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Date: 6月 7th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その8)

LNP2のゲインを20dBにしたとき、
スーパーギタートリオの”Friday Night In San Francisco”はどんなふうに鳴ったのか。

10dBにすると、演奏者との距離が近くに感じられる、と書いた。
20dBにすると、演奏会場の広さが感じられるようになってくる。
天井の低い、そして狭いライヴハウスの空間から広い空間へとかわる。
そのことによって演奏者との距離が遠くに感じられるようになるのか。

ある意味、そういえるところはある。
けれど20dBにしたLNP2の音には、
《ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さ》がある。

だから、同じ音量レベルであっても、20dBのLNP2の音の方が、
こまかな音まではっきりと再現される。
その意味では、20dBのLNP2の音の方が、演奏者との距離が近い、ともいえるし、
10dBのLNP2の音の方が、実は遠い、といえることになる。

ステレオ再生のつくり出す音像は、いわば虚像であり、
その虚像に対しての距離感の感じ方は、けっしてひとつではないようだ。
10dBの音と20dBの音、どちらを近くに感じ、遠くに感じるか。

私は20dBの音が、ほんとうの意味で「近い」と感じる。
それに20dBの音は、会場のざわめきも心地よい。

私が”Friday Night In San Francisco”を聴いた最初のスピーカーは、
アクースタットのModel 3だった。コンデンサー型のフルレンジスピーカーである。

1982年、ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurでの取材だった。
”Friday Night In San Francisco”は試聴レコードにはなかった。
けれど、アクースタットの音に何かを感じとられた黒田先生が、
このレコードを、といわれたのがスーパーギタートリオの”Friday Night In San Francisco”だった。

そうやって聴いたレコードだけに、二重の意味で衝撃だった。

Date: 6月 6th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その7)

その6)で引用した瀬川先生の文章を、
もう一度読んでほしい。
そこには、こう書かれている。
     *
これは非常に大切なことだがその両者とも、ディテールをここまで繊細に再現しておきながら、全体の構築が確かであった。それだからこそ、細かな音を鳴らしながら音楽全体の姿を歪めるようなことなくまたそれだからこそ、細かな音のどこまでも鮮明に聴こえることが快かったのだと思う。細かな音を鳴らす、というだけのことであれば、これら以外にも、そしてこれら以前にも、さまざまなオーディオ機器はあった。けれど、全景を確かに形造っておいた上で、その中にどこまでも細やかさを求めてゆく、という鳴らし方をするオーディオパーツは、決して多くはない。
     *
《全体の構築が確か》なこと。
そのためには「場」が必要であり、それに見合った「場」の質が求められる。

ゆえに私はLNP2のゲイン設定にこだわる。
瀬川先生は、ステレオサウンド 43号ではこう書かれている。
     *
+20dBまでだったゲイン切換が+40dBまでになったが、これを絞り気味に使うとどうも音が冴えないので、ややオーバーゲインで使わざるをえないのが難しい。
     *
本当にゲインを10dB、0dBと絞り気味で使うと《音が冴えない》。
逆にいえば、冴えない音とは、LNP2のゲインを絞りすぎた音である。

LNP2のインプットアンプのゲインを20dB以上で使うことから、
LNP2の使いこなしは始まる。

扱いやすさだけならば、ゲインを0dBにしてINPUT LEVELのポテンショメーターはあまり絞りこまずに設定する。
けれど実際にはそうではない。
ゲインを高めにする。こうするとINPUT LEVELのポテンショメーターはかなり絞ったところでなる。
特にCDプレーヤーのライン出力は、チューナーやテープデッキよりも高いため、よけいに絞ることになる。

ここであまりにも絞りすぎると、S/N比の劣化につながる。
インプットアンプに対して過大入力にならないように設定する。

LNP2のブロックダイアグラムは、一般的なコントロールアンプと違う。
LNP2を使いこなそうと思うのであれば、ブロックダイアグラムは空で描けるぐらいであったほしい。
ブロックダイアグラムが描けるということは、レベルダイアグラムが描けるということにつながるからだ。

Date: 6月 6th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その6)

1981年夏、ステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭、
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」は、この書き出しで始まる。
     *
 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何か発見して、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いてくる人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうか、などと考える。考えながら、このゴミゴミした街が、それを全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
 高いところから風景を眺望する楽しさは、なにも私ひとりの趣味ではないと思うが、しかし、全体を見通しながらそれと同じ比重で、あるいはときとして全体以上に、部分の、ディテールの一層細かく鮮明に見えることを求めるのは、もしかすると私個人の特性のひとつであるかもしれない。
 そこに思い当ったとき、記憶は一度に遡って、私の耳には突然、JBL・SA600の初めて鳴ったあの音が聴こえてくる。それまでにも決して短いとはいえなかったオーディオ遍歴の中でも、真の意味で自分の探し求めていた音の方向に、はっきりした針路を発見させてくれた、あの記念すべきアンプの音が──。
 JBLのプリメイン型アンプSA600が発表さたのは、記憶が少し怪しいがたぶん1966年で、それより少し前の1963年には名作SG520(プリアンプ)が発表されていた。パワーアンプは、最初、ゲルマニウムトランジスター、入力トランス結合のSE401として発表されたが、1966年には、PNP、NPNの対称型シリコントランジスターによって、全段直結、±二電源、差動回路付のSE400型が、〝JBL・Tサーキット〟の名で華々しく登場した。このパワーアンプに、SG520をぐんと簡易化したプリアンプを組合わせて一体(インテグレイテッド)型にしたのがSA600である。この、SE400の回路こそ、こんにちのトランジスターパワーアンプの基礎を築いたと言ってよく、その意味ではまさに時代を先取りしていた。
 私たちを驚かせたのは、むろん回路構成もであったにしても、それにもまさる鳴ってくる音の凄さ、であった。アンプのトランジスター化がまだ始まったばかりの時代で、回路構成も音質もまた安定度の面からも、不完全なトランジスターアンプがはびこっていて、真の音楽愛好家の大半が、アンプのトランジスター化に疑問を抱いていた頃のことだ。それ以前は、アメリカでは最高級の名声を確立していたマランツ、マッキントッシュの両者ともトランジスター化を試みていたにもかかわらず、旧型の管球式の名作をそれぞれに越えることができずにいた時期に、そのマランツ、マッキントッシュの管球式のよさと比較してもなお少しも遜色のないばかりか、おそらくトランジスターでなくては鳴らすことのできない新しい時代を象徴する鮮度の高いみずみずしい、そしてディテールのどこまでも見渡せる解像力の高さでおよそ前例のないフレッシュな音を、JBLのアンプは聴かせ、私はすっかり魅了された。
 この音の鮮度の高さは、全く類がなかった。何度くりかえして聴いたかわからない愛聴盤が、信じ難い新鮮な音で聴こえてくる。一旦この音を聴いてしまったが最後、それ以前に、悪くないと思って聴いていたアンプの大半が、スピーカーの前にスモッグの煙幕でも張っているかのように聴こえてしまう。JBLの音は、それぐらいカラリと晴れ渡る。とうぜんの結果として、それまで見えなかった音のディテールが、隅々まではっきりと見えてくる。こんなに細やかな音が、このレコードに入っていたのか。そして、その音の聴こえてきたことによって、これまで気付かなかった演奏者の細かな配慮を知って、演奏の、さらにはその演奏をとらえた録音の、新たな側面が見えはじめる。こんにちでは、そういう音の聴こえかたはむしろ当り前になっているが、少なくとも1960年代半ばには、これは驚嘆すべきできごとだった。
 ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さを教えてくれたアンプがJBLであれば、スピーカーは私にとってイギリス・グッドマンのアキシオム80だったかもしれない。そして、これは非常に大切なことだがその両者とも、ディテールをここまで繊細に再現しておきながら、全体の構築が確かであった。それだからこそ、細かな音を鳴らしながら音楽全体の姿を歪めるようなことなくまたそれだからこそ、細かな音のどこまでも鮮明に聴こえることが快かったのだと思う。細かな音を鳴らす、というだけのことであれば、これら以外にも、そしてこれら以前にも、さまざまなオーディオ機器はあった。けれど、全景を確かに形造っておいた上で、その中にどこまでも細やかさを求めてゆく、という鳴らし方をするオーディオパーツは、決して多くはない。そして、そういう形でディテールの再現される快さを一旦体験してしまうと、もう後に戻る気持には容易になれないものである。
 8×10(エイトバイテン)のカラー密着印画の実物を見るという機会は、なかなか体験しにくいかもしれないが、8×10とは、プロ写真家の使う8インチ×10インチ(約20×25センチ)という大サイズのフィルムで、大型カメラでそれに映像を直接結ばせたものを、密着で印画にする。キリキリと絞り込んで、隅から隅までキッカリとピントの合った印画を、手にとって眺めてみる。見えるものすべてにピントの合った映像というものが、全く新しい世界として目の前に姿を現わしてくる。それをさらに、ルーペで部分拡大して見る。それはまさに、双眼鏡で眺めた風景に似て、超現実の別世界である。
     *
瀬川先生はJBLのアンプを《こんにちのトランジスターパワーアンプの基礎を築いた》と、
マークレビンソンのLNP2のことを《新しいトランジスターの時代がひとつの完成をみたことを直観した》と書かれている。

LNP2の音も、あの時代8×10であった。
さらにいえば、LNP2の音のアスペクト比は、それまでのアンプが4:3だったとすれば、明らかに16:9だった。
《ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さ》には、
従来のアスペクト比ではなくよりワイドなアスペクト比が不可欠だと考えている。

だからこそLNP2の0dB、10dBの音は認めないし、
スピーカーの設置も左右の間隔をできるだけとれるようにするわけだ。

Date: 6月 6th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その5)

今回のaudio sharing例会でかけた曲をあげれば、
スーパーギタートリオの”Friday Night In San Francisco”が、
LNP2のゲイン切り替えによる音の変化について説明しやすい。

LNP2のゲインを20dBから10dBにする。
もうこれだけで録音会場の雰囲気が大きく変化する。
10dBの時の音は、狭い空間のライヴハウスのようになる。
天井も低く感じられる。

そのことにより演奏しているパコ・デ・ルシアとアル・ディ・メオラとの距離が近くに感じられる。
そういう捉え方もできなくはないが、
どうしても窮屈な印象が出てきてしまう。

それに試聴に使った一曲目の”Mediterranean Sundance”での、
ふたりのギターの音色が、20dBの時ほど鮮明になってこない。
どこか似たような音色に感じられるし、
狭い空間での演奏と感じてしまうのは、どこか音が飽和しているような感じがつきまとうからである。

こういうことが関係してなのだが、
演奏している場の空気もどこか澱んでいるようにさえ聴こえる。
一言で表すなら、聴感上のS/N比が悪い音なのだ。

そういう場での演奏を好む人がいるを知っている。
そういうふうになってしまうのを知った上で、あえて10dBの音、さらには0dBの音を選ぶのならば、
私がとやかくいうことではない。

でも”Friday Night In San Francisco”は、そういう場での演奏ではない。
少なくとも、音場と音場感についてこだわりをもっているのならば、
10dB、0dBの音を選択することはありえない。

Date: 6月 5th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その4)

マークレビンソンのLNP2というコントロールアンプは、使いやすいのだろうか。
音量レベルの設定にしても、
インプットレベル(左右独立)とアウトプットレベル、
ふたつのポテンショメーターが使われている。

この他にインプットアンプのゲインを切り替えられる。
このゲインの切り替えはNFB量をかえて行っている。

音のことに無関心であれば、使いやすいコントロールアンプといえよう。
けれど、LNP2を使いながら音に無関心ということはない。
そうなると、意外にゲイン設定とレベル設定が、
組み合わせるパワーアンプの入力感度、スピーカーの能率、
それに聴き手が望む音量によっては、シビアになることもないわけではない。

まずインプットアンプのゲイン。
初期のLNP2は0、10、20dBの三段階。
時期によっては0、10、20、30、40dBの五段階のモノもある。

このゲイン設定による音の変化がわずかであれば問題にはならないけれど、
この部分での音は変化はかなり大きい。
0dB、10dBの音は聴けばすぐにわかる。私は、0dB、10dBにしようとは絶対に思わない。

もっと言えば、0dB、10dBのLNP2の音を選ぶ人がいたら、
しかも音場を重視するといっていたとしたら、その人の耳は信用できない。

このゲインによる音の違いは、ステレオサウンドの試聴室で何度も確認したし、
JC2(ML1)のステップ式の左右のレベルコントロールもNFB量を変えていて、
この変化に関してもJC2を使っていた経験でも確認している。

今回のaudio sharing例会でも確認した。
0dBもしくは10dBに設定したLNP2の音は、私にとってはLNP2の音ではない、とはっきりといえる。

Date: 6月 2nd, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その3)

ウーファーのアルテック416-8CとドライバーのJBL・2441とでは、
出力音圧レベルの差がけっこうある。
前々回ではラックスのAS10を使った。

今回は抵抗アッテネーターを作って持っていった。
この他に、もうひとつ考えていた案もある。

ラインレベル(プリ−パワー間)で800Hz以上をステップダウンさせるもの。
片チャンネルあたり抵抗二本とコンデンサーひとつで構成できる。

昨夜とったのは、このふたつのどちらかではない。

audio sharing例会での音出しは、
セッティングを一からやっていく。
だから会が終了すると、元の状態に戻して帰る。

会がはじまる二、三時間前から準備を始めていく。
昨日はやることがいくつかやって、時間が押していた。
直列型ネットワークを接続して、とにかく音を出した。

この時点では抵抗アッテネーターを接続していない。
2441の音が優った鳴り方だ。

でも、鳴っている音を聴いて、これならばLNP2のトーンコントロールで補整できる範囲だと感じた。
実は第三の案として、これも考えていた。
ただこればかりは実際にやってみないと確実なことはいえなかった。

LNP2のトーンコントロールは3バンドである。
一般的な低域・高域の2バンドであったなら、最初からアッテネーターを挿入して鳴らす。
でも中域もコントロールできる。

LNP2はライン入力に関しては、ふたつのモジュールを信号は通る。
音の鮮度こそ重要だ、そのためには経路の単純化しかない、という短絡的な思考の人だと、
LNP2でもモジュールがひとつしか通らない使い方をする。

そうやればモジュールだけではない、
接点もポテンショメーターも、ケーブルも通る個所が少なくなる。
わかりやすい音の鮮度は、確かに向上する。

でも、それだったら、他のコントロールアンプを使えばいいだろう、と私は思う。
それこそパッシヴ型フェーダーを使えばいい。

ある機能は使う。
LNP2のトーンコントロールを調整する。
高域を下げ、低域を上げ、その上で中域のレベルを調整。
結果としてはトーンコントロールの三つのツマミが水平を向く位置で、バランスがとれた。

そんなにうまくいくのか、と思われるかもしれない。
なにもトーンコントロールだけの調整だけでなく、
スピーカーの設置も、それを見越して今回はやっている。

見てわかるところで、セッティングを変えている。

そして今回、スピーカーの設置を短辺の壁から長辺の壁とは変えたのは、
LNP2を聴くから、である。

Date: 6月 2nd, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その2)

昨夜の試聴器材は、喫茶茶会記のシステムを基本的に使っている。
スピーカーはアルテックの416-8Cに、上はJBLの2441+2397(これは私が持ち込んだ)。
本来ならアルテックの807-8A+811Bだったのが、トラブルにより満足に音出しできないということで、
急遽JBLを使用することにした。

ネットワークは6dB直列型である。
前々回(muscle audio Boot Camp vol.1)で使用したものと基本的には同じだが、
クロスオーバー周波数を800Hzにし、音質向上を計って手を加えた。

スピーカーは、いわば高能率の2ウェイであり、お世辞にもワイドレンジ型とはいえないモノだ。

パワーアンプはマッキントッシュの管球式プリメインアンプMA2275を使った。
MA2275はプリ−パワー分離できるので、パワーアンプ部のみを使用。
意外にも、というべきか、MA2275のパワーアンプ部の入力感度はさほど高くない。
これはLNP2の試聴で、プラス面に働いてくれた。

CDプレーヤーはラックスのD38uだ。

こうやってラインナップを書いていくと(読んでいくと)、
LNP2の試聴環境として満足とはいえないと感じられる方もいよう。

私にだって、そんな気持があった。

私にとって、LNP2の音はつねにJBLの4343とともにあった。
マッキントッシュのパワーアンプとの組合せも、私にとっては例外的なことである。

わがままがとおれば、スピーカーは……、パワーアンプは……、CDプレーヤーは……、
といいたくなるが、そんなことをいっても、あるモノを使っていくしかないし、
それをいいわけにするわけにもいかない。

それでもLNP2の音を、うまく抽き出せるだろうか、という不安は少しはあった。
せめてJBLの2405をどこからか調達してきて、3ウェイにしたい……、という気持もあった。

でもないモノはない。

Date: 6月 2nd, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その1)

昨夜のaudio sharing例会は「LNP2になぜこだわるのか」で、
二台のLNP2を五時間ほど聴いていた。

もう何度も書いているので詳しくは書かないが、
二台のLNP2とはバウエン製モジュールのLNP2とマークレビンソン(MLAS)製モジュールのLNP2のことだ。
もちろん違いはモジュールだけにとどまらない。

モジュールの違うLNP2の比較試聴は、これで四回目だ。
最初はステレオサウンドの試聴室。その後は個人のリスニングルームにおいてである。

MLAS製モジュールLNP2といっても、
製造時期によって細部が異るから、
すべてのMLAS製モジュールLNP2を同じにはできないこともわかったうえでいうのだが、
私はこれまでMLAS製モジュールLNP2に惹かれてきた。

でも昨夜の試聴は、そのへんが自分の中で微妙になっていく変化を感じていた。

試聴は最初のうちは一枚のCDを二台のLNP2で聴いて、次のディスクにうつる。
そこでももちろん二台のLNP2を聴く。
切替スイッチは、もちろん使わない。

バウエン製モジュールLNP2の音が、初めていいなぁ、と思えた。
そうなると、MLAS製モジュールLNP2の音の気になる点が耳につくようになってくる。

どういう違いが音にあったのか、
それをここで書いてもあまり意味のないことである。
あくまでも昨夜の音の違いは、そこでの音の違いであり、
部屋が異り、スピーカーや組み合わせるアンプ類も違い、
鳴らす音量、かけるレコード、そして鳴らす人が違えば、また違う結果になることは明白だからだ。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その53)

私は精神科の専門家でもないし、精神科に関する知識はほとんど持っていない。
精神科の権威のオーディオマニアが「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」、
と口にされたころの、つまり若いころのマーク・レヴィンソンには会ったことはない。

そんな私だから、間違っている可能性の方が高いだろうけど、
それでも思うのは、LNP2、JC2を世に送り出したばかりのレヴィンソンが、
周りの人にそういうふうに映ってしまったのは、ジョン・カールと出あったからなのではないか、
つまりジョン・カールと出あわずにいたら、おそらく発狂し自殺しかねないとは思われなかったのではないか。

もともとマーク・レヴィンソンはそういう男ではなかった。
LNP2の最初のモデルはよく知られているようにバウエン製のモジュールである。
レヴィンソンがバウエン製のモジュールをずっと使い続けていたら、
精神科の権威のオーディオマニアも、
「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」とは思わなかったよう気がしてならない。

この項ですでに書いたように、
JC1、JC2、LNP2、ML2までのマークレビンソンのアンプの音と、
ML3、ML7以降のアンプの音には共通性も感じながらも、決定的に違う性質があるように感じている。

その違いは、結局は回路の設計者の違いのような気がする。
つまりはジョン・カールとトム・コランジェロの違いである。

どちらがアンプの設計者として優秀かということではなく、
ふたりの気質の違いのようなものが、たとえマーク・レヴィンソンがプロデュースしていたとはいえ、
音の本質的な部分として現れていて、
その音に、誰よりも長い時間接していたマーク・レヴィンソンだからこそ、
あの時期、会った人に発狂しかねないという印象を与えた──、としか思えない。

ジョン・カールとトム・コランジェロ、それぞれが設計したマークレビンソン時代のアンプ、
その後のアンプ、
ジョン・カールはディネッセンのJC80、トム・コランジェロはチェロの一連のアンプ、
これらのアンプを聴いてきて、私はそう思う、
マーク・レヴィンソンはもともと狂うタイプの男ではなかった、と。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その8)

熱心なオーディオマニアでもあるデザイナーの川崎先生は、
デザインとデコレーションの違いについて、ずっと書かれてきている。

マークレビンソンのLNP2に、デコレーション(装飾)の要素はない、といえる。
ならばLNP2はデザインされたモノなのか、というと、私にはそうは思えない。

なぜLNP2のデザインに私は魅力を感じないのか。
私が出した答は、デザイン(Design)とレイアウト(layout)の違いである。

LNP2はきっちりとレイアウトされたフロントパネルをもつコントロールアンプである。
少なくとも私にとって、それ以上ではない。

Date: 1月 14th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その7)

マークレビンソンのML6のデザインも、素晴らしいとはいわない。
けれどML6をステレオサウンドに載った写真でみたとき、
LNP2、JC2(ML1)には感じないものを感じていた。

ML6はウッドケースにおさめられた写真が多かった。
中に、ウッドケースから取り出し、上下に重ねた写真もあった。

ML6はウッドケースにいれないほうが断然いい。
少なくとも私がML6に感じていた魅力は、ウッドケースなしのほうが映える。

ML6の基本はJC2のデザインである。
JC2のフロントパネルからツマミやスイッチを取り外して、
レベルコントロールとインプットセレクターだけにしたのがML6である。
これ以上省けないところまで機能を削っている。

音のために、その潔さに魅力を感じていたのか、と思いもしたが、どうもそうではない。
ML6を、LNP2、JC2の写真を何度も見較べた。
実物をみる機会はなかったから、ステレオサウンドに載った写真を見較べるしかない。

ML6には、色気のようなものがあるのに気づいた。
色気のようなもの、であって、色気とは書かない。

ほとんどのっぺらぼうに近いフロントパネルのML6にあって、
メーターもついていて、ツマミの数も多いLNP2に感じられないもの。

それは肉感的な要素であり、官能的な要素である。
とはいえML6にそういった要素があるとはいえないのだけれど、
LNP2にはそういった要素を拒否している。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・余談)

そういえば、こんな質問をもらった。
マランツのModel 7とマークレビンソンのLNP2、どちらかくれるといわれたら、どちらをもらいます?、と。

仮定の質問であるから、どちらもコンディションはまったく問題ない。
新品同様のModel 7とLNP2が目の前にある。
どちらをとるか。

私はLNP2をとる。
けれど、誰かに、どちらをもらったほうがいいですか、とさらに質問されたら、
Model 7がいいですよ、と答える。

どちらも完璧なモノではない。
完璧なオーディオ機器など、この世には存在していない。
どんなモノであれ、いくつかの欠点は持っている。

欠点の少なさでいえば、Model 7であり、完成度の高さでもModel 7である。
デザインで判断してもModel 7である。

それでも私はLNP2をとる。
Model 7も手元においておきたいコントロールアンプのひとつである。
なのにLNP2をとるのは、個人的ないくつかのおもいがそこにあるからであり、
これはほかの人にはまったく関係のないことだ。

だから人にはModel 7をすすめ、私はLNP2をとる。
良し悪しだけでは割り切れぬことが、LNP2にはある。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その6)

シルバーパネルのML6のデザインが素晴らしいかときかれたら、そんなことはない、と答える。
ML6を実際に使ってみると、非常に使いにくい。

この項の(その3)に引用したRFエンタープライゼスの広告。
そこに書いてあるJC2のごく些細な使い勝手の欠点。
これを読んだ時は正直はっきりとわからなかった。

自分でJC2を使ってみると、それはわかる。

RFエンタープライゼスの広告はステレオサウンド 43号に載っている。
43号の巻末には囲み記事で、
マーク・レヴィンソンがステレオサウンド試聴室にML2のプロトタイプを持ち込んだとある。

このふたつは関係している。
マーク・レヴィンソンがJC2の使い勝手の欠点の指摘を受けたのは、アメリカではなくおそらく日本である。
ML2のプロトタイプをもって来日した時に、
オーディオ関係者から、ごく些細な使い勝手の欠点を指摘されたと考えて間違いない。

だとすると自分でJC2を使っていた経験からも、些細な欠点がどういうことなのかはっきりする。
確かにそれは使い勝手の欠点であり、それをごく些細な、と受けとるか、それともけっこう重要なこととするのか、
それは使い手によって違ってもこよう。

けれどML6の使い勝手の欠点はそうではない。
はっきりと、すべての人にとって使い勝手の最悪なコントロールアンプ(プリアンプと呼ぶべきなのだが)である。

最悪な使い勝手は写真をみてもわかる。
けれど実際に使ってみると、想像以上に使い勝手の悪さ(ひどさ)がある。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その5)

マークレビンソンのコントロールアンプにはML6というモデルがあった。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」にはML6ALというモデルが登場している。
     *
 左右独立、それも電源からボリュウムコントロールまでという徹底ぶりだ。その勇気と潔癖症には脱帽するし、こういう製品が一つぐらいはあってもよいと思う。しかし、これはもう一般商品とはいえないし、プロ機器としては、さらに悪い。本当は業務用こそ、誰が使っても間違いなく、容易に使えて、こわれないものであるべきなのだ。この製品の登場は業務用機器のメーカーではないことを立証したようだ。
     *
菅野先生はこう書かれている。
この意見には完全に同意する。
ML6Aは、もっとも魅力を感じない。
だがML6Aの前身モデルであるML6になると、私の感じ方はまるで違う。

ML6はシルバーパネル、ML6はブラックパネルであり、
ML6はJC2(ML1)のモノーラル化、ML6AはML7のモノーラル化であり、
モノーラルにすることのメリットをより徹底的に追求しているのはML6Aである。

それでもML6Aのデザインには、色気を感じない。
ML6には、なにかを感じていた。

ML6とML6Aのデザインの違いは、フロントパネルの色だけではない。
レベルコントロールのツマミの周囲にML6はdB表示があった。
ML6Aは何も表示されていない。

フロントパネル中央にロゴがある。その両脇にML6はLEMOコネクターが配されていた。
ML6Aではネジになっている。
LEMOコネクターは金、ネジは銀。

言葉で違いを書けばこれだけなのだが、印象はまるで違う。

Date: 1月 8th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その4)

マーク・レヴィンソンがいたころのマークレビンソンのコントロールアンプのデザインが、
トラックやブルドーザーのように見えない、という方も少なくないだろう。

私もトラックやブルドーザーとは見えなかった。
念のため何度も書くが、LNP2のデザインは悪くはない。
けれど優れたデザインとは私は思っていないし、美しいデザインとも思っていない。

なぜ、菅野先生は、そんなふうに表現されたのだろうか。
ステレオサウンドにいたころ、直接菅野先生にたずねてれば……、と思いもするが、
たずねてしまうと、自分でなぜなのか、と考えることを放棄してしまうことにもある。

なぜなのかを四六時中考えているわけではないが、
1981年から、これまでずっと頭のどこかには、このことがあった。

「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」で、
菅野先生はマークレビンソンのパワーアンプについては、どう書かれているか。
ML2、ML3については、こう書かれている。
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Aクラス動作で25Wのモノーラルアンプがこの大きさ! いかにもMLらしい大胆な製品である。やりたいこと、やるべきことをやるとこうなるのだ、といわんばかりの主張の強さがいい。そして2Ω負荷100Wを保証していることからしても、アンプとしての自信の程が推察できるというものだ。パネルはML3に準じるが、ヒートシンクが非常に大きく、上からの星形のパターンが目をひく。2台BTL接続端子がついている。(ML2)

マーク・レビンソンのパワーアンプらしい風格をもった製品。200W+200W(8Ω)のステレオアンプで、見るからに堂々たる体躯のシンメトリック・コンストラクション。前面パネルにはパワースイッチだけがセンターに、その真上に、あのモダーンなロゴがプリントされている。両サイドのハンドルを含め、シンプルながらきわめてバランスのよい美しさである。これぞ、パワーアンプという雰囲気だ。(ML3)
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ML2、ML3、どちらに関してもパワーアンプのデザインとして高く評価されている。
ML7、LNP2、ML2、ML3、いずれもマーク・レヴィンソンのテイストを感じさせるアピアランスをもっている。
にも関わらず、コントロールアンプのデザインとパワーアンプのデザインの評価は、これだけ違う。