Date: 9月 29th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹
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1949年9月29日

1949年9月29日という日付をみて、この日がどういう日であったのか、
すぐに思い出せる人は、これから先少なくなっていくのだろう。

いまの20代、10代といった若い人たちは、
なんのことなのかさっぱり……、という人がほとんどだろうし、
30代、40代でもわからない人のほうが多いだろう。

結局、この日についてすぐに答えられる人は、
最低でも50代ということなのか。

1949年9月29日、木曜日にランシングは、
所有地であった果樹園内のアボカドの木を使い、自らの命を絶っている。
ランシングは47歳だった。

岩崎先生は1977年3月に48歳で、
瀬川先生は1981年11月に46歳で亡くなられている。

岩崎先生も瀬川先生も、JBLの鳴らし手だった。
岩崎先生、瀬川先生がもし他のメーカーのスピーカーを使われ、鳴らされていたら、
日本でのJBLの知名度、売行きは大きく違ったものになっていたはずだ。

これは断言できる。
そのくらいに、ふたりの影響力は大きかった。

だから思うのだ。

瀬川先生・46歳、ランシング・47歳、岩崎先生・48歳。
ランシングの47という数字を囲むようになっているのは、単なる偶然なのだろう。

そこに何の意味もない──、そう受けとるのが普通である。
でも、私はなにかランシングが呼んだではないのか──、
そんな気がしてならないのだ。

あと40日ほどで、11月7日がくる。
今年の11月7日は三十三回忌である。

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