老いとオーディオ(とステレオサウンド・その9)
七年前に「石岡瑛子氏の言葉」を書いている。
スイングジャーナル 1979年1月号に新春特別座談会として、
「ジャズを撮る」というタイトルで、石岡瑛子氏、操上和美氏、内藤忠行氏、武市好古氏らが、
映像の世界から見た、ジャズという素材について語っている中から、
石岡瑛子氏の発言を引用している。
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スイングジャーナルは自身で発想の転換を時代の波の中でやっていかなければならない。ゴリゴリのジャズ・ファン以外にもアピールする魅力を持たなければ表現がいつか時代から離れていってしまうでしょう。ジャズというフィールドを10年も20年も前のジャズの概念できめつけているのね。今の若い人たちの間で、ビジュアルなものに対する嗅覚、視覚といったものがすごい勢いで発達している今日、そういう人にとって、今のジャズ雑誌はそれ程ラディカルなものではありません。スイングジャーナルという雑誌の中で映像表現者が果せる力って大きいと想うし、時代から言って必要なパワーなのですね。時代の波の中で、読者に先端的なものを示し、常に問題提起を続ける。それを読者が敏感に感じとってキャッチ・ボールを続けるうちに、誌面はもっとビビッドなものになり得るんじゃないですか。
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スイングジャーナルの編集部は、石岡瑛子氏の言葉に耳を傾けなかったのか、
それとも理解していなかったのか。
《ジャズというフィールドを10年も20年も前のジャズの概念できめつけている》とある。
1978年11月ごろに座談会は行われているはずだ。
つまり、その後も、10年も20年も変らずだった。
《古いミュージシャンは、変ることなく、安全でわかりやすい、もうくたびれきったことを何度も何度も繰り返して、博物館のガラスの中の陳列物みたいになっている。》
マイルス・デイヴィスが、自叙伝で語っていることだ。
スイングジャーナルは、何度も何度もマイルス・デイヴィスを取り上げていた。
マイルスの、このことばのままの雑誌になっていった。