Date: 5月 2nd, 2020
Cate: ベートーヴェン
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シフのベートーヴェン(その9)

ベートーヴェン弾き、といったことを、昔はよく目にしていた。
古くはシュナーベルがいた。
それから五味先生がお好きだったバックハウスとケンプも、ベートーヴェン弾きだった。

彼ら以外だと、ギレリスもベートーヴェン弾きだった。
ギレリスのあとの世代で、ベートーヴェンを積極的に録音しているピアニストは多い。

ブレンデル、バレンボイム、ポリーニがいるし、グルダもそういえよう。
けれど、ベートーヴェン弾きという印象は、ない。
少なくとも私には、ない。

私よりも若い世代の聴き手だと違ってくるのかもしれないが、
私と同世代、上の世代だと、
ギレリスで、ベートーヴェン弾きはいなくなってしまった──、と感じているのではないだろうか。

ベートーヴェン弾きだから、素晴らしい演奏を残してくれた、とか、
ベートーヴェン弾きでないから……、ということではない。

グルダのベートーヴェンは素晴らしいし、
アニー・フィッシャーのベートーヴェンもそう感じている。
(アニー・フィッシャーはベートーヴェン弾きなんだろうか)

シフのベートーヴェンに「ないもの」を感じてしまうのは、
シフがベートーヴェン弾きではないからなわけではない。

それでも、どこにベートーヴェン弾きと感じ、
そうでないと感じてしまうのかは、
シフのベートーヴェンに「ないもの」を感じてしまった以上は、
考えなければならないのか。

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