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Date: 6月 28th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その17)

けれどカートリッジスタビライザー、および同様のアクセサリーの存在を否定するつもりはまったくない。
使うことはなかったけれど、試してみたい、とは思っていた。
使用ではなく試用という意味で使いたいのはあった。

見た目は確実に悪くなる。
けれどカートリッジスタビライザーとして確かなものであれば、
それを装着することで改善されるところがあるわけで、
改善されるということはそのところが、いままではあまり良くなかった、ということを確認できる。

そこに気づけば、なぜそうなのか、と原因を追及することになる。
そのためには原理を理解することになる。

常用するものばかりが優れたアクセサリーとは思っていない。
何かを気づかさせてくれるアクセサリーもまた、常用しなくとも優れたアクセサリーである。

アクセサリーはいくつかに分けられる。

ひとつは必要なアクセサリーである。
ケーブルは、これにあたる。ケーブルがなければ音は出せない。

それからクリーナーという、オーディオ機器、ディスクの調子を整えるためのものがある。
接点クリーナーもそうだし、ヘッドイレーサーもここにはいる。
これらがなくても音は出る。けれど接点が汚れてきたら、
レコードの盤面にほこりがたまり、油汚れがついていたら、カートリッジの針先が……、
こういったことを取り除いて、オーディオ機器の調子を維持する。

そして必要としないけれど、音に働きかけるアクセサリーがある。
カートリッジスタビライザーもそうだし、ディスクスタビライザーもそうだ。
グラフィックイコライザーも、ここにいれられる。

Date: 6月 27th, 2014
Cate: よもやま

「古人の求めたる所」(かもめのジョナサン)

「かもめのジョナサン」の最終章が加えられた完成版が6月30日に発売になる。
日本語訳が出たのは、1974年6月、とある。

小学六年だった。
背伸びしたかったのか、「かもめのジョナサン」は、このころ買って読んでいる。
どこまで理解できていたのかはあやしいところだが、
この時期、新刊が出るのを楽しみにしていたのが手塚治虫の「ブッダ」だった。

「かもめのジョナサン」と「ブッダ」同じ時期に読んでいる。
「ブッダ」は長かった。
これも当時どこまで理解していたのはあやしい。

それでも同時期にこの二冊を読んでいたことは、
いま思うと知らず知らずのうちに影響を受けていたのかも、とおもう。

「かもめのジョナサン」の完成版は、ジョナサンが亡くなったあと、
弟子のかもめたちがジョナサンの神格化を始める、とある。

ブッダが亡くなったあとは……。

Date: 6月 27th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その16)

カートリッジスタビライザーは後付けタイプとはいえ、まったく制約がないわけではない。
ディスクウォッシャーのDiscTrakerは、
写真をみればわかるようにカートリッジの取りつけビスが貫通するつくりのヘッドシェルでなければならない。

スタックスはそうでないヘッドシェルにも取りつけ可能だが、

それでもフィデリティ・リサーチのFR-S、オルトフォンのG型ヘッドシェルなどには取りつけられない。
それにどちらもヘッドシェル一体型のカートリッジには無理。

ヘッドシェルを取りつけ可能にモノに変更すればいいわけだが、
それでもこの手のカートリッジスタビライザーに興味はあったものの、
どうしても見た目が美しくなくなる。

SMEの、それもロングタイプの3012にオルトフォンのSPU-Gを取りつける。
個人的には3012-R Specialがいい。

この組合せがレコードのという黒盤の上をゆっくりと中心に向い流れていく姿は、それだけで惚れ惚れとする。
これほと様になるカートリッジとトーンアームの組合せは他にない。

これで悪い音が出てくるはずがない、と私は信じ込める。
少なくともクラシックを聴くかぎりにおいては、そう言い切れる。

この組合せの姿の美しさに惚れ込める人なら、
どれだけ効果的であってもカートリッジスタビライザーを装着したいとは思わない。

Date: 6月 26th, 2014
Cate: audio wednesday

第42回audio sharing例会のお知らせ(マーラーとオーディオ)

7月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

一ヵ月前はJBLの4350について書いていた。
いまは他のテーマを書いているためすこし中断しているが、まだ書きたいことは残っている。
4350の項でマーラーの録音についてふれた。
そのこともあってか、4350について書きながら思っていたのは、
4350でマーラーを鳴らす、ということだった。

数はすくないけれど、マーラーの録音はSPの時代からある。
録音された時代によってマーラーの、いわゆる音も変ってきている。

4350の項ではショルティとカラヤンのマーラーを例に挙げた。
このふたりの、レコーディングに積極的だった指揮者のマーラーを聴くのに、
もっともぴったりとくるのは、やはりJBLのスタジオモニターであり、
その中でも4350に、個人的にとどめを刺す。

いつの日か、4350Aをどこからか調達してきて、時代時代を代表するマーラーを鳴らすということをやりたいが、
いつになることやら。

今回はマーラーとオーディオ(録音と再生)をテーマにしたい。
マーラーは1860年7月7日生れ、蟹座だ。ちょうどいまは蟹座になっている。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 6月 26th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その15)

いまではこの手のアクセサリーはなくなってしまったようだが、
1970年代後半から80年代にかけて、カートリッジスタビライザーと呼ばれるアクセサリーがいくつかあった。

アメリカ製ではディスクウォッシャーのDiscTrakerがあった。
ヘッドシェルに取りつけ、トーンアーム、カートリッジの低域共振を低減するものである。

スタックスからはCS2という製品が出ていた。
これもヘッドシェルにとりつけるタイプで、ブラシがついていてエアーダンプ機構で低域共振を低減する。
ブラシは導電性で静電気の除去も兼ねている。

エアーダンプは写真をみるとDiscTrakerも同じと思われる。
スタックスはCS1という同社のコンデンサー型カートリッジCP-Y専用モデルも用意していた。

針交換が可能なMC型カートリッジで知られていたサテンからはIC16が出ていた。
これもヘッドシェルに取りつけるタイプで、トーンアームのイナーシャをコントロールする、とある。

ファイナルからはKKC48という、これはヘッドシェルではなくトーンアームの先端部に取りつけるモデルが出ていた。
カートリッジのカンチレバーの不要な横方向の振動を低減するもの。

メーカー名も型番も忘れてしまったが、オイルダンプ型のヘッドシェルもあった。

どれも使ってみたことはないのでどの程度の効果が得られるのかは不明だが、
効果が得られないということはなかったのではないか。

Date: 6月 26th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その14)

トーンアームにオイルダンプを採用したモノが昔からある。
SMEの3009、3012もフルイドダンパーFD200を後から取りつけることでオイルダンプ機構を搭載できる。
日本のトーンアームではオーディオクラフトの一連のモデルがワンポイント支持のオイルダンプである。

他にもグレイの206といった重量級のトーンアームもあるし、
常にどの時代にもオイルダンプのトーンアームはあった。

これらのトーンアームは軸受け、もしくは軸受け周辺でのオイルダンプである。
だが制動ということで考えればトーンアームの軸受けもしくは周辺でよりも、
カートリッジの針先に近いところで制動をかけたほうが、より効果的であるし、
その両方で制動をかけるという手もある。

ステレオサウンド 68号に、ロックというイギリスのアナログプレーヤーが紹介されている。
特集記事でも新製品紹介のページでもなく、
巻末にあるBestBetsというイベントや新開発の技術などを紹介するページに載っている。

ロックに搭載されているトーンアームはオイルダンプ。
軸受けでのオイルダンプの他に、ヘッドシェルの先端部もオイルダンプしている。

SMEのFD200をもっと長くしたオイルバスがキャビネット前面にあり、
ディスクをターンテーブルプラッターの上にのせてから、このオイルバスを動かし、
ヘッドシェルの先端をこのオイルバスにつけるというものだ。

オイルも軸受けとフッドシェル先端では粘性の違うものを採用している、とある。

このプレーヤーは、イギリスのベドフォードシャーにあるクランフィールド工科大学が開発し、
エリートタウンズヘッド社が製品化。

このプレーヤーの情報は輸入商社からではなく、別のところから届いたものだった。
イギリスの最新アナログプレーヤー事情ということで誌面に載せたけれど、
掲載時には輸入元は決っていなかった。
その後、このロックについての情報を聞くことはなかった。

Date: 6月 26th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その15)

なぜ、こだわるのか、──このことも考えている。

私にラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのことで電話してきた知人は、
そこでの演奏に感動していたからこそ、わざわざ電話をくれたのだった。

あえて確認もしなかったけれど、彼はラインスドルフのモーツァルトのレクィエムが、
ケネディの葬儀の実況録音であるから感動している節があった。

彼は何に感動していたのか、とおもう。
聴いていない演奏に対してあれこれいうのは控えるべきなのは承知しているが、
それでもラインスドルフの演奏が素晴らしかった、とは私には思えない。

もちろん人には一生に一度しか演奏できないレベルの音楽を奏でられるときがあるのはわかっている。
ラインスドルフにとって、それがこの時だったかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。
聴いていないのだから、これ以上はいえない。

それでも……と思いながら、知人の話を電話越しに聞いていた。
彼は、演奏会場での感動を、リスニングルームでも得たいのか、
演奏会場での感動の共有というものをしたいのだろうか、
──私はこういったことをオーディオを介して聴く音楽に求めていないことを、
知人の話をききながら自覚していた。

Date: 6月 25th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その13)

シュアーのV15 TypeIVの広告の図をみていると、
カートリッジが上下動することでカートリッジの移動距離という間隔も、
ダイナミック・スタビライザー有無によって変化する、とある。

この図をみているとレコードの反りの影響で、正確なトレーシングが阻害されている、となる。
この図をみなくともレコードの反りが悪影響を与えているのはあきらかである。

シュアーの広告によると、レコードの反りは、0.5〜8Hzとなっている。
この周波数はカートリッジとトーンアームの共振周波数と重なる。

シュアーが以前出していたテストレコードには、この共振をテストするために、
4、5、6、8、12Hzという低い信号を音楽信号に重ねてカッティングしてあるトラックがあった。

シュアーの広告には、共振周波数は5〜15Hzとなっている。
つまり反りの周波数とカートリッジとトーンアームの共振周波数が一致すれば、どうなるか。
一致しないまでも近い周波数であればどうなるか。

レコードに反りがあれば、なんらかの対策は必要といえる。
シュアーの解決策がダイナミック・スタビライザーである。

シュアーの広告だけをみていると、いいことだけを書いてある。
広告だからそういうものといえるわけだが、ダイナミック・スタビライザーといえど完璧な対策とはいえない。

おそらくシュアーのことだから、当時発売されていたトーンアームを研究して、
できるだけ広範囲なトーンアームとの組合せを考慮しての、
ダイナミック・スタビライザーの制動を決定しているはずである。

とはいえトーンアームが変り、ヘッドシェルも変れば実効質量もかわり、
ピックアップ全体の慣性質量も変化するわけで、おそらく極端に重いトーンアームとヘッドシェルでは、
V15 TypeIVのダイナミック・スタビライザーの制動範囲をこえてしまう可能性がある。

そうなるとダイナミック・スタビライザーの効果は薄れ、場合によっては役に立たなくなる。

Date: 6月 25th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その14)

指揮者のリハーサル風景をおさめたディスクがある。
これはドキュメンタリーLP、ドキュメンタリーCDと呼べよう。

その感覚からすると、ヨッフムの、鐘の音から司祭の朗読までおさめたCDを、
ドキュメンタリーCDと呼ぶことにはためらいがある。
このディスクで聴けるのは、他では聴くことのできない、いわばかけがえのない音楽だからである。

今回例としてあげた録音の中で、私がドキュメンタリーだと思っているのは、
ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムである。
聴いてもいないディスクのことを、そう言い切ってしまうのもひどく無責任なことではあるが、
このディスクを聴いてこなかった理由は、ここにもある。

音楽のドキュメンタリーを、さして聴きたいとは思わない。
リハーサル風景をおさめたものは、好奇心から聴くけれど、
ラインスドルフの、1964年のモーツァルトのレクィエムに、そういった好奇心は私はもてない。

ケネディの葬儀でのモーツァルトのレクィエムだから、といって、
そこでの演奏が素晴らしく聴こえてくるような、そういった音楽の聴き方はしてこなかったつもりでいる。

にも関わらずヨッフムのモーツァルトのレクィエムに関しては、
鐘の音、司祭の朗読がふくれまている方を選択するのはなぜなのか、と考えるわけだ。

こんなことを考えなくとも音楽は支障なく聴ける。
それがわかっていてもなお、考えている。

Date: 6月 25th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その13)

ヨッフムのモーツァルトのレクィエムのふたつのCDを聴いておもうのは、
音楽におけるドキュメンタリーはどういうことなのか、である。

ドキュメンタリー(documentary)とは、
辞書には虚構によらず事実の記録に基づく作品。記録映画・記録文学など、とある。

となればライヴ録音はドキュメンタリーといえる。
ヨッフムの例でいえば、冒頭の鐘の音から、司祭の典礼の朗読まで省略せず録音し、
それをLP、CDにしたものは、ドキュメンタリーLP、ドキュメンタリーCDといえるのか。

鐘の音、司祭の朗読など、音楽以外の要素をすべて省いた(ようするに編集した)CDにした場合、
それはドキュメンタリーCDとは呼べなくなるのか。

どちらも同じ日の同じ演奏のライヴ録音である。

事実を記録したもの、それが映画であればドキュメンタリー映画といわれる。
テレビであればドキュメンタリー番組がある。

ドキュメンタリー映画にしてもドキュメンタリー番組にしても、編集をしないまま上映、放送することはない。
なんらかの手が制作者側の手によって加えられている。
それでもドキュメンタリー映画といい、ドキュメンタリー番組という。

もちろんそこには優れたドキュメンタリーか、そうでないドキュメンタリーなのか、という違いはある。
それでも編集してあるからドキュメンタリーとはいえない、とは誰もいわない。

ならばヨッフムの編集されたほうのCDもドキュメンタリーCDと呼べるのか、となる。

Date: 6月 25th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その12)

シュアーのV15 TypeIV以前にもカートリッジの先端にブラシを装備したモデルはいくつかあった。
シュアーと同じアメリカのメーカーで、ピカリング、スタントンのカートリッジにはブラシがついていた。

これらのブラシは非常に簡単なつくりで、指で触るとフラフラしている。
これらのブラシは静電気とレコード盤上のホコリの除去のためであり、
これらのブラシといっしょにされたくないというシュアーの広告は理解できる。

V15 TypeIVのブラシ(ダイナミック・スタビライザー)には粘弾性ダンピング剤が使われていて、
実際に指で触ってみれば、制動がかかっていることがすぐにわかる。

V15 TypeIVの広告をみた人ならは記憶されているだろうが、
反ったレコードをトレースするカートリッジの図が載っていた。
ひとつはシュアーのV15 TypeIV、もうひとつはダイナミック・スタビライザーをもたないカートリッジである。

図には点線でカートリッジの上下動の軌跡を示してある。
通常のカートリッジでは反りにさしかかったところでカートリッジ盤面との間隔が縮まり、そして広がり、
この広がりは反りの反対側の傾斜の途中で最大になる。
そして反りを通りすぎて平らなところにカートリッジがあっても、
反りによって生じた上下動はすぐには収束せずに、ここでも上下動により間隔の変動が生じている。

V15 TypeIVはというと、反りのところでも間隔は常に一定である。
反りのところでは反りに追従しているし、不要な上下動をダイナミック・スタビライザーで制動しているためか、
平らなところにうつってもそのまま間隔は一定である。

この間隔とは、レコード盤面とカートリッジとの距離であるわけだが、
図をみれば、この間隔の変動にともない、別の間隔も変動していることがわかる。

Date: 6月 24th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その11)

各メーカーのレコードの反り対策で、
多くの人が知るのといえば、シュアーのV15 TypeIVから搭載されたブラシがある。

1978年ごろのシュアーの広告には、ヤマハのレシーバーCR1000の写真が使われていた。
キャッチコピーはこうだった。
《これをブラシと呼ぶのは、これをラジオと呼ぶようなものだ。》

最初の「これ」とはV15 TypeIVの先端についているブラシのことであり、
二番目の「これ」はCR1000のことを指す。

CR1000は当時180000円していた。
プリメインアンプのCA1000をベースに、CT800を上回る性能のチューナーとを組み合わせたもの。
たしかに、CR1000をラジオと呼ぶ人はいない、と思う。

V15 TypeIVの先端についているブラシは、
何も知らない人は、レコード盤上のホコリ除去、もしくは静電気除去のためのものと思うだろう。
シュアーは、このブラシのことをダイナミック・スタビライザーと呼んでいた。

このブラシは導電性のある素材が使われているから、静電気の除去もできるが、
シュアーが広告で大きく謳っていたのは、レコードに反りに対してのことであり、
広告には《カートリッジの上下運動の安定化を計り、レコードの反りに起因する難問題を克服》とあった。

Date: 6月 24th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その10)

ビクターの吸着力が、ラックス、マイクロよりも低く設定されているのは、
ビクターの考え方として、あくまでもレコード盤の制動のためであり、
これ以上吸着力を高めても制動という点ではあまり変りがないため、らしい。

つまりはビクターは吸着によってレコードの反りを矯正しようという考えはなかった、とみるべきかもしれない。
その点、ラックス、マイクロ、それからオーディオテクニカは反りの矯正ということも考えている、とみえる。

ステレオサウンドの試聴室でマイクロのSX8000IIを数年間使ってきて、
吸着機構に不満を感じたことはなかった。
ボタン操作ひとつで吸着とその解除が確実に行える。

ステレオサウンドの試聴で、特に指定がないかぎり、つねに吸着しての使用だった。

SX8000IIがあれば、レコードの反りに神経質になることはない。
だがSX8000IIはそうそう誰にでも買える価格ではなかった。

SX8000IIはターンテーブルユニットの型番で、モーターユニットはRX5500II。
このふたつにアームベースAX10Gと空気バネ式のベースBA600を組み合わせると1518000円、
2000年には1970000円になっていた。

これだけのシステムが買える人でも、吸着に抵抗感をもっている人もいたはず。

吸着に頼らずにレコードの反りに対応するための工夫は、1970年の終りからいくつか登場しはじめていた。

Date: 6月 24th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その12)

ヨッフムによる「レクィエム」は、ドイツ・グラモフォンから廉価CDとして出た。
ジャケットもそっけない、いかにも廉価盤と思わせるものだった。

モーツァルト生誕250年の年、ドイツ・グラモフォンからヨッフムの「レクィエム」が出た。
今回のCDは廉価盤ではなくなっていた。
冒頭の鐘の音から始まる。
オルガンによる前奏、人びとのざわめきが聴こえる。

そしてヨッフムの演奏が聴こえてくる。
この日の演奏が、通常のコンサートホールでの演奏と大きく異るのは、
途中途中に司祭による典礼の朗読がはさまっていることだ。

廉価CDでは、この典礼の朗読もすべてカットされ、
いわゆる通常のライヴ録音としてのモーツァルトのレクィエムとして編集されている。

同じ日の同じ演奏なのに、この二枚のCDを聴くと、印象の違いだけでなく、
こちら側の聴き手としての態度も同じではなくなっている。

マスタリングの違いもあるようで、二枚のCDの音はまったく同じというわけではない。
それでもおさめられているのはヨッフムの演奏であることには変わりない。

それでも「冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのする」のは、
モーツァルト生誕250年に出たCDである。

鐘の音、オルガンの前奏、人びとのざわめき──、
これらが静まった後にはじまるヨッフムの第一音は、決して同じには聴こえない。

Date: 6月 24th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その11)

モーツァルトのレクィエムで、もうひとつ例をあげればヨッフムの演奏がある。
モーツァルト生誕200年記念ミサでの演奏をおさめたものである。

このヨッフムの演奏は、瀬川先生の「夢の中のレクイエム」で知った。
     *
もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
     *
「虚構世界の狩人」におさめられているので読まれた方も多い、と思う。

この「レクィエム」を聴きたい、と読んでいて思っていた。
にもかかわらずアナログディスクで買わなかったのは、
私が上京したときにはすでに廃盤になっていたのか──、
私がヨッフムのこの「レクィエム」のディスクを買ったのはCDになってからだった。

そのときのCDはヨッフムによる演奏だけをおさめたもので、冒頭の鐘の音はカットされていた。
瀬川先生が聴かれたヨッフムの演奏をそのまま収録したCDの発売は、またなければならなかった。