「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その13)
SNSの普及とともに強く感じるようになってきたのは、
試聴記の読み方・捉え方が、昔と違ってきていることだ。
昔も、実のところ、いまと同じだったのかもしれないが、
少なくとも昔はインターネットなどなくて、SNSもなかった。
だから見えてこなかっただけなのかもしれない。
とにかく、読み手側の試聴記の受けとめ方、そして反応は変ってきた、と感じる。
自分で鳴らしているオーディオ機器、
憧れているオーディオ機器、
それらの試聴記で、少しばかりネガティヴな意見と受けとめられるようなことが書いてあっても、
昔は、そんなこと、誰も気にしなかったようだ。
読み手側がナイーヴになってきたのか、
そういう人が増えてきたのか、
少しでもネガティヴな意見と受けとめられそうなこと(必ずしもネガティヴとはいえないこと)に、
ことさら敏感に反応してしまう人がいる。
そういう人が、いまはSNSで声をあげる。
中には、自分こそが正しい、といわんばかりの人もいる。
でもオーディオはそんなに薄っぺらいものではないし、
オーディオ評論もそうで、薄っぺらいものではない。
薄っぺらい、中身のない、名ばかりのオーディオ評論ばかりになっていても、だ。
そのことを忘れてしまっている、
まったく気づいていない読み手が増えてきただけではない、
編集側もそうなってきているようだ。