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Date: 12月 13th, 2013
Cate: 再生音

続・再生音とは……(虚構世界なりせば)

「虚構世界の狩人」は、
瀬川先生の著書のタイトルである。

いいタイトルだと思うし、瀬川先生も気に入られていた、ときいている。

「虚構世界」──、
音だけのオーディオの世界、
それもモノーラルではなくステレオフォニックになってからのオーディオの世界は、
まさしく「虚構世界」である。

虚構世界であるならば、そこに「正しい音」は存在しない、と考えべきなのかもしれない。
虚構世界であるからこそ、そこに「正しい音」とはなんなのかを考えていくべきなのかもしれない。

Date: 12月 13th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その9)

ラックスのSQ38FD/II、CL3535IIIのパネルデザインが、
マランツのコントロールアンプ、Model 7のデザインの影響を強く受けていること、
Model 7のデザインをベースにした、といってもいいだろう、
そういうデザインであることは、
これらのアンプの存在を知った中学生の時には気づいていたし、
デザインに多少なりとも関心のある人ならば、多くの人が気づくことでもあろう。

Model 7のフロントパネルには、ロータリースイッチ、ロータリボリュウム用のツマミが、
上下二段で四つ、左側にあり、中央にはレバースイッチがやはり四つ並ぶ。
そして右側には左側のツマミよりも径の小さなツマミが、左側と同じく上下二段で四つあり、
左端にスライド式の電源スイッチが、ちょこんとついている。

完全な左右対称ではないけれど、
左右対称のデザインを、ほんのすこしくずしたデザインといえる。

ラックスのSQ38FD/II、CL35IIIのツマミのレイアウトは、
マランツのModel 7をベースにしているといえる。
もちろん、まったく同じというわけではないが、あきらかにModel 7を強く意識しているデザインである。

中学生のころは、Model 7をベースにしたんだな、というところで止っていたけれど、
数年後に、ラックスのデザインは瀬川先生がいくつか担当されていた、ということをきいた。

こうなるとSQ38FD/IIのデザインに対する関心は,より深くなっていった。
いったい、このデザインは誰によるものなのか。

瀬川先生がModel 7のデザインを高く評価されていることは知っていたからこそ、
瀬川先生によるデザインなのか、それとも別の人のデザインなのか。
はっきりしたことはわからなかったし、判断もつき難かった。

Date: 12月 12th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その8)

ラックスの管球式プリメインアンプの代名詞ともなっているSQ38シリーズ。
昭和38年(1963年)に登場した初代SQ38は、よく知られるSQ38のデザインではなかった。
よく知られる、いわゆるSQ38のデザインになったのは、SQ38Fからであり、1968年以降のことである。

同じパネルデザインをもつコントロールアンプCL35は1970年発売。
CL35もまた管球式アンプである。

この二機種だけをみていると、
SQ38FのデザインがCL35にも採用された、ということになるが、
もう少し詳しくラックスのアンプについて眺めていくと、
1967年にSQ301が登場していて、このアンプのデザインが、のちのSQ38Fであり、CL35のそれである。

SQ301はトランジスター式のプリメインアンプである。
SQ38F、CL35のデザインはまったく同じかというと、若干違うところはある。
インプットセレクターとモードセレクターのツマミが、
SQ38F、CL35では形状が円から長方形へと滑らかに変化していくのに対して、
SQ301では円筒状(一部カットしてある)である。

それからフロントパネル中央にあるレバースイッチのツマミ、
パネル右下にある電源スイッチとスピーカースイッチのツマミが、
SQ301と基本的な形は同じなのだが、SQ38F、CL35ではボリュウム感のあるものに変更されている。
それにレバースイッチの数もSQ301は四つだが、SQ38F、CL35では五つ、という違いもある。

これらの違いからSQ301のほうがすっきり、ともいえるし、ややおとなしい控え目な感じがする。
とはいえSQ38F、CL35のパネルデザインはSQ301のパネルデザインの改良版であることは、
誰の目にも明らかなことだ。

Date: 12月 12th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その15)

テクニックだけを堂々とひけらかす、
そんな演奏は、音楽として美しいといえるだろうか。

そういう演奏は、凄いと思わせるところがないわけでもない。
だが、凄いは、美しいとはほとんど関係のないことである。

レコード演奏家として求めていくものは、精進していくものは、
そういったテクニックではなく、美であるはずだ。

その美がなかったからこそ、フランケンシュタインがつくり出した「理想の人間」は、
理想の人間ではなく怪物と呼ばれるようになったのと、同じことではないのか。

そんなことはない、いい音で鳴れば、そこには美がある。
どんなオーディオ機器の配置をしようと、ぶざまなケーブルの這わせ方をしようとも、
その結果得られる音が良ければいいわけだ──、
という考えは、もう捨て去るべきであるし、いつまでもそんなことをいっていては幼稚なだけである。

それでも個人で満足してやっているのであればまだいい。
ひどいのになると、誰かのところへ出かけていって、そんな機器の配置やケーブルの這わせ方をして、
音が良くなっただろう、というのがいることだ。

そんな人がいう、音が良くなった、というのは、音が変った、ぐらいに思っておけばいい。
そこには、美はないのだから。

Date: 12月 12th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その17)

タンノイをはじめとするイギリス系のスピーカーシステムに関してはマルチアンプ駆動は考えていない、
と書いておきながら、
同じタンノイのスピーカーシステムでも、Kingdom(現行製品のKingdom Royalではなく、最初のモデル)なら、
全帯域のマルチアンプ駆動は考えないものの、46cmウーファーだけは専用アンプをもってきたい。
いわゆるバイアンプ駆動を試みてみたい。

結局、マルチアンプにするのかしないのか、は、
私の場合、そのスピーカーシステムが生れた国と関係していながらも、
Kingdomのように、これは積極的にマルチアンプで鳴らしたいスピーカーシステムもある。

マルチアンプにするのかしないのか、
その分れ目はどこにあるのか、私の中にはどうもはっきりと存在している、と感じているけれど、
それを言葉にして書くとなると、意外に難しいことに気づく。

ではイギリスを始めとするヨーロッパ以外のスピーカーシステムに関してはどうかといえば、
JBLのシステムだから、といって、すべてのJNLのスピーカーをマルチアンプで鳴らそうとは思っていない。

4350、4355といった、JBL側がバイアンプ仕様としているスピーカーシステムを除いて、
バイアンプをふくめてマルチアンプで鳴らしたいのは、4343が最初にくる。

内蔵ネットワークで鳴らす4343のスタイルもいいと思っていても、
瀬川先生が書かれていたころのステレオサウンドを熱心に読んできた者には、
どうしても4343はいちどはマルチアンプ(バイアンプ)で鳴らしてみたいスピーカーなのである。

他に何があるだろうか。
自分の手で鳴らしてみたいスピーカーシステムで、しかもマルチアンプで、というスピーカーシステムが。

アルテックの604シリーズは、同軸型ユニットのメリットを最大に活かす、という意味で、
デジタル信号処理のディヴァイディングネットワークによるマルチアンプ駆動は、ぜひやってみたい。

Date: 12月 11th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その16)

私のなかでは、イギリスのスピーカーシステムを中心に、
ヨーロッパのスピーカーシステムをマルチアンプで鳴らそうという気持は、
ほとんどというより、まったくない。

仮にヴァイタヴォックスのCN191、タンノイのAutographを自分のモノとして鳴らすことになり、
これらのスピーカーから最上の音を出そうとしてマルチアンプ化するかといえば、やらない。
シーメンスのオイロダインに関してもそうだ。
オイロダインをマルチアンプで鳴らそうと考えたことはない。

だからといって、メーカーでマルチアンプ仕様としているスピーカーシステムを認めないわけではない。
メリディアンのM20はマルチアンプで、いいスピーカーだと思っている。

私はPM510を選んだが、PM510という存在がなければマルチアンプ仕様のLS5/8に惚れ込んだかもしれない。

これらの他にも聴いたことがないから、よけいにいまでも聴きたいと思っているスピーカーシステムに、
ドイツのK+Hのモニタースピーカーがある。
O92とOL10である。
どちらもマルチアンプ仕様の3ウェイ・システムだ。

もうひとつ、KEFのModel 5/1ACだ。
KEFが独自にLS5/1Aをマルチアンプ仕様にモデファイしたモデルである。
LS5/1Aの時代は管球式の専用パワーアンプ(高域補整を行っていた)がついていたが、
Model 5/1ACではトランジスターアンプになり、マルチアンプ化された。
ユニット構成に変更はない。

昔からヨーロッパ製のスピーカーシステムにはアンプ内蔵で、マルチアンプ仕様というものが存在していた。
いわゆるアクティヴ型スピーカーシステムと呼ばれる形態であり、
パワーアンプを自分の好きなモノにできないということで、
アクティヴ型を敬遠する人もいるけれど、私はそのことに特にそういう気持はない。

Date: 12月 10th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その15)

ロジャースのPM510を鳴らしていた。

PM510は30cm口径のポリプロピレン振動板のウーファーとソフトドーム型トゥイーターからなる2ウェイ。
同じユニット、エンクロージュアでバイアンプ駆動仕様のLS5/8がある。

LS5/8はQUADの405にディヴァイディングネットワークを内蔵した仕様。
LS5/8は一度聴いたことがある。
PM510との直接比較ではなかったけれど、
私はPM510の方が好きだった。

PM510に感じている音の魅力が、LS5/8では薄れている気がした。
もっともPM510をQUADの405で鳴らした音と比較すればマルチアンプ(バイアンプ)のLS5/8の良さを、
はっきりと認識できたのかもしれないが、
ネットワーク仕様のPM510を、さまざまなパワーアンプで鳴らした音を比較するかぎりは、
私にとってはPM510の方だということになる。

PM510は満点のスピーカーシステムではない。
欠点もいくつもある。
でも、その欠点の裏返しが、私にとって魅力ともなっていることはわかっていたし、
PM510をよりよく鳴らすためにマルチアンプ化することは、
私にとって必ずしも音が良くなった、とは感じない可能性があるようにも考えていた。

PM510についても、一度もマルチアンプで鳴らそうと考えたことはなかった。

Date: 12月 10th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その6)

タンノイ・コーネッタのことは、
「コンポーネントステレオの世界」の’77から’79までの二年間で、
コーネッタがどういうスピーカーで、どういう評価を得ているのかは、なんとなく知っていた。

’77のときは予備知識もなしに、なんだかいい感じのするスピーカーだな、と思っていた。
’79のときは、コーネッタについてある程度知識が出来ていたから、
その分だけ部屋の雰囲気が、よけいに気に入ったのかもしれない。

六畳の部屋。
決して広いとはいえない空間だが、
「コンポーネントステレオの世界 ’79」の写真は、男ひとりの部屋であり、
六畳とはいえ、そこは音楽を聴くことを優先した空間である。

「コンポーネントステレオの世界 ’79」では、
この部屋の写真が三つ載っている。
西向きのレイアウト、南向きのレイアウト、東向きのレイアウトである。

この六畳間は南側の短辺が窓になっている。
北側に収納スペースとドアがある。

つまりコーナー型のコーネッタをどう置くのか。
左右のコーネッタをコーナーに接地するには、この部屋の構造では南向きのレイアウトしかない。
このレイアウトではスピーカー間の距離があまりとれない。
西向きと東向きだと、片側のコーネッタがドアか収納の扉に重なるため、コーナーが片側確保できなくなる。

専用リスニングルームとして設計されていない部屋の、現実的な問題が、
ここで取り扱われている。

三つのレイアウトのどれがベストなのか、については書いていない。
それが正しい、といまは思う。

この部屋のページの文章の最後には、次のように書かれている。
     *
できれば個々の例をレイアウトして使ってみることが望まれます。というのは、しばらく使っているうちに、頭で考えたのとは違った問題が具体的に発見できるからです。
     *
写真を見ながら、私だったら、どうレイアウトするかをあれこれ考えていたものだ。

Date: 12月 10th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その5)

「コンポーネントステレオの世界」は、1980年ごろは毎年12月に出ていた。
’78もでているし、もちろん買って読んでいた。
’78にも、Sound Spaceの記事は載っている。

でも印象に残る、ということでは、
’77の次に来るのは、’79である。
「コンポーネントステレオの世界 ’79」に、タンノイ・コーネッタが登場している。

「個室での音と生活」という見出しがつけられているコーネッタが置かれた部屋は、
鉄筋コンクリート造りのマンションの一室、
広さは六畳間。

コーネッタを鳴らすコンポーネントは、
アンプはQUADの33と303のペア、チューナーもQUADのFM3、
アナログプレーヤーはリンのLP12に、オルトフォンのRMG212とSPU-G/E。

これらのオーディオ機器が、立派なラックの上に置かれているわけではない。
カラーボックスを横倒しにしたようなレコードラックの上に置かれている。

この部屋にある家具は、他には二人掛けのソファとそれにテーブル。
スチール製の本棚、と、高価な家具はひとつもない。

オーディオもそれほど高価なモノではない。

この部屋の主は(実際にモデルルームを借りて家具屋オーディオ機器を持ち込んでの撮影だと思われる)、
20代後半から30代前半ぐらいの独身男性、というところだろうか。

音楽好きな人が、オーディオにも贅沢をしてみた、
けれどオーディオマニアというわけではない。
そんな感じを写真から受けたし、そんなことを勝手に想像しながら写真を何度も眺めていた。

Date: 12月 9th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その4)

梶ヶ谷の家「ヨーロッパ的なセンス」の部屋は、
清瀬の家「ホワイト・アブストラクト」、V・ハウス「ビルト・インの手法」の部屋とは対照的に、
暖色系の雰囲気のする部屋である。

そこにある装置も大型の機器はなにひとつない。
すべて小型のモノばかりである。
スピーカーはセレッションのUL6、アンプはQUADの33と405の組合せ、
チューナーはFM3、プレーヤーはデュアルの1249。

UL6は出窓に据えてある。
天井の高い、広々とした空間に、その雰囲気をこわさずにとけこむようにオーディオがある。
リスニングルームのオーディオではなく、リビングルームのオーディオであり、
そこにはマニア的な雰囲気はかけらもないけれど、いいなぁ、と素直に思っていた。

玉川学園の家「くつろぎの城」は、建築音響設計の仕事をされている人の部屋だとある。
スピーカーはタンノイのコーネッタ、アンプはラックスのCL30とダイナコのMarkIII(どちらも管球式)、
プレーヤーはラックスのPD131にトーンアームがフィデリティ・リサーチのFR64Sに、オルトフォンのSPU。

コーネッタはコーナー型だから、とうぜん部屋のコーナーに設置されている。
いい感じでコーナーにおさまっている。

コーネッタについては、「コンポーネントステレオの世界 ’77」を読んだ時には、詳細は知らなかった。
ステレオサウンドが企画して、
井上先生がダイヤトーンの協力を得てつくられたエンクロージュアだとしったのは、少し後のこと。

どんなスピーカーなのかを知らなかったからこそ、玉川学園の家の写真をみて、
その雰囲気だけで、いいスピーカーなんだろうな、と感じていた。

Date: 12月 9th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その13)

あと三週間ほどで2013年も終る。
一月の終り生れの私は、2013年のほとんどを50歳という区切りのいい年齢で過ごした。

そんなことと世の中での生活とはまったく関係などありはしないことはわかっている。
それでも、今年は不思議な縁があった、と感じている。

6月のはじめに以前の仕事で関係のあった人の引越しを手伝ったときに、
QAUDの405をお礼にということでもらってきた。
そのこととともに、405が登場したころまだ44が登場してなくて、
AGIの511と組み合わされることが多かった、といったことをtwitterに書いたら、
511をある方が、聴いてみますか、ということで送ってくださった。

そして6月の終りには岩崎先生のハークネスがやって来た。
トーレンスのTD224もいっしょに、である。
7月には、岩崎先生が使われていたパイオニアのExclusive F3がやって来た。

これだけでもすごいことだと思っていたら、
つい先日、JBLの2441と2397を、ある方からいただいてきた。
ステレオサウンドの古いバックナンバー(創刊号はなかったけれど、2号からあった)と、
ステレオサウンドの別冊がいくつか、それにHI-FI STEREO GUIDEのバックナンバーもいっしょに、である。

これらすべていただいたモノである。
「終のスピーカー(JBL 2397+2441)」でも書いているように、
縁があったから、私のところにやって来た、と私は思っている。

縁をただ坐って待っていたわけではない。
とはいえ積極的に縁をつくろうとしてきたわけではない。

ふり返れば、これらのオーディオが私のところにやって来た縁は、
audio sharingをやってきたから、続けてきたから、そこから生れてきた縁のおかげである。

Date: 12月 8th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その3)

V・ハウス「ビルト・インの手法」の部屋の写真は、部屋だけの写真ではなく、
建物の全景の写真もある。
上からみれば、VとWの中間のような形をしている。
たしかにV・ハウスである。

場所は山中湖畔。
別荘なんだな、と中学二年の小僧にもわかる、
そういうつくりの家である。

この部屋にはあるスピーカーは、4343の前身の4341。
こちらもグレーモデル。
コントロールアンプはLNP2のほかにAGIの511もあり、
パワーアンプはマランツのModel 510M。

レコードをふくめ、これらのオーディオ機器すべて、特別誂えの収納棚にビルト・インされている。

いったいどんな人が、ここに住んでいるのだろうか。
どんな人の別荘なのだろうか。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」はそういうことは一切書かれていない。

だが一年後、ステレオサウンド 45号を読んでいて、わかった。
田中一光氏の別荘だったのだ。

Date: 12月 8th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その2)

「Sound Space サウンド・インテリアの楽しみ/スピーカー・セッティングと室内デザイン」
この長いタイトルがつけられている記事は、斉藤義氏による。
斉藤氏はステレオサウンドで「サウンド・スペースへの招待」を毎号執筆されている方。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」に載っている、この記事には8つの例が提示されている。
 多摩プラーザの家「ナチュラルな空間・ナチュラルな響き」
 清瀬の家「ホワイト・アブストラクト」
 玉川学園の家「くつろぎの城」
 V・ハウス「ビルト・インの手法」
 梶ヶ谷の家「ヨーロッパ的なセンス」
 矢崎さんの家「……しながらの音」
 船の家「サウンド&ヴィスタ」
 「ウィークエンド・サウンド」

13歳の中学二年の私は、どの部屋も憧れをもって眺め読んでいた。
どの部屋も、あれこれ妄想・夢想させてくれるだけのものであったけれど、
その中でも、清瀬の家、玉川学園の家、V・ハウス、梶ヶ谷の家は、印象深く残っている。

清瀬の家は、白を基調とした部屋で、天井の形状が階段状になっていて、家具はハーマンミラー、
オーディオはJBLの4343(それもグレーモデル)に、マークレビンソンのLNP2とSAE・Mark2500。

明るい陽射しによって照らされている、この部屋の雰囲気は4343のための部屋のように思えた。
この部屋には、ステレオサウンドにいたときに、伺うことができた。
まったく、この部屋だということを知らずに、そこに伺った。

入った瞬間、すぐに、あの部屋だとわかった。
ただスピーカーは4343ではなく、タンノイ・アメリカだった。
そう、この清瀬の家は、ステレオサウンドの表紙を撮影されていた安齊吉三郎氏の部屋だったのだ。

Date: 12月 7th, 2013
Cate: 書く

毎日書くということ(一年千本)

2008年9月から、このブログを書く始めた。

書き始める前は、一日三本書けば、一年は365日あるから千本以上書ける。
毎日三本は無理だとしても、一年あたり千本ずつ書いていくことは割と簡単じゃないか、
そんなふうに思っていた。

最初のころは三本以上書いている日もある。
これならば余裕で千本、と思っていたら、そうたやすいことではなかったことに気づく。
一本しか書けない日もあった。

一本しか書かなかったら、次の日は前の日、書けなかった二本を追加して五本書けばいい。
だけど、そんなふうにはなかなかいかない。
たいていは忙しかったりすれば、次の日も一本だったりする。
そうなるとその次の日に、七本書かなければならないことになる。
こうなってくると、一年千本は意外に大変だということに、やっと気づいた。

もう丸五年書いている。
いままで一年千本書いている年はない。

昨年12月11日に3000本目を書いている。
今年の12月10日までに4000本目を書ければ、
はじめて一年千本を書けたことになる。

この前の記事が4000本目である。
三日残して、やっと千本書けた。
五年目にして、である。

来年の12月6日に書く分が5000本目になるのかどうかは、いまのところなんともいえない。
でも、一年千本書くつもりである。

Date: 12月 7th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(JBL 2397+2441・その3)

私にとってのJBLといえば、1970年代までのJBLが、まず第一にくる。
パラゴンやハークネス、ハーツフィールドといったコンシューマー用のスピーカーシステム、
4300シリーズのスタジオモニター、
そして数々のユニット群、その中でも四桁ナンバーであらわされるプロフェッショナル用ユニット、
とにかく、JBLといえばこれらのことが、なんといってもJBLである。

このときまでが、JBLのピークのひとつだったように感じている。
だから、この時代のJBLと縁がなく人生をおくってきた私は、
少なくとも、現代のJBLとは縁があるかもしれないけれど、
私にとってのJBL、といえる時代のJBLとは縁がないものだ、と思うようになっていた。

それでもD130への想いは、
40をすぎたころから芽生えはじめ、「異相の木」として意識しはじめたことで、
D130だけは、いつかは自分のモノとしたい、そう思うようになっていた。

とはいえD130もとっくに製造中止になっているユニット。
未使用品が手に入る可能性はないわけでもないだろうが、
そういうものはいまどきではかなりの値がつく。

想いはつのっていっても、手にすることはたぶんないだろう、ともなかば諦めの気持もつのっていた。

そんなときに「Harkness」が私のところに来た。
D130が入っている、岩崎先生が鳴らされていたハークネスである。

今日、私のところに2397と2441が来たのは、
「Harkness」が呼んできたようにも感じている。
私のところに、JBLのモノが何ひとつなかったら、
今日、ここに2397と2441はやって来なかった気がする。

JBLがJBLを呼んだ。
こういう縁は、ほんとうに趣味の醍醐味のひとつであるはずだ。