Date: 12月 7th, 2020
Cate: 老い
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老いとオーディオ(齢を実感するとき・その24)

12月2日のaudio wednesdayで、
カルロ・マリア・ジュリーニの交響曲第九番をかけた。

三十年前に発売になったCDである。
私のなかでは、古い録音という意識はまったくなかった。
おそらく聴いている人も、古い録音と感じていた人はいなかったのではないか。

もっともジュリーニの第九よりも、もっと古い録音をかけているのだから、
相対的にジュリーニの録音は新しい、と感じていただけなのかもしれない。

鳴らしていた時には思っていなかったことがある。
三十年経っていることの受け止め方である。

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代の後半。
三十年前の録音といえば、1940年代後半のものということになる。
そこまで古くなくてもいいが、1950年代前半としても、これらはモノーラル録音であり、
当時の私(10代半ばごろ)には、かなり古い録音という印象があった。

10代半ばにとって三十年前といえば、それまで生きてきた年月のほぼ倍にあたる。
そういうこともあって、古いと感じたのかもしれない。

いまの私にとって三十年は、人生の約半分ということになる。
そういうことが関係してのことなのか、と思いつつも、
10代半ばの私にとって、三十年前の録音は、
その録音がレコードとして発売になった時に聴いているわけではない。

ジュリーニの第九は、新譜として聴いているわけである。
むしろ、こちらのほうが三十年前の録音を古いと感じなかった理由としては大きいのかもしれない。

どちらにしても三十年前の録音を古いと思わなくなっている自分に気づいたわけだ。

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