Date: 2月 24th, 2015
Cate: バスレフ(bass reflex)

バスレフ考(その1)

スピーカーのエンクロージュアにはいくつかの種類(構造)がある。
スピーカーの教科書に載っているのは、まず密閉型とバスレフ型がある。
その他にホーン型や音響迷路型と呼ばれるものなど、いくつかがある。

とはいえ、市販されている大半のスピーカーシステムは、密閉型かバスレフ型が多い。
ずっと昔から、密閉型こそが良質の低音を再生してくれるエンクロージュアと主張する人もいれば、
いやバスレフ型こそが自然な低音を再生してくれると主張する人もいる。

どちらにも言い分があって、どちらかが全面的に正しいとはいえない。

岩崎先生はプレーンバッフル(平面バッフル)かホーンバッフル、
それに密閉型を推奨されることが多かった。

バスレフ型に関しては、どちらかといえば否定的なことを書かれることもあった。
とはいえ、岩崎先生の推奨する密閉型は、かなりの内容積をもつモノであるようだ。

密閉型を支持する人の中には、バスレフ型はバスレフくさい音ががする、という人がいる。
いわゆるボンボンという低音の鳴り方をするスピーカーのことを、バスレフくさい音という。

バスレフ型は、スピーカーの教科書には密閉型よりも設計が難しいと書いてある。
使用するスピーカーユニットの細かな特性がわからなくては最適なバスレフ型の設計はできない──、
そんなふうに書いてあり、たいていの場合、難しい数式が並んでいる。

もっとも最近ではバスレフ型のそういった計算をやってくれるウェブサイトもあり、
パソコン、インターネット普及以前にくらべてずっと簡単になっているともいえる。

けれど瀬川先生は、以前、バスレフ型でも、
ほとんど計算しないでも、カンどころをはずさなければ、聴感上十分に良い音質が期待できる、
とステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4に書かれている。

Date: 2月 23rd, 2015
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その4)

ヘッドフォン、イヤフォンをスピーカーの代用品と見做す人はいまもいるようだ。
満足に音を出せる部屋をもたない者がヘッドフォンに凝るんだ、と、そういう人はいいがちだ。

自由にいつでも好きな音量で聴ける環境をもっていればヘッドフォンで聴く必要は、
ほんとうにないのだろうか。

1990年夏に骨折して、一ヵ月半ほど入院していた。
当時はiPodやiPhoneなんてなかった。
ウォークマンは持っていなかったから、音楽を聴けるモノは何ももたずに入院していた。

一ヵ月ほどは音楽を聴きたいという欲求はそれほど強くなかった。
順調に回復したころから、松葉杖で病院内を歩いていると、
ふと気づくと口ずさんでいる曲があった。

ハイドンのピアノソナタだった。
グールドの弾くハイドンのソナタであった。
グールドによる軽快なリズムで進行するハイドンのピアノ曲が、無性に聴きたくなっていっていた。

最近、このグールドのハイドンをイヤフォンで聴いた。
なんといい感じで鳴ってくれるんだろうか、と感じていた。

このハイドンが、グールドにとってはじめてのデジタル録音である。
聴いていると、これほどヘッドフォン、イヤフォンの良さを聴き手に認識させる演奏はないようにも感じる。

一言で表現すれば、マスからの解放なのかもしれない。

Date: 2月 23rd, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その7)

ステレオサウンド 58号に4345の記事が載っている。
瀬川先生生が書かれている。
そこにこうある。
     *
JBLのLCネットワークの設計技術は、L150あたりを境に、格段に向上したと思われ、システム全体として総合的な特性のコントロール、ことに位相特性の補整技術の見事さは、こんにちの世界のスピーカー設計の水準の中でもきめて高いレヴェルにあるといえ、おそらくその技術が♯4345にも活用されているはずで、ここまでよくコントロールされているLCネットワークに対して、バイアンプでその性能を越えるには、もっと高度の調整が必要になるのではないかと考えられる。
     *
4343と4345の直接比較による試聴記事。
瀬川先生の文章を何度もくり返し読んだ。
読めば読むほど、4345のプロポーションの悪さが、
自分のモノとしてときにはどう感じるのだろうか。
買えるあてなどなかったけれど、そんなことを想像していた。

4343と4345が並んでいる写真もあった。
4343のままで、4345に近い音がしてくれれば、とも何度も思いながら読んでいたから、
4345のネットワークを4343に換装したらどうなるのだろうか、
JBLは4343の次のモデルで4345のネットワークと同じレベルのネットワークを搭載しないのか、
そんなことも思っていた。

4343は4344になった。
4344は4343の後継機というよりも、私にとっては4345のスケールダウンモデルにしか見えなかった。
4344のネットワークは、発表された回路図をみるかぎりでは、4345のネットワークとまったく同じである。

それならば4345のネットワークはそのまま4343に使っても、いい結果が得られる可能性が高いのではないか。
このころから、私の4343計画は始まっていた、といえる。

Date: 2月 23rd, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その6)

記事のタイトルが「名作4343を現代に甦らせる」ではなく、
「4343のユニットを現在に使う」とか「4343のユニットの現代的再構築」といった感じであれば、
何も書かなかった。

あくまでも「名作4343を現代に甦らせる」とあったからこそ、ここに書いている。

あれだけの数売れたスピーカーシステムだから、いまも所有されている人はけっこう多いし、
あのころ学生で買えなかった人が、中古の4343を手に入れていることも少なくない。

4343がいまもメインスピーカーである人、
メインスピーカーは別にあるけれども、4343が欲しかったから、という人、
いろいろな人がいる。

その人たちは、いまどういうふうに4343をみているのだろうか。
2016年には誕生40年に迎えるスピーカーシステムである。

いまもメインスピーカーとして使えるだけの実力をもつともいえるし、
細部を検討していくと、部分的にはどうしても……、と思えるところがないわけではない。

実際に行動にうつすかどうかは別として、
4343ユーザーなら、来年の4343誕生40周年を迎えるにあたって、
4343をどうしようか、ということを考えてみてはいかがだろうか。

徹底的にメンテナンスして、できるかぎりオリジナルの状態を保ったままで、これからも鳴らしていくのか。
オリジナルといっても、厳密な意味では発売当時の状態には戻せない。
コーン紙の製造工場も変っているし、工場が同じだとしても、
当時と同じ森林からパルプの材料となる木材を切り出しているわけではない。

細かくみていけばいくほど、1976年当時のオリジナルの状態に戻すことは、はっきりいえば不可能である。
オリジナル度に関しては、本人がどの程度で満足するか、でしかない。

ならば40年を機に手を加えてみる案はどうだろうか。
ステレオサウンドの記事のようにユニットだけを取り出して再利用して、
4343とはまったく別モノのスピーカーシステムに仕上げるのも考えられる。

私がここで書いていきたいのは、4343のアイデンティティを維持したまま、
どこまでやっていけるかである。

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: 相性

本末転倒だったのか(その5)

チェーンリングとチェーンをトランスと見立てれば、
後輪のホイールがスピーカーということになる。

この場合、タイヤがスピーカーの振動板であり、
リムがスピーカーユニットのフレーム、スポークがボイスコイルとなるだろうか。

では前輪はいったいなんなのか。
前輪には駆動力はかからない。
けれど構造的には後輪とほぼ同じである。
となると、後輪と瞳孔系の前輪はさしずめパッシヴラジエーターなのか。

これが正しい見方かどうかはなんともいえない。
ただこういう見方をした場合、自転車のフレームはスピーカーのエンクロージュアにあたるのか。

スピーカーシステムにおいてもっとも視覚的に大きな存在はエンクロージュアである。
回転体であるホイールはスピーカーユニットとすれば、
自転車全体がスピーカーシステムであり、乗り手がアンプ。

こう考えるのと(その1)で書いた”FRAME MY WHEELS”、
この言葉の意味がわかってくる。

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その5)

「名作4343を現代に甦らせる」という記事に対して否定的である私でも、
全面的に否定しているわけではないし、この記事の筆者である佐伯多門氏を否定・批判したいわけでもない。

佐伯多門氏は、いわばダイヤトーン・スピーカーの顏といえる人であった。
私がオーディオに興味をもちはじめた1976年、すでに佐伯氏はそういう人であった。
ダイヤトーン(三菱電機)には、こういう技術者がいるのか、と受けとめていた。

いま佐伯多門氏は無線と実験誌にスピーカーの歴史について執筆されている。
いい記事である。
こういう連載は、一冊の本にまとめてほしいし、
紙の本はどんなに良書であってもいつの日か絶版になる。
佐伯多門氏の連載は十年、二十年……、もっと後になればなるほど資料的には増していく内容である。
だからこそ絶版には基本的にはならない電子書籍でも出版してもらいたい。

佐伯多門氏はスピーカーの技術者である。
スピーカーの技術に関しての理解は、私の及ぶところではない。
けれど、ここがオーディオの難しいところだが、
スピーカーの技術を理解している人だからといって、他社製のスピーカーシステムを理解できるとは限らない。

他社製のスピーカーシステムを技術的に説明することはできても、
製品としてのスピーカーシステムの理解は、また別のものである。

私はそう考えているからこそ、「名作4343を現代に甦らせる」にはもうひとり別の人が必要だった、とする。
スピーカー技術に対しての理解は佐伯多門氏よりも低くていいけれど、
製品としてのスピーカーシステムへの理解が深くしっかりしている人が、最初から必要だったのである。

適任は井上先生だった。
ずっと以前のステレオサウンドに連載されたコーネッタの記事。
これを読み憶えている人は、どうしても「名作4343を現代に甦らせる」と比較してしまう。

そして井上先生の不在の大きさを感じてしまう。
オーディオ評論家を名乗っているだけの人ではだめなのだ。

「名作4343を現代に甦らせる」は、
4343を現代に甦らせることはできなかった意味では失敗ともいえるが、
エンジニアとオーディオ評論家の違いを、そして両者の存在する意味を間接的に語っている。
オーディオ評論家の役目、役割についても、である。

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: plus / unplus

plus(その15)

技術だけではない。
オーディオ用に、いまでは多種多様なアクセサリーが販売されている。
オーディオ用として販売されているものだけが、オーディオ用のアクセサリーとして使えるのではない。

どんなモノでも使いようによってはアクセサリーとなる。

たとえばアンプやスピーカーの下に、何かを敷く(挿む)。
オーディオ用アクセサリーとしてインシュレーターの場合もあれば、
フェルトや和紙といった素材の場合もある。

これらによって音は変る。
わずかであっても変る。
最初のうちは、使ったことによる音の変化を聴き分け、
他にはどういうモノがあって、それらによる音の変化はどうなのかを確認していく。
次の段階としては、このインシュレーターと他の素材を組み合わせて、ということになっていくこともある。
いわば屋上屋を重ねる的な使い方である。

いくつか重ねるのか、何種類のモノを持っているのか。
順列組合せでいくと、けっこうな数の音の変化となる。
その中から、その時点でベストといえる組合せを決める。

その状態で聴いていく。
ある時、ふとそれらのインシュレーターの類をすべて取り去ってみる。
あれこれ試した時には、何もない状態よりもあきらかに音が向上したと感じられていたから、
これまでその状態で聴いていたにも関わらず、いま聴くと、何も使わない音がいい音として聴こえる──。

アクセサリー(インシュレーターの類)に凝った時期がある人ならば、
こういう体験をしている人は少なからずいるのではないだろうか。

あの時の音の判断は間違っていたのか、
それとも、なにか別の理由があるのか──、そう考えるのではないか。

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: plus / unplus

plus(その14)

オーディオには、アクースティック蓄音器を始点としてあらゆるものがプラスされてきている。
アクースティック蓄音器時代にはプログラムソースはディスクのみだった。
そこにラジオが加わり、テープも誕生した。

テープの誕生は、それまで再生のみだったオーディオシステムに、録音という機能をプラスした。
テープもオープンリールテープ、カセットテープ、エルカセットテープが種類が増えていった。

そしてデジタルという技術が新たに加わってきた。
デジタルにもディスクとテープがあり、
デジタルのその後にはパーソナルコンピューターの誕生と普及、
そしてインターネットも加わり、これらによるオーディオとの結びつきが新たに生れている。

新しい技術が生れ、それがオーディオに採り入れられ性能、機能を拡充していくことを、
進歩であると、ほぼ無条件に思い込んできている。

たしかに進歩はしている。
アクースティック蓄音器に電気という、目に見えないものがプラスされたことで、
再生音域は拡大し、音量に関してもそうとうな大音量まで得られるようになり、
しかも自由に調整ができるようになったのだから。

けれど考えをすこしだけ変えてみると、電気がなければ現在のオーディオ機器はまったく動作しない。
アクースティック蓄音器であれば、電気がなくともレコードを聴くことができる。
これは全面的に進歩といえるのだろうか。

モノーラルからステレオになったことも、同じことはいえる。
それまで一本のスピーカーシステムとそれを鳴らすアンプがあればすんでいた。

けれどステレオは最低でも二本のスピーカーシステムが要る。
アンプだって2チャンネル分必要となる。
片方が故障してしまえば、片チャンネルの音しか聴けない。
それからステレオになったからこそクロストークという問題も生じている。

完全なる進歩といえるものがあるとすれば、
たとえば一本のスピーカーでステレオ再生が可能なモノではないのだろうか。

この項のカテゴリーは、plus / unplusとしている。
unplusという単語はない。
勝手な造語である。
un-は、形容詞·副詞につけて「不…」の意を表わす。

技術は新しいものを生む。
それらがこれからもオーディオ機器に採り入れられていく。
そのことには積極的でありたい。
けれど、同時にplusすることばかりでなく、unplusすることも考えていかなければならないのではないか。

Date: 2月 21st, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その4)

理解していない、理解しようともしない。
このことはオーディオ評論家にとっても、オーディオ雑誌の編集者にとっても致命的なことである。
理解しようともせずに、オーディオ機器の記事を書いている、つくっている、と告白しているのと同じである。
そのことに、なぜ彼らは気づかないのか。

彼らは、目の前にある4343もどきのスピーカーをどうすればよかったのか。
ハンマーで敲きこわす。
これだけである。

4343を理解していない人には、怒りはなかったのだろう。
そうとしか考えられない。

そして思い出す。
五味先生の文章を思い出す。
     *
 とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。だが、ぼくらの聴くレコードはオルガン曲ばかりではないんである。ひとたび弦楽四重奏曲を掛けると、ヴァイオリン独奏曲を鳴らすと、音そのものはいいにせよ、まるで音像に定位のない、どうかするとヴィオラがセロにきこえるような独活の大木的鳴り方は我慢ならなかった。ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀した。
 以来、どうにもオルガン曲は聴く気になれない。以前にも言ったことだが、ぼくらは、自家の再生装置でうまく鳴るレコードを好んで聴くようになるものである。聴きたい楽器の音をうまく響かせてくれるオーディオをはじめは望み、そのような意図でアンプやスピーカー・エンクロージァを吟味して再生装置を購入しているはずなのだが、そのうち、いちばんうまく鳴る種類のレコードをつとめて買い揃え聴くようになってゆくものだ。コレクションのイニシァティヴは当然、聴く本人の趣味性にあるべきはずが、いつの間にやら機械にふり回されている。再生装置がイニシァティヴを取ってしまう。ここらがオーディオ愛好家の泣き所だろうか。
 そんな傾向に我ながら腹を立ててハンマーを揮ったのだが、痛かった。手のしびれる痛さのほかに心に痛みがはしったものだ。
(フランク《オルガン六曲集》より)
     *
もちろん、このときの五味先生がおかれていた状況と、
4343もどきのスピーカーを前にした状況は決して同じではない。
けれど、どちらにも怒りがある。
何に起因する怒りなのかの違いはある。

けれど怒りは怒りであり、その怒りがハンマーをふりおろす。

こんなことを書いていると、またバカなことを……、と思う人はいてもいい。
そういう人は4343というスピーカーシステムを理解していない人なのだから、
そんな人になんといわれようと、気にしない、どうでもいいことだ。

「名作4343を現代に甦らせる」の連載の最後にふさわしいのは、
ほんとうはなんだったのだろうか。
そのことを考えないで、オーディオについて語ることはできない。

Date: 2月 21st, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その3)

「名作4343を現代に甦らせる」の連載が始まった時、
すこしは期待していた。同時にどうなるのか心配な面も感じていた。
回が進むごとに、ほんとうにこの連載をこのまま続けていくのか、と思うようになっていた。

「名作4343を現代に甦らせる」について、ここで詳細に語りたいわけではない。
「名作4343を現代に甦らせる」が掲載された号をひっぱり出してくれば、
書こうと思えば、どれだけでも書いていける。
そのくらい、「名作4343を現代に甦らせる」にはあれこれいいたいことがある。

だが書くのはひとつだけにしておく。
この記事を読んで感じたのは、
「名作4343を現代に甦らせる」の筆者の佐伯多門氏は、
JBLの4343というスピーカーシステムを理解していなかった人だということ。
理解していなくとも、「名作4343を現代に甦らせる」の連載を続けるのであれば、理解しようとするべきである。
だが理解しようとされなかった。

少なくとも記事を読んで、そう感じられた。
だが佐伯多門氏だけではない。
ステレオサウンドの編集者も4343というスピーカーシステムを誰ひとりとして理解していなかった、といえる。
4343に憧れていた人は、もう編集部にはいなかったのかもしれない。
そうであっても、理解しようとするべきであった。
それがまったくといっていいほど感じられなかった。

新製品の紹介記事や徹底解剖とうたった記事をつくる以上に、
この手の記事では、対象となるオーディオ機器への理解がより深く求められる。
にも関わらず……、である。
そのことにがっかりした。

そして連載の最後、無惨に変り果てた、もう4343とは呼べなくなってしまったスピーカーを試聴した人、
この人こそ、オーディオ評論家を名乗っているのだから、
もっともオーディオへの理解が深い人であるべきだし、
読者、さらには編集者にとっても、理解することにおいて手本となるべき人なのに、
まったくそうではなかったことに腹が立った。

Date: 2月 20th, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その2)

10年くらい前のステレオサウンドで「名作4343を現代に甦らせる」というタイトルの連載があった。

私が4343というスピーカーの存在を知ったころ、日本ではテクニクスのリニアフェイズ、
それからKEFのModel 105、キャバスのブリガンタンなどが登場していた。
これらのスピーカーシステムは、スピーカーユニットを階段状に配置して、
マルチウェイにおけるそれぞれのユニットのボイスコイル位置を合わせる、というものだった。
実際にはネットワークを含めてのリニアフェイズなのだが。

これらのスピーカーメーカーがカタログ、広告で謳っていることからすれば、
4343の四つのユニットのボイスコイルの位置はバラバラということになる。

これを合わせるにはどうしたらいいのか。
そんなことをしょっちゅう考えていた。

ボイスコイルの位置がいちばん奥まったところにあるのは、
ミッドハイである。ホーン型だから、ホーンの長さの分だけコーン型ユニットよりも奥に位置する。
つまりこのミッドハイのボイスコイルの位置に、ミッドバス、ウーファーのボイスコイルの位置を下げる。
そのためにはどうしたらいいのか。

このころのソニーのスピーカーにSS-G7があった。
このスピーカーのスコーカーとトゥイーターはドーム型で、
ボイスコイル位置が奥にあるのはコーン型のウーファーだから、
SS-G7ではウーファーをすこし前に張り出させることで位置合せを行っている。

ならば4343では逆のことをやればいい。
ウーファーを引っ込めて、ミッドバスはコーンの頂角の違いからもう少し引っ込める。
こんなことをするとウーファーとミッドバスにはフロントショートホーンをつけることになる。

こんなスケッチを当時よく描いていた。
でもフロントショートホーンをつけると、4343はもう4343ではなくなる。
どんなに頭をひねってみても、4343というかっこいいスピーカーは消失してしまう。

それを記事としてやってしまったのが、「名作4343を現代に甦らせる」だった。
唖然とした。

Date: 2月 20th, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その5)

1979年のソニーの広告。

徹底を重んじるソニー。
これはコントロールアンプのTA-E88、 エレクトリッククロスオーバーネットワークのTA-D88の広告。

モルモット精神のソニー。
これはPWM増幅のパワーアンプTA-N88、
クリスタルロック・シンセサイザーチューナーのST-J88の広告。

流行にこだわらないソニー。
アナログプレーヤーPS-X9の広告。

現代的な職人をめざすソニー。
4ウェイのフロアー型スピーカーシステムSS-G9の広告。

それぞれ広告に書かれているボディコピーをすこしばかり引用しておく。
     *
徹底ということが難かしいのは、徹することによって何かが犠牲になることが多いからでしょう。

人を驚かせるような新しい技術を世に送ろうとする時、同時に大きな危険を介護しなければなりません。

流行が悪いことだとは考えません。いいアイデアが普遍化されてこそ、進歩があるからです。
しかし、その反対側からものを見つめることができなくなってはなりません。

職人芸というのは、ひとつのことを狭く、深く追求することから生まれるものでしょう。
     *
それぞれの広告の冒頭だけを引用した。
この後にもコピーは続く。

facebookで、ひとつ前の投稿にコメントがあった。
そこには、「当時の広告は今と違ってリアリティーがベースでしたね」と書いてあった。
そうかもしれない。

Date: 2月 20th, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その4)

数日前のニュースで、ソニーがビデオ&サウンド事業の分社化が報じられていた。
ソニーについてのニュースは、ほかの会社のニュースよりも目にすることが多いように思う。

ソニーの苦境をさまざまな人が分析している。
現社長に対する批判もインターネットではけっこう目にするようになってきている。

ソニーの内情は、わからない。
ソニーがどうなっているのかについて語ろうと思っていない。

ただ昔の広告を見ていて書きたくなっただけである。
1979年のソニーのオーディオ機器の広告にこうあった。

徹底を重んじるソニー。
モルモット精神のソニー。
流行にこだわらないソニー。
現代的な職人をめざすソニー。

これらを単なる広告のコピーとしてだけ受けとっていいのか。
そう思っただけである。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その7)

SAEのパワーアンプ、Mark 2500は瀬川先生が高く評価され自家用として購入されたモノである。
輸入元はRFエンタープライゼスだった。

300W+300WのMark 2500は1977年秋に400W+400WのMark 2600へと変更された。
瀬川先生は、Mark 2600よりもMark 2500を高く評価されていたことは、以前書いている。

1979年6月、SAEの輸入元はRFエンタープライゼスから三洋電機貿易へと変った。
オーディオ雑誌に、RFエンタープライゼスの広告が載っている。
「さようならSAE」とある。

Mark 2600は、だからRFエンタープライゼス輸入のモノと三洋電機貿易輸入のモノとがある。
だからといって同じとは限らない。

「さようならSAE」にはこう書いてある。
     *
MARK2600においては、電源トランスの分解再組立てによるノイズ防止/抵抗負荷による電源ON-OFF時のショック追放/放熱ファンの改造および電圧調整によるノイズ低減/電源キャパシターの容量不足に対し、大型キャパシターを別途輸入して全数交換するなど、1台につき数時間を要する作業を行うほか、ワイヤーのアースポイント変更による、方形波によるリンキング防止やクロストークの改善など、設計変更の指示も多数行ってまいりました。
     *
三洋電機貿易も同じことをやっていたかもしれない。
でも、私はやっていなかったと思う。

以前、ある人からSAEのMark 2600を昔使っていたけれど、瀬川先生がいうほどいいアンプではなかった、
といわれたことがある。
その人に確認したのは、輸入元がどちらかだった。
彼が使っていたのは三洋電機貿易輸入のMark 2600だった。

上に書いたことを彼に説明したけれど、納得していなかった。

だがこれだけ輸入元で手をくわえていれば、
そうでないMark 2600とはかなり音が違っていることは容易に想像できる。

瀬川先生が高く評価されていたのは、RFエンタープライゼス輸入のMark 2500である。
並行輸入されたMark 2500もあるだろうが、それを高く評価されていたわけではない。

この違いははっきりとしておきたい。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(オンキョーD77NE)

昨年12月にオンキョーからD77NEというスピーカーシステムが発表になった。
価格は175000円(一本、税別)。

三倍ちかくになっているけれど、1980年代の598のスピーカーの、いわば現代版である。
598のスピーカー競走はオンキョーから始まった認識している私にとって、
この時代にD77の型番を復活させて、同等規模のスピーカーシステムを出すオンキョーの意図は、
どこにあるのか、どういうものなのか、とぼんやりと考えていた。

発表時から気になっていたのは専用スタンドが用意されていないことだった。
なぜ出さないのだろうか、と思っていた。
もしかすると後から発表になったのかもしれないとオンキョーのサイトを見てみた。
気づいたことがある。

D77NEは、オンキョーによるとフロアスタンディングスピーカーなのだ。
ブックシェルフ型だとばかり思っていた。
だからスタンドのことが気になっていたのだが、
フロアー型としてオンキョーは開発したものらしい。

ならばスタンドは不要ということと受けとっていいはず。

いま書店に並んでいるオーディオ雑誌には、D77NEの試聴記事が載っているはず。
そこでD77NEはどう扱われているのだろうか、
ブックシェルフ型なのか、オンキョーのいうようにフロアー型としてなのだろうか。

確かにD77NEのサイズは、本棚(ブックシェルフ)におさまるサイズと重さではない。
かといってフロアー型(オンキョーではフロアスタンディングスピーカー)だろうか。

フロアスタンディングスピーカーとは文字通りの意味で受けとれば、
床に直置きして鳴らすスピーカーのことである。

D77NEはそうやって聴くスピーカーなのだろうか。