ベートーヴェンの「第九」(コロナ禍だからこそ)
ベルリンの壁の崩壊。
約一ヵ月後の1989年12月25日に、バーンスタインがベートーヴェンの「第九」を指揮した。
ひとつの国が壁によって分断されたことは知っているだけであって、
それがどれだけのことであったのかは、私の想像をこえるもののはずだ。
なので、こんなことがいえるのだろうが、
それでもドイツ人は倖せだ、と思っていた。
ベルリンの壁が崩壊して、「第九」を演奏される。
自国の作曲家による「第九」で、ある。
ドイツは、ドイツ人は「第九」をもっているからだ。
「第九」のほかに、ふさわしい音楽があるだろうか。
ドイツの人が、その点に関してうらやましくもあった。
日本には、日本人にはあるだろうか。
自国の作曲家による作品で、ここにふさわしい音楽があるだろうか。
日本にも、国を分断する壁があって、崩壊したとしたら、
やはり「第九」のはずだ。
だからこそ、よけいにそうおもう。
コロナ禍が、これから先どうなるのかは、私には予測できない。
終息はない、と思うだけである。
それでも、いつの日か、ほんとうの意味でコロナ禍が、収束ではなく終息できたならば、
終息宣言が発せられる日が来るのであれば、
「第九」だな、とおもう。
ベルリンの壁とコロナ禍は違う。
それでも、新型コロナが撲滅される日がくるのであれば、「第九」しかない。
ベルリンの壁崩壊のときにはバーンスタインがいた。
いまは誰がいるだろうか……。