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Date: 7月 27th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(ステレオサウンド 208号でできること・その1)

ステレオサウンド 207号の柳沢功力氏の試聴記に端を発する今回の、
ステレオサウンド編集長の染谷一氏の読者であるavcat氏への、不要で不用意な謝罪。

このことにどう対処するのか。
沈黙を貫くようにも思えるが、
ひとつの手として、9月発売の208号で、
「オーディオ評論、編集のあり方を問う」といった記事をつくるという手もある。

柳沢功力氏、avcat氏、染谷一氏で鼎談をやる。
本音での鼎談をやってもらいたい。

それぞれの立場があっての鼎談には、司会が必要となるかもしれない。
司会がいたほうが、より面白くなる可能性はある。
でも、誰が、この鼎談の司会をやるだろうか。

染谷一氏以外の編集部の誰かなのか、
やはり、ここは原田勲氏に登場願うのか。

ステレオサウンドの書き手のなかからの誰かなのか。
となるとオーディオ評論家のなかからよりも、高橋健太郎氏の司会がいいように思ったりする。

おそらく、こんな鼎談は208号には載らないだろう。
ならば柳沢功力氏とavcat氏の往復書簡というかたちでやってほしい。
それを読んでの染谷一氏のおもいも、ぜひ載せてほしい。

起きてしまった(起してしまった)ことに沈黙だけが対処の仕方ではない。
ためらわず積極的に利用することで、
誌面がおもしろくなり、今後に結びついてくることを選択した方がいいのではないか。

Date: 7月 26th, 2018
Cate: オーディオマニア

All Day I Dream About Sound

昨晩、近所を歩いていてすれ違った人のTシャツに、
All
Day
I
Dream
About
Sport
とあった。

adidasのTシャツだった。
adidasの社名の由来は違うのだから、
後付けで、別の意味をもたせたのだろうが、
オーディオマニアも、adidasだな、と思っていた。

All Day I Dream About Soundだから。

Date: 7月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その5)

1966年に創刊されたステレオサウンドが、他とは違っていた点はいくつもあるが、
そのうちで見落されがちな点がひとつある。

それは筆者名を、他の雑誌よりも大きくし、
顔写真も大きく載せるようにしたことである。

それぞれの書き手を読み手に強くアピールすることで認知度を高めるだけではない。
もうひとつ、別の意図の方が大きかった。

それは書き手の責任をはっきりとさせるためである。
このことを私は原田勲氏の口から直接聞いているだけでなく、
その十年後くらいに、間接的にも聞いている。

私が聞いたことと同じことを、あるオーディオ関係者にも話されていて、
その人から聞いているので、そういう意図があったのは確実だろう。

とはいえ、私が聞いたことをそのままここで書くのは控えておこう。
ビジネスとして割り切っている面があったのだ、とだけ書いておく。

オーディオマニア、編集長という面だけでは、
ステレオサウンドは成功しなかったのかもしれない。
原田勲氏の、そういう面があったからこそ、ここまで続いているのだと思う。

そう思って207号を見ると、特集の書き手である
柳沢功力、小野寺弘滋、傅信幸、三浦孝仁、和田博巳、山本浩司の六氏の写真は、
みな斜め後からだけで、はっきりと顔が見えているわけではないことに気づく。

これが意図的なのか、たまたまそうなっただけなのか。
旧来のオーディオ評論(私が読んできたオーディオ評論でもあるし、読みたいオーディオ評論でもある)、
もうそこから試聴記の書き方を含めて、変化している。

それを望ましいと思う人とそう思わない人、
いつの時代でもそうであるように、両者がいる。

Date: 7月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その4)

特定のディスクの、この部分がこんなふうに鳴った──、
それが主体の試聴記は、その試聴室で鳴っていた音のリポートである。

特にスピーカーは鳴らし手(鳴らし方を含めての鳴らし手)によって、
音は大きく変ることは珍しくない。

そこにスピーカーシステムの総テストの難しさと面白さがあるわけだ。
ステレオサウンド 207号の特集のテスト方法が完全なわけではない。
ただ、207号のやり方もテスト方法のひとつである。

そういうテスト方法だから、ああいう試聴記の書き方になる、ともいえる。
それは、あるレベルではわかりやすい。
けれど、207号の試聴記を、オーディオ評論と考えている書き手(テスター)は、
どれだけいるのか。

試聴室で鳴っていた音を、限られた文字数でできるだけ伝えたい、というところでの、
207号の試聴記は、情報の提供であって、
別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その28)』で書いている意味での音の解釈とは、
少なくとも私は捉えることができない。

でも、それは私が、オーディオ雑誌(特にステレオサウンドに)、
オーディオ評論を求めているからであって、
いまのステレオサウンド編集部は、
実のところ、旧来の意味でのオーディオ評論から離れようとしている気もする。

このことについて書こうとしていたときに、
今日facebookで、近いことを若い人が書かれていた。
二度ほど会って話したことのあるMさんが書かれていた。

Mさんは、
《旧来の物事の責任から解放されたオーディオ評価があっていいと思う》
と書かれていた。

Date: 7月 26th, 2018
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その5)

付加価値という単語を頻繁に使うオーディオマニアを知っている。
彼がSNSに書くものにもよく付加価値が登場するし、
オーディオの話をしていても、付加価値、付加価値といっていた。

ここ数年つきあいはなくなったけれど、いまでも彼は付加価値といっているのだろうか。

それにしても、彼はなぜそこまで付加価値というのだろうか。
彼が一度メモをとっているところを見たことがある。
なかなかのスピードだったし、かなり集中しての行為のように見えた。

さすがは有名私大卒業だな、と妙な感心をしたくなるくらい、
彼の知識欲は強い。そうとうに強いと感じている。

彼を知る人も同じように感じていたから、私の独りよがりの感じ方ではないようだ。
そんな彼が、付加価値をよく口にするのは、興味深いことのように感じている。

彼にとっては、そうやって得ている知識もまた付加価値なのだろうか。
オーディオの知識だけでなく音楽の知識も相当な量、溜め込んでいる。

優秀といえば優秀なのだろうが、どうもそんなふうには感じない。
彼の態度をみていると、誰かに尻尾を振っているかのように映る。
その尻尾を振るための知識欲のように感じたからだ。

ほんとうのところはわからない。
そんなこと本人に訊くことはしないし、本音が返ってくるとは思っていない。

彼がそうやって得た多くの人とのつきあいも、
彼にとっては付加価値なのだろうか。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その9)

CR方法は、7月のaudio wednesdayでも、
グッドマンのAXIOM 402に試している。
効果はあった。

その後、Beymaの30cm口径のダブルコーンフルレンジユニットでも試している。
この時の音を聴いていたのは私を含めて三人。
その効果は、誰の耳にも明らかだった。

Beymaのユニットのボイスコイルの直流抵抗は、
カタログには6.2Ωとなっていて、実測では6.3Ωだった。

6.3、6.2という値のディップマイカがないので、
6.8Ωと6.8pFの組合せで試している。

6.8pFという容量は小さい。かなり小さい。
今回の6.8Ωと6.8pFの場合、
6.8pFのコンデンサーのインピーダンスが6.8Ωになる周波数はどのくらいかといえば、
それは非常に高い周波数で、可聴帯域は超えているし、100kHzどころか、MHzの領域でもない。

6.8+6.8=13.6Ωだから、
2GHzにおいて、6.8Ωと6.8pFの直列回路のインピーダンスは13.534Ωとなる。

実際のところ、このCR直列回路がどのくらいの周波数から作用してくるのか、
なんともいえない。

Beymaのダブルコーンで試したのは、Oさんのお宅である。
われわれが帰ったあと、Oさんはシミュレーション回路で確認してみたそうだ。

スピーカーの等化回路に並列に、6.8Ωと6.8pFの直列回路が加わったとき、
差はまったく出なかった、そうだ。

そうだろう、と思っていた。
コンデンサーの容量がpFではなくμFならば、シミュレーション上でも違いは出るはず。
けれどpFである。

それでも音の違いとしてはっきりと出るのだ。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その13)

私は基本的にインターネットにあふれている試聴記は、まったく信じていない。
というよりも、ほとんど読まない。

それは匿名で書かれたものはもちろんのこと、本名で書かれたものに関してもだ。
インターネットだから本名とこちらが思っているだけで、偽名の可能性だってある。

だからといって、オーディオ雑誌に掲載されている試聴記を信じているわけでもない。
こちらも、もうまったく読まなくなった。

それは私がそうであるだけで、他の人がそうであるわけではない。
だからこそメーカーはモニター機をオーディオマニアに貸し出して、
その試聴記を書いてもらおうとするのではないのか。

ようするにインターネット、SNSによる口コミを販売促進に役立てたいからなのだと思う。
その9)で紹介している個人ブロガーとアクセサリーメーカーとの、いわゆるトラブル(ゴタゴタ)は、
そういうところから起ったことのようにも思える。

個人ブロガー、アクセサリーメーカー、どちらの側につくことはしないが、
私がメーカー側の人間だったら、少なくともtwitter、ブログを匿名でやっている人には、
モニター機を貸し出さない。

モニター機を貸し出す際には、相手の名前、住所、電話番号は聞いている。
匿名でなくとも、偽名でブログやSNSをやっているのかどうかも、そこでチェックできる。

他社製品との比較は困る、とか、株価が下がったら……、そんなことをいうのであれば、
最初から匿名でやっている人には貸し出さないのがいいように思う。

匿名でやっている人すべてが信用できない人とはいわないが、
モニター機に関しては、本名で試聴記を書くのが最低限のルールというかマナーだと思う。
そう思うのは、もう古い考えなのか。

モニター機を借りて、気になる点を感じたり見つけたりしたら、
それは直接メーカー側に伝えればいいことだ。
それが致命的な欠点だとしたら、試聴記を書かない、という選択肢もある。
そして、なぜ書かなかったか、という理由も含めてメーカー側に伝えればいい。

それではブログやSNSを読んでくれている人に、
正確なことを伝えられない、と、そんな人はいうかもしれない。

でも、それはその人が感じた欠点でしかなく、
実際のところ、ほんとうに欠点といえるのか甚だアヤシイ。

使い方、使っているシステムとの相性、
それにその人の聴き方など、そんなことが綯交ぜになっての結果としての音。
それを聴いての欠点と感じただけであって、
別の人が聴いたら、そうでないことがあるのは、オーディオマニアなら経験しているはず。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その12)

いくつかのオーディオ雑誌で、本業を他にもっている人がオーディオ機器の試聴をやっている。
この人たちは、自身のことをオーディオ評論家と思っているのか、そうでないのか。
オーディオライターという認識なのか、そのへんはどうなのだろうか。

耳がいい人、ある程度の文章が書ける人ならば、
そういう仕事をやれる。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害)』で、
書き始めたこと、書こうとしていることと関係してくるのだが、
耳がよくて、そのディスクのある部分がどういうふうに鳴ったのかを文章にできても、
それが優れた試聴記なわけではないし、オーディオ評論ともいえない。

けれど、実際にはそういう試聴記が増えている、というか、主流になっているように、
昔からのオーディオ評論、試聴記を読んできた私は、そう感じている。

そんなふうに感じると同時に、インターネットの普及で、
それならば、オレにだってできる、と思う人が、
自ら発信するようになってきたことと連動しているようにも感じている。

以前はウェブサイトを作るのも、多少面倒だった。
サイトを作っても日々更新していくのも、面倒といえば面倒なところがあった。
それをブログはほとんど解消してくれる。

私がこうやって毎日更新していけるのも、ブログだから、というところは大きい。
基本、文章を書くだけでいいのだから、楽である。

だからこそ多くの人が発信するようになってきたのだろう。
そこに、オレにだってできる、が加わっているのが、現状のような気もする。

聴いて書く。
そこに、聴くことの難しさ、書くことの難しさがあるのだろうか。
さらには聴くための難しさ、書くための難しさはあるのだろうか。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その11)

それまでの専業オーディオ評論家から兼業オーディオ評論家への移行。
当時、早瀬文雄氏と何度か話している。

早瀬文雄氏は、兼業オーディオ評論家を増やしていくべきだ、と強く主張していた。
それがオーディオ界を健全にする、というのは同意するけれど、
実際にすべてのオーディオ評論家が兼業評論家となったらどうなるか。

1980年代後半は、CDプレーヤーが登場して数年、DATも登場していた。
デジタル技術はオーディオの世界に、それまで以上に入ってくることは誰の目にも明らかだった。

オーディオに関する技術は、デジタルの信号処理だけでなく、
他の技術においても、ますます高度に、複雑になっていくであろう。

それにオーディオ評論家が対応しているには、兼業では難しい──、
というのが私の意見だった。

兼業オーディオ評論家が増えていくのはいい。
けれど専業オーディオ評論家がいなくなったら、
専業オーディオ評論家が担当していたところまで兼業オーディオ評論家がやることになる。
そうなってしまうと本業がおろそかになってしまう。

兼業だったつもりが、いつのまにかオーディオ評論が本業になってしまうことだって考えられる。

兼業オーディオ評論家は、専業オーディオ評論家がきちんと役割を果してくれることで成り立つ。
なのに専業オーディオ評論家のレベルは、一部で低下しつつあった。

そこまでひどいレベルの低下ではなくとも、ステレオサウンドに書いている人でも、
次の世代と呼ばれていた人たちは、その上の世代と比較すれば……、
という点は否定できなかった。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」
1 msg

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その10)

ずっと以前のオーディオブームのころは、
なりたい職業のひとつにオーディオ評論家も入っていた、らしい。

オーディオ機器の音を聴いて、試聴記を書いたり話したりすることで収入を得ることができる。
おもしろそうな仕事だと思った人も、
楽そうな仕事、自分にも出来そうな仕事と思った人もいるんだろう。

いまはどうなんだろうか。
何かの仕事についている人が、
副業のようなかたちでオーディオ雑誌に試聴記を書いてたりする。
これも、一般的にはオーディオ評論家となろう。

私がステレオサウンドにいた1980年代も、
専業オーディオ評論家よりも、
兼業オーディオ評論家を積極的に育てるべきではないか、という意見があったし、
編集部内で話題になったこともある。

すでにオーディオは斜陽産業といわれていたことも関係している。
1986年ごろからステレオサウンドに登場した早瀬文雄氏は、このケースにあたる。
眼科医という仕事をもった上でのオーディオ評論という仕事をする。

うまくいくかのように思えた。
結果がどうなったのか、このころのステレオサウンド、
それからCDジャーナルの音楽出版が出したリッスン・ヴュー(のちのサウンドステージ)、
それから2000年代のステレオサウンドを読んできた人ならば知っていよう。

そうなってしまった理由はひとつではない。
こまかな理由までひとつひとつ取り上げることはしない。

ただいえるのは、専業オーディオ評論家がいるから、
兼業オーディオ評論家が成り立つことである。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その9)

一ヵ月ほど前の別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その20)』で、
あるブログを紹介している。

「フリーライター、書く人」というブログで、
5月23日の記事が、オーディオとインターネットに関係する内容である。
タイトルには、
「他社製品と性能比較してSNSに結果を流すのは営業妨害です。株価が下がったら責任取れますか?」と公開やり取りで炎上事件
とある。

リンク先を読んでもらればいいのだが、
実際のところ、リンクにアクセスする人は一割に満たない。
なので、もう一度くり返すことになる。

そのブログの冒頭には、こう書いてある。
     *
 個人ブロガーがオーディオ用インシュレーター製品Aと製品Bの性能を比較するとツイートしたところ、製品Aをブロガーに貸し出した株式会社金井製作所が「他社製品と性能比較してSNSに結果を流すのは営業妨害です」とツイート。「個人のレビューに対して営業妨害呼ばわりはどうなんだ?」と炎上しました。
     *
インターネットがこれほど普及して、ブログ、SNSがスマートフォン一台あれば、
どこからでもアクセスできて更新できてしまう時代ならではの事例だな、と思う。

しかも、この個人ブロガーは匿名である。
個人ブロガーのtwitterを見ても、ブログを見ても名前はわからなかった。

そのかわりなのか、使用オーディオ機器については細かく書いてある。
もうこのあたりは、私とは感覚がまるで正反対だな、と思うしかない。

自分で購入したオーディオ機器について、匿名であれこれ書くのはまだ許容範囲ではあるが、
モニター機について、批判的なことを含めて書くのに、匿名というのは、
どこかに大切なことを忘れてきてしまっている、とかしかいいようがない。

匿名でいいたいことを書く。
しかもメーカーから借りたモニター機について、である。
そんな試聴記を、誰が参考にするのだろうか、と私はまず思う。

Date: 7月 24th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その8)

オーディオ業界で仕事をしている人がハンドルネームでツイートする。
本名を明すことはない。

それを私は情けない、と書いた。
おそらく、ハンドルネームの、そんな人のいいわけはどうでもいい。
ようするに、本名がバレたら、自分の商売に影響が出るのを避けたいがためでしかない。

批判・否定的なことを本名で書けば、なにがしかの反動はある。
それを怖れてなのだろう。

ならば、一生、口を噤んでいろ、といいたい。

オーディオの世界を良くするための発言であっても、
批判・否定的な発言であれば、
それがオーディオ機器についてのものであっても、
誰かを不愉快にしたり不快にしたりする。

ゼロにはできない。
必ず、そういう人が出てくる。

何も、そういう人に謝罪すべきだ、といいたいのではない。
誰か不愉快にしたり不快にしたりする批判・否定的なことを発言するのであれば、
本名でやるべきである、それをいいたいだけである。

本音をいえば、
これに関してはオーディオのアマチュア、プロフェッショナルは関係ない。
どちらであっても匿名に逃げるのではなく、本名で発言すべきである。

こんなことを書くと、
本名で発言して、こちらに何かトラブルを生じたら、どうしてくれる……、
そんなことをいう者には、一生、口を噤んでいろ、とくり返すだけだ。

Date: 7月 24th, 2018
Cate: 「うつ・」

偏在と遍在(その1)

偏在と遍在。
どちらも(へんざい)だが、意味は違う。

偏在は偏って存在すること、
遍在は広く行き渡って存在すること、である。

偏と遍、字が表わすとおりだ。
こんなことを書いているのは、
世の中、どちらをみてもスマートフォンを触っている。
私も電車で移動するときは、たいてい触っている。

さすがにトイレの中とか入浴中、それに食事中も触らないけれど、
それでも触っている時間は長い方かもしれない。

スマートフォンといえば、何を連想するかは人によって多少違うだろうが、
カメラ機能は上位に来るはずだ。

携帯電話にカメラがついたころからすれば、
その画質の向上は驚異的といえるだろう。

しかも撮った写真を、そのスマートフォンでレタッチして、
さらにはインターネット(SNS、ブログなどで)で、すぐさま公開まで可能になった。

プロの写真家でも、日常のスナップショットはスマートフォンを使うことが多いようだ。
その理由が、撮ってすぐに公開できるから、らしい。

写真、カメラの歴史をふりかえれば、画質の向上以上に、
撮った瞬間に全世界に公開できる、ということは、
偏在から遍在への、大きな変化といえる。

Date: 7月 24th, 2018
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その37)

ステレオサウンド 207号の特集に登場する49機種のスピーカーシステム。
いま世の中に、この49機種のスピーカーシステムしか選択肢がない、という場合、
私が選ぶのは、フランコ・セルブリンのKtêmaである。

ペアで400万円を超えるから、いまの私には買えないけれども、
予算を無視した選択ということであれば、Ktêmaを、迷うことなく選ぶ。

このスピーカーならば、こちらがくたばるまでつきあっていけそうな予感がある。

49機種のスピーカーシステムで実際に、その音を聴いているのは半分もない。
Ktêmaは聴いている。

仮に聴いていなかったとしても、207号の試聴記だけでの判断でもKtêmaである。

207号の特集では四つの価格帯に分けられている。
それぞれの価格帯から選ぶとしたら、
80万円以下のところでは、ハーベスのSuper HL5 PlusかタンノイのEaton。
130万円以下のところでは、フランコ・セルブリンのAccordo。
280万円以下のところでは、JBLの4367WXかマンガーのp1、それにボーニック・オーディオのW11SE。
280万円超のところでは、Ktêmaの他にはJBLのProject K2 S9500。

8/49である。
これら八機種のうちで、現代スピーカーと考えられるモノは……、というと、
まずKtêmaは真っ先に外れる。
同じフランコ・セルブリンのAccordoも、外れる。

ハーベスも現代的BBCモニターとはいえても、現代スピーカーなのか、となると、
やはり外すことになる。Eatonも旧Eatonと比較すれば部分的に現代的ではあっても、
トータルでみた場合には、現代スピーカーとはいえない。

マンガーのユニットそのものは非常に興味深いものを感じるが、
だからといってシステムとしてとらえた場合は、やはりこれも外すことになる。

ボーニック・オーディオは数ヵ月前に、とある販売店で鳴っているのを偶然耳にした。
それまで気にも留めなかったけれど、
そこで鳴っていた音は、自分の手で鳴らしてみたらどんなふうに変るのか、
それをやってみたくなるくらいの音がしていた。

JBLを二機種選んだが、現代スピーカーということでは4367WXのほうだし、
ドライバーとホーンは現代スピーカーのモノといえるかも、ぐらいには感じている。
それでも、システムとしてどうなのか、といえば、やはり外す。

となると、八機種の中で、これが現代スピーカーだ、といえるモノはない。
では、残りの41機種の中にあるのか。

Date: 7月 24th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その7)

déjà vuがいつ閉鎖したのか正確には記憶していないが、
déjà vuの閉鎖と、日本ならではのSNSであるmixiが登場、話題になったころは、
重なっていたか、そんなに違わないのではないか。

招待制だったmixiも、多くの人が参加するようになっていった。
一つの遊び場がなくなってたら、次の遊び場が生れ、そこへと移動していく。

mixiは私もやっていた。
でも三年ほどでやめてしまった。
やめると同時に、このブログを始めた。

mixiは招待制だったら、いわば非公開のような場である。
そこで好き勝手なことを書いていくのを楽しい、と思う人は、
déjà vuを終らせた人たちのようなものかもしれないし、
オーディオについて書いていく以上は、非公開という閉じた場所ではなく、
きちんと名前を出して、自由にやっていける場がいいと判断して、
このブログを始めた。

ブログを始めるから、mixiをやめたわけだ。

いい年した大人が、本名ではなく、ハンドルネームで好き勝手なことを言い放つ。
しかもハンドルネームには、拘りがあるようでもある。
そんな掲示板の雰囲気に、ほとほと嫌気がさしていた。

このブログを始めて、一年と数ヵ月経ったころに、誘われてtwitterをやるようになった。
その後facebookも始めた。

twitterは、アカウントは残しているが、あまりアクセスしなくなった。
ここでも本名でやっている人とハンドルネーム(匿名)でやっている人とがいる。

アマチュアのオーディオマニアが、ハンドルネームなのは本人の勝手だと思えるが、
オーディオ業界で仕事をしている人の中に、ハンドルネームの人がいるのを知っている。

その人たちは、本名では言えない、書けないことを書くためのハンドルネームだ、
と、そんないいわけをしてくるだろうが、情けないと思わないのだろうか。