Date: 2月 19th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その27)

今日も自作スピーカーの日だった。
ユニットは加えていない。2ウェイのままである。

次のステップとして何をやったかというと、デッドマスの装着である。
1980年代のラジオ技術を読んできた人ならば、すぐにわかるだろうし、
他のオーディオ雑誌でもデッドマスについての記事は載っていた、と記憶している。

今回は入手が簡単ということもあって、
70mm径と60mm径の真鍮の円盤を、東急ハンズで購入して、
エポキシ系接着剤で、ユニットの後に接着している。

今日、接着したわけではない。
エポキシ系接着剤は、室温20度で24時間後に強度が最高になるため、
接着してすぐに聴ける状態になるものでなはい。

真鍮の円盤の購入は先週火曜日で、すでに接着は終っている。
この状態から、もう一度セッティングを詰めていったのが、今日やったことである。

70mmの真鍮の円盤はトゥイーターである。
厚みは20mm。
極端に重いわけではないが、トゥイーターのユニットとしての重心は後に下がる。
トータルの重量もかなり増す。

デッドマスなしの状態では、それまでの取付台座でも特に不満は感じなかったが、
今回からはおそらく不満が出てくるであろうと予想し、前日にいくつかのモノを用意していた。

トゥイーターの設置の仕方を変えた。
それからこまかなことをいくつかやって、
最終的に前回の音よりも明らかに手応えのある感じとなった。

デッドマスの効果が、トゥイーターの設置の仕方を変えたことも相俟って、
よく出ていたのではないだろうか。

今回の変化はいくつもあるなかで、
私がいちばん印象的だったのは、溜めの表現がきちんと出てくるようになったことだ。

Date: 2月 18th, 2018
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その6)

私は、音も音楽も所有できない、と何度も書いてきている。
一方で、音も音楽も所有できる、と思っている人たちがいる。

私はどこまでもいっても所有できないと考える人間だから、
秋葉原にある、とあるオーディオ店をトロフィー屋としてしか認識できない。

けれど音も音楽も所有できる、と思っている人にとっては、
あそこもオーディオ店であり、中には自分にふさわしいオーディオ店と思う人もいよう。

音も音楽も所有できる、と思っている人たちに、
どれだけ言葉をつくしたところで、
あそこがトロフィー屋だとは納得させることはできない。

Date: 2月 18th, 2018
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その40・追補)

その40)で書いていること、
いわば耳の錯覚といえる現象(音韻修復という)は、1950年に報告されている。

ジョージ・アーミテージ・ミラー(George Armitage Miller)と
ジョゼフ・カール・ロブネット・リックライダー(Joseph Carl Robnett Licklider)による報告が、
もっとも初期のものということだ。

その後さまざまな変形実験へと発展していて、
言語音声から短い時間分だけの情報をごっそり除去して空白をつくる。
それをいくつもつくっていくと、何を言っているのは、まったく理解できない。

なのに空白部分に、元の言語音声とはまったく関連性のないノイズを加えるだけで聴きとれる。
空白によって途切れた情報が補完されたようにつながってきこえてきて、
喋っている内容がわかるようになる。

これは音楽信号に認められていて、
ある音符のひとつを取り除いて、やはり雑音に置換しても、
どの音符が取り除かれたのかわからなくなる、という。
この音楽に関する現象は、佐々木隆之氏が発見されている。

実際は、何らかの情報が欠落していて、そこにあるのはノイズだけだとしても、
前後の音(情報)との関係で、本来であったであろう音が導かれるようにきこえることを、
聴覚誘導と総称されている。

いわば知覚の仕組みである。

Date: 2月 18th, 2018
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その5)

2月16日も秋葉原に行っていた。
夕方、少し早い時間から男三人、秋葉原をふらついていた。

目的のパーツの購入をすませてから、いくつかの店に寄った。
ダイナミックオーディオトレードセンターにも行ってきた。

ここのビルの三階、売場には小さいけれど書棚がある。
そこにはオーディオ雑誌だけでなく、関連書籍も置いてある。

「オーディオ巡礼」、「西方の音」、「天の聲」はもちろんある。
「オーディオ彷徨」もある。

けれど私の目に留ったのは「人間の死にざま」と「編集者 齋藤十一」の二冊だ。

書棚のあるオーディオ店はここだけではない。
けれど、私の知っている範囲で、
「人間の死にざま」と「編集者 齋藤十一」があるオーディオ店は、他にない。

トロフィー屋としてしか呼べないオーディオ店と、なんと違うことか。

Date: 2月 17th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・余談その2)

スピーカー端子もコイズミ無線で購入したもので、
いわゆる普及タイプのもので、特に凝った造りの端子ではない。

ファストン端子も含め、端子はそこに使われている材質、構造が音に影響する。
端子が介在することによる音への影響を積極的に利用するという手もあるが、
今回銀線を選択したこともあって、できるだけ端子に起因する音の影響を排除したかった。

いろんなケースで検証したわけではないが、銀線の音の印象を良くしていくには、
できるかぎり端子による音への影響を排除していくのがいいように感じている。

もっとも銅線でも同じなのだが、特に銀線はその傾向が強いのではないだろうか。

今回のスピーカーでは、内部配線の銀線をスピーカー端子に取り付けているわけではない。
エンクロージュアの外まで銀線をひっぱり出して、
アンプから来ているスピーカーケーブルとともに、スピーカー端子の穴に通している。

つまりスピーカーケーブルと銀線が直に接触している。
そのためのスピーカー端子、つまり固定用としての端子の使い方だ。

もちろん内部配線に使っている銀線をさらに長くして、
アンプの出力端子までもってくるという手もあるが、今回は上記のやり方をとった。

こまかなことではあるが、この手の配慮は確実に音に効いてくる。
トゥイーターを追加しているが、もちろんトゥイーターへの配線も銀線を使い、
スピーカー端子のところで、三本の線を接触させている。

普及クラスのユニット、普及クラスのエンクロージュア、
普及クラスの端子などを使っているが、
普及クラスだから、配慮をしなくていいわけではない。

普及クラスだからこそ、意を尽くしたい。

Date: 2月 16th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・余談その1)

別項「オーディオの楽しみ方(つくる)」で書いているスピーカーの内部配線材は、
銀線、それも単線のかなり細いものを使っている。

しかもかなり余裕をもたせた長さにしている。
ファストン端子は使っていない。
ユニットの端子に銀線をハンダ付けしている。

スピーカーケーブルの末端処理をする。
どんな端子、高価で立派そうに見える端子であっても、
むしろそういう端子のほうが、キャラクターの強い音にしてしまう傾向がある。

そんな傾向がのるのをわかったうえでやっているのであれば、
それはそれでひとつのやり方ではあると思うが、
私はできるだけ、こんなところで強いキャラクターをのせたいとは考えない。

ファストン端子は便利ではある。
でも、ファストン端子を使うのと使わないのとでは、音の差が生じる。
わずかな違いだろう、といわれても、使わない音を一度でも耳にしていれば、使いたくない。

今回使ったエンクロージュアは完成されたモノだから、
フロントバッフルも裏板も接着されていて外せないから、
最初の組立て後に、いろいろやっていこうと考えていたから、内部配線材は長めにした。

それに長めにすることで積極的に銀線の音を活かしたいという気持もある。
それがどのくらい効いているのかは、短くした状態の音を聴いていないので、
なんともいえないが、少なくとも最短距離にしてピンと張ってしまうよりは、
余裕をもたせた状態のほうが好ましい結果が得られることは、
ケーブルの種類に関係なくいえることだ。

ファストン端子を使わないことを徹底する意味でも、
スピーカー端子のところも一工夫している。

Date: 2月 15th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくると秋葉原通い)

1981年に初めて秋葉原に行った。
まだそのころの秋葉原は、オーディオの街といえる雰囲気があった。

それ以前はラジオ、アマチュア無線の街だったのだろうと思うし、
オーディオの街から、AV(ホームシアター)の街へと変り、
そのあとはパソコンの街であった。

大ざっぱにいえば、十年単位くらいで変っていっているようにも感じられる。

いまの秋葉原といえば、もうパソコンの街でもなくなっている。
私はいまの秋葉原も嫌いではない、というより、けっこう好きである。

でも、すっかりオーディオの街であった時代から遠ざかったな……、と思っていた。

今年になって、秋葉原にけっこう行っている。
こんなに頻繁に秋葉原へ行くのは、ずいぶんなかった。
パーツを買うためであり、そのパーツは、スピーカーの自作のためである。

すべてが秋葉原で手に入るわけでもないし、
インターネット通販を使えば、秋葉原にわざわざ行く必要は、ほとんどなくなる。

でも秋葉原まで出掛け、直接店で買う。
時間の無駄、という人がいる。

いまならスマートフォンで大半のモノが注文でき、家に届く。
電車に乗って、歩いて店に行って、モノを探す。
そういう時間は無駄なのか。

無駄と思う人と思わない人がいて、
今回の自作スピーカーに関しても、段階を踏んでの作業である。

一度にすべてやってしまえば、
秋葉原に行くにしても、一度で済むし、無駄な時間をかなり省ける──、
そんなふうには私は考えない。

行くのが楽しいのだ。
しかもひとりで行っても楽しいし、
気の合うオーディオ仲間・友人と一緒にいくのもまた楽しい。

私はオーディオマニアだ。
そうやって耳の記憶の集積を考え、高めていく。

Date: 2月 14th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・イベントのお知らせ)

この項では、フルレンジユニットから始めて、
トゥイーターをつけていくところまで書いている。

偶然にもフォステクスのショールーム(エクスペリエンス・ストア)で、2月23日(金)、
「フルレンジの活用とフルレンジからの発展」というイベントが行われる。

私がいま書いているのとほぼ同じことの公開試聴である。
フルレンジユニットの良さを聴いてもらって、トゥイーターを、ということらしい。
余裕があればサブウーファーも、とある。
しかも持ち込みもOKとある。

Date: 2月 14th, 2018
Cate: plus / unplus

plus(その16)

オーディオにながいこと取り組んでいると、
システムは複雑化の方向に走ってしまうことがある。

オーディオの知識がついてくる。
必要な知識、不要な知識、さまざな知識がついてきて、
そのことによってもシステムは複雑化していく傾向がある。

複雑なシステムを使いこなす快感も、オーディオという趣味にはひそんでいる。
複雑なシステムを組んで悦に入っている。

その人がなにかのきっかけで、その複雑なシステムを一度バラして、
正反対のきわめてシンプルなシステムにしてしまうこともある。

その16)に書いたアクセサリーも同じことである。
屋上屋を重ねる的使い方をしてきたアクセサリーを、
すべて(もしくはほぼすべて)取り去ってしまう。

その音に、ハッとすることは、多くの人が経験していることではないのか。

複雑なシステムからシンプルなシステムに戻した時に、じつはオーディオの発見がある。
複雑なシステムのときには、はっきりと意識してなかったけれど、
なんとなく感じていた、気づいていたようなことが、
シンプルなシステムにすることで、はっきりと気づく。

それが発見のはずだ。

シンプルなところからスタートして少しずつ複雑の方向へと向う。
そして一度シンプルなところに戻る。

でもしばらくすると、また違う方向の複雑化へと向い、またシンプルへ、と。
そのくり返しによって、発見は増えていく。

Date: 2月 13th, 2018
Cate: 情景

富士山は見飽きないのか(その1)

最寄りの駅が国立だから中央線によく乗る。
夕方早い時間でも、空気の澄んだ日は、富士山が見える。

見えるたびに「あっ、富士山だ」と心でつぶやく。
年に一度か二度ほど、後方でも、「富士山が見える」という声がすることがある。

今年になってよく行っているところも、窓から富士山が見える。
見えない日もある。
見える日は、「今日も富士山、きれいだな」とか思う。
なにか得した気持になる。

東京に住んで30年以上。
いったい何回富士山を見てきただろうか。
なのにいまでも「あっ、富士山だ」と思う。

富士山は見飽きないのか。

Date: 2月 13th, 2018
Cate: モノ

キヤノン AE1

中学二年になったばかりの春、
キヤノンからAE1というカメラが登場した。

当時読んでいた学研が出していた中学生向けの月刊誌にも、
AE1の広告は載っていた。

その数年前から父は写真に凝っていた。
モノクロ写真を自分で現像していた。

休日は、一日自分の部屋にこもっての作業をしていた。
そんな父の楽しそうな姿を見ていたから、
写真に興味をもった時期が、私にもあった。

ちょうどそのころと重なるようにAE1が登場した。
本体価格は、八万円くらいだった。
すぐには無理でも、なんとか買えそうな気がした。

中学生向けの月刊誌に広告を出していたくらいだから、
キヤノンも、10代の若者をターゲットにしていたのかもしれない。

最初に買うカメラはこれだ! と決めた。
よし貯金をするぞ、と思った。
1976年の春のことだった。

結局、この年の秋に「五味オーディオ教室」に出逢う。
そこでカメラへの興味を抑え込んだ。

まだ買えてなかったから、できたのかもしれない。
「五味オーディオ教室」との出逢いが二、三年遅れていたら、どうなっていただろうか。

AE1のこと思い出し、ふとそんなことを思うのは、
最近、写真家の野上さんと話すことが増えたからかもしれない。

まぁ、写真はヘタの横好きで終っていたであろう……

Date: 2月 13th, 2018
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(その9)

2017年後半から、毎月第一水曜日のaudio wednesdayでは、
トゥイーターをJBLの075にしている。

075の設計はそうとうに古い。
曲によっては、そのことを如実に感じるし、
別の曲では、まったくそのことを感じさせずに、いい感じで鳴ってくれる、と感じることもある。
(もっともレベルもきちんと揃えていない状態での感想なのだが)

もっともそういうところが古い設計といえば、そうである。
075は、以前書いているように預かりモノだ。

たまたまやって来た075なのだが、
それ以前は、グッドマンのDLM2であり、
正直、このトゥイーターの鳴り方がどうにも不満だった。

別のトゥイーターに替えてみたい、と思っていた。
ちょうどそんなときにAUDAXのトゥイーターの存在を知った。

出力音圧レベルは、アルテックのシステムに組み合わせるに少々低いけれど、
音は試してみなければわからないから、一度やってみたい、と考えていた。
そんなときに075がやって来たから、購入することも試すこともしなかった。

けれど別項で書いている「オーディオの楽しみ方(つくる)」に、
AUDAXのトゥイーターを、SICAのフルレンジの上に足した音を聴いた。

これは実際に試してみるのもおもしろい、という手応えを感じてもいた。
やや変則的な3ウェイにはなるが、
まったくダメな結果になるとは思えない。

少なくとも、いくつかのポイントを調整していけば、
これはこれで075とはひと味も二味も違った印象の音にまとめることはできるはず。

Date: 2月 12th, 2018
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その14)

たった二例(二社)だけの採用例なのに、
もう頭のなかでは三本のフルレンジユニットの配線をどうしようか、と考えている。

4Ωのユニットを三本並列にしたら、1.33Ωとなる。
これではいくらなんでも低すぎ。

8Ωのユニットだと2.66Ω。
これでも低すぎる。

となると4Ωのユニット三本を直列にすれば、12Ωとなる。
妥当な値である。

三本を直列接続するとなると、
それぞれのユニットの取付位置と接続の順番について考える必要がある。
通常の三角形配置の場合、
上側に位置するユニットの配線の順番をどうする。
一番目か二番目か、それとも三番目か。

考えてても、音を聴くまではなんともいえないのだが、
なんとなくなのだが、二番目、
つまり真ん中に位置するようにしたほうがいいように感じる。

実際に作ったときも、どこかにまず決めて配線をしなければならない。
決めて音を聴いて、配線の順番を変えてまた聴く、そのくり返しだ。

シーメンスのEurophonのように逆三角形の配置であっても、
下側にくるユニットの配線の順番は二番目のような予感がある。

その上にトゥイーターをつけるのであれば、
B&OのBeoLab 90ように三本を三角形配置にするのか、
それともEurophonのように縦一列にするのか。

Europhonのように四本のトゥイーターを縦一列にする場合、
BBCモニターのLS5/1のように、
上側のトゥイーターは3kHzあたりからロールオフさせたほうがいいのか、
そのほうが定位がシャープになるような気もする。

Date: 2月 12th, 2018
Cate: 電源

電源に関する疑問(バッテリーについて・その2)

一ヵ月ほど前、古くからの友人のKさんと電話で話していた。
その時、バッテリーのことが話題になった。

Kさんが立ち会ったある録音現場でのこと。
ノイマンのコンデンサーマイクロフォンの電源を、
本番の前に、フル充電のバッテリーに交換しておこう、としたら、
止められた、とのこと。

バッテリーの残りは、約半分。
そのくらいからが音がいいから、そのままの状態で、ということだったそうだ。

40年くらい前の話である。
そのころから、録音の現場(すべてではないだろうが)では、
電池の残りが少なくなってきたほうが、音がいいということは常識であった。

つまり一次電池、二次電池、どちらも同じなのだ。

AC電源かDC電源か。
どちらが音がいいのかは、人によって違っている。
絶対的に電池(DC電源)だ、という人もいるし、
いや、AC電源(商用電源)の方がいい、という人もいる。

電池といっても、さまざまな種類があるから、
どの電池でも音がいい、というわけではないし、
商用電源は外部からの影響を受けるから、これも一概にはいえない。

私としては、電池ならば、音がいい悪いよりも、
常に安定した状態の音が得られる、と期待していた。

つまり商用電源のように、どこかにつながっているわけではないから、
外部からの影響はない。
これは、ひとつの安心感である。

もちろん電池の劣化はあるものの、
商用電源が外部からうける影響の度合と変化にくらべれば、
それはある程度コントロールできる範囲でもある──、
そう思っていた。

けれど電池は減ってきた状態の方が、音がいい──、
このことは電池もまた別の意味で不安定な電源である。

Date: 2月 11th, 2018
Cate: 電源

電源に関する疑問(バッテリーについて・その1)

電源部から供給されるDC(直流)を、
信号に応じて変調して出力しているのが、アンプであるからこそ、
電源の質はそのまま出力の質でもある。

アンプの電源として、理想はバッテリー(電池)だと、
ずっと昔からいわれ続けてきている。

実際の製品でも、バッテリーを搭載したアンプはいくつか登場してきた。

MC型カートリッジのヘッドアンプは、以前から電池使用のモノがあった。
マークレビンソンのJC1は、AC電源仕様とDC電源仕様とがあった。

日本のメーカーからも、海外のメーカーからも、登場してきているし、
消費電力の少ないコントロールアンプだけでなく、
パワーアンプにもバッテリー電源を採用したモノもあった。

電池といっても、充電が行えるタイプ(二次電池)もあればそうでないタイプ(一次電池)もある。
電解液を個体に染み込ませた乾電池もあれば、液状のままの湿電池もある。

電池こそが理想の電源と主張する人たちであっても、
湿電池のほうがいい、という人もいれば、いや乾電池(一次電池)がいい、という人もいる。

さらに、それぞれの種類の中でも、このメーカーの電池が音がいい、
そういうことになっていく。

確かに電池の種類で音は少なからず変化する。
私がポータブルCDプレーヤーを買ったのは、28年前だった。
いくつかの電池を買ってきては、どのくらい音が違うのか、やってみた。

音は変る。
けれど、電池の銘柄による音の違いよりも、
同じ電池でも、使っているうちに音が変化することのほうが気になった。

買ってきたばかり(未使用)の電池が、音もいい、と、
最初は思い込んでいた。
しかし聴いているうちに、そうではないことに気づく。

電池が減ってきた、と表現するような状態での音の方がいいのだ。