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Date: 5月 16th, 2013
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その22)

素朴とは、粗末で飾り気のないことをいう。
私がここでつかっている素朴には、粗末という意味は込めていない。
飾り気のない、ありのままというニュアンスで使っているわけであり、
飾り気のない、ありのままの意味では、化粧をしない顔、つまり素顔が、
やはり「素」がつく言葉である。

フィリップスのフルレンジユニットの音は、個性的だと書いた。
確かにいま思い出してみても個性的とはいえる。
けれど、その音が化粧の濃い、いわばややけばけばしいところを感じさせる音だったかというと、
けっしてそういうふうには感じていなかった。

化粧の濃い音だったわけではない。
むしろ化粧をほとんどしていない顔のような音だったのかもしれない。
あの音を、いま聴いたら、そう判断するような気がしてならない。

つまり日本人の顔しか見ていない目で見た時の、
非常に彫りの深い欧米人の顔を見た時のような、
いわば化粧をしていなくともメリハリのきいた顔とでもいおうか、
そういうところを感じさせる音が、フィリップスのフルレンジユニットの特徴だったような気がする。

そうだとしたら、フィリップスの、あの個性の強い音も実は素朴な音のひとつだったような気がするし、
対照的な日本人の顔的な素朴な音のフルレンジユニットは、やはりダイヤトーンのP610ということになる。

Date: 5月 15th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その21)

MC型カートリッジの性能はカンチレバー、針先、ダンパー、コイルなどによって決まっていくものであり、
コイルからの引出し線の引き出し方は性能ということには影響しないとも考えられる。
けれど、その性能の中に音を含めると、コイルの引き出し線の引き出し方は影響するといえるる。

このことについて長島先生は、こう解説されている。
     *
MCカートリッジは、強い磁界の中をコイル引出し線が通る場合、リード線の振動によって発電が行なわれ、この信号が出力に混入してしまうことがある。こうなると、種として高域にコイルリード線の鳴きの影響が生じ、再生音を濁らせる結果となりやすい。その点、このカートリッジのように、コイルリード線の振動部分をダンパーでダンプした構造にしておけば、そのような害はほとんど防止することができるのである。
     *
二重ダンパーを採用しているカートリッジであれば、細かな配慮をすることで、
この部分の問題をほぼ解消できるわけでもあり、
このコイルの引出し線がカートリッジ内部で振動によって発電する問題は、
そのままスピーカーエンクロージュア内部の配線材に関してもあてはまることである。

スピーカーエンクロージュア内部にはスピーカーユニットからの洩れ磁束があり、
しかも互いに干渉しているわけでもある
そんな中をネットワーク本体からレベルコントロールまでの配線材は通っている。
しかもスピーカーエンクロージュア内部は、ウーファーの音圧によって振動の影響は大きい。
音量を上げれば、それだけ内部の振動も大きくなる。

さらにネットワークのコイルからのノイズの影響もある。
コイルはその性質上、定常状態を保とうと働く。
信号が流れていない状態から信号を流そうとすると、流すまいとしてパルス状のノイズを発生するし、
それまで流れていた信号をとめると、今度は流そうとして、今度もパルス状のノイズを出す。

そういういくつもの音に影響の与える環境の中を配線材は引き回されているわけだから、
配線材の引き回し方、固定の仕方は音のクォリティに関係してくるし、
引き回しがなくなれば、それだけ音質的には有利であるし、ずっと楽になるともいえよう。

Date: 5月 15th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その20)

長島先生によるステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 2、
「図説・MC型カートリッジの研究」には「世界のMC型いろいろ」という記事で、
当時(1978年)市販されていたMC型カートリッジの代表機種の内部構造図が21機種、掲載されている。

この内部構造図は資料的価値も非常に高い。
この内部構造図は目次にもあるように、神部(かんべ)明さんによるものだ。
以前、神部さんにこのときのことを聞いている。

21のカートリッジすべてひとつひとつ分解して、細部の寸法を計測して描いたものだ、と。

この内部構造図を見比べていくと、ダンパーひとつとっても、
各メーカーによってずいぶん違うことがわかる。
いくつかのメーカーはダンパーを二枚用いる二重ダンパーを採用している。
具体的に名をあげれば、フィデリティ・リサーチのFR7、ハイレクトの2017、ナカミチのMC1000、
スペックスのSD909、EMTのTSD15、オルトフォンのSPUとMC20、フィリップスのGP922だ。

二重ダンパーといっても、TSD15の場合、二枚のダンパーを前後で重ねてるタイプではなく、
内側と外側の二重ダンパーなので、その他の二重ダンパーとは、やや異る。

これら二重ダンパーのカートリッジはふたつのグループにわけられる。
FR7、2017、SPU、MC20というグループとMC1000、SD909、GP922のグループとである。

この二つのグループの違いは、コイルからの引出し線をどう引き出しているかの違いであり、
FR7、2017、SPU、MC20は二重ダンパーの構造を活かし、
コイルからの線をいったん二枚のダンパーではさんだ上で引き出されている。

MC1000、SD909、GP922はコイルからそのまま引き出されているし、
二重ダンパー以外のMC型カートリッジもそうなっている。

Date: 5月 15th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その19)

限られたコストのなかで、物量投入が要求されるとなれば、
どこかを削っていかなければどうにもならない。
削れるところはどこか。
削っても、そのことに対して批判の声を受けにくいところ、
削ることによって、そのことが音質向上に寄与していると言い換えられるところ、
それはスピーカーシステムにとってレベルコントロールが、まずあげられる。

レベルコントロールを設けることによって、
国産のスピーカーシステムの場合、内蔵のネットワークの配置はリアバッフルであることが多く、
レベルコントロールはフロントバッフルあることが多いわけだから、
ネットワーク本体とレベルコントロールのあいだ(エンクロージュアの奥行きにほぼ相当する)は、
配線の引回しが必要となる。

レベルコントロールを廃すれば、レベルコントロールを構成する連続可変のアッテネーターを、
抵抗によるアッテネーターに置き換えられる。こちらは抵抗、二本で構成できる。
それにレベルコントロールのパネルもいらなくなるし、
ネットワーク本体とレベルコントロール間の配線材も不必要になる。
レベルコントロールを設けることによる手間も省ける。

それにもうひとつメリットもある。

スピーカーシステムのエンクロージュアの中はいくつもの磁界がある。
スピーカーユニットすべてが内磁型であればそれほどではないけれど、
外示型の磁気回路で防磁対策がなされていなければ、
それにマルチウェイのスピーカーシステムはいくつものスピーカーユニットを取り付けているため、
それぞれの磁界が干渉しているともいえる。

そういう中をスピーカー内部の配線材は引き回されている。

Date: 5月 14th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代(その1)

いまは──、そして当り前すぎることを書くことになるが、
これからさきもずっと「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」が続いていく。
もうすでに30年以上「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」が続いてきているのに。

「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」に終りは訪れない。
どれだけ待っていても終りは来ない。

ならば……、とおもう。
オーディオの世界を「豊か」にしていくことを。

Date: 5月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その5)

私はというと、ずっと若いころは、ストイックであることがかっこいいことであると強く思い込んでいたから、
スピーカーシステムは一組にかぎる。
ほんとうに惚れ込んだスピーカーシステムを鳴らしきることこそ……、そんなふうに思っていたこともある。

もちろん複数のスピーカーシステムを持ちたい、鳴らしたいという気持もあって、
でもあくまでもストイックで、そして理想主義であらねば、などと思っていたものだから、
複数のスピーカーシステムを鳴らしたいのであれば、
スピーカーの数だけ部屋を用意する。
とにかくひとつの空間には一組のスピーカーシステム、と決め込んでいた。

そんな若いときの私でも、
複数のスピーカーシステムを持っていたことがある。
メインのスピーカーシステムに対して、サブのスピーカーシステムとして、であった。
ロジャースのLS3/5Aを持っていた。

でも結局、そのころ住んでいた住空間では、LS3/5Aを満足に鳴らす環境は整えられなかった。
サブスピーカーなのだから……、という気持はあっても、
実際にLS3/5Aの音を聴くと、サブスピーカーとは思えなくなってくる。

そうなるとアンプもLS3/5A用に用意して……、そんなことを考えやっていくには、
若いころの私の経済力では無理があった、ともいえるし、
あまりにもメインのシステムに熱をいれすぎていた。

欲しいという友人に結局譲ってしまった。

後悔は譲った後にするから後悔なのだが、
やっぱりLS3/5Aは場所的に邪魔になるわけではなかったのだから、
持っておけばよかった、といまでもすこし思わないわけではない。

そんなことはあっても基本的にスピーカーシステムは一組だったけれど、
歳を重ねていけば考え方・捉え方も、音の聴き方も、その他のことも変っていく。
変っていかないところもあるけれど、スピーカーシステムの数については、
私の場合、変っていった。
と同時にスピーカーの存在をどう捉えるかも変っていった。

Date: 5月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その4)

いまスピーカーシステムを二組以上所有して、しかも鳴らしている人はどのくらいの割合なのだろうか。

同じ空間に二組以上のスピーカーシステムをおけば、相互に影響が出る。
ある一組のスピーカーシステムを鳴らしている時、
そのスピーカーシステム以外のスピーカーシステムは音を出していないわけだが、
いろいろな面で、出ている音に対して影響を与えている。

これに関しては以前から言われていたことであり、
だからひとつの部屋には一組のスピーカーシステム、
複数のスピーカーシステムを鳴らしたいのであれば、
スピーカーシステムの数だけの部屋を用意する、という人もいないわけではない。

それができるだけの人はそう多くはないだろうけれど、
それだけのことができる人でも、ほんとうに気に入ったスピーカーシステムが一組あれば、
それでいい、という人もいる。

というより、そういう人は、きっと他のスピーカーに浮気したくない、という気持が強いのかもしれない。
あるひとつのスピーカーシステムに、オーディオの情熱をすべて捧げる。
そのスピーカーと同じだけの能力をもつ他のスピーカーもいらないし、
サブ用のスピーカーすらいらない。

とにかく惚れ込んだスピーカーとだけ、と一途な人はけっして少なくない、と私は思っている。
こういう人は、スピーカーを音楽を聴いていく人生における、
いわば配偶者としてスピーカーをとらえているからこそなのかもしれない。

Date: 5月 13th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(現在よりも……)

表面的な意味ではなく、
それに単に製品の数の多さや価格のレンジの広さとか、そういったことでもなくて、
まったく違う意味での「豊かさ」が、
「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」のオーディオの世界にはあったように思えてならない。

Date: 5月 13th, 2013
Cate: 手がかり

手がかり(その14)

アナログディスクは、どこまで低い音をカッティングできるかというと、
カッターヘッドがラッカー盤(マスターディスク)にカッティングできるのは8Hzまでフラットに刻める。

この8Hzという値はアナログ式のテープレコーダーよりも、
ずっと低い周波数まで記録できるということを表している。
ダイレクトカッティング以外では一度テープに記録して、ということが行われる。
そこではアナログ時代にはテープスピードが15インチ(38cm)、さらには30インチ(76cm)というものもあった。
テープスピードが速いほど音質的には有利になるわけだが、
こと低域に関してはテープスピードを増すことによって、不利になる面もある。

テープに録音するヘッドには必ずギャップが設けられている。
このギャップがあるからこそ録音、再生が可能になるわけだが、
このギャップがコンターエフェクトという、低域のうねりを生じさせる。
アメリカではヘッドバンプというらしい。

このコンターエフェクトは、テープスピードが上るほど、発生する周波数も上昇していく。
テープスピードが増すことで高域の録音・再生限界は上に移動するわけだが、
テープスピードが増したからといって、低域の再生限界が下に移動するわけではない。

こと低域の録音能力に関しては、テープよりもディスク録音が優っているといえる。
つまりダイレクトカッティング、もしくはデジタル録音をマスターテープとすれば、
アナログディスクは8Hzまでフラットにカッティングできるわけだ。

CD登場以前と記憶しているから、1981年か1980年だったか、
震度計が記録した波形をデジタル処理して音としてカッティングしたアナログディスクが出たこともある。

とにかくカッティング時には8Hzという、そうとうに低い周波数まで記録できる。
だからといって、8Hzまで再生できるというわけではない。

Date: 5月 13th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その18)

10万円のアンプでネジを一本増やすのに稟議書、という話は1980年代半ばごろの話であって、
時代が違えば、それに同じ1980年代でもメーカーが違えば、こまかな事情は少しは違ってくるだろう。

とはいえ大量生産される製品ほどコスト管理は非常にシビアだということがわかる。
1980年代半ばごろといえば、598のスピーカーシステムも同時代のものであるわけだから、
10万円のアンプよりも定価の安い598のスピーカーシステムともなれば、
もっとコストの制約は厳しいものになると考えられる。

それがどのくらい厳しいものだったのかは具体的には聞いていないけれど、
10万円のアンプでネジ一本に稟議書なのだから、
598のスピーカーシステムで、例えばスピーカーユニットの固定用のネジ(ボルト)の数を増やすのも、
メーカーによっては稟議書が必要となるか、
さらには稟議書だけでは無理で会議が必要となるのかもしれない。

例として挙げた1982年の598のスピーカー三機種のうち、
オンキョーD7R、ビクターZERo5Fineはウーファーの固定ネジの四本、
ダイヤトーンDS73Dは八本。

それが1987年の三機種はすべてウーファーの固定ネジの本数は八である。
アンプの天板の小体に使われるネジと、ウーファーの小体に使われるネジとでは、
大きさ、強度が違ってくる。当籤ウーファー固定用のほうが大きく長い。

ネジ一本のコストも、アンプ用よりも高い。
1987年の598のスピーカーシステムでは、スコーカーの固定ネジも八本(ビクターは六本)に増えている。

定価が数十万円、百万円を超える価格の製品であれば、ネジの本数の増加は大きな問題ではなくとも、
一本59800円のスピーカーシステムにとっては、ネジの本数は決して小さくなく問題のはず。

598のスピーカーシステムは、単に外観からわかるだけでも、
1982年よりも1987年の製品のほうがコストがかけられている、ともいえる。

そうなると削れるところは削っていくしかない、ということになろう。

Date: 5月 12th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598のスピーカーという存在(その17)

オーディオはメカトロニクスであり、
スピーカー、プレーヤーだけではなくアンプも振動による音の変化が生じることを的確に指摘され、
実際にどう音に影響していくのかを示してくれたのは井上先生だった。

ある試聴の時、訊ねたことがある。
このアンプの天板、ここにネジを一本追加するだけでずいぶん天板の鳴りが抑えられるはずなのに……、と。

井上先生はいわれた。
「10万円のアンプでもネジを一本増やすには稟議書がいるんだよ。」

ネジといっても、天板をとめているネジの径は大きなものではない。
値段はごくわずか。しかも小売りと違い、メーカーが大量に注文・購入するのであれば、
さらに安くなるはず。

なのに10万円のアンプでも、一本増やすために稟議書が必要になるとは。
この井上先生の話をきいたときは、私自身、若かったこともあり、
すぐには、このことがどういうことを表しているのか、すぐには理解できなかった。

国内メーカーにとって10万円のアンプは、売れ筋の商品ということになろう。
となると生産台数は少なくないわけがない。
正確な生産台数を知っているわけではないから、ここで出す数字はあくまでも例えである。

1万台、10万円のアンプを生産するのであれば、ネジを一本増やすことは総数で一万本増えることになる。
しかもネジを増やすだけですむわけではなく、
そのネジのための穴を開け、ネジが締るように加工しなければならない。
当然1万個の穴を開け加工することになる。

そしてネジを締る作業もある。
これも生産台数的に考えれば、一万箇所のネジをよけいに締ることになるわけだ。

ユーザー側は一台のコストで考える。
メーカー側は生産台数のコストで考える。

その違いに気づいて、ネジ一本に稟議書ということが理解はできた。

Date: 5月 12th, 2013
Cate: 型番

型番について(その6)

1970年代のエレクトボイスのスピーカーシステムは、
プロ用としてのSentry(セントリー)、コンシューマーとしてのInterface(インターフェース)があった。

SentryシリーズもInterfaceシリーズも、外観が黒っぽかった。
Interfaceシリーズにはフロアー型のInterface:Dはそうでもないけれど、
最初にステレオサウンドに掲載されていた写真で見たInterfaceシリーズの印象が強く、
どうしても私の頭の中には、エレクトロボイスのスピーカー=黒っぽい外観、というイメージが消え去らない。

そんなこともあって、なんとなくではあるけれど、クラシックを聴くためのスピーカーとは思えなかった。
つまり、あまり強い関心を、1970年代のエレクトロボイスのスピーカーシステムに持つことはなかった。

そうなると不思議なもので、オーディオ店やその他の場所でも見かけることもなくなる。
Sentryシリーズは1980年代にも続いていたし、Sentry500が登場している。

Sentry500も黒っぽい外観を特徴とするスピーカーシステムで、
やはりクラシックをしっとりと聴くスピーカーとは感じなかったけれど、
ホーンの素材をプラスチックから木に変え、
それに応じて外観のイメージを一新したSentry500SFVは、自分のモノにしたいとは思わなかったけれど、
聴いていて気持ちのいい音のするスピーカーシステムであった。

でもInterfaceシリーズは、ついに聴く機会がなかった。
でも、いまおもうと”Interface”という型番は、
エレクトロボイスがどういう意図で名づけたのかは知らないけれど、
スピーカーというものをエレクトロボイスがどう考えていたのかを顕していて、実にいい型番である。

interfaceには、境界面という意味もある。

Date: 5月 12th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598のスピーカーという存在(その16)

1982年の598のスピーカーシステム三機種にはフロントバッフルに、
スコーカーとトゥイーターのレベルコントロールのツマミと表示パネルがついている。
1987年の598のスピーカーシステム三機種のフロントバッフルにはレベルコントロールはない。
リアバッフルにもない。レベルコントロール機能自体が省かれている。

なぜレベルコントロールがなくなったのか。
これも聴感上のS/N比と関係してのことであある。

レベルコントロールの表示パネルはたいていプラスチック製だった。
エンクロージュアは木製。
フロントバッフルを叩いた時の音と較べると、
レベルコントロールのプラスチック製のパネルを指ではじいた音は異質なものである。

この異質な音はスピーカーユニットに信号が加わり振動が発生することで、
その振動がフレームからフロントバッフルに伝わり、このプラスチック製のパネルとも振動させ、
不要輻射の発生源となる。

しかもレベルコントロールのツマミも多くはプラスチック製で、回転できるように周辺どの間に溝がある。
この溝も不要輻射の発生源となっている。

昔の国産のスピーカーシステムはフロントバッフルに、こういったつくりのレベルコントロールがある。
それが音にどのくらい影響しているのかは、
このレベルコントロールをフェルトなどで覆い隠してみることではっきりと耳で確認できる。

その意味ではレベルコントロールを廃したことは決して悪いことではない。
そう考えることもできる。
実際にイギリス製のスピーカーシステム、
それもBBCモニターのスピーカーではレベルコントロールがないものも多い。
そのことに批判めいたことはいう人はいなかった。

けれど598のスピーカーシステムからレベルコントロールが消えたことに対しては、
批判の声もあった。
それはなぜだろうか。

実は598のスピーカーシステムの重量が増し、重量バランスが悪くなってしまったことと関係している。

Date: 5月 11th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598のスピーカーという存在(その15)

1982年の598のスピーカーシステムとして、ビクターZERO5Fine、オンキョーD7R、ダイヤトーンDS73D、
1987年の598のスピーカーとして、ビクターSX511、オンキョーD77X、デンオンSC-R88Z、
それぞれ三機種ずつ挙げているのは、たまたまステレオサウンド 87号でも挙げているからだ。

沢村とおる氏による「スピーカーエンクロージュアづくりの秘密をさぐる」の記事の担当は私ではなかったけれど、
写真の選定と、その説明分を書くのは私がやることになった。
つまり87号で、上記六機種を挙げたのは私なのだから、ここでもそのままいくことにしただけである。

1982年の598のスピーカーと1987年の598のスピーカーの写真を見比べるとわかることがある。
まず1987年の598のスピーカーシステムにはラウンドバッフルが採用されている。

ラウンドバッフルの採用といえば、指向特性の改善ととらえる人が少なくないのだが、
このころの598のスピーカーに採用されているr(半径)の小さなラウンドバッフルでは、
音の波長を考えればすぐにわかることだが指向特性の改善とはあまり寄与していない。

指向特性の改善目的であれば、ダイヤトーンの2S305のようなラウンドバッフルを必要とする。

では何のためのラウンドバッフルかといえば、聴感上のS/N比を高めるためのものである。
フロントバッフルと側版の接合部には角があり、
この直角の部分(エンクロージュアのエッジ)からの不要輻射が聴感上のS/N比を悪化させる。
この部分を丸くするだけでもずいぶんと違ってくる。
ほんとうはすべてのエンクロージュアのエッジを丸めたいところだが、
598という価格帯のスピーカーではそれは無理というものである。

このラウンドバッフルの採用とともに、
外観上1982年と1987年で違いがあるのはレベルコントロールの有無である。

Date: 5月 11th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598のスピーカーという存在(その14)

例に挙げた1982年当時の598のスピーカー三機種、1987年当時の三機種。
1982年からステレオサウンドで働きはじめた私は、
いずれのスピーカーシステムも持ち運び設置している。

ステレオサウンドの特集の試聴、新製品の試聴、
これら以外の試聴もあるわけだが、とにかく日常的にオーディオ機器を持ち、運び、設置する作業は、
この仕事を経験したことの内人には想像できないほど多い。

スピーカーの試聴で一日に20機種を聴くことがある。
もっと多い場合もあるし、少ないこともあるわけだが、
20機種ということは、スピーカーは必ず二本一組だから40本のスピーカーシステムを運ぶことになる。
運んで設置して聴き終ったら試聴室の隣の倉庫に戻し、次のスピーカーシステムを運び設置する。
これをくり返すわけだ。
腰を痛めることにもなる。

とはいえ、このことは、他ではまず体験できないことだし、
オーディオ機器の重さに対しての感覚も変っていく。
そうやっていくうちに日常的感覚として、
オーディオ機器の重量には、そのバランスを含めて敏感になっていくものだ。

その日常的感覚からもはっきりといえることだが、
1982年の598のスピーカーシステムより、1987年の598のスピーカーシステムは重量が約10kg増すとともに、
重量バランスが悪くなっている(前側に偏っている)。

このことによる音の影響については、(その3)にも書いている。
この他にもスピーカースタンドの、音に対する比重が大きくなり、
スピーカーシステムの値段は同じ59800円でも、
1982年の598のスピーカーシステムと1987年の598のスピーカーシステムとでは、
スピーカースタンドにより丈夫で重量的にもバランスのとれるものを要することになる。
つまり、より高価なスタンドということになる。