老いとオーディオ(オーディオ機器の場合・その1)
オーディオ機器は工業製品である。
工業製品は、遅かれ早かれいつかは製造中止になる。
これは工業製品の一つの死である。
製造中止になったからといって、
誰も使わなくなるわけではない。
愛着をもって使ってくれる人がいるかぎりは、
そのオーディオ機器は、別の死を迎えているわけではない。
でも、それもいつかは終る日が来る。
ずっと同じ人が使い続けたとしても、その人が亡くなってしまえば、
そこで終る。
もしくはその人が、新しいオーディオ機器を買い替えるために売りに出したら──、
これも一つの死である。
どこかに売られる。
おもにオーディオ店に下取りに出されることだろう。
そこで誰かの目(耳)に留り、その人のもとへ行くことができれば、
復活したといえる。
けれどなかにはなかなか売れずに残ってしまう場合もある。
投げ売りに近い状態での値が付けられて、ぞんざいな扱いを受けるかもしれない。
これも一つの死である。
ずっと誰かのもとで使い続けられていても、
工業製品であるから、いつかは故障する。
故障しても修理ができることもあれば、
長く使っている製品であればあるほど、修理が難しくなることもある。
修理不可能となってしまった工業製品。
これも一つの死である。
工業製品には、こんなふうにいくつもの死があるといっていいだろう。
発売当時、高い評価を得ていたスピーカーであっても、
いつかは忘れられてしまうことが多い。
評価は高くても売れないことも決して少なくない。
そういう製品はかなりの安値で中古店の店頭に並ぶことがある。
多くの人がふり返られない。
けれど、そういうスピーカーを、ふと思い出す人がいたりする。
出逢ったりする。
転売ヤーといわれている買われてしまうのではなく、
そのスピーカーのよさを、きちんと理解している人のところにいくことによって、
そのスピーカーは救われた、といってもいいだろう。
相手は機械である。
そんなふうにすっぱりと割り切ってしまえるのならば、
ずいぶんとラクになるだろうけど、
そうなれる人もいればそうでない人もいる。
私に、いくつかの好きなスピーカーがある。
人気のあったスピーカーばかりではなく、そうでないスピーカーでも、
いまでも好きなモノがある。
そういうスピーカーの一つが、あるオーディオ店に中古として並んでいる。
私は行ったことのない店である。
そこで古い友人が、そのスピーカーの音を聴いて驚いたようだ。
人気のない製品だから、程度のよさにもかかわらず安価である。
また決心していないみたいだが、
きっと友人のところにゆくであろう。
安いから、というだけで、
そのスピーカーを買ってしまう人もいると思う。
それでも、その人がそのスピーカーの良さに気づいて、
オーディオのおもしろさにめざめてくれればそれはそれでいいことだが、
そんなことは実際のところ、そうそう起るとは思っていない。
友人のところに、そのスピーカーがいってくれれば、
工業製品の死から、しばらくは逃れられよう。