Date: 10月 4th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – radio sessionを終えて(その1)

10月2日の会は、予想していた以上に楽しかった。

鳴らしたスピーカーは、タンノイのMonitor Redの15インチ口径。
このユニットが、部屋のコーナーの天井に下向けに取り付けてある。
ただし天井裏をバックキャビティとするのではなく、
天井よりも1mほどの位置にあり、そこがバックキャビティとなっている。

スピーカーの対面となる床も、その部分だけ高めの床の間のようになっている。

そして、その間には拡散用の角錐状の木がある。
コーナーに木で作られた裾広がりの急斜面がある感じともいえる。

ここに反射した音を主に聴くことになる。

このタンノイも、かなり長いこと鳴らされてなかった。
昨年だったか、最初のチェックの時には鳴らなかった。
アンプは、中国製と思われるD級アンプが接続されていたが、
これが故障しているようだった。

野口晴哉氏が、このタンノイをどんなシステムで鳴らされていたのか、
まったく手がかりがない。

中国製アンプは、野口晴哉氏が亡くなられた後に用意されたモノ。

別項でも書いているように、野口晴哉氏のシステムは、氏が亡くなられたあと、
何人かの人によって手が加えられている。

このシステムもそうで、アンプだけでなくネットワークも、
Monitor Redのモノではなく、
1980年ごろに登場したSuper Red Monitorのそれになっていた。

Date: 10月 4th, 2024
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その29)

e-onkyoからのメールが、先ほど届いた。
サービス終了のメールであり、Qobuzサービス開始のメールでもある。

メールには、こうある。
     *
2024年10月16日(水)正午
e-onkyo musicでの楽曲の販売、新規会員登録、登録情報変更の停止

2024年10月23日(水)
Qobuzプレオープン
※e-onkyo musicの会員の皆様限定のお知らせとなります。グランドオープンまで、会員の皆様は優先的にお楽しみください。

2024年11月30日(土)23:59
e-onkyo musicでの、購入済み楽曲の再ダウンロード終了
     *
10月23日に、ようやくプレオープン。
本格的サービス開始は、12月1日になるのか。

とにかくQobuzが日本でも始まる。

Date: 10月 3rd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十夜(43年目の4343・その1)

瀬川先生が亡くなられたのは、1981年11月7日。
次回のaudio wednesdayは、43回目の命日の前日。

単なる偶然だとしても、43である。
どうしてもJBLの4343を鳴らしたい。

なんとか鳴らせそうな目処がたった。
アンプはまだ決まっていないが、D/Aコンバーターは決まっている。
メリディアンのUltra DACだ。

Date: 10月 2nd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade ) – 第十夜と第十一夜

11月6日のaudio wednesdayは、すでに予告しているように、
瀬川先生の命日の前日ということも含めて、
JBLの4343を鳴らす予定で進めている。

12月4日の会は、今日(10月2日)に予定していたテーマをやる。
現代音楽をBOSEの901 Series Vで聴くわけだが、それにプラスひとつ面白いことを考えている。
うまくいくかどうかはなんともいえないが、
私自身はかなり楽しみにしている。

なんとか一年続けられる。

Date: 10月 1st, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – radio session(いよいよ明日)

明日(10月2日)は、audio wednesday だが、
今回は趣旨を少し変えての会となる。
部屋もいつものところではなく手前の和室で、
この天井に取り付けられているタンノイの15インチ・同軸型ユニットを鳴らす。

なのでモノーラル再生となる。
アンプはマッキントッシュのMC275を使う。
コントロールアンプはマランツのModel 7。

今回のシステムはできるだけ小型、そしてミニマルにしたいので、
コントロールアンプなしも考えたが、ステレオ音源をモノーラルにするためもあって使うことにした。

とはいえ、今回の会は軽い感じで進めていくし、
歌を中心していく。
音源はTIDALとApple Musicと、ストリーミングのみ。

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として1000円いただく。
大学生以下は無料。

Date: 10月 1st, 2024
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その28)

可能性としては低いんだろうな……、思いながらも、
TIDALやQobuzは、
Netflixやamazon、Appleのように、
オリジナルの作品を作って配信していくようになるのか。

そんなことをおもったりしている。

Date: 9月 30th, 2024
Cate: 表現する

自己表現と仏像(その13)

自尊心を満たすためだけのオーディオであるならば、
それは確かに「自己表現」といえよう。
そして、そんなオーディオは、自分のためだけのオーディオともいえる。

オーディオは音楽を聴くため、
つまりは自分のためのものであることはそうなのだが、
自分のためだけのものなのか、と問いたい。

誰かのためなのか。
これも、はっきりそうとは言えない。

自分のため、誰かのため、その狭間にあるのだろうか──、思いつつも、なぜ仏像なのかに、もう一度還ることになる。

Date: 9月 29th, 2024
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その33)

誰かのリスニングルームに入る。
たいていの場合、最初に目に留まるのはスピーカーだろう。

オーディオというシステムの主役は、やはりスピーカーである。
オーディオマニアすべてが、そう考えているわけでないことは知っている。

今も昔も、このアンプに合うスピーカーはなんですか、ということが言われている。
オーディオ雑誌の記事でも、いまもそうである。
そこにオーディオ雑誌の編集部のポリシーは感じられない。

主役はスピーカーだからこそ、
別項で「終のスピーカー」をテーマとして書いている。

主役であるスピーカーが、
ここでのテーマであるオーディオ・システムのデザインの中心か、言えば、
私はシステムのデザインの中心は、コントロールアンプと考える。

セパレートアンプならばコントロールアンプで、
プリメインアンプならば、そのプリメインアンプである。

そう考えているからこそ、ずんぐりむっくりのプロポーションのアンプは、
何を考えての、このずんぐりむっくりなのか、と問い詰めたくなる。

Date: 9月 28th, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

BOSE 901というスピーカーのこと(その3)

《いわばシグナル・トランスデューサーの概念に対してアコースティック・トランスデューサーの概念で作られたものなのだ。》

スイングジャーナル 1977年7月号のSJ選定新製品で、
菅野先生が901 Series IIIについて、そう書かれている。

シグナル・トランスデューサーの概念、
アコースティック・トランスデューサーの概念、
いまでは、というよりも、いまもなのだが、
世の中の大半のスピーカーシステムは、シグナル・トランスデューサーの概念によるモノであり、
アコースティック・トランスデューサーの概念によるモノは、
どれだけあるだろうか。

BOSEの901は、その型番が示すように9基のユニットからなるスピーカーシステム。
101MMは、フルレンジ型ユニットが1基のみだから、型番は101である。

901と101の共通点は使用ユニットだ。
どちらも口径11.5cmのフルレンジ型で、基本的には同じといえる。

101MMではインピーダンスは8Ω、
901のユニットは9基すべて直列接続の状態で、一般的な8Ωにするため、
個々のユニットのインピーダンスは0.9Ωとなっている。

901では9基のユニットを、前面に1基、後面に8基と、
比率的に1:8になるように配置されている。

901は間接音重視のため、間接放射型のスピーカーとして受け止めている人もけっこういる。
本当にそうだろうか。

間接放射型のスピーカーシステムは、以前から数はそれほど多くはないものの、
いくつかあったし、いまも製品としてある。

だからといって、それら間接放射型スピーカーすべてを、
アコースティック・トランスデューサーの概念によるモノとして括っていいのか。
901と同じと捉えていいのか。

ここのところが曖昧のまま、901は市場から姿を消してしまった。

Date: 9月 27th, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

BOSE 901というスピーカーのこと(その2)

昨日の昼に入った飲食店でも、BOSEの101MMが鳴っていた。
101MMは2010年ごろに製造中止になっている。
発売は1982年ごろだから、かなりのロングラン《ロングセラー》でもある。
BOSEの定番モデルであったわけだ。

昨日、久しぶりに耳にした101MMの音は良かった。
飲食店のスピーカーが何なのか、常に気にしているわけではない。
いい感じで鳴っているな、と感じた時は、どのスピーカーなのかを確認する程度なのだが、
昨日の音は、そんな感じだった。

たぶん店主の好きな音楽をかけているんだろう、と思ったのは、
少しBGMとしては音量が大きめだったから。

一昨日に901 Series Vを運んで、昨日101MMが鳴っていた飲食店にたまたま入った。
それだけのことだけど、早く901 Series Vの音を聴きたくなっている。

101MMの音は、どこかで耳にしているはず。
そのくらい売れていたスピーカーであり、
BOSEの名を広めたモデルでもある。

けれどBOSEのフラッグシップモデルは、901である。
なのに901がどんなスピーカーなのかは知っているけど、
聴いたことはないし、関心もない──、
なんともったいないことか、と私は思っているし、
そのおもいは少しずつ大きくなってきてもいる。

Date: 9月 26th, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

BOSE 901というスピーカーのこと(その1)

BOSEの901は、ずっとロングランを続けていたモデルだった。
最初の901は1968年に登場している。
その後、何度も改良が加えられてきた。

私がオーディオに興味を持ち始めたころは、Series IIIになっていた。
ステレオサウンドで働くようになって初めて901の音を聴いた。
すでにSeries IVになっていた。

最初の901、その次の901、これらを聴いている人はどのくらいいるのだろうか。
おそらくごくわずかな気がする。

そのころのBOSEの輸入元はラックスだった。
当時のBOSEの日本での広告を見ると、
901という独特なスピーカーを、いかに理解してもらうか、
そのことが伝わってくる。

輸入元がかわってからも、そのことは同じだったと言える。
手法は違っていても、901は決してキワモノのスピーカーではないことを訴えようとしていた。

それでもSeries IIIになってからの901を聴いている人もまた少ないように感じている。

1980年代中頃からだったか、
カフェバーとスタイルの店が数多くできてきた。
このカフェバーでよく使われていたのが、BOSEの101MMだった。
型番末尾のMMは、Music Monitorの頭文字。

この店もあの店も、スピーカーは101MMという時代が確かにあった。

Date: 9月 25th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – radio session(追補)

10月2日のaudio wednesdayは、
すでにお伝えしているように、radio sessionということで、
これまでと趣向を少しばかり変えての会となる。

本来行う予定だったテーマで使うBOSEの901 Series Vだが、
今日持ち込んでいる。
なので10月2日でも、最後の方でちょっとだけ鳴らそうと考えている。

部屋によってスピーカーの音は大きく左右されるのを、
実際に体験してもらおうという意図である。

使用器材がまったく同じわけではないし、
日を改めて、部屋をかえて鳴らすわけなので、
厳密な比較試聴にはならないが、部屋の影響ははっきりと感じられるはずだ。

Date: 9月 24th, 2024
Cate: サイズ

サイズ考(GAS THAEDRAを眺めていると)

三年前に、SAEのMark 2500を毎日眺めていると、
四十年前は大きく感じられたのが、
いまではコンパクトな感じがする、と書いている。

Mark 2500は、登場時は物量投入型のアンプという位置付けだった。
300W+300Wの出力は、当時としてはコンシューマー用アンプとして、
最大出力でもあった。

そういうアンプだったMark 2500が、いまでは小さく感じられるのは、
現行製品のアンプが相当に大型化しているためである。

先日、別項で触れているように、アキュフェーズを持って帰ってきた。
今回初めてGASのTHAEDRAと並べて置いている。

Mark 2500と同じ印象を、ほぼ毎日感じている。
THAEDRAも、当時は物量投入型のコントロールアンプという印象だった。

それなのにいまではコンパクトだな、と感じている。
それに持っても軽い、と思ってしまう。

アキュフェーズが大きいのか、
THAEDRAが小さいのか。

どちらを自分の基準とするのか。
それによってどちらかになるし、
アキュフェーズのDC330とTHAEDRAとでは、
内部構成が大きく違い、部品点数も数である。

大きく作ろうとして大きくなっているわけではないことはわかっている。

それでもいまではTHAEDRAは、かわいいアンプだな、と感じている。
こんなふうに受けとめ方が変化するとは、
四十年前には全く予想しえなかった。
そのことが不思議と新鮮でもある。

Date: 9月 23rd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十夜

すでに告知しているように、
11月の会ではJBLの4343を鳴らす予定でいる。

アンプはどうするか。
瀬川先生の命日の前日に鳴らすのだから、
マークレビンソンのLNP2、ML2が用意できればいいけれど、
それは無理そうである。

まだ、どのアンプで鳴らすのかは決めていない。
用意できなければ意味はない。

仮にマークレビンソンのアンプが用意できたとしても、
瀬川先生が鳴らされていたであろう音を再現したいわけではない。

瀬川先生に聴いてもらいたい音を鳴らしたい、とおもっている。

Date: 9月 22nd, 2024
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室中秋会

10月20日、野口晴哉記念音楽室で、中秋会が開催される
5月の音楽鑑賞会のスピーカーは、シーメンスのオイロダインだったが、
今回の中秋会では、ウェスターン・エレクトリックの594Aを中心としたシステムとなる。

昨年5月とほぼ同じシステムだが、アンプがメンテナンスされている。
アナログプレーヤーも一部違うので、音も違ってくる。

「回想の野口晴哉 ─朴歯の下駄」に、こう記してある。
     *
 先生が亡くなる年の正月のこと……。
 夜、一人の見知らぬ男の人が訪ねて来た。
「スピーカーを買ってくれないか」ということだった。
 全く不思議なのは、そのスピーカーこそ、ウェスタン・エレクトリック594と、ランシングの先代が作ったという戦前のもの──先生が長い長い間、欲しくて手に入らなかったものだった。
「これで欲しいものが全部揃った。もう何も欲しいものがない」
 そういって、先生は微笑(みしょう)した。
 それは三十年間共に暮らして、一度も見たことのない微笑だった。
     *
野口晴哉氏にとって、ウェスターン・エレクトリックの594Aは、
ずっと憧れの存在だったのかもしれない。
野口晴哉氏は、594Aは、すでに所有されていたが、
残念なことに一本だけだった。
モノーラル再生でのみ、その音を聴かれていた。
おそらく、その音の浸透力は他のスピーカーのどれも敵わないものだったはずだ。

モノーラルでは聴ける。素晴らしい音で聴ける。
ならば594Aをペアで揃えてステレオて聴いたならば──。
オーディオマニアならば誰もそう思うはずだし、
野口晴哉氏もそうだったはずだ。
けれど594Aに限らずウェスターン・エレクトリックの製品は、お金があっても買えなかった。映画館をはじめとする劇場へのレンタルのみだったからだ。
1980年代に入り、商売になるとみた業者が増えたので、
お金を積めば買える時代が、一時期あったけれど、
野口晴哉氏の時代はそうではなかったからこそ、
《微笑(みしょう)》されたのだろう。

昨年の音楽鑑賞会で鳴っていたのは、594Aを中心としたシステムだったが、本領発揮とはいえなかった。
理由はいくつもあるが、一つ挙げると電源の問題がある。
594Aは、永久磁石ではなく電磁石によって動作する。
そのための電源を必要とするわけだが、
この電源のクォリティによって594Aの音は大きく変化する。

野口晴哉氏はセレン整流器による電源を使われていた。
モノーラルで鳴らされていた時のモノのはず。
だからすでに作られてから五十年以上経っている。

去年の音を聴いた時から、電源の出力電圧が低下しているのでは……、
そんなふうに感じていた。
先日、電源電圧をチェックしたところ、
25V必要なのに14.5Vと、四割も低い値だった。
だからといってセレン整流器の電源を修理することは、
今の時代、ほぼ無理といえる。

新しい電源、594Aに相応しい電源を用意しなければならないが、
容易くはない。時間もかかる。

今回はスイッチング電源を使う。
594Aにそんな電源を、言われるだろうが、
まずは594Aを規定の電圧で鳴らす。ここから始めていく。
野口晴哉氏が描かれていたであろう594Aの音を実現する。今回は、その一歩目の音である。

上記リンクをクリックすれば詳細が表示される。
今回、私は裏方で、594Aの音を去年よりも良く鳴らしたい、
そのことだけをやる。

とは言え、まだ594Aをスイチッング電源での音は聴いていない。

野口晴哉氏は1976年6月に亡くなられている。
だから没後五十年の2026年までには、納得のいく音に仕上げたいと考えている。
その意味での、「一歩目の音」だ。