Date: 9月 28th, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹
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瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その13)

瀬川先生にとって最後の取材・試聴となったステレオサウンド 60号「サウンド・オブ・アメリカ」、
ここでの座談会では次のようなことを語られている。
     *
 パラゴンの音は、わりあいに昔から好きでしたね。岡先生とは逆に、幸いなことに、ごく早い時期からわりに良い音で鳴っているパラゴンをあちこちで聴くことができ、そんなことから、パラゴンは一貫してずうっと好きだったんです。
 パラゴンの音を、もう一つ深いところで再認識させられたのは、これは『ステレオサウンド』の56号でも書いたように、たまたまパラゴンに惚れ込んだ、パラゴン気違いと呼んでも失礼にならないぐらいの二人のマニアにめぐり会ったときです。その人たちの鳴らすパラゴンの調整に、こちらまで気違いになりそうになって、おつきあいしたことが数年ありました。
 その時、パラゴンというのは、その気になって本当に時間をかけて格闘する──ただし、これは並大抵のことじゃないので普通の方にはめったにお勧めしないけれども──その気があれば、普通、皆さんがもっているパラゴンのイメージとはまたちょっと違った、具体的に言えば、非常にリアリティのある音を再生することも可能だということを知ったわけです。
 ただし、岡先生も言われたように、パラゴンは、まずいい音で鳴ってないですね。これぐらい雑に鳴らしたらひどい音のするスピーカーもない、だからこそ、岡先生がいい音を聴いたことがないとおっしゃるわけですね。鳴らし方がむすかしいスピーカーなんですよ。
 今日、わりに手数をかけずにまあまあの音が出たというは──もっともっもとすごい音がしますから、あくまでもぼくはまあまあとしか言わないけれども──この部屋のせいでしょう。54畳という空間、そして建物としての造りがいいからでしょう。
 本当にいい材料を、惜しげなく使ってつくった、これだけの空間の部屋があってこそ、パラゴンもあまり手間をかけずに朗々と鳴ってくれた。裏返して言えば、われわれはこういう空間を持てないからこそ、いい音を引き出すために、ちょっとオーバーな言い方をすれば、まさに血みどろの格闘をしなくちゃならない。これが、日本のオーディオマニアがつい細かいことに走りがちな一つの原因だと思いますね。
     *
ステレオサウンド 60号では、この発言とは別に、
パラゴンのフォルムについて、こう語られている。
     *
パラゴンは、非常に荘重な広間に置いても、まったく位負けしませんね。と同時に、もっとモダーンな、前衛的といっていいくらいのインテリアの中にポンと置いたって、全然違和感がない。こんなデザインはめったにないと思うんです。しかも、デザインが優先しているのではなくて、スピーカーの設計理論があって、その理論に基いて後から造形した製品なんですからね。
 ぼくもデザイナーの一人として、こんなものを果して作れるだろうかと、途方に暮れるくらいものすごいデザインです。
     *
こうやってパラゴンについて書かれたもの、発言されたものを、
いままたあらためて読んでみて、やはりパラゴンは絶対鳴らされていた、と確信しているところだ。

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