Date: 6月 11th, 2019
Cate: ベートーヴェン
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ベートーヴェンの「第九」(その20)

6月5日のaudio wednesdayでは、
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団によるベートーヴェンの「第九」も鳴らした。

ライナーの「第九」のことは、(その1)で触れている。
1989年の映画「いまを生きる」(原題はDead Poet Society)で使われていた。

この映画を観ていて、ライナーの「第九」と出逢えた。
私はステレオ録音の「第九」では、ジュリーニ指揮ベルリンフィルハーモニーの録音とともに、
このライナー盤を聴きつづけてきている。

今回は四楽章だけを鳴らした。
鳴らし終って、常連のKさんが「歌が入っていなければ、いい曲なのに……」といわれた。

Kさんと同じことを、ある雑誌でもみかけたことがある。
どの雑誌で、どの人が書いたことなのか記憶しているけれど、ここでは書かない。

その人もまた、四楽章で歌が入ってくることで、
「第九」をだいなしにしている。
さらには、演歌にしてしまっている──、
そんなことを書かれていた。

音楽の聴き方も、ほんとうに人によって、大きく違ってくる。
もう人さまざまという言葉だけでは足りないとおもえるほどに、
こうまで違ってくるものか、ともう諦めるしかないのか。

30代なかばだったら、ムキになって説得しようと試みただろうが、
いまは、もうつもりはない。

一応、反論めいたことはちょっと言ったけれど、
それ以上はあえて言うまい。

でも、(その10)で書いている、昔の新聞で読んだ記事のことを思い出す。

年末に受刑者に「第九」を聴かせた、という話だ。
受刑者の一人が剛球した、という内容だった。

「第九」をもっと以前に聴いていれば、
罪を犯すことはなかっただろう……と。

私も、ベートーヴェンの「第九」を、
小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏で、人見記念講堂で聴いたとき、
四楽章でバリトンが歌い出したところから、もう涙が止まらなかった経験がある。

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