ヘッドフォン考(その4)
ヘッドフォン、イヤフォンをスピーカーの代用品と見做す人はいまもいるようだ。
満足に音を出せる部屋をもたない者がヘッドフォンに凝るんだ、と、そういう人はいいがちだ。
自由にいつでも好きな音量で聴ける環境をもっていればヘッドフォンで聴く必要は、
ほんとうにないのだろうか。
1990年夏に骨折して、一ヵ月半ほど入院していた。
当時はiPodやiPhoneなんてなかった。
ウォークマンは持っていなかったから、音楽を聴けるモノは何ももたずに入院していた。
一ヵ月ほどは音楽を聴きたいという欲求はそれほど強くなかった。
順調に回復したころから、松葉杖で病院内を歩いていると、
ふと気づくと口ずさんでいる曲があった。
ハイドンのピアノソナタだった。
グールドの弾くハイドンのソナタであった。
グールドによる軽快なリズムで進行するハイドンのピアノ曲が、無性に聴きたくなっていっていた。
最近、このグールドのハイドンをイヤフォンで聴いた。
なんといい感じで鳴ってくれるんだろうか、と感じていた。
このハイドンが、グールドにとってはじめてのデジタル録音である。
聴いていると、これほどヘッドフォン、イヤフォンの良さを聴き手に認識させる演奏はないようにも感じる。
一言で表現すれば、マスからの解放なのかもしれない。