Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その11)

「iPhoneだから、音がいいのではないのか」と考えるようになってきた私は、
いま期待していることがある。

年末までは登場予定のApple Silicon搭載のMacである。
先日のWWDCで、ウワサになっていたARMベースのMacが登場することが明らかになった。

iPhone、iPadに搭載されいてるCPUがMacにも搭載される。

Macに搭載されてきたCPUは、現在はIntel製である。
その前はApple、IBM、Motorola連合によるRISCチップのPowerPCだった。
さらにその前はMotorolaの68000シリーズだった。

Intelも68000シリーズもCISCである。
もっともCPUの専門家によれば、現在のCPUは、
PowerPCが登場したころのように、はっきりとCISC、RISCと分けられるわけではないようである。
CISCであっても、RISCの技術が導入されている、という話を読んだことがある。

とはいえ、大きく分ければCISCとRISCとがある。
iPhone、iPad搭載のARMは、RISCである。

つまりMacは、RISCへと戻る。

パソコンを使って音楽再生に熱心に取り組んでいる人は増えている。
そういう人たちは、再生用アプリケーションは、どれがいいとか、
あれこれ細かいことは実験している。

それでもCPUの違いによって、どれだけ音が変化するのかについては、
IntelとAMDの違いについて書かれたものは読んだことがあるが、
それ以上のことは、CISCとRISCによる音の違いについては、まだ読んでことがない。

「iPhoneだから、音がいいのではないのか」、その根拠の一つとして、
RISCだから、というのが関係しているのどうかがはっきりしてくるかもしれない。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その10)

そんなふうにしてiPhoneでも音楽を聴く時間が増えていった最初の頃は、
「iPhoneなのに、音がいい」というふうに思っていた。

そのうちに「iPhoneだから、音がいいのではないのか」、そんなふうに思うようになっていった。

「iPhoneなのに、音がいい」と思っていたころは、
iPhoneでもこれだけの音がするのだから、
オーディオ専用プレーヤーで、デジタル出力をもっているモノならば、
もっといい音がするのではないか、と、
どんな製品があるのかを調べてもいた。

D/Aコンバーターはメリディアンの218を使うことは決っているのだから、
アナログ出力はなくてもいい、デジタル出力だけの専用プレーヤーも探していた。

けれど「iPhoneだから、音がいいのではないのか」と思うようになってきたから、探すのはやめた。

iPhoneはスマートフォンだから、さまざまな機能をもっている。
オーディオ再生には不能な機能のために、不要な部品を搭載している。

それらを悪さをしていて、iPhone内部はノイズだらけなのではないか──、
最初はそんなふうに考えてもいた。

なのに実際に音を聴いていると、
むしろiPhoneはノイズ対策がきちんとなされているのではないのか、そう考えるようになった。

あの小さいボディのなかに、あれだけの機能と性能をおさめている、ということは、
それだけ完成度が高くなければ、さまざまなトラブルが発生するはずだ。

使ってみれば、そんなことはない。
安定した動作をしている。
なまはんかオーディオ専用プレーヤーよりも、良かったりするのではないだろうか。

市販されているオーディオ専用プレーヤーの中には、iPhoneよりも音のよいのがあるだろう。
けれど、デジタル信号を取り出して、218で聴くのであれば、
その差は意外と小さいのではないだろうか。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その9)

そういった儀式がなくなければいい、とは考えていない。
それでも、なぜ、そこまで儀式にこだわるのかを自問してほしい、ということだ。

それでも儀式にこだわる人はいるわけで、
そういう人のなかには、iPhoneなんかで音楽が聴けるか! と主張する人もいる。

iPhoneは持ち運べるモノであり、しかもオーディオ専用プレーヤーではない。
スマートフォンの機能として音楽を再生できる。

専用プレーヤーとしての据置型のオーディオ機器で再生することこそ、
オーディオの本来のあり方だ、とこだわっている人からすれば、
外付けのD/Aコンバーターをもってこようと、
iPhoneなんかで音楽が聴けるか! となって当然なのかもしれない。

最初iPhoneを218に接続したとき、
それほど大きな期待をもっていたわけではなかった。

iPhoneと218を接続するには、Lightning-USBカメラアダプタとD/Dコンバーターが必要になる。
すでに書いているように、iPhoneで使えるD/Dコンバーターは少ない。

私が使っているのはFX-AUDIOのFX-D03J+である。
数千円で購入できるモノで、バスパワーで動作する。

Lightning-USBカメラアダプタもオーディオ専用アクセサリーとは、とてもいえない。
D/Dコンバーターも高品質なモノとはいえない。

これらを介してのiPhoneでの音楽再生である。
大きな期待をするほうがおかしいといえるし、
どれだけの実力と、可能性があるのかを自分の耳で確認したかったから、やってみた。

やってみて、侮れない、と感じた。
そう感じたから、FX-D03J+にも手を加えた。

ますます侮れない、と感じるようになった。
iPhoneを機内モードにしてみる。
これだけでも音は良くなる。小さくない音の変化で、
機内モードにするかしないの音の違いは、audio wednesdayでも聴いてもらっている。

さらにaudio wednesdayでは、それまで使っていたアプリをすべて終了させたうえで、
一度電源をオフにして起動しなおして、音楽再生に必要なアプリのみを起動させている。

こうやって聴いてもらうiPhone+218の音に、
「MCD350に戻してくれ」の声があがったことは一度もない。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その8)

今年のaudio wednesdayは、
前半の二時間はマッキントッシュのMCD350とメリディアンの218での音出し、
後半の二時間はiPhoneと218の組合せでの音出しをすることが多い。

こんなことを書くと、iPhoneなんかで音楽を聴くなんて……、と思う人はどれくらいいるのだろうか。
アナログディスク全盛時代からオーディオをやっている人ほど、゛
いわゆる儀式を音楽を聴く前に求める傾向にあるのではないだろうか。

私だってアナログディスク全盛時代からオーディオをやっている。
オーディオで音楽を聴く、といえば、
ほぼ100%、アナログディスクをかけて、ということでもあった。

それからCDが登場した。
そのCDでも、最初のうちは、二度かけをやったものだ。
トレイにディスクをセットしてTOCを読み込ませる。
そして一度トレイを開けてもう一度TOCを読み込ませてからの再生。

あるオーディオ評論家(商売屋)は、
この二度かけを言い出したは自分が最初だ、といっている。
けれど、そんなオーディオ評論家(商売屋)が言い出す以前から、
井上先生が指摘されていたことだ。

音楽を聴くのに、儀式は必要なのか。
若いころであれば、必要だった、といえる。
でも、そのころから何十年、オーディオで音楽を聴いてきたことだろう。

儀式がなければ音楽に集中できない──、
なんてのは、オーディオの介しての音楽の聴き手として、まったく成長していない。
儀式、儀式とうるさい人に向っては、そんなことさえいいたくなる。

求めているのは音楽を聴いての感動である。
儀式に酔いしれたいわけではない。

Date: 7月 6th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その25)

11月6日〜8日開催予定だった大阪ハイエンドオーディオショウも、
今年はコロナ禍の影響で中止が発表になった。

驚きはない。
2018年、はじめて大阪ハイエンドオーディオショウに行った。
ホテルが会場ということで、以前の輸入オーディオショウ的だろうと思っていた。
実際にそうだった。

広いブースを使っている出展社もあったが、多くは狭い部屋である。
三密に、どうしてもなりやすい。

だから、やっぱり……、と思っただけである。
むしろ、いつ発表するのだろうか、と思っていた。

開催予定の四ヵ月前に、中止の発表。
インターナショナルオーディオショウも、四ヵ月前あたりに発表があるのだろうか。
あと二週間ほどである。

インターナショナルオーディオショウの会場は、
会議室がベースだから、スペース的には大阪ハイエンドオーディオショウよりもずっと広い。

けれど、それだけ人も多く訪れる。

仮に開催されたとしても、今年は行かないと決めている。

Date: 7月 6th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その20)

ケイト・ブッシュのCDは、2018年にすべてリマスター盤が出ている。
今回、HくんがもってきてくれたCDもそうである。

この時にMQAも配信が始まった。
44.1kHz、24ビットだった。

デジタル録音のアルバムにあわせるためなのだろう。
でもアナログ録音のものは、サンプリング周波数を高くしてほしかったのが本音だ。

大きな期待は、その時はしてなかった。
MQAの音は、ULTRA DACで聴いて衝撃を受けていたけれど、
まだ自分の部屋でMQAが鳴っていたわけでもなかった。

なのでMQAということに期待しながらも、
音に大きな違いはないのかもしれない──、そんなことも考えていた。

これが違っていたことは、218で聴くようになってからである。
数値上は、44.1kHz、16ビットと44.1kHz、24ビットは、どれだけの違いがあるのか。
そのわずかな違いにMQAということが加わる。

そこで、どれだけの音の変化が生れるのか。

実際に聴いてみると、MQA、MQAとバカの一つ覚えのように、
ここ二年ほどの、私が何度も書いたり話したりしている理由がわかる。

コーネッタで聴いても、その違いははっきりとしているし、大きい。
最後のところでかけた“Hello Earth”の音には、ほんとうに驚いた。

20代のころ、QUADのESLをSUMOのThe Goldで鳴らしていたころの音がよみがえってきた。
“Hello Earth”でESLの仰角や振りを調整していたものだ。

コーネッタで聴くケイト・ブッシュは、
ケイト・ブッシュがイギリスの歌手であることも、感じさせてくれた。

アメリカの英語ではなく、イギリスの英語で、ケイト・ブッシュは歌っている。
そう感じられたのが、なによりもうれしいことだった。

Date: 7月 6th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その19)

喫茶茶会記では、コーネッタをコーナーに設置することは難しかった。
床も壁も理想的な条件からほど遠い。

それでもアルテックのいつものセッティングよりは、後面の壁との距離はかなり近い。
けれど左右の壁との距離は、けっこうあいている。

コーナー型のセッティングとしては、フリースタンディングに近い、といえる。
こういうときに、メリディアンの218のトーンコントロールはありがたい。

7月のaudio wedneadayでは、鳴らし始めてしばらくして1.0dB低音をブーストしていた。
途中で1.5dBにして、最後までそのままで鳴らしていた。

そうやってえられたコーネッタの低音の表現力は、
私にとって意外だった。いい方向に意外であった。

喫茶茶会記のスピーカーは、アルテックで、38cm口径。
コーネッタは、タンノイで、25cm口径。

コーネッタは四十年以上前のスピーカーで、
コーナー型という、これも古い形式であり、
同軸型というスピーカーユニットも、古い形式といえる。

しかも新品ではなく、中古で手に入れたモノだ。

音を聴かずに頭でのみ判断して、その日のCDを前夜選んでいた。
結果は、あのディスクももってくればよかった……、と後悔することになった。
そのくらい、よく鳴ってくれたからだ。

兵庫から来てくれるHくんが、ケイト・ブッシュの“Hounds of Love”をもってきていた。
私のiPhoneには、ケイト・ブッシュのアルバムはすべてMQAで入っている。

audio wednesdayが始まる前にCDで聴いて、MQAで聴いた。
最後のほうに、もう一度MQAで聴いた。

ケイト・ブッシュの鳴り方も、私には意外だった。
よく鳴ってくれるのだ。

Date: 7月 6th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その18)

ステレオサウンド 37号、38号、39号掲載のコーネッタの記事は、
エンクロージュアの設計がどう決っていったのか、どう変化していったのかがわかる。

最初に試作されたエンクロージュアはフロントショートホーンが付いていない、
いわゆる四角い箱(レクタンギュラー型)である。
W53.0×H68.0×D45.0cmの外形寸法で、
バスレフの開口部が18.0×10.0cmで、ポート長16.5cmである。

この状態での周波数特性が載っている。
約45Hzまでほほフラットで、それ以下の周波数では急激にレスポンスが下降する。
典型的なバスレフ型の特性といえる。

コーネッタはコーナー型である。
つまり部屋のコーナーに設置するわけだ。

コーナーは二つの壁と床が交叉するところであり、コーナー効果が発生する場所でもある。
理想的な壁と床が用意されていれば、
低域のレスポンスは無響室での結果よりも、18dB上昇することになる。

これはあくまでも理論値であって、
壁と床が理想的な条件とは遠いほど、レスポンスはそこまで上昇しない。
一般的には8dBから12dB程度だと考えられる。

そのためコーネッタの低域特性は、コーナー効果を前提とした設計となる。
つまり低域に向ってなだらかにレスポンスが下降していくのが望ましい。

バスレフ型であるならば、ポート長は長いほど、コーナー型に適した低域レスポンスが得られる。
ただし、そのポート長がエンクロージュア内におさまらなければ意味がない。

記事には、48.6cmのポート長で、コーナー型として適した低域特性になる、とある。
こんなに長いポートは処理がむずかしい。
結果として、レクタンギュラー型と同じポート長にして、
エンクロージュアの内容積を増すことで、約100Hzからなだらかに下降するレスポンスを得ている。
約45Hz以下では急激にレスポンスが下降していく。

コーネッタの周波数特性は、38号に載っている。

Date: 7月 5th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その17)

いまもそうなのだろうと思うが、
タンノイの同軸型ユニットは、ウーファーの口径に関係なく、
中高域のダイアフラム口径は同じである。

HPD385A、HPD315A、HPD295A、
中高域のダイアフラムは共通である。
そしてクロスオーバー周波数も、三つのユニットとも1kHzで同じである。

ということはウーファーの口径に起因する指向特性の変化を考慮すれば、
38cm口径の場合、ウーファーの受持帯域にわたって良好な指向特性は無理である。
30cm口径でも、やや苦しい、といえる。

単純に指向特性の良好さということだけで判断すれば、
25cm口径ということになる。

それでも、私は、どこかHPD295Aの実力を侮っていたところがあった。
タンノイのユニットを代表するのは、やはり38cm口径である。

30cm口径はそのジュニア版といえる。
HPDシリーズをみても、ウーファーに補強リブがあるのはHPD385AとHPD315Aで、
HPD295Aにはないことからも、
HPD295Aは、ラインナップにおいて上二つのユニットとは設計方針が違うのだろう。

発表時期も、30cm口径は、モニターシルバーになる直前であるが、
25cm口径は1961年、モニターレッドになってからだった。

そして25cm口径のIIILZをおさめたシステムは、
IIILZ in Cabinetは、タンノイ初の密閉ブックシェルフ型であることからも、
25cm口径のタンノイのユニットは、ブックシェルフ型向けといえる。

そのユニットを、見かけの割には内容積が確保しにくいコーナー型とはいえ、
それでも誰の目にもあきらかなフロアー型エンクロージュアにおさめたのが、コーネッタである。

Date: 7月 5th, 2020
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(問いつづけなくてはならないこと・その2)

美しい音を聴くためには、美しく聴く、ということが求められている。
その1)に、そう書いた。

コーネッタを鳴らして、そのことをあらためて実感するだけでなく、
私が五味先生の残されたものから学んだ最大のことは、このことだ。

Date: 7月 5th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その16)

その9)で、コーネッタに手持ちのサーロジックのサブウーファーを追加したい──、
そんなことを書いた。

HPD295Aは、25cm口径。
それほど低いところまで再生できるとは考えていなかったからなのだが、
実際にコーネッタを鳴らしてみると、意外にもかなり低いところまで再生できることに気づく。

HPD295Aのカタログ上のf0の値は、22Hzなのは知っていた。
喫茶茶会記のアルテックのシステムのウーファー416-8Cとそれほど変らない。

25cm口径としてはけっこう低いf0である。
ステレオサウンド 38号では実測データが載っている。
HPD295は、シリアルナンバー200427と200003の二本が測定されていて、
200427が18.5Hz、200003が18.4Hzである。

IIILZ MkIIの実測データもある。
シリアルナンバー138822と141464で、前者が38.2Hz、後者が55.3Hzである。

HPD295のf0は低いだけでなく、
この実測データをみるかぎりは、バラツキも少ないことがわかる。

でも、これだけで数値でどれだけの低音の再生能力があるのかを、
正しく予想できるわけではない。

サブウーファーを考えていたぐらいだから、
私は、f0の数値の低さをそれほど重視していたわけではなかった。

なのに聴いてみると、サブウーファーは必要ないかも……、と思っていた。
もちろんサブウーファーを持っているのだから、試すことになるだろう。

かなり低いところをうまく補うだけで、全体の音の印象は大きく変る。
ピアノを聴くと顕著である。
サブウーファーがうまくつながっていると、フォルティシモでの音ののびがまるで違う。

それにaudio wednesdayでかけたクナッパーツブッシュの「パルジファル」は、ライヴ録音。
こういうライヴ録音こそ、サブウーファーがあるとないとでは、
全体の雰囲気が、これまた大きく変ってくる。

そんなことがわかっているから、やることになる。
それでもコーネッタだけで、何の不足があるのだろうか、とも感じていたのは本音でもある。

Date: 7月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるエリカ・ケート

エリカ・ケートについては、これまで何度も書いてきている。
瀬川先生の文章の熱心な読み手であれば、
エリカ・ケートを、瀬川先生はどういう音で聴かれていたのかを知りたいところである。

同時に、MQAの音の良さに惚れ込んでいる私としては、
MQAでエリカ・ケートを聴きたい、と思っている。

e-onkyoでエリカ・ケートを検索しても、ヒットしない。
ないものだとばかり思っていたが、実はあった。

フリッツ・リーガー指揮ミュンヘン・フィルハーモニーによるモーツァルトの「魔的」である。
1964年7月26日のライヴ録音で、
エリカ・ケートは夜の女王を歌っている。

e-onkyoの当該ページをみても、エリカ・ケートの名前はない。
Fritz Rieger & Münchner Philharmoniker[MainArtist]、
Various Artistsとの表記があるだけだ。

エリカ・ケートが夜の女王を歌っていることに気づいたのは、偶然が重なってことである。
MQA Studioで、96kHz、24ビットで配信されている。

小さな宝ものを見つけたようで、とにかく嬉しい。

Date: 7月 4th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その3)

1977当時、G.R.F.は420,000円(一本)だった。
HPD385Aが搭載されたコーナー型のバックロードホーンである。

当時、タンノイはG.R.F.の製造は、オートグラフとともにやめていた。
エンクロージュアは、タンノイの承認のもと輸入元のティアック製だった。

この点もコーネッタに近い。
この時代、コーネッタが完成品のスピーカーシステムとして登場していたら、
300,000円前後になっていただろう。

ユニットの口径は小さいし、
ホーン型エンクロージュアとはいえ、フロントショートホーンとバックロードホーンとでは、
製作の手間が違う。

それでもコーネッタが、意外にも高くなると予想するのは、エンクロージュアの材質の関係だ。
コーネッタでは、バスレフポートや補棧にはラワンが使われているが、
エンクロージュアの大半には桜合板が使用されている。

この時代の300,000円前後の海外のスピーカーシステムといえば、
アルテックのModel 15(289,000円、一本の価格)、612C(296,000円)、
A7-8(326,000円)、アコースティックリサーチのLST(290,000円)、
JBLのL45-81B(289,000円)、L45-001B(299,000円)、L45-84B(324,000円)、
K+HのOY Monitor(300,000円、アンプ内蔵)、クリプシュのC-WO-15 Cornwall(320,000円)、
ラウザーのCorner Reproducer TP1 TypeD(295,000円)といったところである。

これらのスピーカーシステムの、現在の中古市場での価格をすべて把握しているわけではないが、
このなかで、一本四万円程度で買えるものがあるだろうか。

とにかく、中古オーディオ機器の購入は、運任せのところが多分に強い。
欲しい、と思った時に、あらわれてくれるとはかぎらない。

オーディオマニアのなかには、
ほぼ毎日のように中古を扱うオーディオ店を覗く人もいる、ときいている。
出合いを運任せにはしたくない──、そういう人は、そうであろう。

Date: 7月 4th, 2020
Cate: ワーグナー

Parsifal(その2)

先日のaudio wednesdayでは、クナッパーツブッシュの「パルジファル」をかけた。
この音ならば、「パルジファル」がうまく響いてくれるはず、という確信があったからでもある。

それでも、audio wednesdayで「パルジファル」をかけることになろう、とは、
audio wednesdayで音を鳴らすようになってからでも、考えたことはなかった。

ワグナーの楽劇は、以前バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」は二、三度かけている。
それでも「パルジファル」となると、
それがクナッパーツブッシュの演奏ではなく、カラヤンであったり、ショルティだとしても、
なんとなくさけていたところがあった。

もしかけたとしても、それはクナッパーツブッシュの「パルジファル」ではなく、
カラヤンの「パルジファル」か、いやむしろほとんど思い入れのないショルティをかけただろう。

なのに、今回いきなりクナッパーツブッシュの「パルジファル」を鳴らした。

五味先生の「続・オーディオ巡礼」の森忠揮氏(ステレオサウンド 50号)に登場されている。
     *
森氏は次にもう一枚、クナッパーツブッシュのバイロイト録音の〝パルシファル〟をかけてくれたが、もう私は陶然と聴き惚れるばかりだった。クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でも余りうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか思えぬ鳴り方をする個所がある。
 しかるに森家の〝オイロダイン〟は、実況録音盤の人の咳払いや衣ずれの音などがバッフルの手前から奥にさざ波のようにひろがり、ひめやかなそんなざわめきの彼方に〝聖餐の動機〟が湧いてくる。好むと否とに関わりなくワグナー畢生の楽劇——バイロイトの舞台が、仄暗い照明で眼前に彷彿する。私は涙がこぼれそうになった。ひとりの青年が、苦心惨憺して、いま本当のワグナーを鳴らしているのだ。おそらく彼は本当に気に入ったワグナーのレコードを、本当の音で聴きたくて〝オイロダイン〟を手に入れ苦労してきたのだろう。敢ていえば苦労はまだ足らぬ点があるかも知れない。それでも、これだけ見事なワグナーを私は他所では聴いたことがない。天井棧敷は、申すならふところのそう豊かでない観衆の行く所だが、一方、その道の通がかよう場所でもある。森氏は後者だろう。むつかしい〝パルシファル〟をこれだけ見事にひびかせ得るのは畢竟、はっきりしたワグナー象を彼は心の裡にもっているからだ。〝オイロダイン〟の響きが如実にそれを語っている。私は感服した。
     *
この文章を、高校生のときに読んでいる。
このときはまだクナッパーツブッシュの「パルジファル」は聴いていなかった。
クナッパーツブッシュのだけではなく、
ほかの指揮者の「パルジファル」も聴いたことがなかったから、
よけいに「パルジファル」は神聖なものに近いようにも感じていた。

私にとって、クナッパーツブッシュの「パルジファル」はそういう存在だった。
だから、人前でかけることがあるとは、まったく想像できなかったのだ。

Date: 7月 3rd, 2020
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その16)

歌い手の口の小ささを優先した気持は、私にもかなり強くある。
それでも、口の小ささばかりに気をとらわれていると、
歌は口からばかり発せられているのではないことを、忘れてしまいがちになるのかもしれない。

口の小ささに強くこだわっている人をみていると、そんな気がすることがある。
人の声は口から発せられているのは間違いないが、
身体は共鳴体でもある。

頭蓋骨からも音が発せられている、ということを何かで読んだことがある。
腹から声を出す、ともいう。
腹式呼吸が重要だということである。

少なくともプロフェッショナルの歌い手は、口だけではない。
上半身から声を出しているように感じている。

ウォルター・レッグの「レコードうら・おもて」に興味深いことが書かれている。
     *
カラスが、私の妻がミラノにその晩来ていると知っていて、一緒に食事をしたいといい張った時のことは、しばしば報道されている。私がカラスの代りを探しているという根拠のない噂が何人かの有名なソプラノを磁石のように引きつけ、私たち夫婦がきまって食事するビフィ・スからの中や周辺を、望みを抱いて動き廻っていた。そこへ、まるで何事もないかのような顔でカラスが入って来て、妻の頬に申しわけのようにせっかちなキスをして腰も下ろさずにいった、「あなたの最高音AとBの歌い方を、そのディミヌエンドの仕方を歌って見せて下さい。ウォルターが私のを聴くと船酔いがするっていうの。」シュヴァルツコップが躊躇していると、カラスは、驚いているレストランの客たちを無視して、彼女のトラブルになっている音をフル・ヴォイスで歌った。その間、シュヴァルツコップは横隔膜や下顎や喉、それに肋骨を手で触っていた。給仕たちはびっくりして足を止め、客は眼を見張り耳を傾けてこの面白い光景を楽しんだ。数分してシュヴァルツコップが同じ音を歌い始め、カラスが、どのようにしてそれらの同じ音を安定して歌うことができるのかを探ろうと、同じ箇所を指でつついた。二十分ほどしてカラスは「分かったと思うわ。朝またやって来ます。それまで練習しておきますわ」といって腰を下ろし、夕食を始めた。
     *
身体は共鳴している。
というよりも、プロフェッショナルの歌い手になればなるほど、
身体の共鳴をコントロールしているのだろう。