シフのベートーヴェン(その12)
五味先生はポリーニの旧録音に激怒されていた。
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ポリーニは売れっ子のショパン弾きで、ショパンはまずまずだったし、来日リサイタルで彼の弾いたベートーヴェンをどこかの新聞批評で褒めていたのを読んだ記憶があり、それで買ったものらしいが、聴いて怒髪天を衝くイキドオリを覚えたねえ。近ごろこんなに腹の立った演奏はない。作品一一一は、いうまでもなくベートーヴェン最後のピアノ・ソナタで、もうピアノで語るべきことは語りつくした。ベートーヴェンはそういわんばかりに以後、バガテルのような小品や変奏曲しか書いていない。作品一〇六からこの一一一にいたるソナタ四曲を、バッハの平均律クラヴィーア曲が旧約聖書なら、これはまさに新約聖書だと絶賛した人がいるほどの名品。それをポリーニはまことに気障っぽく、いやらしいソナタにしている。たいがい下手くそな日本人ピアニストの作品一一一も私は聴いてきたが、このポリーニほど精神の堕落した演奏には出合ったことがない。ショパンをいかに無難に弾きこなそうと、断言する、ベートーヴェンをこんなに汚してしまうようではマウリッツォ・ポリーニは、駄目だ。こんなベートーヴェンを褒める批評家がよくいたものだ。
(「いい音いい音楽」より)
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激怒することはなかったけれど、
ひどいベートーヴェンだ、と感じた演奏はある。
決して少なくはない。
それでも激怒することがなかったのは、
あらかじめ、そうなりそうな演奏を聴かなかったから、でもある。
アンドラーシュ・シフのベートーヴェンは、素晴らしい、とは思っている。
けれど、これまで書いてきたように、私にはなくてはならない演奏だとまでは感じていない。
シフのECMへのベートーヴェンの録音を絶賛する人がいるのは知っている。
そのことにケチをつけたいわけではない。
なのに、こうやって書いているのは、自分に問い続けていたいからである。
1980年代、デッカに録音していたころのシフの演奏にも惹かれるものがあった。
だからくり返し聴いていた時期がある。
けれど、ある時からパタッと聴きたいと思わなくなった。
つまり聴かなくなっていた。
(その2)で書いたけれど、
シフをふたたび聴きはじめたのは、ECMでのゴールドベルグ変奏曲のCDを、
「気に入ると思って」という言葉とともに、ある人からもらったことからだった。
その人のことば通りに気に入って、くり返し聴いた。
シフのECMの録音を聴くようになっていった。
それでも、今回もまたパタッと聴かなくなってしまった。
先日、TIDALでシフのゴールドベルグ変奏曲(MQA Studio、44.1kHz)で聴いていた。
最後まで聴けなかった。
途中で、おなかいっぱい、という感じがしてしまったからだ。
あらためて、なぜなんだろう……、とおもう。
だから問い続けていくことになる。