Date: 10月 16th, 2011
Cate: 欲する
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何を欲しているのか(その17)

ホロヴィッツのいう、「感情に自由を与えなさい」とは、いったいどういうことなのか。

いうまでもないことだが、自由と好き勝手は、まったく違う。
ホロヴィッツ本人が、正確にどういっているのかははっきりしないが、
ホロヴィッツのいう「自由」とは、もちろん「好き勝手」ではないと言い切っていいだろう。

われわれはオーディオという器械・システムを介して音楽を聴いているわけだが、
ホールに足をはこび演奏を聴く行為とのあいだに、感情の自由において違いはあるのだろうか。
まったく同じとは、私には思えない。

この違いについて考えていくことが、
オーディオを介して音楽を聴く行為の楽しさを問う行為でもある、といま思っている。

「音は人なり」の言葉があらわしているように、
たとえ同じシステム、同じような環境で聴いていたとしても、
100人の聴き手(つまりオーディオの使い手)がいれば、ひとつとして同じ音はありえない。
100通りの音が存在している。
この100人が同じ演奏家の同じレコードを名盤として愛聴していたとしても、
それでもやはり100通りの音楽が、そこでは鳴っている。

そして、実際には同じシステム、同じ環境ということはまずありえない。
つまり100通りの環境、100通りのオーディオの在り方、ということになる。
オーディオの楽しみ方も接し方も、人によってさまざまのはず。

もちろん大きく分ければいくつかのパターン分けみたいなことはできるのかもしれないが、
それはあくまでも共通するところで括っているだけのことであり、
まったく同じ楽しみ方・接し方をしている人はいないのが、オーディオのはずだ。

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