Date: 4月 1st, 2023
Cate: High Resolution

MQAのこと、否定する人のこと(その5)

昨年8月に、別項でHDtracksが、MQAを取り扱うようになったことを書いている。
HDtracksを利用したことがないので知らなかったのだが、
MQAが登場したばかりのころ、HDtracksはMQAを取り扱っていた。

けれどHDtracksのエンジニア(たぶんノーマン・チェスキーのことなのだろう)が、
途中でMQAの評価を変えてしまい、扱わなくなった、とのこと。

それが昨夏、ふたたびMQAを取り扱うようになったということは、
そのエンジニアがMQAの評価をまた変えた、ということなのだろうか。

前回、そして今回、なぜ変えたのか。
その理由は何も知らない。

けれど、それでいい。
MQAを扱うところが増えてくる。
それだけでいい。

Date: 4月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

ロベルト・シュトルツ

ロベルト・シュトルツのCDをまったく持っていないわけではないが、
それらのCDはシュトルツを聴きたくて買った、というよりも、
共演者を聴きたいというのが目的での購入だった。

シュトルツの指揮ぶりをまったく聴いていないわけではないが、
熱心な聴き手ではなかった。

なのにここ数日、シュトルツをわりと聴いているのはTIDALを使っているからだ。
けっこうな数のアルバムが、TIDALで聴ける。
しかもMQAで聴けるアルバムもけっこうある。

急にシュトルツを聴こうと思い立ったのには、特にこれといった理由はない。
TIDALであれこれ検索していっている際に、おすすめのところにRobert Stolzと表示されたからだ。

いまのところRCAの録音とオイロディスクの録音を聴いていた。
どちらもMQAで聴ける。

どちらもなかなか楽しいアルバムなのだが、
録音の傾向はかなり違う。
オイロディスクは、なんとも色濃い録音なのだ。

シュトルツは1975年に亡くなっている。
RCAもオイロディスクも、最新録音ではない。
最新録音でなくてよかったかもしれない、と特にオイロディスクの録音を聴いているとおもう。

こういう録音は、いまではどこもやらないだろう。
MQAで聴いていると、RCAとオイロディスクの録音の傾向の違いも、明瞭となる。

Date: 4月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その1)

ピンク・フロイドの「狂気」の発売は1973年。
2003年には30周年ということでSACDで出た。
今年は50周年ということで、ボックスセットが発売になっている。

このボックスセットは盛りだくさんな内容で、
Dolby Atmos MixがBlu-rayディスクに収録されている。

2003年のSACDには5.1チャンネル仕様で、今回のDolby Atmos Mixは7.1.4チャンネルである。
SACDの5.1チャンネルは聴く機会はなかった。

今回のDolby Atmos Mixは、RITTOR BASEでのイベントで聴くことができた。

RITTOR BASEはリットーミュージックが御茶ノ水に開設した多目的スペース。
一度は行ってみたい(聴いてみたい)と思っていただけに、
今回のイベントは、「狂気』がDolby Atmos Mixで聴けるのならば、
この機会を逃したら、たぶん聴くことはないだろうから、ということで行ってきた。

RITTOR BASEに着くと、椅子の上に今回の50周年ボックスのチラシが置いてあった。
そこには、RITTOR BASEディレクターの國﨑 晋氏のコメントが載っている。
     *
数え切れないほど聴き、すべての音を把握していたつもりのこの名盤に、さらなる深みがあったことに心底驚いている。ステレオのキャンパスでは収まらなかった、5.1chサラウンドの地平でも望めなかった、ピンク・フロイド『狂気』の真の姿が、Dolby Atmosによってついに解き放たれたとしか思えない。
     *
これを聴く前に読むのだから、期待は大きくなる。

Date: 3月 29th, 2023
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(取り残されてきているのか・その6)

インターネット・オークションといえば、日本ではヤフオク!となる。
ヤフオク!を頻繁に利用はしないけれど、
こんな値段で落札できていいの? と思ってしまうほど、
以前から欲しかったオーディオ機器をいくつか落札したことは別項で書いている。

こういうモノがあるのか、と思う反面、
オーディオに関しては弱いな、とつねづね感じている面もある。

そういうところが、eBayは違う。
製造中止になっているオーディオ機器の補修パーツならば、
ヤフオク!はほとんど頼りにならない。
eBayである。

今月は、三つほど、eBayで補修パーツを手に入れた。
送料が高いのは海外からなのでしかたない。
補修パーツ自体は良心的な価格だった。

eBayの品揃えの豊かさを眺めながら、ヤフオク!と比較してしまうと、
こういうところでも取り残されつつあるような──、そんな感じを受けてしまう。

Date: 3月 29th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その21)

TIDALという巨大な書店を楽しむには、
そしてうまく使いこなすには、roonが必要と考える。

roonについての説明は省く。
このブログを読んでいる人は、当然のことなのだが、
インターネットを使っているわけだし、roonについて調べるのは難しいことではない。

先日、roonを購入した。
roonの支払いは、月払い、年払い、そして買い切りが用意されている。
今回、買い切り(829.99ドル)で支払った。

去年まで699.99ドルだった。
値上げ前に、と考えていたけれど、あれこれあって値上げ後になってしまった。

安いにこしたことはない。
現在の為替レートでは、十万円を超える。
十万円ちょっとあれば、あれが買えるのではないか──、
そんなことをつい思ってしまうけれど、今回のroonの買い切りを後悔はしていない。

roonの音がみすぼらしく聴こえてしまうほど、
素晴らしい再生アプリケーションが今後登場してくるかもしれない。

そうなったらなったで、再生には、音のよいアプリケーションを使う。
けれど、そのアプリケーションがTIDALを検索していくのに最適なものかどうか、
それはなんともいえないことだし、roon独自のデータベースは一朝一夕に構築できるものではない。

それに今後ずっと買い切りが用意されるという保証もどこにもない。
月払い、年払いだけになる可能性も考えられる。

Date: 3月 29th, 2023
Cate: audio wednesday

第七回audio wednesday (next decade)

第七回audio wednesday (next decade)は、4月5日。

参加する人は少ないだろうから、詳細はfacebookで。
開始時間、場所等は参加人数によって決める予定。

Date: 3月 26th, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その12)

(その11)に、facebookにコメントがあった。
ゾノトーンのツイートへのリンクがあった。

そのゾノトーンのツイートは知っていた。
どんな内容かといえば、オーディオアクセサリーを購入する際、
頼りにする情報源は何か、というアンケートである。

結果は、
メーカー発信情報が11%、
オーディオショップ意見が13%、
オーディオ雑誌社の記事が6%、
その他インターネット情報が70%、
である。

メーカー発信情報もインターネットでのことだろうから、
その他インターネット情報とあわせると81%となる。

オーディオ雑誌は、わずか6%である。

このリンクを投稿された方も指摘されているが、
この結果は、ソーシャルメディア上でのものだから、
この数字をそのまま鵜呑みにはできない面もある。

それでもインターネット上の情報を頼りにする人は、かなり多いとはいえよう。
だから、現実にはオーディオ雑誌は読まれていない、
だから封殺も何もない──、とコメントにはあった。

コロナ禍前だったら、今回のコメントにかなり同意しただろうが、
コロナ禍を経て、オーディオマニアのインターネットの活用の具合を、
少しばかり知ることで、実際はけっこう違っている、という認識をもつにいたっている。

ゾノトーンのアンケートは、比較的若い世代の方によるものだろう。
一方、ステレオサウンドの読者の年齢層は、60代より上である。

Date: 3月 26th, 2023
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その7)

ビクターが五十年ほど前に数回行った生演奏とのすり替え実験。
いまの技術でもう一度やってみたら、どういうことになるのだろうか──、
オーディオマニアならば、そんなことを想像する人も少なくないだろう。

とはいえ、いま、そんな公開実験を行なうメーカーはない、とずっと以前からあきらめていた。
実際、生演奏とのすり替え実験はずっと行われていない。

先月、ソーシャルメディアを眺めていたら、
無人オーケストラコンサートの告知が表示された。

なんだろう? と思って詳細をみたら、
文字通りの無人オーケストラによるコンサートである。

ホールのステージには、椅子がある。
そこに演奏者が座っているのではなく、スピーカーが置かれている。

一度録音して、それをスピーカーから再生するというコンサートで、
スピーカーの数はオーケストラの演奏者の数と同じである。

これはなにがなんでも聴いておかなければ──、と思った。
それからfacebookでシェアした。
オーディオマニアならば関心をもつ人が多いはず、と思ったけれど、
予想に反し、いいねをつけてくれた人は二人だけだった。

そんなものなのか……、と思っていた。
昨日(3月25日)、横浜みなとみらいホールに行ってきた。

無人オーケストラコンサートを聴くためである。

Date: 3月 24th, 2023
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その19)

○○○の△△△とあったら、
それがオーディオについてのことだったら、
○○○はブランド(メーカー)、△△△には型番が入るとも、ふつうは思う。

JBLの4343とかジャーマン・フィジックスのTroubadour 40といったふうにだ。

ところが、数日前にソーシャルメディアに表示された投稿を見ていたら、
△△△のところが価格になっていた。

○○○の百万円のアンプとか、○○○の百五十万円のCDプレーヤー、
そんな書き方だった。

○○○の百万円のアンプでも、それがどの製品なのかはわかる。
過去の製品も含めると、百万円のアンプは数機種がそこにあてはまったするが、
現行製品もしくは近年の製品となると、どの製品なのかはわかる。

型番を書いていることと同じことといえば、そうなのだが、
ならばなぜ、この投稿者はこんな書き方をするのだろうか、と思う。

素直に型番を書けばすむところを、型番ではなく価格を書くのはどうしてなのか。
それだけ高価なオーディオ機器をいくつも、自分は所有していると自慢したいのか。

それならば、素直に型番を書けばいいことだ。
ブランド名と型番が書いてあれば、その製品がいくらなのかは、
たいていのオーディオマニアはすぐにわかることなのだから。

高価なオーディオ機器を購入するのは、本人の努力の証しともいえる。
なのだから、自分はこんなオーディオ機器を持っている、
それらのオーディオ機器で聴いていることを自慢したい気持はわかるし、
そのことをとやかくいうつもりはない。

くどいようだが、なぜ型番ではなく価格を、そこに書くのか。
どんな理由が、どんな意味があるのだろうか。

Date: 3月 24th, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その11)

(その10)に、facebookにコメントがあった。
とりあげないということには封殺するという意図を感じることがある、というものだった。

同じことは感じていた。

MQAのことを肯定も否定もしない。
ただとりあげないだけ。
つまり封殺したいのだろう、と。

仮にそうだとして、ほんとうに封殺できると編集部(編集者)は考えているのか。
昔のステレオサウンドだったら、もしかした、そんなこともできたかもしれない。
けれど、いまのステレオサウンドができるだろうか。

それに、いまはインターネットが普及して、ソーシャルメディアもまた普及している。
そういう時代においては、もう無理なはずだ。

いまのところ、日本ではTIDALのサービスは開始されていない。
日本でMQAを聴くには、MQA-CDを買ってくるか、
e-onkyoで購入・ダウンロードするくらいしかない。

けれどTIDALが始まったら──。
MQAのデコード機能をもつD/AコンバーターやCDプレーヤーを持つ人は、
TIDALでMQAが聴けるのなら、試しに聴いてみようか、と思うことだろう。

MQAのコアデコードの音だったり、フルデコードの音であったりする。
フルデコードの音を聴いた人ならば、なにかを感じるはずだ。

聴いた人すべてが、MQAを肯定するとはかぎらない。
やっぱりMQAなんて──、という人もいるけれど、
MQAって、いいな! と感じる人もいる。

TIDALが日本で始まる、
つまりMQAでさまざまなアルバムを聴けるようになったとき、
ステレオサウンドのMQA無視のやり方に疑問をもつ人も現れる。

Date: 3月 23rd, 2023
Cate: 老い
1 msg

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その28)

今年の1月に六十になった。
同級生もみな六十になったわけで、
たぶん同窓会があるんだろうなぁ、ぐらいには思っていた。

少し前に実家の母から電話があって、同窓会の知らせがあった、とのことだった。
6月にやる、とのこと。
3月ではなく6月なのは、コロナ禍の影響があってのことなのだろう。

幹事をやっているHさんは、実家からわりと近いところに住んでいる。
小学生だったころ、ひどい喘息だった。
Hさんには、小学一、二年、同じクラスだったこともあり、お世話になっていた。

Hさんは、わざわざ実家を訪れて、同窓会のことを知らせてくれた、とのこと。
Hさんの話によると、同級生の三十人ほどがすでに亡くなっている、ということだった。

三十人というのが、多いの少ないのか、なんとも難しいところなのだが、
三十人ときいて、そんなに──、と思った。
同じクラスだった同級生も三十代半ばで亡くなっている。

他の人たちは同じクラスになったことはないから、
名前も顔もわからないのだけれど、それでも三十人という数字は、頭から離れない。

Date: 3月 23rd, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その10)

編集者(編集部)には、記事をつくらない(とりあげない)自由があるといえば、そういえる。
だからステレオサウンド編集部がMQAをとりあげないのも、
それは編集部の自由といえばそうである。

三年ほど前に、逆木 一氏のブログのことを書いた。
逆木 一氏はアンチMQAである。
自身のブログで、「さよなら、MQA」を公開されている。

「さよなら、MQA」を読んで、どうおもうのかは、その人次第だ。
逆木 一氏の意見に、まったく同感という人もいるだろうし、
こういう意見の人もいるだろうな、とおもう人、
MQAの肯定している人からすれば、なにかいいたくなるか、
もしくは黙っておこう、とおもったのかもしれない。

逆木 一氏を、「さよなら、MQA」をどう読むか、その評価とは別に、
ステレオサウンドの態度と逆木 一氏の態度は、大きく違うことだけは認めている。

逆木 一氏は、きちんと自身の意見・立場を表明している。
それすらせずに、ただただ無視していくだけのオーディオ雑誌がステレオサウンドであることが、
ステレオサウンドはずいぶん変質してしまったなぁ……、とおもわせる。

Date: 3月 23rd, 2023
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その9)

その7)で触れているChatGPT。
(その7)の時点で、見出しくらいはChatGPTにまかせられるのではないのか──、
そんなことも考えていた。

二日ほど前だったか、ソーシャルメディアを眺めていたら、
ChatGPTに、日経、文春、東スポ風に見出しをつけさせてみた、という投稿があった。

それぞれに日経風、文春風、東スポ風である。
何も破綻していない。

やはり見出しをつけることは、簡単すぎることになっているのだろう。
見出しのつけ方をアレンジできるくらいなのだから。

オーディオ雑誌の見出しも、いますぐChatGPTにまかせてもいいぐらいだろう。
ChatGPTの使い方によって、いくつもの見出しを作ってくれるから、
編集者の仕事は、その中から選ぶだけ、ということになる。

ChatGPTは、まさしく日進月歩といっていい。
いまは、こんなことを書いているくらいだけど、
半年後には編集作業のいくつかはChatGPTにまかせたほうがクォリティが高くなるくらいには、
なっていてもおかしくない。

Date: 3月 19th, 2023
Cate: atmosphere design, wearable audio

atmosphere design(その11)

オーディオの究極のかたち、
もしくはオーディオの行き着くところとして、
直接脳に信号を送るということが、昔から語られている。

いまもそうらしい。

けれど考えてみてほしい。
スピーカーからの音を聴くという行為は、
肌感覚もともなってのことである、と。

脳に直接音楽信号を送れば、
いろんなことに悩まされずにすむけれど、
それですべてが解決する、というよりも満足できるようになるのだろうか。

ヘッドフォン、イヤフォンでしか音楽を聴かない(聴いたことがない)人は、
肌感覚はむしろ煩わしいのかもしれない。
そういう人は、脳に音楽信号を送るのを、理想として捉えているのかもしれないが、
スピーカーで聴くことをながいこと続けてきて、
しかもそれに飽きない人もいて、そういう人はもしそういうことが可能になったとしても、
スピーカーからの音で音楽を聴いていることだろう。

Date: 3月 19th, 2023
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その45)

スピーカーといえば通じるのだけれども、
あえてラッパと呼びたくなる性質のモノがある。

そういうスピーカーもあれば、トランスデューサーと呼びたくなるモノもある。

いい悪いではなく、本質的なところでの違いからくるものだ。
けれど、この違いは、聴く音楽に深く関わってこよう。

音楽のジャンルということではない。
演奏家のスタイルというか、そういうことに深く関係してくる。

ラッパと呼びたくなるスピーカーを好んで聴く人がよく聴く演奏家と、
トランスデューサーと呼びたくなるスピーカーを好んで聴く人がよく聴く演奏家、
同じことは、まずないだろう。