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Date: 8月 3rd, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その4)

一方のJBL(そしてランシング)はどうだろうか。

ランシングは1902年1月14日にイリノイ州に生れている。
1925年、彼はユタ州ソルトレーク・シティに移っている。西へ向ったわけだ。
ここでコーン型スピーカーの実験・自作をおこない、この年の秋、ケネス・デッカーと出逢っている。
1927年、さらに西、ロサンジェルスにデッカーとともに移り、サンタバーバラに仕事場を借り、
3月9日、Lansing Manufacturing Company はカリフォルニア州法人として登録される。
この直前に彼は、ジェームズ・マーティニから、ジェームズ・バロー・ランシングへと法的にも改名している。

このあとのことについて詳しくしりたい方は、
2006年秋にステレオサウンドから発行された「JBL 60th Anniversary」を参照していただきたい。
この本の価値は、ドナルド・マクリッチーとスティーヴ・シェル、ふたりによる「JBLの歴史と遺産」、
それに年表にこそある、といってもいい。
それに較べると、前半のアーノルド・ウォルフ氏へのインタヴュー記事は、
読みごたえということで(とくに期待していただけに)がっかりした。
同じ本の中でカラーページを使った前半と、
そうではない後半でこれほど密度の違っているのもめずらしい、といえよう。

1939年,飛行機事故で共同経営者のデッカーを失ったこともあって、
1941年、ランシング・マニファクチェアリングは、アルテック・サーヴィスに買収され、
Altec Lansing(アルテック・ランシング)社が誕生することとなる。
ランシングは技術担当副社長に就任。
そして契約の5年間をおえたランシングは、1946年にアルテック・ランシング社からはなれ、
ふたたびロサンジェルスにもどり、サウススプリングに会社を設立する。
これが、JBLの始まり、となるわけだ。
(ひとつ前に書いているように、1943年にはアルテックもハリウッドに移転している。)

とにかく、ランシングは、つねに西に向っていることがわかる。

Date: 8月 1st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その3)

D101とD130の違いは、写真をみるだけでもまだいくつかある。
もし実物を比較できたら、もっといくつもの違いに気がつくことだろう。
何も知らず、D101とD130を見せられたら、同じ会社がつくったスピーカーユニットとは思えないかもしれない。

D101が正相ユニットだとしたら、D130とはずいぶん異る音を表現していた、と推察できる。
アルテックとJBLは、アメリカ西海岸を代表する音といわれてきた。
けれど、この表現は正しいのだろうか、と思う。
たしかに東海岸のスピーカーメーカーの共通する音の傾向と、アルテックとJBLとでは、
このふたつのブランドのあいだの違いは存在するものの、西海岸の音とひとくくりにしたくなるところはある。
けれど……、といいたい。
アルテックは、もともとウェスターン・エレクトリックの流れをくむ会社であることは知られている。
アルテックの源流となったウェスターンエレクトリックは、ニューヨークに本社を置いていた。
アルテックの本社も最初のうちはニューヨークだった。
あえて述べることでもないけれど、ニューヨークは東海岸に位置する。

アルテックが西海岸のハリウッドに移転したのは、1943年のことだ。
1950年にカリフォルニア州ビヴァリーヒルズにまた移転、
アナハイムへの工場建設が1956年、移転が1957年となっている。
1974年にはオクラホマにエンクロージュア工場を建設している。

アルテックの歴史の大半は西海岸にあったとはいうものの、もともとは東海岸のメーカーである。
つまりわれわれがアメリカ西海岸の音と呼んでいる音は、アメリカ東海岸のトーキーから派生した音であり、
アメリカ東海岸の音は、最初から家庭用として生れてきた音なのだ。

Date: 8月 1st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その2)

タイムマシーンが世の中に存在するのであれば、
オーディオに関することで幾つか、その時代に遡って確かめたいことがいくつもある。
そのひとつが、JBLのD101とD130の音を聴いてみることである。

D101はすでに書いてように、アルテックの同口径のウーファーをフルレンジにつくり直したように見える。
古ぼけた写真でみるかぎり、センターのアルミドーム以外にはっきりとした違いは見つけられない。

だから、アルテックからのクレームがきたのではないだろうか。
このへんのことはいまとなっては正確なことは誰も知りようがないことだろうが、
ただランシングに対する、いわば嫌がらせだけでクレームをつけてきたようには思えない。
ここまで自社のウーファーとそっくりな──それがフルレンジ型とはいえ──ユニットをつくられ売られたら、
まして自社で、そのユニットの開発に携わった者がやっているとなると、
なおさらの、アルテック側の感情、それに行動として当然のことといえよう。
しかもランシングは、ICONIC(アイコニック)というアルテックの商標も使っている。

だからランシングは、D130では、D101と実に正反対をやってユニットをつくりあげた。
まずコーンの頂角が異る。アルテック515の頂角は深い。D101も写真で見ると同じように深い。
それにストレート・コーンである。
D130の頂角は、この時代のユニットのしては驚くほど浅い。

コーンの性質上、まったく同じ紙を使用していたら、頂角を深くした方が剛性的には有利だ。
D130ほど頂角が浅くなってしまうと、コーン紙そのものを新たにつくらなければならない。
それにD130のコーン紙はわずかにカーヴしている。
このことと関係しているのか、ボイスコイル径も3インチから4インチにアップしている。
フレームも変更されている。
アルテック515とD101では、フレームの脚と呼ぶ、コーン紙に沿って延びる部分が4本に対し、
D130では8本に増え、この部分に補強のためにいれている凸型のリブも、
アルテック515、JBLのD101ではコーンの反対側、つまりユニットの裏側から目で確かめられるのに対し、
D130ではコーン側、つまり裏側を覗き込まないと視覚的には確認できない。

これは写真では確認できないことだし、なぜかD101をとりあげている雑誌でも触れられていないので、
断言はできないけれど、おそらくD101は正相ユニットではないだろうか。
JBLのユニットが逆相なのはよく知られていることだが、
それはD101からではなくD130から始まったことではないのだろうか。

Date: 7月 31st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その1)

ブランド名としてのJBLときいて、思い浮べるモノは人によって異る。
現在のフラッグシップのDD66000をあげる人もいるだろうし、
1970年代のスタジオモニター、そのなかでも4343をあげる人、
オリンパス、ハークネス、パラゴン、ハーツフィールドといった、
コンシューマー用スピーカーシステムを代表するこれらをあげる人、
最初に手にしたJBLのスピーカー、ブックシェルフ型の4311だったり、20cm口径のLE8Tだったり、
ほかにもランサー101、075、375、537-500など、いくつもあるはず。

けれどJBLといっても、ブランドのJBLではなく、James Bullough Lansing ということになると、
多くの人が共通してあげるモノは、やはりD130ではないだろうか。
私だって、そうだ。James Bullough Lansing = D130 のイメージがある。
D130を自分で鳴らしたことはない。実のところ欲しい、と思ったこともなかった。
そんな私でも、James Bullough Lansing = D130 なのである。

D130は、James Bullough Lansing がJBLを興したときの最初のユニットではない。
最初に彼がつくったのは、
アルテックの515のセンターキャップをアルミドームにした、といえるD101フルレンジユニットである。
このユニットに対してのアルテックからのクレームにより、
James Bullough Lansing はD101と、細部に至るまで正反対ともいえるD130をつくりあげる。
そしてここからJBLの歴史がはじまっていく。

D130はJBLの原点ではあっても、いまこのユニットを鳴らすとなると、意外に使いにくい面もある。
まず15インチ口径という大きさがある。
D130は高能率ユニットとしてつくられている。JBLはその高感度ぶりを、0.00008Wで動作する、とうたっていた。
カタログに発表されている値は、103dB/W/mとなっている。
これだけ高能率だと、マルチウェイにしようとすれば、中高域には必然的にホーン型ユニットを持ってくるしかない。
もっともLCネットワークでなく、マルチアンプドライヴであれば、低能率のトゥイーターも使えるが……。
当然、このようなユニットは口径は大きくても低域を広くカヴァーすることはできない。
さらに振動板中央のアルミドームの存在も、いまとなっては、ときとしてやっかいな存在となることもある。

これ以上、細かいことをあれこれ書きはしないが、D130をベースにしてマルチウェイにしていくというのは、
思っている以上に大変なこととなるはずだ。
D130の音を活かしながら、ということになれば、D130のウーファー販である130Aを使った方がうまくいくだろう。

Date: 7月 29th, 2011
Cate: 五味康祐

見えてきたもの

ステレオサウンドは、この9月に出る180号で創刊45周年となる。
ステレオサウンドは45歳なのか、と思い、ふと振り返ってみると、
私も今年の秋、「五味オーディオ教室」を読んだときから35年がたつ。

「五味オーディオ教室」を読んだとき、ステレオ再生出来る装置は持っていなかった。
音楽を聴くのは、モノーラルのラジカセだった。
だからこそ「五味オーディオ教室」に夢中になれた、ともいえる。

「五味オーディオ教室」を最初に読んだときに刻みつけられたことは、私にとってのオーディオの原点であり、
核であり、いまもそれは変ることはない。これから先も変らない、とこれは断言できる。

「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」
「素晴らしい人生にしか素晴らしい音は鳴らない」
このふたつは、刻みつけられたものの中でも、もっとも深いもので、
それからの35年間は、結局のところ、このことについて考え答えを求めていた、といえよう。

やっといま、答えといえるものが見えてきた、と感じている。
しかも、このふたつは実のところ、ほぼ同じことを、別の視点から捉え表現したものではないか、とも思っている。

そう考えることで、いままで体験してきたことの中で、
私の中で不思議な位置づけにいる事柄のいくつかが結びつく予感もある。

「五味オーディオ教室」から35年たち、やっと再出発できるところなのかもしれない。

Date: 7月 25th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その19)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」でつくられた組合せの音について、どう語られているを拾っていくと、
まず4343の、予算400万円の組合せでは、当時、自宅で愛用されていたものでの組合せということもあってか、
最終的な音に関しては、あまり語られていない。

まず「日常的に聴いている音ですから、満足していますというよりいいようがない」と言われ、
つけ加えるように、
「満足していながら、いわばないものねだりみたいなところもあるんです。たとえば、このままの解像力で、
このままの透明感をたもちながら、また質感をたもちながら、そこにいま以上の豊麗さ、
それから色っぽさみたいなものが出てきてほしいといったような……」と。

アルテックの620Bの組合せは、4343の組合せの予算の半分、
その音については、「かなり享楽的な色彩をもっているのです。爛熟した、といいたいほど、熟した感じの音で、
リッチな音といってもいいかもしれません」と語られたうえで、
「こういう感じの音は、以前のぼくは、どちらかというと敬遠していたわけですが、なぜか最近好きになってきた。
好きになったというより、積極的に憧れるようになってきたんでね(笑)。」

言葉の上であっても、4343の組合せと620Bの組合せは、音の世界としては共通しているところうもちながらも、
そこから違う方向に分岐した、それぞれに良質の音といえ、
4343の組合せに対して、こういう音が出てくれれば、と求められているところを、620Bの組合せは特長としている。

この620Bの組合せの印象は、パワーアンプにアキュフェーズのP400なのか、
ミカエルソン&オースチンのTVA1なのか、はっきりと書かれていないが、全体の音の印象から判断すると、
TVA1で鳴らされた音と受けとっていいだろう。

TVA1の音について語られているところを引用しておく。
     *
こうしたアンプというのは、いままで日本とアメリカでしか見られなかったのですが、イギリスからも登場したというところが、興味ぶかいと思うのです。アンプというのはじつに面白いなと思うのは、エレクトロニクスでコントロールできそうな機器であるにもかかわらず、きわめてデリケートなところで、日本とアメリカとイギリスの製品では、音のニュアンスとか味わいにちがいが聴かれることですね。
このTVA1という管球アンプも、アメリカのものとも日本のものともちがっていて、どこか渋い、くすんだ色調の、そしてたいへん上品な味わいの音をもっています。しかも、いまイギリスのアンプを代表しているQUADの、贅肉を抑えた、潔癖症の音の鳴り方とは、まるで正反対の、豊かな肉づきの、たとえていえば充分に熟成した果実のような、水気をたっぷりとふくんだ音とでもいいましょうか、そういったイメージの音を聴かせてくれるのです。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: 4343, JBL, 瀬川冬樹

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その13)

瀬川先生が4ウェイ・スピーカーシステムについて語られるのを、
単に周波数特性(振幅特性)の見地からでしか捉えてしまっている人がいる。
そうなってしまうと、瀬川先生がなぜ4ウェイのスピーカーにたどり着かれたのかを見落してしまうことになる。

「瀬川冬樹に興味がないから、別にそんなことを見落してもどうでもいいこと」──、
そんなふうなことが向うから返ってきそうだが、スピーカーシステムに関心があり、
ステレオ再生における音像の成り立ちに肝心がある人ならば、瀬川先生の4ウェイ構想から読み取れるものはある、
読み取れるはずである。

スピーカーの理想像は人によって一致しているところとそうでないところがある。
だから瀬川先生の4ウェイ構想に全面的に同意できない人がいて当然である。
完全なスピーカー構想というものは、まだまだ存在していないのだから。

それでも、あの時点で、なぜこういう4ウェイ構想を考えだされたのかについて考えてゆくことは、
スピーカーの理想について考えていく上でも意味のあることだと思っている。

それに瀬川先生の4ウェイ構想は、
瀬川先生がどういう音(広い意味での「音」)を求められていたのか知る重要な手がかりでもある。

瀬川先生の鳴らされていた音のバランスは、瀬川先生にしか出せないものだった、ときいている。
ただ、このことを鵜呑みにしてしまうと、
いつまでもたっても瀬川先生の音がどういうふうに鳴り響いていたのかはつかめない。

瀬川先生は4343、4345についている3つのレベルコントロールはほとんどいじっていなかった、と発言されている。
つまり周波数スペクトラム的な音のバランスに注意して聴いていても、
そしてそれによる瀬川先生の音を表現した言葉を聞いていても、すこしもそこに近づいたことにはならない。

このブログを書くためにも、瀬川先生の「本」をつくるためにも、
瀬川先生の書かれたもの、語られたものに集中的にふれてきて、
そして10代のころからずっと思い考えてきたことから、実感をもって言えるのは、
瀬川先生の音のバランスの特長は、周波数スペクトラム的なこととは違うところにある、ということだ。

だから、あの時点での4ウェイ構想だ、と理解できる。

Date: 7月 21st, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その18)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」で瀬川先生がつくられている組合せは、6つだ。
予算50万円の組合せ(これがグルンディッヒの組合せ)、
予算100万円の組合せ、予算200万円の組合せ、予算400万円の組合せがまずあり、
その他に、予算50万円の組合せからスタートして100万円、200万円とグレードアップしていく組合せ、
予算100万の組合せから、200万円、400万円とグレードアップしていく組合せだ。

グルンディッヒのProfessional BOX 2500以外のスピーカーシステムで、
最終的に組合せに選ばれたのは、スペンドールBCIII(100万円の組合せ)、アルテック620B(200万円の組合せ)、
JBLの4343(400万円の組合せと、JBL4301からグレードアップしていく400万円の組合せ)、
メリディアンのM1(ヴィソニック・Expuls2からグレードアップしていく200万円の組合せ)。

400万円の4343とマークレビンソンのML6とML2、それにマイクロの糸ドライヴプレーヤーの組合せは、
記事中にあるように、瀬川先生の、このとき、常用されている組合せとほとんど同じもの。
これと対極にあるのが、200万円の620Bの組合せといえよう。

620Bには、コントロールアンプにアキュフェーズのC240、
パワーアンプは2つ選ばれていて、ひとつはC240とペアになるアキュフェーズのP400、
もうひとつはミカエルソン&オースチンのTVA1だ。
プレーヤーはパイオニアExcusive P10にオルトフォンのカートリッジMC20MKII。

この組合せに登場してくるものは、4343の組合せに登場してくるモノとすべて対照的な性格をもつ。
プレーヤーのマイクロのRX5000 + RY5500とExclusive P10からして、
プレーヤーとしての構成も音も対照的。
カートリッジも4343の組合せのEMT・XSD15とオルトフォンMC20MKIIは、共通する良さをもちながらも、
対照的な音の性格をもっているし、使いこなしに関してもそうだといえる。

C240とML6は、コントロールアンプとしてのコンセプトは対照的である。
入力セレクターとレベルコントロールだけで、しかもモノーラル構成のML6と、
コントロールアンプとして求められる機能をほぼ備え、大半の機能をプッシュボタンで操作するC240。
しなやかな表現というところでは共通性があるとはいえるものの、
音の肉づきを過剰なまでに抑え込むML6に対して、C240にはそういう過剰なところは感じとれない。

パワーアンプのP400は、AB動作で200W+200W、A級動作で50W+50Wの出力をもつ。
記事を読むと、620Bの能率が高いこともあってA級動作での組合せのようだ。
このA級動作という点ではML2と共通しているが、ここでもC240とML6の違いのように、出てくる音には、
アキュフェーズという会社とマークレビンソンという会社(というよりもレヴィンソン個人)の違いが、
よりはっきりと聴きとれる。

そしてML2と管球式のTVA1の音の違いは、P400のとき以上に、音の本質的な性格は対照的になる。

Date: 7月 16th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その17)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのグルンディッヒのProfessional BOX2500の組合せは、
予算が50万円の制約がある。
ぴったり50万円ということではなくて、50万円台ならば一応OKというということはあっても、
この予算ではセパレートアンプを使うことは無理ということで、
プリメインアンプを4機種を候補としてあげられている。
アキュフェーズのE303、マランツのPm8、トリオのKA9900、ルボックスのB750MKIIで、
いずれも20万円以上するもの。
KA9900とPm8は、スピーカーシステムがグルンディッヒでクラシックを、
それもオーケストラの再生に焦点を合せるという組合せの意図に、すこしそぐわないところがあり候補から外れる。

E303は、B750MKIIよりも「周波数レンジとか歪とか、そういった物理的な表現能力」で明らかに上廻っていて、
音の美しさで上かもしれないと思わせながらも、
瀬川先生は、あえてB750MKIIを選択されている。
クラシックを「聴くにあたってどうしても必要な、いうにいわれない一種の雰囲気、それからニュアンス」、
それらのものがルボックスB750MKIIにあったからである。

ここまで読んでくると、瀬川先生の選び方に気がつくことがある。
スピーカーシステムもグルンディッヒ、ヴィソニックの他に、
JBLのL50、ロジャースPM210、ハーベスMonitor HLも聴かれている。
これらの中から、ヴィソニックとグルンディッヒが残り、
ここでもスピーカーシステムとしての性能(音のことを含めての)の高さでは、ヴィソニックとされながらも、
あえて、どこか古めかしささえ感じさせるグルンディッヒを最終的に選ばれた。
アンプの選び方と共通するものが、ここにも感じられる。

アナログプレーヤーはトリオのKP7070、カートリッジはエラック(エレクトロアクースティック)のESG794E。
組合せのトータル価格は571,500円。

この組合せから鳴る音について語られている。
     *
たとえば最近のオーディオ・レコードといわれるような、いわゆるデモンストレーション的なさまざまなレコードを鳴らした場合は、国産のハイパワーアンプとワイドレンジのスピーカーの組合せで鳴らす、一種独特の音の世界にはかなわないでしょう。
しかし、音楽好きレコード好きの人間のひとりとしていえば、クラシック音楽に焦点を合せた場合、何年も前に買ったレコードも、昨日買ったばかりの新録音盤も、この組合せだったら安心して楽しむことができる。そしてこれからも長く付き合える、そういう音だと思うんですね。
たしかに一聴では耳をそはだてる音ではありません。どちらかといえば、ややものたりない感じさえあるでしょう。とくにグルンディッヒの音が、なんとなく素朴な、ときには古めかしささえ感じさせる響きをもっているわけですが、そこを聴きこんでいって、だんだんとその音が自分の耳なり身体なりになじんでくると、ちょっと手放せなくなるだろうという気がします。ぼく自身も、自分の部屋に置いてみたいような感じがありますね。

Date: 7月 14th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その16)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」の半年後にステレオサウンド 55号が出ている。
特集はベストバイ・コンポーネントである。
この号では、それぞれの筆者が、My Best3を各ジャンルから選び、書いている。
瀬川先生が何を選ばれたのかは、こちらをお読みいただきたい。

別項でも書いているように、パワーアンプのMy Best3は、
ルボックスのA740、マイケルソン&オースチンのTVA1、アキュフェーズのP400であって、
マークレビンソンのML2Lがはいっていない。
コントロールアンプのMy Best3には、LNP2LとML6Lの2モデルがはいっているのに、
この号の9ヵ月前に、「おそるべきリアリティ」で、
大太鼓の強打を聴かせてくれたマークレビンソンのML2がはいっていない。

このときは、正直、なぜなのか? を理解できなかった。
でも、いま振り返ってみると、すでにステレオサウンド 53号に書かれていることに気づく。
この53号の記事とは、
「おそるべきリアリティ」で4343を鳴らしたマークレビンソンのML2、6台によるドライヴのことであり、
この項の(その13)でも引用した文章が、それである。

53号でのオール・マークレビンソンによる「実験」は、瀬川先生にとって劇的な体験であっただけでなく、
このとき以降、求めてられている音、出されている音に変化が顕れてきているはず、と私は読んでいる。

そこにタイミングよく、瀬川先生の前に現れたのがグルンディッヒのスピーカーシステムである、といってしまおう。

Date: 7月 14th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その15)

マイケルソン&オースチンのB200は、M200という型番で実際には販売されていた。
B200は瀬川先生の勘違い、とは言えない。
なぜかというと、「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭文の中に、B200という単語は複数回登場する。
当然編集部で原稿を受けとったとき、そして写植があがってきたとき、
そして写真を含めてカラーで見本があがってきた、少なくとも3回の校正を経ているわけで、
いくらなんでもM200なのが、B200のまま出ることはない。
おそらくこの時点ではB200という型番だったのが、なんらかの理由でM200に変更されたとみるべきだろう。

そのB200(M200)の音を、マークレビンソンML2、
6台でバイアンプ(ウーファーはブリッジ接続)との音との比較で書かれている。
     *
近ごろのТRアンプの音が、どこまでも音をこまかく分析してゆく方向に、音の切れこみ・切れ味を追求するあまりに、まるで鋭い剃刀のような切れ味で聴かせるのが多い。替刃式の、ことに刃の薄い両刃の剃刀の切れ味には、どこか神経を逆なでするようなところがあるが、同じ剃刀でも、腕の良い職人が研ぎ上げた刃の厚い日本剃刀は、当りがやわらかく肌にやさしい。ミカエルソン&オースチンTVA1の音には、どこか、そんなたとえを思いつかせるような味わいがある。
そこにさらに200ワットのモノ・アンプである。切れ味、という点になると、このアンプの音はもはや剃刀のような小ぶりの刃物ではなく、もっと重量級の、大ぶりで分厚い刃を持っている。剃刀のような小まわりの利く切れ味ではない。力を込めればマルタをまっ二つにできそうな底力を持っている。
たとえば、少し前の録音だが、コリン・デイヴィスがコンセルトヘボウを振ったストラヴィンスキーの「春の祭典」(フィリップス)。その終章近く、大太鼓のシンコペーションの強打の続く部分。身体にぴりぴりと振動を感じるほどの音量に上げたとき、この、大太鼓の強打を、おそるべきリアリティで聴かせてくれたのは、先日、SS本誌53号のための取材でセッティングした、マーク・レビンソンML2L2台のBTL接続での低音、だけだった。あれほど引締った緊張感に支えられての量感は、ちょっとほかのアンプが思いつかない。ミカエルソン&オースチンB200の低音は、それとはまだ別の世界だ。マーク・レビンソンBTLの音は、大太鼓の奏者の手つきがありありとみえるほどの明解さだったが、オースチンの音になると、もっと混沌として、オーケストラの音の洪水のようなマッスの中から、揺るがすような大太鼓の轟きが轟然と湧き出してくる。まるで家全体が揺らぐのではないかと思えるほどだ。
     *
このあともB200の音の記述はつづく。
この巻頭文のテーマは「80年代のスピーカー界展望」にもかかわらず、
いきなりアンプの話からはじまり、ほぼ1ページ、B200について書かれている。
つまり、それだけB200は、瀬川先生にとって印象深いものを残していったことになる。

Date: 7月 13th, 2011
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

無題

もう何度も書いているから、またかよ、と思われようが、
私のオーディオは、五味先生の「五味オーディオ教室」という本から始まっている。

「五味オーディオ教室」の前に、どこかでいい音を聴いたという体験はなかった。
私のオーディオは、五味先生の言葉だけによって始まっている。

だから私にとって、タンノイのオートグラフの音は、オートグラフというスピーカーシステムの存在そのものは、
五味先生の言葉によって構築されている。
「五味オーディオ教室」「オーディオ巡礼」「西方の音」と読んできて、
やっとオートグラフの音を聴くことができた。

だが、そこで鳴っていたオートグラフの音は、私にとってはオートグラフの音ではなかった。
ここが、私にとってのオートグラフというスピーカーシステムが特別な存在であることに関係している。

五味先生の言葉を何度となくくり返しくり返し読んで、
私なりに構築し、ときには修正していったイメージとしてのオートグラフの音、
これだけが、私にとっての「オートグラフの音」である。

私にとってのオートグラフの魅力は、五味先生の言葉で成り立っている。
オートグラフだけではない、EMTの930stも同じだ。

そしてマークレビンソンのLNP2とJBLの4343の魅力は、
瀬川先生の言葉によって、私のなかでは成り立っている。

それだから、オートグラフと4343を聴くと、私の中で成り立っているイメージとの比較になってしまう。
そのイメージとは言葉だけで成り立っているものだから、虚構でしかない。

オートグラフを自分の手で鳴らすことは、ないだろう、と思っている。
4343はいつか鳴らすことがある、と思っている。

そのとき4343から抽き出したいのは、他のスピーカーシステムを鳴らして求めるものとは、違ってきて当然である。
その音は、あなたの音か、と問われれば、そうだ、と答える。
そのイメージは、私自身が瀬川先生の文章をくり返し読むことで構築してきたものであって、
私だけのイメージ(虚構)であるからだ。

Date: 7月 12th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その14)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭文のタイトルは、「80年代のスピーカー界展望」にもかかわらず、
冒頭はマイケルソン&オースチンのB200の話からはじまる。

当時の輸入元の表記では、マイケルソン&オースチンだったが、
瀬川先生は、ミカエルソン&オースチンとされている。
瀬川先生の、オーディオに関する固有名詞のカタカナ表記へのこだわりは、このMichelson & Austinだけでなく、
いくつかのブランド名、型番でも見受けられることだ。

ミカエルソン&オースチンのデビュー作は、KT88プッシュプルで、出力70Wの管球式パワーアンプで、
出力管が同じで出力もほぼ同じ、さらにシャーシのクロームメッキと共通点がいくつかあったことで、
80年代のマッキントッシュMC275的存在として受けとめられていたし、
実際そのデビュー作TVA1の音は、どんなにトランジスターアンプが進歩しても出し得ないであろう、
音の質量感とでもいいたくなるものがあって、その音の質量感が、スピーカーからはなたれるとき、
音に特有の勢いがあり、真空管アンプならではのヴィヴィッドな感触を生んでくれる。

ミカエルソン&オースチンはTVA1に続き、EL34プッシュプルのTVA10を発表、
そしてEL34を片チャンネル8本使ったB200を出した。

TVA1、TVA10はステレオ仕様だったが、B200ではモノーラル仕様に変更、出力も200Wと、
そのころ発売されていたアメリカのオーディオリサーチのパワーアンプでも、
これだけの出力を実現してはいなかった、と記憶している。

すでに製造中止になっていたマッキントッシュMC3500に次ぐ出力をもつ管球式パワーアンプが、
アメリカからではなく、節倹の国イギリスから登場したことも、このアンプに対する興味を増すことになっていた。

Date: 7月 11th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その13)

ヴィソニックとグルンディッヒとでは、あきらかにヴィソニックがオーディオの主流にあるスピーカーで、
グルンディッヒは傍流にいるスピーカー、といってもいい気がする。

瀬川先生も、
ハイファイのいわば主流の、陽の当る場所を歩いていないスピーカーのせいか、最近の音の流れ、流行、
そういったものを超越したところで、わが道を歩いているといった感じがある、とされている。

このグルンディッヒの組合せの取材のすこし前に、4343をバイアンプで、
それもアンプはすべてマークレビンソンで、ウーファー用にはML2をブリッジ接続して、ということで、
計6台のML2を使い、コントロールアンプもヘッドアンプも含めアンプはすべてモノーラル構成で鳴らされている。
詳細はステレオサウンド 53号掲載の「JBL #4343研究」をお読みいただきたい。

つまり瀬川先生自身、ハイファイのいわば主流、それも最尖端の音をこのとき追求され、
ひとつの限界といえるところまで鳴らされている。
その瀬川先生が、同時期に、陽の当らない場所を歩いているグルンディッヒのスピーカーシステムを高く評価され、
もう惚れ込まれている、といってもいいように思える。

ステレオサウンド 53号の記事の終りに書かれている。
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だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。
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そしてグルンディッヒProfessional BOX 2500の組合せが載っている
「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭には、マイケルソン&オースチンのB200について書かれている。

Date: 7月 10th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その12)

Professional BOX 2500とProfessional 2500の外観の変更は小さくないし、悪い方向に行ってしまっていても、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」とステレオサウンド 54号の瀬川先生の試聴記を読むかぎりでは、
音の上での変更点はないようにも感じられる。

話は少しそれるが、ステレオサウンド 54号で、このスピーカーシステムに対する菅野先生の評価がむしろ低いのは、
外観も影響しているように、私は思っている。
Professional 2500の外観こそ、菅野先生がもっとも嫌われるもののひとつであるからだ。

それからもうひとつ、Professional 2500という型番は、どうも日本だけのもののような気もする。
正式な型番は、おそらくSUPER HIFI BOX 2500(Professional BOX 2500)と
SUPER HIFI BOX 2500a(Professional 2500)と思うが、ここでは日本での表記に従う。

グルンディッヒの、このスピーカーシステムの音は、どういうものなのだろうか。
「コンポーネントステレオの世界 ’80」では、
新品の状態で届いたProfessional BOX 2500を箱からとりだして鳴らした音は、どこかくすんだようだったのが、
鳴らしていくうちに、
だんだんとみずみずしい、本当の音の中身のつまったいい音になってきた、とまず語られている。

同じドイツ製の、ほぼ同価格の、しかも同じ3ウェイ構成のヴィソニックのExpuls 2と比べると、
周波数レンジの広さ、高域での細やかな音の表現ではヴィソニックのほうがまさっていて、
グルンディッヒからヴィソニックに切り替えると、音場感が拡がりしかも音が薄くなることはない。

一聴すると、どことなく古めかしい印象が残るのに、
種々なプログラムソースに対する適応性では、グルンディッヒのほうが幅広いのではないか、とされている。

このことは、とても重要なことだ。