老いとオーディオ(若さとは・その12)
(その10)へのコメントが、facebookにあった。
この項は、どなたかに宛てて書かれているようだ、と思っていた、とあった。
続けて、「それが当該の方ご本人のためになる」「書き残すことが公共の利益である」
という考えなのか、とあった。
そんなことはまったくおもっていない。
知っている老成ぶっているオーディオマニアに向けてではない。
その人が、仮に読んでいたとして、本人のためになるとはまったく考えていない。
書き残すことが公共の利益になるとも、まったく考えていない。
ずっと以前に書いているように、
ここに書いていることは、私に向けてのものである。
「五味オーディオ教室」にであったばかりの私、
「五味オーディオ教室」を夢中になって、何度も何度も読み返していたころの私、
そのころの「私」だけを想定して書いているだけであり、
そういう「私」に老成ぶるな、といいたいだけでもある。
とはいえ、まったくそれだけでもない。
老成ぶっているオーディオマニアに対しての怒りがあるといえばある。
老成ぶっているオーディオマニアが悪い、というわけではない。
趣味の世界と捉えれば、老成ぶっていることも、
そういう楽しみ方もあるだろうぐらいに思える。
老成ぶっているオーディオマニアは、昔からいたはずだ。
私が知っている老成ぶっているオーディオマニア以外にも、きっといよう。
その人たちに怒りがあるわけではない。
老成ぶっているオーディオマニアが、
自分の世界に閉じ籠もっているだけならば、そこに怒りをおぼえることはない。
もったいないぁ〜、と思うにしても、怒りはない。
けれど、いまは昔と違う環境がわれわれをとりまいている。
だからこその怒りがある。