Date: 7月 7th, 2020
Cate: アンチテーゼ
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アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その8)

今年のaudio wednesdayは、
前半の二時間はマッキントッシュのMCD350とメリディアンの218での音出し、
後半の二時間はiPhoneと218の組合せでの音出しをすることが多い。

こんなことを書くと、iPhoneなんかで音楽を聴くなんて……、と思う人はどれくらいいるのだろうか。
アナログディスク全盛時代からオーディオをやっている人ほど、゛
いわゆる儀式を音楽を聴く前に求める傾向にあるのではないだろうか。

私だってアナログディスク全盛時代からオーディオをやっている。
オーディオで音楽を聴く、といえば、
ほぼ100%、アナログディスクをかけて、ということでもあった。

それからCDが登場した。
そのCDでも、最初のうちは、二度かけをやったものだ。
トレイにディスクをセットしてTOCを読み込ませる。
そして一度トレイを開けてもう一度TOCを読み込ませてからの再生。

あるオーディオ評論家(商売屋)は、
この二度かけを言い出したは自分が最初だ、といっている。
けれど、そんなオーディオ評論家(商売屋)が言い出す以前から、
井上先生が指摘されていたことだ。

音楽を聴くのに、儀式は必要なのか。
若いころであれば、必要だった、といえる。
でも、そのころから何十年、オーディオで音楽を聴いてきたことだろう。

儀式がなければ音楽に集中できない──、
なんてのは、オーディオの介しての音楽の聴き手として、まったく成長していない。
儀式、儀式とうるさい人に向っては、そんなことさえいいたくなる。

求めているのは音楽を聴いての感動である。
儀式に酔いしれたいわけではない。

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