老いとオーディオ(と私、そして今日)
1980年4月1日、私は17歳だった。
五味先生が58歳で亡くなられた。
「五味オーディオ教室」からスタートした私にとって、
58歳の五味先生はとても大人のようにおもえていたし、
自分がいつかは58歳になるなんて、まだ想像すらできなかった。
このころの私が考えていたのは、
オーディオの世界で、ということだけだった。
それから四十一年。
今日、五味先生の享年と同じ58になった。
私にとって60歳になることよりも、58歳のほうが重く感じられる。
五味先生と同じ歳になってしまったけれど……、というおもいがある。
五味先生は「私の好きな演奏家たち」に、書かれている。
*
近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
*
長生きする才能だけは、五味先生よりももっていそうである。