正しいもの(その4)
中野英男氏の著書「音楽 オーディオ 人々」に「日本人の作るレコード」という章がある。
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シャルランから筆が逸れたが、彼と最も強烈な出会いを経験した人として若林駿介さんを挙げないわけにはいかない。十数年前だったと思うが、若林さんが岩城宏之──N響のコンビで〝第五・未完成〟のレコードを作られたことがあった。戦後初めての試みで、日本のオーケストラの到達したひとつの水準を見事に録音した素晴しいレコードであった。若くて美しい奥様と渡欧の計画を練っておられた氏は、シャルラン訪問をそのスケジュールに加え、私の紹介状を携えてパリのシャンゼリゼ劇場のうしろにあるシャルランのスタジオを訪れたのである。両氏の話題は当然のことながら録音、特に若林さんのお持ちになったレコードに集中した。シャルランは、東の国から来た若いミキサーがひどく気に入ったらしく、半日がかりでこのレコードのミキシング技術の批評と指導を試みたという。当時シャルラン六十歳、若林さんはまだ三十四、五歳だったと思う。SP時代より数えて、制作レコードでディスク大賞に輝くもの一〇〇を超える西欧の老巨匠と東洋の新鋭エンジニアのパリでの語らいは、正に一幅の画を思わせる風景であったと想像される。
事件はその後に起こった。語らいを終えて礼を言う若林さんに、シャルランは「それはそうと、あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」と尋ねたのである。録音の技術上の問題は別として、シャルランはあのレコードの存在価値を全く認めていなかったのである。若林さんが受けた衝撃は大きかった。それを伝え聞いた私の衝撃もまた大きかった。
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この中野氏の文章を引用したのは、若林氏、それに若林氏の録音についてあれこれ書きたいからではない。
シャルランの「あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」という言葉に、
若林氏も中野氏も大きな衝撃を受けられている。
なぜシャルランは、若林氏(日本から来た若いミキサー)のことを気に入って、
若林氏が持参したベートーヴェンとシューベルトのレコードのミキシング技術の批評と指導を試みながらも、
最後に、このレコードの存在価値をまったく認めていないということを、
あえて「あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」と尋ねたのか。
このレコードを私は聴いたことがない。
でも、おそらく、このレコードには、
ベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として収録されていなかった、のではないだろうか。
ベートーヴェンの音楽をベートーヴェンの音楽として録音することは、
適切な位置にマイクロフォンを設置して、適切なバランスでミキシングし、
録音器材にも良質なものを使い、つねに細部まで注意をはらえば、
それでベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として収録されるわけではない。
ベートーヴェンの音楽をベートーヴェンの音楽として収録するには何が求められるのか。
シャルランが録音を担当したイヴ・ナットのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集に答がある。
けれど、まだ私はそこから読み解けて(聴き解けて)いない。
それでも、イヴ・ナットのベートーヴェンの録音には、
ベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として鳴っている。
そんなシャルランだからこそ、
「あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」と問えるのである。