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Date: 10月 28th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その8)

ずっと以前の話。
dCSからElgarに続くD/AコンバーターとしてDeliusが発表になったときのことだ。
このDeliusが登場することをいち早く掴んで、あるオーディオ雑誌に記事を書いていた人がいた。

このころはインターネットはあったのだろうが、普及はしていなかった。
ほんの一部の人のものだったし、オーディオメーカーのサイトも存在していなかった。

だから、その人は得意満面だったのかもしれない。
ただ、そこにはDeliusが、デリウスと表記されていた。
いうまでもなくDeliusは、ディーリアスである。

最初D/Aコンバーター、Elgar(エルガー)がイギリスの作曲家だということを誰でもわかることだし、
おそらくその人もそのくらいは知っていたはずだ。
ならば第二弾のDeliusも、イギリスの作曲家だということはすぐに見当がつくはず。

Deliusが昔はデリアスと表記されていたことは知っているが、
それはそうとうに昔のことであって、少なくとも私がクラシックを聴き始めたころには、
すでにディーリアスと表記されていた。
それにケイト・ブッシュの三枚目のアルバム、Never for everの中に、Deliusという曲がある。
日本盤の対訳にも、ディーリアスと表記されている。

ちなみに私は、ケイト・ブッシュのDeliusで、フェンビーの存在を知った。

Deliusをディーリアスでもなく、デリアスでもなく、デリウスと書いた人は、
クラシックをまったく聴かない人なのだろう。
それにケイト・ブッシュも聴いていなかった人なのだろう。

Deliusの読み方がわからなかったら、誰かに訊けばいいのに……、と思う。
きくのが恥ずかしかったら、Deliusと英語表記のままにしてしまえばよかったのに、
わざわざ自分で読みを考えたのか、間違ったおかしなカタカナ表記にしてしまっている。

知ったかぶりをしなければ、この人は尻尾を出すことはなかったのに、
海外の最新情報に詳しいということを誇示したいためだったのか、
こういうことになってしまった。

それにしても、いじわるなのは編集部だとも思う。
編集部にはクラシックを聴く人もいたはず。
にも関わらずDeliusをデリウスのまま活字にしてしまうのは、
読者に対して筆者の尻尾を気づかせるためなのだろうか、と勘ぐってしまいたくなる。

Date: 10月 27th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その7)

ステレオサウンド 60号の黒田先生による「岡さんの本」の文章は頷くところが多々ある。
その中でも、深く頷いてしまったところは、このところだ。
     *
 オペラには、そしてオペラの全曲レコードには、いろいろややこしいことがある。したがって、にわかじたてのしったかぶりは、オペラやオペラの全曲レコードについてとやかくいったときに、かならずといっていいほど尻尾をだす。「あの『リゴレット』のレコードのコーラスはいいね、特にソプラノやアルトの女声が……」といったおっちょこちょいの阿呆が、かつていた。先刻ご承知の通り、「リゴレット」の合唱は男声だけである。オペラについてわかった風なことをいおうとすると、そういうことになる。
 岡さんは、そういう意味で、決して尻尾をださない。いや、ださないのではない、だしたくとも、岡さんには尻尾がないのである。はっきりと、「まるっきりオペラを聴いていないわけではないが、ぼくの経験はすこぶる貧弱ではある」と、謙遜にすぎるのではないかと思うが、岡さんは書く。しかし、調べられることは徹底的に調べる。したがって、読者は、そこで、著者である岡さんの書かれることのすべてを信じるようになる。著者と読者の、信頼に裏うちされた会話がこの本で可能なのは、そのためである。
     *
ここにあるとおり、岡先生は「調べられることは徹底的に調べる」人である。
だからこそ、岡先生の部屋には、「沢山のレコードがあり、沢山の本があった」と黒田先生が書かれているわけだ。

他の人だったら、ある程度信用できる人が話してくれたことならば、そのまま書いてしまうことだってある。
いわゆる裏を取ることをせずに書いてしまう。
岡先生は、これを絶対にやらない人だった。

そういう岡先生だからこそ、いまも健在ならインターネットのことをどう活用されただろうか、と想ってしまう。

オーディオ雑誌になにかを書いている人たちも当然インターネットを利用している。
中には最新情報を得ることに、ほかの人よりもいち早く情報を得ることに汲々としている人もいることだろう。

そういった情報先取り自慢など、岡先生はされない。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その6)

JBLにジョン・アーグル(John M.Eagle)という人がいた。
1975年にJBLに入社、最終的には顧問となった人だ。

ジョン・アーグルは何度か日本にきているのので、
オーディオ雑誌の記事にも何度か登場しているし、プロフェッショナルの分野でも著名な人で、
「ハンドブック・オブ・レコーディング・エンジニアリング」の著者でもある。

以前はハーマンインターナショナルのサイトに、ジョン・アーグルについてのページがあったのだが、
いまはどうもなくなっているようだ。

JBLには何人もの著名な人がいる。
ジョン・アーグルもそのひとりであり、もっとも名の知られている人といっていい。

そのジョン・アーグルが、岡先生のことをDr.Oka(ドクター岡)と呼んでいた話を、聞いている。
ジョン・アーグルは、岡先生どういう人なのかがすぐにわかったのだと思う。
だから、Dr.Okaと、アーグルはそう呼んだのだろう。

とにかくアーグルは岡先生を敬服していた、ときいている。
驚いていた、ともきいている。
そうだと思う。

知ったかぶりの人には岡先生のすごさはわからない。

黒田先生が書かれている。
     *
岡さんは、決して大袈裟な、思わせぶりなことをいわない。資料を山とつみあげて苦労の末さがしあてた事実をも、さらりとなにげなく書く。
 この本はそうやって書かれた本である。一行一行がどしりと重い。したがってこの本は、その重さを正しく計って読むべき本である。レコードについて多少なりともつっこんで正確に考えようとする人にとって、この本は、常に身近におくべき本である。そして、ことあるたびごとに、くりかえし読みたくなる本である。
    *
「つっこんで正確に考えようとする人」、
そういう人であればあるほど岡先生のすごさはわかってくる。
だからジョン・アーグルは、そう呼んだ、とおもう。

Date: 10月 22nd, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その5)

バーナード・ベレンソンの「ルネッサンスのイタリア画家」も、
黒田先生が書かれている、この部分に関係してくる。
     *
 そのときをきっかけに、ときおりお招きをうけて、藤沢の岡さんのお宅にうかがうようになった。岡さんのお宅にうかがうのは、いつだって、スリリングなことであった。いまもなお岡さんのお宅にうかがうと、かならず、驚きをポケットにしまっておいとますることになる。岡さんは、仰々しいこと、もっともらしいことを嫌悪なさるので、いつでもさりげなくではあったが、実に多くのことを教えて下さった。おそらく、ご自身、大変なご苦労のすえさがしあてられたにちがいない参考文献を、なにげなくみせて下さったりした。すかさずその本のタイトルと出版社をメモさせていただいたことが、これまでに何度あったことか。
     *
世の中には、実にもったいぶる人が少なからずいる。
そういう人は、何事に関してももったいぶる。
もったいぶることが、賢いことだとでも思っているのかどうかはわからないけれど、
もったいぶることにつきまとういやらしさを、そういう人はまったく感じていないのだろうか。

岡先生は、そういう人ではないことは、
書かれているものを読んでいれば伝わってくるし、
黒田先生の文章からもはっきりと読みとれる。

岡先生は「マイクログルーヴからデジタルへ」の中でも書かれているし、
ステレオサウンド連載のクラシック・・ベスト・レコードの中でも、
オペラについての経験量の不足と、不勉強であることを度々書かれている。

これをそのまま信じていた人もいるだろうが、
岡先生の「不勉強」は、岡先生の律義さ・誠実さである。
これに関するところも黒田先生の文章から引用しておく。
     *
 岡さんのすばらしさ、そして岡俊雄氏のすごさは、ここにある。岡さんは、いかなる場合にも、しったかぶりをしない。しらないことはしらないという。ご自分が「不勉強」と思えば「不勉強」と書く。その律義さというか頑固さが、岡さんを、さらに犯さんの本をつらぬいている。この本を読んでのすがすがしさ、さわやかさ、気持のよさは、そういう岡さんの頑固さによる。そして、このすがすがしさ、さわやかさ、気持のよさは、岡さんに直接おめにかかっているときにいつでも感じるものである。
     *
岡先生が「不勉強」と思われているゆえの「不勉強」であり、
クラシック・・ベスト・レコードをずっと読んできた読者ならば、
岡先生のどこが「不勉強」なのかと思われてきたはずだ。

Date: 10月 21st, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その4)

岡先生とはどういうひとだったのか。
黒田先生の文章からいくつかひろってみよう。
     *
 あるとき、岡さんのお宅で、バーナード・ベレンソンの「ルネッサンスのイタリア画家」という本をみせていただいていた。その本のことはしってはいたが、実物をみるのははじめてであった。いい本であった。ほしいと思ったが昭和三六年にでている本であるから、手に入れるためには古本屋を丹念にみてまわる必要があった。それから数日して、岡さんから電話をもらった。高田馬場のさる古本屋に、新本同様の状態のベレンソンの本があると、ぼくに教えて下さるための電話であった。さっそく出かけて買ってきたのはいうまでもない。値段も思いのほか安かった。岡さんという人はそういう人である。ご自身も好奇心が旺盛であるから、他人の好奇心に対しても理解が深い。
 しかし、そのベレンソンの本のときは、ぼくが雑事にまぎれて古本屋まわりをできないでいるうちに、岡さんに先を越されて、岡さんの親切に感謝し、岡さんの熱意に感激しながらも、恥しかった。岡さんのすごさをあらためて思わないではいられなかった。
     *
岡先生は1916年、黒田先生は1938年の生れであるから、
22の歳の開きがあり、親子ほどの、といってもくらいである。

しかも岡先生は神奈川・藤沢にお住まいだった。
黒田先生は東京・東中野だから、高田馬場まではわずかな距離である。
藤沢と高田馬場はけっこう離れている。

にもかかわらず、岡先生は、ご自身はすでに所有されているベレンソンの本を、
黒田先生のために古本屋まわりをされている。
それも数日しか経っていないのに。

黒田先生が「恥しかった」と書かれるのも、わかる。
「岡さんのすごさをあらためて思わないではいられなかった」と書かれたのも、よくわかる。

Date: 10月 21st, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その3)

黒田先生の文章は、岡先生の人柄をじつよにく伝えてくれている。

ステレオサウンド 60号が出た時には、私はまだ読者だった。
岡先生の「マイクログルーヴからデジタルへ」は、
ラジオ技術を読んでいたから出版されることは知っていたし、
ステレオサウンド 60号とほぼ同時期くらいに買って読んでいた。

もちろんそれまでのステレオサウンド(41号からだが)も全号読んでいたので、
なんとなくではあったけれど、岡俊雄という人が、どんな感じの人なのかは私なりにイメージしていた。

会ったことのない人を、いわば勝手にイメージしていた者が、
ステレオサウンド 60号の黒田先生の文章を読んだわけである。

こういう人だったのか……、と読みながらおもっていた。
でも、読みとれていたことは、若さゆえもの未熟さもあって、少なかった、と後で気づく。

ステレオサウンドで働くようになって、岡先生とお会いする機会があった。
岡先生のお宅にも何度か伺っている。
岡先生の連載、クラシック・・ベスト・レコードも担当するようになった。

それまで文字だけでしか知らなかった岡俊雄という人のことを、
より知ることができる機会が増えたわけだ。

そして、いまステレオサウンド 60号の黒田先生の、岡先生について書かれた文章を読むと、
これほど岡先生の人柄を伝えてくれる文章は、他に読んだことがない、といえるし、
黒田先生の文章が伝えてくれることに嘘偽りはまったくない、ともいえる。

岡先生とは、まさにそういう人だった。

Date: 10月 20th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その2)

ステレオサウンド 60号、
このころのステレオサウンドには黒田先生の連載「さらに聴きとるものとの対話を」があった。

60号は1981年9月に出ている。このころラジオ技術社から岡先生の本が出た。
本のタイトルは「マイクログルーヴからデジタルへ/優秀録音ディスク30年史上巻)だった。

黒田先生は60号の「さらに聴きとるものとの対話を」で、この本のこと、
そして岡先生のことを書かれている。
むしろ岡先生のことを書かれている、といってもよい。

黒田先生自身も書かれている。
     *
ここでのさしあたっての目的は、岡さんについて書くことではなく、岡さんの本について書くことである。それを承知の上で、岡さんのことをえんえんと書いてきたのは、ほかでもない、その本の魅力を書こうとしたら、どうしても著者の人間としての魅力から書きはじめなければならないと感じたからであった。
     *
岡俊雄という人が、どんな人だったのかよく知らない、という人はいまでは少なくない、と思う。
そういう人はもちろん、そういう人たちよりも上の世代で、
岡先生の書かれたものをその時代その時代で読んできた人も、
ステレオサウンド 60号の黒田先生の文章はぜひとも読んでもらいたい、と思っている。

黒田先生も書かれているように、岡先生は
「自己顕示欲などというあざといものは、薬にしたくもない。岡さんはいまの世にあってはめずらしいシャイな人」
だから、ステレオサウンドに書かれたものだけからは、岡先生の人間としての魅力はやや掴みにくいところもある。

Date: 10月 20th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その1)

私がインターネットに接続し使い始めたのは1997年。
このころはまだ検索が、いまほどのレベルに達していなかった。
いくつかの検索サイトを使っても、探しているサイトになかなかたどり着けなかったし、
なぜ、このキーワードで検索して、検索結果の順位を見ては、おかしいだろう、と思うことはしばしばあった。

それはGoogleが登場するまで、あまり改善されなかったように感じていた。

Googleによる検索が完璧とはまだまだいえないし、改善してほしいところはあるものの、
その検索結果は感心することもある。

インターネットがあるところまで普及したおかげで、
1997年とは比較にならないほど、多くの情報が得られるようになった。
調べものをするときも、本を開く時間よりもインターネットに接続している時間の方が長くなっている。
本は、しかも所有していない本に関しては、
その本自体を探しにいかなければならない。

自分が求めている情報が、どの本に載っているのかがはっきりしていればまだいい。
けれど、たいていはどの本に載っているのか、まずそのことをから探していかなければならない。

だから、ほんとうに楽になった、と思えることが多くなっている。

しかもいまでは必ずしもパソコン(Mac)の前に坐る必要もなくなってきている。
iPhoneやiPadで検索する時間が増えてきている。
外出先からでもすぐに検索できる。
オーディオに関する情報も1997年とは比較にならないほど多くのことが、
インターネットにはいまではある。

しかも検索してもわからないことでも、
twitter、facebookなどのSNSで質問すれば、的確な答・情報が返ってくることもある。

それが当り前のことのようにおもえてきて、
このことのほんとうの有難みをつい忘れそうにもなる。
そして、もうひとつおもうのは、いま岡先生が生きておられたら、
インターネットをもっとも積極的に使われていたはず、ということだ。

Date: 10月 7th, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その17)

「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」の書き出しを読んだ時、
仕事場として、都内の高層マンションの10階の部屋を借りられたのだと思った。

病気で入院され、退院されて復帰されたばかりだったから、
少しでも交通の便がよく、出版社やメーカーに近い都心の方が身体への負担も少ないだろうから……、
そんなふうに考えてしまった。

これ以外に、本漆喰の、あのリスニングルームの他に、もう一部屋、
そこに住まわれる理由が私には思いつかなかった。

ほぼ理想に近いとも思われるリスニングルーム、
ずっと借家住まいをされてきて、やっと建てられたリスニングルームだけに、
そこから瀬川先生が離れられるわけがない──、
そう思い込もうとしていた。

なぜ高層マンションに移られたのか、
その理由を知るのは、ステレオサウンド 62号、63号に掲載された追悼記事による。

独りになられたんだぁ……、とそう思った時、
ステレオサウンド 59号のパラゴンの文章を読み返していれば、といまは思うのだが、
当時は、なぜか59号の文章のことは頭になかった。

それだけ瀬川先生がいなくなられたことのショックが大きかったからでもあるし、
59号の、短いパラゴンについての文章よりも、
「いま、いい音のアンプがほしい」を読み返すことに気がとられてもいたからだろう。

Date: 10月 3rd, 2013
Cate: audio wednesday, 瀬川冬樹

第34回audio sharing例会のお知らせ(瀬川冬樹氏のこと)

11月のaudio sharing例会は6日(水曜日)である。
翌7日は、瀬川先生の命日であり、33回忌となる。

だから、前日6日のaudio sharing例会では、
私が所有している瀬川先生の未発表原稿(未完原稿)、
デザインのスケッチ画、かなり若いころに書かれたある記事のプロットといえるメモ、
瀬川先生が考えられていたオーディオ雑誌の、いわば企画書ともいえるメモ、
その他のメモなどを持っていく。

これらはいずれきちんとスキャンして公開していくつもりだが、
原稿、メモ、スケッチそのものを公開するのは、この日(11月6日)だけである。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 2nd, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その16)

JBLのパラゴンを「欲しいなあ」と書かれたステレオサウンド 59号とほぼ同時期に、
特別増刊として「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」が出た。
この別冊の巻頭言は、瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」だった。

書き出しはこうだった。
     *
 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
     *
おそらく誰しもが、あれっ? と思われたはず。
私も、あの世田谷の、本漆喰のリスニングルームはどうなったのか? とまず思った。
なぜ、都内の高層マンションを借りて住まわれているのか。

いまの歳だった、そういうことなのか、と察しがつく。
けれど、1981年の時点で18だった若造の私には、その理由がなんともわからなかった。
ただ、あのリスニングルームではないということだけがわかっていた。

このこととが、59号のパラゴンが「欲しいなあ」が、この時は結びつかなかった。
だが、いまは違う。
だから、59号のパラゴンについて書かれた文章を読み返すことで見えてくるものが出てきたのだ。

Date: 10月 1st, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その15)

ステレオサウンド 59号の瀬川先生の文章の最後に出てくる「欲しいなあ」。
それは「欲しい」ではなく「欲しいなあ」であった。

本心では、この項に関しては、これ以上各のは蛇足だと思っている。
「欲しいなあ」に込められている瀬川先生のおもいを感じとれる人ならば、
ここまでで充分ではないのか……、そう思いながらも書いていくつもりでいる。

Date: 9月 29th, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その14)

瀬川先生がパラゴンについて書かれた文章をもっと読みたい方は、
私が2010年11月7日に公開した電子書籍(ePUB)で、「パラゴン」で検索してみてほしい。

ステレオサウンド 56号のように長い文章もあれば、47号のように短い文章もある。
パラゴンのことが直接のテーマではなくても、パラゴンのことを文章内に登場させていることも少なくない。

パラゴンについて書かれた文章を読めば、
D44000 Paragonというスピーカーシステムが、瀬川冬樹のなかでどういう位置づけにあったのかが、
おぼろげながら形をもってくるはずだ。

瀬川先生は60号での発言にもあるように、
オーディオ評論家として積極的に活動をされる前は工業デザイナーだった。
そのデザイナーとしてのパラゴンへのまなざしも、これらの文章には含まれている。

瀬川先生がパラゴンについて書かれた文章をすべて読んだから、すべてがわかるわけでもない。
ひとつしか読まなくても、伝わってくるものは確実にある。

私がもういちどしっかりと読んでほしいと思っているのは、
ステレオサウンド 59号の文章である。
あえて、もういちど書き写しておく。
     *
 ステレオレコードの市販された1958年以来だから、もう23年も前の製品で、たいていなら多少古めかしくなるはずだが、パラゴンに限っては、外観も音も、決して古くない。さすがはJBLの力作で、少しオーディオ道楽した人が、一度は我家に入れてみたいと考える。目の前に置いて眺めているだけで、惚れ惚れと、しかも豊かな気分になれるという、そのことだけでも素晴らしい。まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。
     *
最後のひとこと──、「欲しいなあ」、
ここにすべてが語られている、と感じている。

Date: 9月 29th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

1949年9月29日

1949年9月29日という日付をみて、この日がどういう日であったのか、
すぐに思い出せる人は、これから先少なくなっていくのだろう。

いまの20代、10代といった若い人たちは、
なんのことなのかさっぱり……、という人がほとんどだろうし、
30代、40代でもわからない人のほうが多いだろう。

結局、この日についてすぐに答えられる人は、
最低でも50代ということなのか。

1949年9月29日、木曜日にランシングは、
所有地であった果樹園内のアボカドの木を使い、自らの命を絶っている。
ランシングは47歳だった。

岩崎先生は1977年3月に48歳で、
瀬川先生は1981年11月に46歳で亡くなられている。

岩崎先生も瀬川先生も、JBLの鳴らし手だった。
岩崎先生、瀬川先生がもし他のメーカーのスピーカーを使われ、鳴らされていたら、
日本でのJBLの知名度、売行きは大きく違ったものになっていたはずだ。

これは断言できる。
そのくらいに、ふたりの影響力は大きかった。

だから思うのだ。

瀬川先生・46歳、ランシング・47歳、岩崎先生・48歳。
ランシングの47という数字を囲むようになっているのは、単なる偶然なのだろう。

そこに何の意味もない──、そう受けとるのが普通である。
でも、私はなにかランシングが呼んだではないのか──、
そんな気がしてならないのだ。

あと40日ほどで、11月7日がくる。
今年の11月7日は三十三回忌である。

Date: 9月 28th, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その13)

瀬川先生にとって最後の取材・試聴となったステレオサウンド 60号「サウンド・オブ・アメリカ」、
ここでの座談会では次のようなことを語られている。
     *
 パラゴンの音は、わりあいに昔から好きでしたね。岡先生とは逆に、幸いなことに、ごく早い時期からわりに良い音で鳴っているパラゴンをあちこちで聴くことができ、そんなことから、パラゴンは一貫してずうっと好きだったんです。
 パラゴンの音を、もう一つ深いところで再認識させられたのは、これは『ステレオサウンド』の56号でも書いたように、たまたまパラゴンに惚れ込んだ、パラゴン気違いと呼んでも失礼にならないぐらいの二人のマニアにめぐり会ったときです。その人たちの鳴らすパラゴンの調整に、こちらまで気違いになりそうになって、おつきあいしたことが数年ありました。
 その時、パラゴンというのは、その気になって本当に時間をかけて格闘する──ただし、これは並大抵のことじゃないので普通の方にはめったにお勧めしないけれども──その気があれば、普通、皆さんがもっているパラゴンのイメージとはまたちょっと違った、具体的に言えば、非常にリアリティのある音を再生することも可能だということを知ったわけです。
 ただし、岡先生も言われたように、パラゴンは、まずいい音で鳴ってないですね。これぐらい雑に鳴らしたらひどい音のするスピーカーもない、だからこそ、岡先生がいい音を聴いたことがないとおっしゃるわけですね。鳴らし方がむすかしいスピーカーなんですよ。
 今日、わりに手数をかけずにまあまあの音が出たというは──もっともっもとすごい音がしますから、あくまでもぼくはまあまあとしか言わないけれども──この部屋のせいでしょう。54畳という空間、そして建物としての造りがいいからでしょう。
 本当にいい材料を、惜しげなく使ってつくった、これだけの空間の部屋があってこそ、パラゴンもあまり手間をかけずに朗々と鳴ってくれた。裏返して言えば、われわれはこういう空間を持てないからこそ、いい音を引き出すために、ちょっとオーバーな言い方をすれば、まさに血みどろの格闘をしなくちゃならない。これが、日本のオーディオマニアがつい細かいことに走りがちな一つの原因だと思いますね。
     *
ステレオサウンド 60号では、この発言とは別に、
パラゴンのフォルムについて、こう語られている。
     *
パラゴンは、非常に荘重な広間に置いても、まったく位負けしませんね。と同時に、もっとモダーンな、前衛的といっていいくらいのインテリアの中にポンと置いたって、全然違和感がない。こんなデザインはめったにないと思うんです。しかも、デザインが優先しているのではなくて、スピーカーの設計理論があって、その理論に基いて後から造形した製品なんですからね。
 ぼくもデザイナーの一人として、こんなものを果して作れるだろうかと、途方に暮れるくらいものすごいデザインです。
     *
こうやってパラゴンについて書かれたもの、発言されたものを、
いままたあらためて読んでみて、やはりパラゴンは絶対鳴らされていた、と確信しているところだ。