Archive for category 世代

Date: 3月 8th, 2022
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(余談・その4)

その3)で書いている西荻窪のけい太もそうなのだが、
それまでのとんかつのイメージとは違ってきているとんかつ店がぽつぽつ登場してきている。

そういうとんかつもいいのだけれど、私は白いご飯によく合うとんかつが好きであって、
白いご飯によく合うとんかつ店をさがしている。

先月、たまたま見つけたとんかつ店は、まさしく白いご飯とよく合うとんかつを食べさせてくれる。

伊藤先生は、ステレオサウンド 42号「真贋物語」で、
《とんかつぐらいラーメンと共に日本人に好かれる食いものはない。何処へ行っても繁昌している。生の甘藍(きゃべつ)がこれほどよく合う料理もないし、飯に合うことは抜群である》
と書かれている。

昭和のころは、浅草の河金によく通っていた。
河金を教えてくれたのは、サウンドボーイ編集長のOさんだった。
河金のことはステレオサウンドの編集後記にも書かれている。

Oさんは伊藤先生から教えてもらった、とのこと。
その河金も、いまはもうない。
昭和の時代に閉店してしまっている。

浅草近辺には、河金という名の店はある。
のれんわけの店である。

二度ほど、行ったことがある。ずいぶんと前のことだ。
基本的には河金なのだが、どこか私がよく通っていた河金とは違い、足が遠のいた。

それからというものの、いろんなとんかつ店に行った。
菅野先生に教えてもらった荻窪の店にも行った。

荻窪の店は気に入っていた。
特に豚汁が美味しい。

それでも、河金のとんかつを懐かしむことがある。
でも先月見つけたとんかつ店のおかげで、もうそんなことはなくなるかもしれない。

この店、ロースカツがおいしい。
脂身が甘い。
とんかつといえばヒレよりロースカツを好む私は、
しばらく頻繁に、このとんかつ店に通うことになりそうだ。

Date: 12月 22nd, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(五味オーディオ教室)

《常々観じていることとか、抱いている疑問の大半は五味オーディオ教室にすでに書いてあった》
今日、ソーシャルメディアを眺めていたら、そう書いてあった。

私より若い人である。
聴く音楽も違う。

そういう人が、いま「五味オーディオ教室」を読んでいる。
そして、そう感じているわけだ。

嬉しいことだし、頼もしいとも思っている。

Date: 11月 26th, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その18)

(その16)と(その17)は、(その15)の続きではなかった。
この(その18)が、やっと(その15)の続きである。

1998年にiMacが登場した。
パソコンに対して、かわいい、という表現が使われるようになったのは、
このころからではないだろうか。

かわいいとかっこいい。
どちらも褒め言葉である。
けれど、かわいいは、上から目線の褒め言葉である、ということを、
数年前に何かで読んだ。

なるほど、と思った。
どれだけ相手を「かわいい」といって褒めようと、
それは上の立場からの褒め言葉であって、褒めている自分の立場は優位のまま。

いわれてみると、そうなのかもしれない。
だからこそ「かわいい」が安易にはびこっているのか。

これが正しいとしたら、iMacを当時「かわいい」と褒めていた人たちは、
iMacの登場で、ようやくパソコンを下から目線でなく、
上から目線で見ることができるようになったからかもしれない。

「かわいい」といっていた人が、そのことを自覚していたのかといえば、
そんなことはないだろう。
「かわいい」と言葉にするとき、相手に対するマウントだと意識している人は、
そうそういないだろう。

パソコンの専門家は、
当時、iMacをかわいいとは言っていなかったのは、そういうところからなのだろうか。

好感度も、おそらくそういうところから生れてきたのではないのか。

Date: 8月 31st, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(gaussのこと・余談)

六年ほど前に、
「世代とオーディオ(ガウスのこと)」というタイトルでガウスのことを書いていた。

今日、ガウスをgaussとしたのに、少しだけ理由がある。
数日前、AEAを検索してみた。

AEAといっても、若い世代の人たちは知らなくて当り前だし、
私と同世代であっても「AEAって、あったっけ、そんなブランド?」である。

1970年代後半、マークレビンソン、AGI、DBシステムズなどが登場した時期に、
やはりアメリカからAEAというブランドのコントロールアンプが輸入された。

シュリロ貿易が輸入元だった。
Analogue 520という型番で、298,000円だった。
トーンコントロールも備えていた。

どんな音なのかはわからない。
でも、シュリロ貿易が輸入しているのだから、
変なモノではないはず、と信用していた。

「AEA audio」で検索したら、すぐに見つかった。
まさかいまも会社があるとは思っていなかった。

いまはアンプは作っていない。
AEAのウェブサイトを見れば、どういう活動をしているのかすぐにわかる。

それでガウスである。
ガウスは活動していない。

それでもガウス(gauss)の名前は、復活している。
AVANTONE(アヴァントーン)というブランドのスピーカーの型番で復活している。

アヴァントーンの輸入元は宮地商会。

宮地商会のサイトには、AURATONEの再来、とある。
なので小型モニタースピーカーを手がけている会社のようだ。

アヴァントーンの新製品が、Gauss 7である。

“Gauss: the legend is back.”とある。

さらに《Gauss Speaker Companyの失踪から数十年・・・昔ながらのビンテージニアフィールドモニターのスナップとニュースクールモニターの帯域幅と周波数応答を持ち合わせたGauss 7(ガウスセブン)として帰ってきました。》
と書いてある。

フロントバッフルのgaussの文字は、ガウスのロゴそっくりである。
ガウスの元関係者が、携わっていたりするのか、そのへんのところは不明。

Date: 8月 28th, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・ヤフオク!)

数日前に、ケンウッドのプリメインアンプL02Aが落札されていた。

L02Aは電源が別筐体のアンプである。
なのに、そのヤフオク!には、アンプ本体のみがジャンク扱いで出品されていた。

電源のないL02Aは、それこそジャンクに近いわけで、それほど高値になるわけはない。
L02Aは優秀なアンプである。

パワーアンプとしてみても、別項で書いているように非常に優秀である。
ステレオサウンドでのインピーダンスの瞬時切り替えでの測定で、
きわめて優れた特性をみせてくれた。

L02Aの何倍もする価格のセパレートアンプ、
物量が投入されたパワーアンプよりも優れていた。

その優秀さは感心するしかないほどだったわけで、
手頃な値段で落札できるのであれば、いま聴いてみると、
どんな印象を受けるのだろうか、という興味はある。

でも電源なしのL02Aには興味はない。
電源を自作することもできないわけではないが、
考える以上にたいへんな手間がかかる。

出品者のほかの出品のところをクリックしてみたら、
L02Aの電源を、別に出品している。
なぜ、いっしょに出品しないのか、不思議である。

どちらも落札されていた。
私は、てっきり同じ人がアンプ本体も外部電源も落札したのかと思っていたら、
別の人がそれぞれを落札していた。

アンプ本体のみの人、外部電源のみの人。
L02Aをすでに所有していて、補修パーツの予備として落札したのだろうか。

出品者の意図も私には理解できない。
なぜ別個に出品したのか。

落札者の意図も理解できない。
しかもL02Aの出品(こちらはアンプと電源混み)は他にもあったからだ。

こういうもの、誰が買うんだろう、と思うのが売れたりするのは、
ヤフオク!に限ったことではない。

それぞれを落札した人は、それを出品するのか。
それともなんとかして使っていくのだろうか。

Date: 7月 28th, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(略称の違い・その6)

最近の略称は……、こんなことを書くと、
お前のセンスが古すぎるだけだよ、といわれようが、
それでもいまの略称には、センスもないけれど、愛もない。

今日、ソーシャルメディアで「竜そば」という略称をみかけた。
立ち食いそばの何かなのか、と思う人がいてもおかしくない。

映画「竜とそばかすの姫」のことである。
「竜とそばかすの姫」は、先週火曜日に観てきた。
だから「竜そば」が、「竜とそばかすの姫」のことだとすぐにわかったけれど、
この映画に何の関心もない人だと、すぐには映画のタイトルだと結びつかない。

「竜そば」は、「モツレク」、「サキコロ」と同じである。
もとを知らない人にとっては、別のことをイメージさせてしまう。

モツレク──、
これを最初に知った時は、センス悪すぎだろう、と思った。
モーツァルトのレクィエムが、モツレクになってしまうのが、
日本の現状をあらわしている、といえるのかもしれない。

でも、こんな略称は、以前も書いているがひどすぎるし、
愛がまったくない、と私は感じている。

けれど、こんな略称を使う人にかぎって、
親しみをこめてなんですよ、とはほざく。

そんな親しみが愛なワケがない。

Date: 7月 2nd, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(ある記事を読んで)

ソーシャルメディアを眺めていたら、
facebookでもtwitterでも、フォローしている人数人が、
ある記事をシェアして、感想を述べていたのが目に入ってきた。

記事のタイトルは、
「オンキヨーの衰退、“経営陣だけ”を責められないワケ 特異すぎる日本のオーディオ市場」
本田雅一氏が書かれている。

良記事だ、という人もいたし、そうでもないという人もいた。
私の感想は控えておくが、一箇所だけひっかかった。

記事には、こうある。
《従って、多くの人の心に残っているオンキヨーは大朏家が経営していた頃と重なっている。》

記事にもあるが、大朏直人氏が1993年に、個人でオンキヨーを買収している。
つまり本田雅一氏にとって、
そして本田雅一氏がいうところの「多くの人」の心に残っているオンキヨーは、
1993年以降のオンキヨーということになる。

このところを読んで、本田雅一氏は、私よりも一回り以上若い方なんだ、と思ってしまった。
本田雅一氏の名前は何度か目にしたことはあるが、
書かれたものを読んだことはなかったし、どういう経歴の人なのかもまったく知らなかった。

なので、
《従って、多くの人の心に残っているオンキヨーは大朏家が経営していた頃と重なっている》
のところだけで、私よりも若いと勝手に思ってしまった。

けれど検索してみると、1967年生れとあった。
私より四つ若い人。まあ、同世代と呼んでもかまわないだろう。

だからこそ、よけいに、
《従って、多くの人の心に残っているオンキヨーは大朏家が経営していた頃と重なっている》
のところがひっかかった。

私にとってのオンキヨーというオーディオメーカーは、
1980年代まで、といっていい。
それ以降の製品も知っているし、いくつか聴いてはいるけれど、
心に残るではなく、記憶に残っている製品ということでは、
1980年代までのオンキヨーである。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオブランド172」でソニーについて、
井上先生が書かれたことを引用しておく。
     *
 とかく趣味の世界には、実際に使ったことがなくても、本やカタログなどを詳細に調べ、同好の士と夜を徹して語り明かし、ユーザー以上に製品のことを熟知しているという趣味人も多い。それはそれでよいのだろうが、オーディオ、カメラ、時計など、物を通じて楽しむ趣味の場合には、対象となる製品は基本的に人間が人間のために作った優れた工業製品であるべきだと考えるため、最初に巡り合った製品が、そのメーカーやブランドの価値を決定することになるようだ。
     *
井上先生の、この文章を思い出していた。

《最初に巡り合った製品が、そのメーカーやブランドの価値を決定》するところは、
オーディオには、はっきりとある。

本田雅一氏が、最初に巡り合ったオンキヨーの製品は、
私が最初に巡り合ったオンキヨーの製品とは、違うことだろう。
製品が違うだけでなく、時代も違うのだろう。

Date: 6月 22nd, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(若い世代とバックナンバー・その8)

オーディオ雑誌のバックナンバーを、ある程度まとめて揃えることには、
基本的に賛成である。

それでもいくつかいいたいことはあって、それはすでに書いてきた。

今回、また書いているのは、
SAEのMark 2500を手に入れたから、である。
これも、ある意味、バックナンバーを手に入れたようなものだ、と感じているからだ。

Mark 2500は、五万円を切る価格で落札できた。
ストアだったので、それに10%の消費税がつき、送料を含めても五万三千円ほどだった。

これだけ安価に手に入れられると、しかも程度もなかなかよかったこともあって、
オーディオ雑誌のバックナンバーをまとめて入手するのに必要な金額と、
たいして変らないのでは──、そんなふうに思う。

雑誌のバックナンバーの相場も変動する。
高い時もあればそうでない時もあるから、簡単な価格の比較はできないだろうが、
それでも1970年代のステレオサウンドを十冊程度集めるとなると、数万円は必要だろう。

しかもバックナンバーがまとめて手に入ればまだいいが、実際は一冊ずつだったりして、
そこにかかる手間も換算すれば、安くはない。

バックナンバーから伝わってくる時代の空気がある、
同時に、その時代のオーディオ機器から伝わってくる時代の空気というものもある。

Mark 2500が届いて、細部の造り、質感などをしげしげ眺めていると、
1970年代後半のパワーアンプの雰囲気がつかみ取れる。

音を聴けば、それがわかるかというと、必ずしもそうではない。
Mark 2500にしても四十年以上前のアンプなのだから、
その時代の音をそのまま伝えてきている、とは言い難い。

それでも、といいたいのは、たとえ故障していて音が出ないオーディオ機器であっても、
実際に手にして、じっくりと眺めてみる。
外観だけでなく、内部までしっかりと。

そうすれば雑誌のバックナンバーではわからなかったことがあるのに気づくはずだし、
バックナンバーの理解にもつながっていくはずだ。

つながっていく、と書きたいところだが、
ここに関しては、人それぞれだから、どうやってもつながっていかない人もいるからだ。

Date: 3月 30th, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(朝日新聞の記事・その3)

アナログディスクのスクラッチノイズを、どう表現するか。

パチパチ、プチプチ、プツプツ、ブチブチ、ブツブツなどがある。
スクラッチノイズをどう表現するかで、
ある程度は、その人のアナログディスク再生の技倆を推し量ることができるといえば、そうだ。

私の感覚では、ブツブツは問題外である。
そうとうにひどいスクラッチノイズである。

プチプチ、プツプツあたりは、それよりはまだまともだ。
きちんと再生できていれば、プツプツはプップッぐらいになり、
さらにプ、プ、ぐらいにまで変っていく。

なので、朝日新聞の記事中にあったパチパチは、ブチブチほどではないけれど、
けっこう大きなスクラッチノイズという印象だ。

記事に登場する高校生は、かなり大きめのスクラッチノイズがしている状態で聴いているのか。

でも実際のところ、この高校生が《パチパチという音で》と、スクラッチノイズを表現したのは、
焚き火効果と関連してのことなのかもしれない。

焚き火効果とはまったく関係ないのかもしれない。
記事だけでは、そのへんのことはまったくわからない。

いまどきの高校生だから、いい状態でのアナログディスクの音を聴いたことがないのかもしれない。
どう再生するかで、同じディスクのスクラッチノイズが変化していくとは、思ってもいないだろう。

仮にそのことを知っても、《パチパチという音で心が温かくなる》のであれば、
スクラッチノイズを減らそうとは考えないのかもしれない。

Date: 2月 25th, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(朝日新聞の記事・その2)

続きを書くつもりは全くなかった。
コメントがあった。
そこには「焚き火効果」とあった。

この場合の焚き火効果は、
アナログディスクのパチパチというスクラッチノイズが焚き火を連想させる、ということのようだ。
焚き火を連想するから、心が温かくなるのか。

朝日新聞の記事で紹介されている永井公さんは16歳である。
焚き火をしたことはないのかもしれない。

私の世代、しかも田舎育ちだと焚き火はよくやっていた。
家の庭でもやっていたし、学校の中庭でもやった記憶がある。
それこそ焚き火の中にサツマイモをくべて焼き芋にしたことも何度かある。

日常的であった焚き火も、私が高校生になったころには、
火事と間違えられるということもあって、やらなくなっていったし、周りもそうだった。

東京に住むようになって、今年の春でちょうど四十年になるが、
東京で焚き火をしたことは一度もない。

16歳の高校生、横浜市に住んでいる若者は焚き火をやったことがあるのだろうか。

こんなことを書いているのは、彼のなかにある焚き火のイメージは、
実際の焚き火によってつくられたものではなく、
マンガでの焚き火のパチパチと表現される効果音や、
テレビドラマやアニメーションでの効果音などによって形成されたのではないのか。

私も焚き火を最後にやったのはそうとうに昔のことだ。
しかも日常的なことだけに記憶に強く残っているわけでもない。
そんな私は、アナログディスクのスクラッチノイズのパチパチによって、
焚き火を連想することはない。

朝日新聞の記事に登場する高校生が、心が温かくなるのは、
焚き火効果によるものかどうかは、記事だけでは判断できない。
それでも、パチパチという音で、とあるくらいなのだから、焚き火効果なのだろう。

そうだとして、そのアナログディスクにおさめられている音楽、音が、
温かさとは無縁のものであっても、パチパチという音で心が温かくなるのか。

仮にそうだとしたら、音への感受性はそうとうに違うところがあるように思える。
少なくとも私とは、はっきりと違うわけだ。

Date: 2月 12th, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(朝日新聞の記事・その1)

twitterを眺めていたら、
今日(2月12日)の朝日新聞の記事が話題になっていた。
「レコードのぬくもり 若者とりこに」という記事のことだ。

その記事に、こうある。
     *
 横浜市の高校1年生、永井公さん(16)は、宇多田ヒカルを手始めにレコードを買うようになった。2004年生まれで、音楽配信サービスが当たり前の世代。定額の音楽配信サービスに入っているが「盤に針を落としたときのパチパチという音で心が温かくなるし、部屋に置くだけで気分が上がる」と話す。
     *
どんな人が書いたのだろうか。
スクラッチノイズを聴いて、心が温かくなるのか、いまの10代は。

この人だけのことなのかもしれないが、そうではないのかもしれない。
いろんな人がいるのはわかっているつもりだった。

それでも、スクラッチノイズを聴いて心が温かくなる人がいるとは、まったく思わなかった。
スクラッチノイズでそうなる人もいれば、
カセットテープのヒスノイズで、同じように心が温かくなる人もいて不思議ではない。

LPのスクラッチノイズで心が温かくなるのならば、
SPのスクラッチノイズだったら、心が燃えてしまうのだろうか。

Date: 2月 3rd, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その17)

(その16)が、(その15)の続きではなかったと同じく、
今回も(その15)の続きではなく、(その16)の補足のような内容だ。

ラジオ技術2月号に
「これからオーディオを始める方へ筆者からのメッセージ」が載っている。
3月号にも載る。

そこに五十嵐一郎氏の名前があった。

これだけである。
なんだ、と思われる人もいるだろう。
そうなんだ、と思う人も、いまでは少なくなったけれど、いる。

これだけでラジオ技術3月号を読みたくなる。

Date: 12月 28th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その16)

(その15)の続きとしての(その16)ではなく、
2021年1月12日発売のラジオ技術2月号に掲載される、
「これからオーディオを始める方へ筆者からのメッセージ」という記事について、である。

ラジオ技術の筆者、九氏によるアンケート形式の記事である。
ラジオ技術は、この形式の記事を以前から不定期でやっている。
私は、楽しみにしている記事の形式でもある。

1月発売なのだから、どんなことが載っているのかはまったく知らない。
それでも、企画として、他のオーディオ雑誌もぜひやってほしい、と思う。

こういう企画は、一つのオーディオ雑誌だけでなく、
同時にすべてのオーディオ雑誌でやってくれれば、非常に面白い記事となるはずだ。

それぞれのオーディオ雑誌の色が明確になるはずだし、
そこに書いている人たちの色も、ほかの記事よりも濃く出るであろう。

年末には、どのオーディオ雑誌も賞をやる。
申し合わせたようにやる。
賞ばかりでなく、こういう記事(アンケート)もやってほしい、というより、
やったほうがいい、ともいいたいし、やるべきだ、とも思っている。

「これからオーディオを始める方」を、どう捉えるのか。
10代の世代なのか、社会人になったばかりの世代なのか、
それとも子育てが一段落して自分の時間が持てるようになった世代、
仕事を退職して、という世代、
どの世代にも、これからオーディオを始める人はいるはずだ。

このへんのことも含めて、それぞれの筆者がどう答えるのか。
そのことを含めて楽しみにしている記事である。

Date: 11月 14th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(「三島由紀夫の死」から50年)

昨晩『「三島由紀夫の死」から50年』を公開したあとで、
気づいたことがある。

いまごろなのか、と自分でも呆れ気味ではあったが、
それでも気づいたことがある。

マンガもそうだった。
私がマンガに夢中になっていたころ第一線で活躍していたマンガ家たち、
手塚治虫を筆頭に、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、水島新司、
ここで名を挙げた人たちはみな戦争を体験している。

戦後生れのマンガ家ももちろん大勢いて、活躍していた。
戦前生れのマンガ家も第一線にいた、というより、
この人たちがまさしく第一線だった。

オーディオ評論家も、私にとってはそうである。
私がオーディオ評論に夢中になっていたころ第一線で活躍していたオーディオ評論家たち、
みな戦争を体験している。

いまのオーディオ評論家はどうだろう。
柳沢功力氏は戦前の生れなのだが、ほかの人たちとなると、
みな戦後の生れである。

読み手側はどうだろうか。
ステレオサウンドの読者は高齢化していることは、
ステレオサウンドが発表している資料からもわかる。

今年(2020年)は、戦後75年。
75歳以上の読者となると、高齢化しているとはいえそう多くはないはず。
ステレオサウンドの読者ですら、戦後生れが大半となっている。

こういうことを書いている私も戦後生れだ。
ただ戦後生れでも、親が戦後生れなのかどうかは、どこかで関係しているのではないだろうか。

私の父と母は戦前生れだから、戦争を体験している。
私の場合、戦前生れの両親をもち、戦争を体験してきた人たちの書いてきたものを、
熱心に読んでいたわけだ。

戦後生れの両親のもとで、
戦後生れの人たちの書いてきているものをリアルタイムに読んできた世代も、
いまではけっこういるであろう。

世代の分断とは、こういうところが意外なところで関係しているような気がしてきている。

Date: 10月 22nd, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(若い世代とバックナンバー・その7)

オーディオ雑誌のバックナンバーを、十年分くらい揃える。
昔のオーディオ雑誌は、けっこう出ていた。
休刊(廃刊)になったオーディオ雑誌の数は、けっこうある。

それらを集めて、真剣に読むのであれば、
同時に、ステレオサウンドが年二回出していたHI-FI STEREO GUIDEも、
できるだけ手に入れてほしい。

あのころもそうだったけれど、
古書店でも、ステレオサウンドよりもHI-FI STEREO GUIDEのほうが高いことがけっこうある。

HI-FI STEREO GUIDEは、いわゆるカタログ誌だ。
だからこそ、オーディオ雑誌のバックナンバーとともに揃えたい。

HI-FI STEREO GUIDEには、その時代、市販されていたオーディオ機器が、
ほぼすべて掲載されている。
価格もスペックも載っている。
海外製品だと、どの国なのかも載っている。

その時代のオーディオを俯瞰したいときに、HI-FI STEREO GUIDEは役に立つ。

そんなこと、オーディオ雑誌を毎号買って読んでいれば、
HI-FI STEREO GUIDEなんて必要ないだろう、と思うかもしれないが、
私が中三のころ、はじめてHI-FI STEREO GUIDEを買って、
こんなにも多くの製品が市場に出ているのかと驚いた。

そしてHI-FI STEREO GUIDEが一冊ではなく、
二冊、三冊と増えてくると、
HI-FI STEREO GUIDEはオーディオの年表がわりでもあることに気づいた。

すべてを網羅するカタログ誌は、時間が経つことで、存在感を増してくる。

同じことはレコード関係の雑誌についてもいえる。
レコード関係の雑誌のバックナンバーを揃えるのであれば、
レコード・カタログ誌も集めて、いっしょに見ていくべきである。