。
そのためテストサンプルが用意できなくて、オーディオ誌に、あまり試聴記事が掲載されなかったのだろうか。
「世界のオーディオ」シリーズのタンノイ号には、
井上先生の組合せ記事(オートグラフをマッキントッシュMC2300で鳴らす組合せもこの記事のひとつ)のなかに、
ウィンザーもバッキンガムも登場する。
そこで、両機種の概要について、2ウェイの宿命として、周波数レスポンスとしては問題ないが、
エネルギーレスポンスでは、どうしても中域のエネルギーが不足しがちだあり、
その問題をタンノイが、マルチウェイ化によって解決を図ったのは妥当なことであると、と語られている。
インタビュー記事を読んでいて、意外だったのは、取材の時点(1978年か)で、瀬川先生も、
バッキンガム、ウィンザーを試聴されたことがなかったということだ。
瀬川先生は
「実はウィンザーとバッキンガムについては、申しわけないのですが、われわれ少し認識不足だったようです。というのは、1年前に発表されたにもかかわらず、品物がほとんどなくて、テスト用サンプルを借り出すことも不可能だったものですから、われわれとしても勉強不足の点が多々あります」
と、リビングストンにことわりをいれている。
リビングストンは、バッキンガムを、車に例えればロールスロイスで、
ウィンザーはジャガーだとしたうえで、両機種とも、
「オートグラフとGRFと同じ考えで、一点一点、全部手作りで、
タンノイの最高の技術とパフォーマンスを利用して作っている」
と語っている。
オートグラフと技術的な指向(それは時代の違いからも来ているといってもいいだろう)は異なるものの、
手間を惜しまず、持てる技術を駆使している点で共通しているのは、
どちらもその時代のタンノイを代表するシンボル的な存在であるからだろう。
バッキンガムは、どんな音を響かせていたのだろうか。