オーディオ・システムのデザインの中心(その15)
テクニックだけを堂々とひけらかす、
そんな演奏は、音楽として美しいといえるだろうか。
そういう演奏は、凄いと思わせるところがないわけでもない。
だが、凄いは、美しいとはほとんど関係のないことである。
レコード演奏家として求めていくものは、精進していくものは、
そういったテクニックではなく、美であるはずだ。
その美がなかったからこそ、フランケンシュタインがつくり出した「理想の人間」は、
理想の人間ではなく怪物と呼ばれるようになったのと、同じことではないのか。
そんなことはない、いい音で鳴れば、そこには美がある。
どんなオーディオ機器の配置をしようと、ぶざまなケーブルの這わせ方をしようとも、
その結果得られる音が良ければいいわけだ──、
という考えは、もう捨て去るべきであるし、いつまでもそんなことをいっていては幼稚なだけである。
それでも個人で満足してやっているのであればまだいい。
ひどいのになると、誰かのところへ出かけていって、そんな機器の配置やケーブルの這わせ方をして、
音が良くなっただろう、というのがいることだ。
そんな人がいう、音が良くなった、というのは、音が変った、ぐらいに思っておけばいい。
そこには、美はないのだから。