Date: 11月 28th, 2022
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(と取り巻いていること・その8)

300Bという出力管がある。
本家のウェスターン・エレクトリックから復刻されているだけでなく、
各国各社からのさまざまな300Bがある。

これらの300Bの試聴記事を、管球王国ではたびたび行っている。
試聴結果に対しては、とやかくいわないが、
これは現行の300Bに関しては、新品の球での試聴なのだろう。

それで、けっこういい音がする300Bがあったりする。
値段も、本家のウェスターン・エレクトリック製よりも安価である。

そういう300Bを購入する。
たしかに、試聴記事にあったような音がする。
いい買物をした、ということになる。

けれど、ここで私が懐疑的になるのは、その音がどれだけの期間維持できるのかだ。
フィラメントが切れるまで、ほとんど新品のときと変らぬ音を出してくれるのか、
それとも割と早い時期から音に変化があらわれてくるのか。

そのへんのことは管球王国の試聴記事からは読みとることは無理である。
音についての記事も読みたいのだけれど、
経年変化にともなう音の変化についても知りたい。
そう思っているのは私だけだろうか。

(その6)で書いている「寿命」とは、このことである。
真空管そのものの寿命ではなく、その真空管の音の寿命である。

このことは出力管よりも、電圧増幅管のほうがシビアなような気がしている。

Date: 11月 27th, 2022
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(と取り巻いていること・その7)

真空管アンプにとって、真空管はこういっていいならば消耗品である。
ヒーターが切れてしまえば、交換するしかない。

真空管全盛時代ならば、切れたら新品を買ってきて交換。
五味先生のように、MC275用のKT88を何本も買ってきて選別する人もいた。
     *
 もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなどその筆頭だろうと思う。さらに悪いことに、一度、真空管を挿し替えればかならず音は変わるものだ。出力管の場合、とくにこの憾みは深い。どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC二七五にしても、茄子と私たちが呼んでいるあの真空管──KT88を新品と挿し替えるたびに音は変わっている。したがって、より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために──スペアの茄子を十六本、つぎつぎ挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードをかけなおし、試聴するわけになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆れ果てて笑っているが、音の美はこういう手間と夥しい時間を私たちから奪うのだ。ついでに無駄も要求する。
 挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本の茄子は新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほうり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
 思えば、馬鹿にならない無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはない。挿し替えても別に音は変わらないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変わらないのを誰よりも願っているのは当の私だ。
 だが違う。
 倍音のふくらみが違う。どうかすれば低音がまるで違う。少々神経過敏とは自分でも思いながら、そういう茄子をつぎつぎ挿し替えて耳を澄まし、オーディオの醍醐味とは、ついにこうした倍音の微妙な差異を聴き分ける瞬間にあるのではなかろうかと想い到った。数年前のことである。
 以来、そのとき替えた茄子はそのままで鳴っているが、真空管の寿命がおよそどれぐらいか、正確には知らないし、現在使用中のテープデッキやカートリッジが変わればまた、納屋でホコリをかぶっている真空管が必要になるかもしれない。これはわからない。だが、いずれにせよ真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わぬだろう。
     *
「五味オーディオ教室」に、そう書いてあった。
MC275はプッシュプルアンプだから、特性の揃っているKT88を四本選ぶわけだが、
ここでの特性の揃っている、は、単に測定器での数値が揃っている、という意味ではないはずだ。

《より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために──スペアの茄子を十六本》、
五味先生の時代、十六本の中から四本を選ぶことができたといえるのだが、
いまの時代はどうなのだろうか。

十六本よりももっと少ない数のなかから満足できる四本を選べるのか、
それとももっと多くの本数でなければ満足できる四本が選べないのか。

そしてもうひとつ思うのは、そうやって選んだ四本の寿命である。
ここでの「寿命」はヒーターが切れるまでの寿命のことではない。

Date: 11月 27th, 2022
Cate: 4343, JBL, 終のスピーカー

終のスピーカー(JBL 4343・その1)

「終のスピーカーがやって来る」を書き始めた頃、
これを読まれた方のなかには、終のスピーカーは何なのだろうか、
と予想された人も何人かいる。

JBLの4343ではないだろうか、と予想された人もいる。
4343については、これまでもかなりの数書いてきている。

4343は1976年に登場している。
4343の登場と同じくして、私はオーディオの世界に興味をもった。

私にとっての初めてのステレオサウンドは、41号。
4343が表紙の号だ。

当時、熊本の片田舎に住んでいた私でも、4343を聴く機会には比較的恵まれていた。
それだけ4343は売れていた。
当時としてはかなり高価なスピーカーシステムなのに、
それが聴ける、ということは、すごいことだ。

当時、熱心に読んでいたステレオサウンドにも、ほぼ毎号4343は登場していた、といえる。
4343が完璧なスピーカーではないことはわかっていても、それでも輝いて見えたし、
4343はスターであった、といまでもおもう。

4343が製造中止になってけっこうな時が経っても、4343を聴く機会はけっこうあった。
私と同じ1963年生れの友人のAさんとは、2006年に、二人の年齢を合せると4343だ、
そんなことをいっていたくらいである。

いまでも4343のコンディションのいいモノがあれば、欲しい。
置き場所がないけれど、それでも欲しい、とおもっている。

それでも、4343は私にとって終のスピーカーとなるだろうか(なっただろうか)、
そんなことをおもう。

Date: 11月 27th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その14)

その3)で、
2018年のインターナショナルオーディオショウで見たアナログプレーヤーのことを書いている。

聴いた、としないのは、聴く以前の製品であったからだ。
(その3)でも触れているが、このアナログプレーヤーで再生すると、
ウーファーが見たことのないくらい前後にフラフラする。

CD全盛時代になってからは、こういうことは基本的になくなったが、
アナログディスク全盛時代では、ウーファーのフラつきはあった。

アナログプレーヤーの低域共振によって発生する現象なのだが、
それにしても2018年に見たウーファーのフラつきぶりはひどかった。

このフラつきの発生原因であるアナログプレーヤーの製品名は書かなかった。
オーディオ雑誌でも、新製品紹介記事に登場してからは、
私の知る限りではほとんど登場していない。

今年のインターナショナルオーディオショウでは展示されていなかった。
なので、もう輸入されていないものだと思ってしまったところに、
この製品の値上げの情報が発表になった。

まだ輸入されていたのか? まずそう思った。
型番はそのままなのだから、大きな改良は施されていないと思われる。
とすれば、ウーファーのフラつきは、あのままのはずだ。

世の中には、ウーファーのひどいフラつきを見て、
低音がすごく出ている、と勘違いする人もいるようだ。
そういう人にとっては、このアナログプレーヤーは低音がよく出るということになるのか。

このアナログプレーヤー、MAG-LEV AudioのML1
いまもウーファーはフラつくのだろうか。
いまも変らずだとしたら、輸入元の人たちは、そのことをどう思っているのか。
なんとも思っていないのだとしたら、製品以上に、そのことのほうが問題である。

Date: 11月 26th, 2022
Cate: 終のスピーカー

エラック 4PI PLUS.2のこと(その2)

日本製の非常に高価なリボン型トゥイーターといえば、
オーディオマニアの方ならば、あそこね、とすぐに思い浮ぶだろう。

なのに、あえて、このブランド名を書かないのは、
あることを、あるオーディオ評論家から聞いたからである。

それがどんなことかもぼかすしかないが、
この時代、いまだそんなことをやるオーディオメーカーがあるのか、
しかもこんな高価なモデルを出しているところが──と、
呆れもしたし、怒りもおぼえた。

ここのリボン型トゥイーターは聴いている。
その実力の高さは感じている。
だから、そんな姑息なことをしなければいいのに──、と思ったりするのだが、
そういうことをやってしまうところに、このリボン型トゥイーターに携わっている人たちの、
性根の腐ったようなところ、さもしさを感じてしまい、
それ以上、関心をもつことはなくなった。

ピラミッドのT1を超えるリボン型トゥイーターは、もう世に出ないのか。
そんなところに登場したのが、エラックの4PIだった。

単に優れたリボン型トゥイーターというだけでなく、
水平方向に無指向性のリボン型トゥイーターである。
少なくとも、私の知る限りエラックのリボン型と同じ構造のモノはなかったはずだ。

エラックのリボン型トゥイーターは、菅野先生のリスニングルーム以外でも聴いている。
決して安いトゥイーターではないけれど、非常に高価なわけでもない。
いい製品だと、素直に褒めたくなる。

タンノイのコーネッタのレンジに特に不満はないけれど、
それでもワイドレンジを目指したい、という気持がつねにある私にとって、
コーネッタの高域をあと少しのばすのであれば、エラックだな、と思っていた。

コーネッタの上に、ということだけでなく、
まだ鳴らさずにいるアルテックの604-8Gに関してもそうだ。

6041のような604-8Gを中心とした4ウェイを構築するのであれば、
トゥイーターはやはりエラックである。

エラックのリボン型トゥイーターは、
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを手に入れるかどうかには関係なく、
手に入れたい、と考えていた。

Date: 11月 25th, 2022
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その15)

五年前、別項「続・再生音とは……(英訳を考える)」で、
再生音の英訳として、artificial wavesがあってもいいのではないか、と書いた。

終のスピーカー(Troubadour 40と4PI PLUS.2)がやって来て、
またartificial wavesについて考え始めている。

Date: 11月 25th, 2022
Cate: 情景

情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その9)

ジャーマン・フィジックスのDDD型スピーカーが、
なぜ私にとっての終のスピーカーなのかは、ここでのテーマとも深く関わっている。

Date: 11月 25th, 2022
Cate: 終のスピーカー

エラック 4PI PLUS.2のこと(その1)

ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40とともに、
エラックのリボン型トゥイーター 4PI PLUS.2もやって来た。

リボン型トゥイーターといえば、私のくらいの世代では、
まずパイオニアのPT-R7が浮ぶ。まっさきに浮ぶ。

リボン型トゥイーターの音の一般的な印象は、
このPT-R7によってつくられた、といってもけっして大袈裟ではない。

繊細、柔らかい、しなやかといった印象は、まさしくPT-R7の音そのもの。
けれど一方で、どこかはかない音、実体感の薄さ、実像ではなく虚像。
そういう音の印象も、また残している。

そこに登場したのが、アメリカ生れのリボン型トゥイーターのピラミッド T1だった。
当時、PT-R7が83,600円(ペア)だったのに対し、T1は399,000円(ペア)だった。
T1の高能率版T1Hは435,000円(ペア)だった。

T1の登場は衝撃だった。
リボン型の印象ががらりと変った。
とはいえ、T1を聴く機会はなかった。

だからこそ、T1に関する記事は何度も読み返しては、その音を想像していた。
いつかはT1、と夢見ていた。

ピラミッドの製品は、それほど長くは輸入されなかった。
T1もいつごろ製造中止になったのかは、正確には知らない。

PT-R7は上級機PT-R9が登場したものの、T1に迫った、という印象はなかった。
価格が大きく違うのだからないものねだりをしていることは承知しているが、
パイオニア自身、
PT-R7でつくりだしたリボン型の音の印象から脱することができなかったのではないのか。

そんな音の印象を払拭した製品が、日本から登場した。
非常に高価なリボン型トゥイーターで話題になった製品だ。

T1並の物量を投じて、T1よりもずっと精度の高さを誇る。
そういうリボン型トゥイーターなのだが、T1に感じていたワクワク感は、
この製品には感じなかったのは、どうしてなのだろうか。

Date: 11月 24th, 2022
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その21)

その20)に、
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、
菅野先生にとっての21世紀の375+537-500にあたり、
瀬川先生にとっての21世紀のAXIOM 80といえる。そう確信している、
と書いた。

これは絶対の確信なのだが、同時に考えていることがひとつある。
岩崎先生にとっては、どうなのだろうか、だ。

岩崎先生もAXIOM 80を鳴らされていた一人だ。
岩崎先生は、AXIOM 80からJBLのD130へ、の人だ。

岩崎先生にとっての21世紀のD130といえるのか。
DDD型ユニットはスタックしていける。

Troubadour 40を上下にスタックしたかっこうのTroubadour 80があった。
Troubadour 80ならば、
岩崎先生にとっての21世紀のD130といえるのか──、
そんなことを考えている。

Date: 11月 24th, 2022
Cate: German Physiks

ジャーマン・フィジックス Troubadour 40のこと(その7)

別項で「オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ)」を書いている。
そんなこまかいことどうでもいいじゃないか──、そう思っている人もいるだろう。

チョークコイルをチョークトランスと書いたり、
マッキントッシュのパワーアンプの出力に搭載されているオートフォーマーを、
出力トランスと書く人、
それもわざわざオートフォーマー(出力トランス)と書く人もいる。

さらにひどい人になると、整流コンデンサーと書いたりする。
他にも、こんな例はあるけれど、一つひとつ挙げることは、ここではしない。

けれど、こういった技術用語の乱れは、オーディオ機器の理解を妨げることにつながったりする。
無指向性スピーカーも、まさしくそうである。

ビクターのGB1のような多指向性スピーカーを無指向性と表記する。
GB1も無指向性、ジャーマン・フィジックスのスピーカーも無指向性となってしまう。

なんと乱暴な区分けだろうか。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、まさしくシームレスの水平方向の無指向性である。
GB1、同じ構成のスピーカーはそうてはない。

もともと指向性をもつスピーカーユニットを複数個、方向を変えているだけなのだから、
しかもそれぞれのユニットから放射された音は互いに干渉するのだから、
とうていシームレスとは呼べない。

なのに無指向性ということで、ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットも、
そういった多指向性のスピーカーとごっちゃに捉える人が実際にいる。

そして、したり顔で、無指向性スピーカーは──、といったりする。
見当違いのことを、無理解によることをいう。

Date: 11月 23rd, 2022
Cate: German Physiks

ジャーマン・フィジックス Troubadour 40のこと(その6)

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、
水平方向の無指向性の放射特性をもつ。

そのため、設置が難しい、狭い部屋では無理で広い空間が必要──、
そんなことがいわれがちである。

けれど鳴らしてみると、そんなことはない。
まったくない、と断言できる。

無指向性のスピーカーは設置が難しい、と思われがちなのは、
ジャーマン・フィジックスのDDD型以前の、いわゆる無指向性スピーカーゆえといっていい。

代表的な例はビクターのGB1がある。
GB1は、球体型エンクロージュアに、13cm口径のウーファーを四発、
7cm口径のトゥイーターを七発収めたモノで、類似の製品は他社からも出ていて、
それらも無指向性スピーカーと呼ばれている。

けれどよく考えてみてほしい。
この種のスピーカーは、ほんとうに無指向性なのかどうかを。

菅野先生は以前から、これらのスピーカーは無指向性ではなく、
多指向性というふうに指摘されていた。

無指向性と多指向性。
似ているけれど、まるで別ものであること。
なので多指向性の印象で、真に無指向性のスピーカーを捉えないことが大切となる。

Date: 11月 23rd, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その82)

オーディオの想像力の欠如した者は、終のスピーカーと出逢えない。

Date: 11月 23rd, 2022
Cate: 映画

Where the Crawdads Sing

昨日、映画「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」を観た。
エンディングのクレジットのところでの歌。

テイラー・スウィフトの歌だとわかる。
テイラー・スウィフトぐらい有名な歌手だと、
クラシックをおもに聴いている私でも、すぐにわかる。

“Carolina”という歌だ。
いい歌だ。

“Carolina”を聴いていたら、パトリシア・ハイスミスの「ふくろうの叫び」を、
「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」の原作者、
ディーリア・オーウェンズは読んだことがあるんじゃないか、そう思った。

「ふくろうの叫び」の主人公は男、
「ザリガニの鳴くところ」の主人公は女。
結末も違う。

それでも世界観に共通するところはある。
“Carolina”は、そのことに気づかせてくれた。

Date: 11月 22nd, 2022
Cate: German Physiks

ジャーマン・フィジックス Troubadour 40のこと(その5)

私がカーボン仕様のDDD型ユニットの音を聴いたのは、
HRS130の音をとおしてである。

なので、直接同じ条件で比較したわけではないので、
どちらがいいとは、いまのところなんともいえない。

それでもサウンドクリエイトで聴いた印象のみでいえば、
スピーカーユニットとしての完成度は高くなっているような感じがする。
リニアリティ(ハイレベル方向)は、あきらかにチタンよりもいい、といえる。

スピーカーとして、忠実な変換機としての性能はカーボンが上か。
そんな気がする。

それでも、私はサウンドクリエイトでHRS130を聴きながら、
あのころ無理してでも(といってもそうとうな無理なのだが)、
Troubadour 40を買っておくべきだった──、そんな後悔に似たおもいをいだいていた。

カーボンかチタンか。
そう訊かれたら、どう答えるか。
カーボンはいいですよ、と答えるだろう。

カーボンがいいですよ、とは答えることはないだろう。

どちらが好きか、と訊かれたら、
チタンだ、と即答する。

Date: 11月 22nd, 2022
Cate: German Physiks

ジャーマン・フィジックス Troubadour 40のこと(その4)

私のところにやって来たTroubadour 40は、チタン仕様。
9月にサウンドクリエイトで聴いたHRS130はカーボン仕様である。

ジャーマン・フィジックスは最初チタンを振動板に採用してきた。
2008年ごろからカーボン振動板も登場した。

カーボン振動板はそう遠くないうちに出てくる、と思っていた。
カーボン繊維はしなやかな素材だし、
その性質からしてベンディングウェーヴ型ユニットにぴったりともいえる。

そのことを当時のタイムロードの人に話したことがある。
返ってきたのは、チタン以外では無理です、だった。

一般的に思われているカーボンのイメージからすると無理という答が返ってきて不思議ではない。
国産のスピーカーシステムの、
おもにウーファーに採用されたカーボンのイメージが強い人はそうかもしれない。

あれは、井上先生がよくいわれたようにカーボンよりもエポキシである。
本来のカーボンを知っていれば、そんな答は返ってこなかったはず。

だからといって、カーボン仕様のTroubadour 40が登場してきたときに、
ほら、やっぱり、とは言わなかった。

そんなことよりも音である。
私は、そのころカーボン仕様のTroubadour 40を聴くことはなかった。
カーボンに期待していただけに、チタンとの比較をやりたかった。

菅野先生はすでに聴かれていた。
どうでしたか、と訊くと、少し渋い表情をされて、やっぱりチタンだよ、といわれた。

そうか、やっぱりチタンか。
カーボンの可能性を信じながらも、2008年の時点ではチタンだったのだろう。

けれどそれから十年以上が経っている。
2008年のカーボンのDDD型ユニットと現在のカーボンのDDD型ユニットが、
まったく同じとは考えにくい。

カーボン繊維自体も違っているのかもしれないし、織り方も変ってきていてもおかしくない。
私は2008年のカーボンと同じとは思っていない。