Date: 6月 12th, 2013
Cate: 言葉
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石岡瑛子氏の言葉

スイングジャーナル 1979年1月号に新春特別座談会として、
「ジャズを撮る」というタイトルで、石岡瑛子氏、操上和美氏、内藤忠行氏、武市好古氏らが、
映像の世界から見た、ジャズという素材について語っている。

新春特別座談会といっているわりにはわずか4ページしかないのがもったいない気もする。
きっと座談会そのものは、かなり濃い内容だったように感じられる、たった4ページの記事である。
おもしろい記事である。
機会であれば、ぜひ読んでほしい、とおもえる記事である。

この座談会で石岡氏の言葉が、私の心に、特にひっかかってきた。
     *
ジャズというものが総体的に、時代に対してオープン・マインドな姿勢を失っていることを残念だと思ったんです。レコード・ジャケットに表われている面が、その時代の音楽のエネルギーを示しているとすれば、ジャズにはそれが欠けている。ジャズのアートワークを見るとほとんど80%近くがミュージシャンの写真であるわけです。そこには冒険とか実験の精神が欠如している。姿勢がオーソドックスなんですね。
(中略)
ジャズのフィールドの中のファンはあるいは、それでいいかも知れないけれど、もっとワイドレンジなオーディエンスに対してハッとさせる、聴いてみたいと思わせるためにはその時代を的確に把握した上でビジュアルな面で意識をクロスオーバーしていかなければならない。
     *
石岡氏は「オーディエンスに対してリアリティのある関係」という表現も使われている。

そしてスイングジャーナルの将来を予言されているかのような発言もある。
このとき(1978年の11月ごろか)は、石岡氏もスイングジャーナルがどうなっていくのかなんて、
まったく想像されていなかったのかもしれない。
けれど、このときの石岡氏の発言こそが、スイングジャーナルがもっとも耳を傾けておくべき、
そしてこころに深く刻み込んでおくべき言葉になっている。
     *
スイングジャーナルは自身で発想の転換を時代の波の中でやっていかなければならない。ゴリゴリのジャズ・ファン以外にもアピールする魅力を持たなければ表現がいつか時代から離れていってしまうでしょう。ジャズというフィールドを10年も20年も前のジャズの概念できめつけているのね。今の若い人たちの間で、ビジュアルなものに対する嗅覚、視覚といったものがすごい勢いで発達している今日、そういう人にとって、今のジャズ雑誌はそれ程ラディカルなものではありません。スイングジャーナルという雑誌の中で映像表現者が果せる力って大きいと想うし、時代から言って必要なパワーなのですね。時代の波の中で、読者に先端的なものを示し、常に問題提起を続ける。それを読者が敏感に感じとってキャッチ・ボールを続けるうちに、誌面はもっとビビッドなものになり得るんじゃないですか。
     *
この座談会のあとのスイングジャーナルが、何をやってきたのかは、ここで私が書くことではない。

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