Date: 11月 30th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その72)

オーディオの想像力の欠如した者の「想像力」とは、ゲスの勘ぐりでしかない。
ソーシャルメディアは、今年もそのことを顕にした。

Date: 11月 29th, 2021
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるエリザベート・シュヴァルツコップ(その3)

エリザベート・シュヴァルツコップ、
それにジョージ・セル、アルフレッド・ブレンデルらによる
モーツァルトの“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”。

これを聴いて、美しいと感じない人と美について語り合うことは無理!
そんなことをついいいたくなるほど、美しい。

私はCDで聴いたのが最初だった。
だからアナログディスクもさがした。
イギリスからオリジナル盤を取り寄せたのは、1989年か1990年だった。
安くはなかったけれど、驚くほど高価だったわけでもない。

そのオリジナル盤も、背に腹はかえられぬ時期に手離してしまった。
もう一度、オリジナル盤を手に入れたいか、というと、
まったくないわけではないが、MQAで聴けるようになったいま、
オリジナル盤で聴くよりも、メリディアンのULTRA DACで聴いてみたい──、
という気持のほうがずっとずっと強い。

メリディアンの218に手を加えて、勝手にWONDER DACと呼んでいる。
そのクォリティには満足しているが、
218とULTRA DACとでは、元々が違いすぎる。

どれだけやっても超えられぬ領域があって、
それはマリア・カラスのCDをULTRA DACで聴いた時に、もっとも強く感じている。

マリア・カラスの肉体の描写において、
CD+ULTRA DACとMQA Studio+218(WONDER DAC)とでは、大人と子供くらい違う。
前者は胸のふるえる感じすら伝わってくる。

肉体の復活において、WONDER DACはULTRA DACに劣る。

価格がULTRA DACの1/20なのだから、製品の規模も大きく違うのだから、
その違いは埋めようがないことはわかっていても、
シュヴァルツコップの“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”、
この美しい曲を聴いていると、そこまで美しいと感じているのに、
そこで踏み止まっているのか、という声が聞こえてきそうな──、そんな気さえする。

マリア・カラスは12月2日、
エリザベート・シュヴァルツコップは12月9日の生れ。
二人とも射手座。

そうだよなぁ……、独りごちる。

Date: 11月 29th, 2021
Cate: ディスク/ブック

音楽を感じろ

ニール・ヤングがPONOを手がけたことは知っている。
うまく起動にのらなかったことも、だ。

PONOに触れたことはない。
優れたモノだったのかどうかは、判断のしようがない。

2020年夏に、そのニール・ヤングとフィル・ベイカーによる「音楽を感じろ」が、
河出書房新社から出たことも知ってはいた。

でも、そこまでで、「音楽を感じろ」を読みたい、とまでは思わなかった。
そうやって一年ちょっと過ぎた昨晩、Mさんからメールが届いた。

メールのタイトルは、「ニールヤングのponoとMQA」である。
どういうこと? と急いで本文を読むと、
「音楽を感じろ」によると、PONOのエンジンはメリディアンが開発していて、
それがMQAのベースになった、とのこと。

メリディアンとの関係はうまくいかなかったようで、PONOは別のエンジンを採用する。

「音楽を感じろ」はまだ手に取っていない。
メリディアンのことにどれだけページが割かれているのかもわからない。
とはいえ、MQAのエヴァンジェリストを自認する者として、
「音楽を感じろ」は必読の一冊といえる。

Date: 11月 28th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その10)

何度も書いているように、ことしはTIDALでばかり音楽を聴いていた、といえる。
TIDALでしか聴かなかったわけではないが、大半がTIDALだった。
意図的にTIDALで聴いていた。

クラシックにかぎってもTIDALで聴いていた。
これまで聴いてこなかった新しい演奏家も積極的に聴いてきた。

それほど多くはなかったけれど、いいな、と思える演奏家が何人かいた。
これからに注目したい演奏家もいた。

そうやって初めての演奏家、
これまで聴いてきた演奏家の新しい演奏を聴いて、そういえば──、と戻る。

新しいピアニストの演奏をたっぷり聴いたあとで、グレン・グールドを聴く。
1982年に亡くなっているのだから、グールドの演奏(録音)は四十年以上前である。

なのにいま聴いても新鮮であり、
その素晴らしさが、昔のめり込んで聴いていた時以上に感じられる。

グールドだけではない、20代のころ、のめり込んで聴いていた人たちの演奏は、
まったく古びていないどころか、輝きを増しているようにすら感じてしまう。

Date: 11月 28th, 2021
Cate:
1 msg

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その8)

デレク・ヒューズの名に期待したい理由は、もうひとつある。
別項で書いているD40の存在がそれである。

スペンドールの唯一のプリメインアンプD40は、1977年に登場した。
ステレオサウンド 44号の新製品の紹介記事で取り上げられている。
1977年暮の「コンポーネントステレオの世界 ’78」にもD40は登場している。

D40というプリメインアンプは、優秀なプリメインアンプとは呼べないだろう。
どんなスピーカーからもいい音を出してくれるわけではないからだ。

スペンドールのBCIIを接いだときにおいて、
どちら(BCIIとD40)も真価を発揮する、といえるほどの鳴り方を示してくれる。

このD40を設計開発したのが、デレク・ヒューズである。
ほんとうのところはなんともいえないのだが、
デレク・ヒューズは、BCIIの良さも欠点もよくわかっている男なのだろう。
そうでなければ、あんな造りのアンプで、BCIIから、
D40よりも立派な構成のアンプではどうやっても鳴らせなかった音は出せないだろう。

グラハムオーディオのLS8/1には、HF1300は搭載されていない。
けれど、もしかするとではあるが、
D40で鳴らしたBCIIの音を、LS8/1から聴けるのではないだろうか──、
そんな期待を、つい持ちたくなってしまう。

Date: 11月 28th, 2021
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その7)

グラハムオーディオのウェブサイトを、
そういえば、あるスピーカーの開発はどうなっているんだろうか……、と思い出すと、
アクセスしている。

今日も、LS5/1の復刻はどうなっているんだろうか、
発表されたのは2020年春だった。
2020年はコロナ禍で、いろんなことが影響を受けている。
LS5/1の復刻も例外ではないのだろう。

とはいえ一年半以上経つ。
そろそろ途中経過を知りたい。
なのでひさしぶりにグラハムオーディオのウェブサイトを見ていた。

そこにはLS5/1はなく、代りに、といっていいのだろうか、
LS8/1という新型スピーカーが表示されていた。

BBCモニターにLS8/1という型番のモデルはなかった。
いったいどんなスピーカーなのかというと、
サランネット付きの写真から、すぐにスペンドールのBCIIということがわかる。

フロントバッフルの写真を見ると、まさにBCIIの現代版(グラハムオーディオ版)である。
残念ながら、当然ともいうべきか、
トゥイーターにセレッションのHF1300は使われていない。

製造されていないユニットなのだからしかたない。
気になるのは、その音である。

そのことに関連しての興味深いことは、フロントバッフルにレベルコントロールの銘板に、
“Derek Hughes Signature Edition”とあることだ。

デレク・ヒューズは、スペンドールの創設者スペンサー・ヒューズの息子である。
デレク・ヒューズは、2003年からハーベスに参画していた。

ハーベスのHL Compact 7ES-3には、デレク・ヒューズも関っている。
ならばグラハムオーディオのLS8/1も期待できそうである。

Date: 11月 27th, 2021
Cate: バランス

Xというオーディオの本質(その6)

Xという文字を両天秤として捉えていると、
Xを描く線の一本は無機物(デジタル、客観)であり、
交叉するもう一本は有機物(アナログ、主観)である。

Date: 11月 27th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その18)

バーンスタインのマーラーを聴いて、ひどい録音だ、と言った人は、
その自作スピーカーで長いこと音楽を聴いてきている。

彼にとっては、もっとも信頼できるオーディオ機器なのだろう。
そのことは理解できる。

けれど雑共振という、かなり大きい欠点も最初から抱えていた。
彼と、私よりもずっと以前から親しかったある人は、
その欠点を、それとなく指摘したそうだ。

その結果、彼との仲は気まずくなったそうだ。
そうだろう。
そうなることは明白だし、だからあくまでもさりげなく、
彼を傷つけまいとしての助言であったそうなのだが、
そうであっても彼はまったく受けつけなかった。

雑共振の発生はやっかいである。
すぐに雑共振が収束すればいいのだが、そうはいかない。
雑共振がおさまらないうちに、次の、エネルギーの大きな信号が加わる。
音楽を鳴らす、ということは、そういうことの連続である。

それでも自作した本人が満足して聴いていれば、
周りがとやかくいうことではない──、という考えもある。

実際、彼は大満足で聴いていた。
彼なりに不満点というか、もっとよくしていきたい、と考えていたのだろうが、
自作スピーカーをまるごと交換することは考えていなかった。

くり返す、それはその人の選択なのだから、それでいいのだ。
けれど、それでは録音について、とんちんかんなことをいうことになる。

雑共振が顕になりにくいプログラムソースでは、
ある程度の判断はできても、そうでないプログラムソースでは、
バーンスタインのマーラーに対しての発言のようになってしまう。

そこに、彼はまったくの疑問をもたない。
彼は一刀両断でバーンスタインのマーラーの録音を切り捨てたことは、
彼にとっては、けっこうな快感なのだったのだろう。

Date: 11月 26th, 2021
Cate: 井上卓也

marantz Model 7K, Model 9K(その4)

マランツは、Model 7、8B、9をキット化した。
それからModel 7と9は復刻版も出した。

けれどModel 10Bはキットも復刻版もない。
10Bの復刻は、そうとうに困難だろうからやらなかったのだろう。

マランツがキットを出したころ、
中古相場はModel 7よりも10Bのほうが高かった。
内部をみれば、Model 10Bが高かったのはわかる。

それから四十年ほど経ったいま、
Model 7の程度のよいものは、おそろしいほどに価格が上昇している。
それでも買う人がいるからなのだろう。

けれどModel 10Bは、それほどではない。
Model 7が逆転してしまっているどころか、
四十年前の中古の価格を知っている者からすれば、
ほとんど変っていない──、となってしまう。

あのころよりもFM局の数は増えた。
けれど、オーディオマニアにとって、FMに接する時間はずっと、というか、
もうほとんどない、という人が大半だろう。

私もFMチューナーは一台持っている。
岩崎先生が使われていたパイオニアのExclusive F3だ。
ときどき電源を入れて、動作しているのを確認するぐらいだ。

プログラムソースとしてのFMの重要性は、昔からすればずっと低くなっている。
中古製品の価格は、需要次第だ。

誰も欲しがらなければ、昔は高価だったModel 10Bも、
いまではお買い得といえる価格で購入できる。

10Bを手に入れても、きちんとメンテナンスするのは、
Model 7以上の手間と時間とお金がかかる。

Date: 11月 26th, 2021
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・もうひとつ番外)

フランスベッドといえば、
そのブランド名が示しているようにベッドの専門メーカーである。

世の中にはフランスベッドをフランスベットと発音している人もいる。
おそらくフランスベッドの人たちも、そんな呼ばれ方をしているのを知っているのだろう。
だからなのか、フランスベッドからフランスペット・シリーズが出ている。

私はつい最近知ったばかりなのだが、数年以上前からあったようだ。

France BedではなくFrance Pet。
ペット用の家具のブランドである。

そのラインナップに猫ハウス まりという製品がある。

どういう形状をした、どういう製品なのかは、リンク先をぜひ見てほしい。
みれば、ほとんどの人が、スピーカーのエンクロージュアに使えるのでは、と思うはずだ。

私も、見てすぐにそう思った。
今日、たまたま実物を見る機会があった。
エンクロージュアとして使ってみたいという気持は高まった。

いっそのことフランスベッドが、猫ハウス まりを少し手直ししてくれて、
エンクロージュアとしても発売してくれないだろうか。

小口径のフルレンジスピーカーにぴったりであり、いい結果も期待できそうなのだから。

Date: 11月 26th, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その18)

(その16)と(その17)は、(その15)の続きではなかった。
この(その18)が、やっと(その15)の続きである。

1998年にiMacが登場した。
パソコンに対して、かわいい、という表現が使われるようになったのは、
このころからではないだろうか。

かわいいとかっこいい。
どちらも褒め言葉である。
けれど、かわいいは、上から目線の褒め言葉である、ということを、
数年前に何かで読んだ。

なるほど、と思った。
どれだけ相手を「かわいい」といって褒めようと、
それは上の立場からの褒め言葉であって、褒めている自分の立場は優位のまま。

いわれてみると、そうなのかもしれない。
だからこそ「かわいい」が安易にはびこっているのか。

これが正しいとしたら、iMacを当時「かわいい」と褒めていた人たちは、
iMacの登場で、ようやくパソコンを下から目線でなく、
上から目線で見ることができるようになったからかもしれない。

「かわいい」といっていた人が、そのことを自覚していたのかといえば、
そんなことはないだろう。
「かわいい」と言葉にするとき、相手に対するマウントだと意識している人は、
そうそういないだろう。

パソコンの専門家は、
当時、iMacをかわいいとは言っていなかったのは、そういうところからなのだろうか。

好感度も、おそらくそういうところから生れてきたのではないのか。

Date: 11月 25th, 2021
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(違う意味での原音・その3)

その1)と(その2)で、UREI 813を例の一つとして挙げた。
813は、(その1)の冒頭で触れた、原色の意味の三つのうちの一つにあたる。

辞書に、原色の意味は、次のようになっている。

色の世界で原色といえば、辞書には三つの意味が書かれている。
①混合することによって最も広い範囲の色をつくり出せるように選んだ基本的な色。絵の具では赤紫(マゼンダ)・青緑(シアン)・黄,光では赤・緑・青。
②色合いのはっきりした強い色。まじり気のない色。刺激的な,派手な色。
③絵画や写真の複製で,もとの色。

813の音は、二番目の意味での原色の音であり、
原色と原音ということでいえば、二番目の意味の原音となる。

813という実際のスピーカーがあって、
そのスピーカーについて語られていることがあるから、わかりやすい例として挙げた。

私がここで考えたいのは、一番目の意味の原色的原音である。
混合することによってもっとも広い範囲の音をつくり出せる基本的な色、
光では三原色といわれる赤・緑・青がある。

二番目の意味での原色的原音に、三原色ならぬ三原音というものがあるのだろうか。
あるのかどうかも、いまのところなんともいえない。
あるとしたら、どんな音なのか。

そして、その音だけを聴くことができるのだろうか。

Date: 11月 25th, 2021
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その28)

facebookで、使ってきた真空管アンプの具合が悪い、
おすすめの修理業者をご存知であれば──、という投稿があった。

難しいなぁ、と読んでいて、まず思った。
修理したいアンプを長く使っていればいるほど、それは古くなっていく。
古くなればなるほど修理が難しくなってくることがある。

適切な部品の確保が難しいから、という理由でことわられるかもしれない。

いまオーディオ機器の修理業者は忙しい、と聞いている。
大事に使ってきたアンプが壊れた。
修理したい。

メーカーはとっくに修理を受けつけていない。
だから、どこか修理業者に依頼するしかない。
腕のいい、という評判のところに、依頼は殺到しがちだ。

これはいいことなのだろうが、修理業者の負担が大きくなりすぎると、
修理の困難度によっては、ことわられる機会がこれからは増えてくるのかもしれない。

では、どうするか。
自分で修理することを考えてみてはどうだろうか。

過去の真空管アンプの有名どころは、
けっこう回路図が公開されている。

回路図があるとないのとでは、大きく違う。
回路図があるからといって、いきなり修理ができるわけではない。
それなりの経験は必要となってくる。

それがどれだけの経験量かは、修理したいアンプによって違ってくる。
今回のアンプは、難しいアンプではない。

いい修理業者が見つかれば、そこに依頼するのが、実のところ安上がりでもある。
自分でできるようになるには、時間も費用もかかる。

とはいえ、いつかは修理業者もいなくなってしまうかもしれない。
その可能性がゼロとはいえない。

ならば、その時までに、自分でやれるようになる──、
も選択肢の一つとなってくる。

修理のために、五極管シングルアンプを作る。
いい教材となるはずだ。その意味では、初心者向きといえよう。

Date: 11月 24th, 2021
Cate: 「本」

オーディオの「本」(読まれるからこそ「本」・その8)

Kindle Unlimitedでオーディオ雑誌を読むようになった。
すべてのオーディオ雑誌が読めるわけではないが、
音元出版はKindle Unlimitedに積極的である。

ここ数ヵ月、Kindle Unlimitedでオーディオ雑誌を読んでいて、
音元出版のanalogが良くなっていることに気づいた。

analogが創刊したころは数号はきちんと読んでいた。
商売上手な音元出版が出しそうなオーディオ雑誌と感じた。

面白くなりそうなのに、
なんといったらいいのだろうか、
妙にアナログ臭を漂わせている、とでもいったらいいのか……。

もっと辛辣にいえば、音元出版臭が気になっていた。

ようするに気になるところが目につきすぎた。
音元出版のオーディオ雑誌だから、このまま行くのかな、ぐらいに当時は思っていた。

変化しないオーディオ雑誌はない。
良くも悪くも変化するものだ。

悪くなっていくと感じているオーディオ雑誌が大半のなかで、
analogは良い方向へと変化していっている。

ここ数年(何年前ぐらいから、とはっきりといえないのはそれほど注目していなかったから)、
analogの表紙を書店でみかけると、興味をひきそうな特集のタイトルだったりしていた。

それでも手に取ることなく過ごしていたのが、
Kindle Unlimitedのおかげできちんと読んで、
以前気になった「臭」がかなりなくなっていることを知ることができた。

それだけではない。
いままでのオーディオ雑誌にあまり感じることのなかった感性もあるようだ。

不満がないわけではない。
けれど、いまもっとも期待しているのが、analogである。

Date: 11月 23rd, 2021
Cate: ディスク/ブック

三角帽子

今日(11月23日)は、マヌエル・デ・ファリャの誕生日だ、ということを、
ソーシャルメディアで知った。

ファリャといえば「三角帽子」がよく知られているし、
アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団の録音が、
いまも演奏・録音ともに高く評価されている。

リマスター盤もいくつかあるようだし、
オリジナルのアナログディスクはかなり高価なようである。

私がはじめて聴いた「三角帽子」は、デュトワ盤だった。
アンセルメと同じデッカ録音で、話題になっていた。

そのあとしばらくしてアンセルメ盤を聴いた。
そしてフリューベック・デ・ブルゴス盤を聴いた。

スペインに行ったことはない。
なんとなくのイメージを、スペインに持っているわけなのだが、
そんな私の耳には、フリューベック・デ・ブルゴス盤が、
ファリャはスペインの作曲家だ、ということをはっきりと感じさせてくれた。

フリューベック・デ・ブルゴス盤を聴いてからこれまでのあいだに、
少なくないスペイン出身の演奏家を聴いてきた。
そうやって培われた耳で、つい最近「三角帽子」を聴いていた。

TIDALがあるからだ。
アンセルメもデュトワも、改めて聴いた。
フリューベック・デ・ブルゴスこそ、もっと高く評価されていい。

フリューベック・デ・ブルゴスのあとでは、アンセルメの演奏が色褪る。
スペインの作曲家であるファリャの色が褪せている、と感じてしまう。