Date: 7月 17th, 2022
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シフのベートーヴェン(その12)

五味先生はポリーニの旧録音に激怒されていた。
     *
ポリーニは売れっ子のショパン弾きで、ショパンはまずまずだったし、来日リサイタルで彼の弾いたベートーヴェンをどこかの新聞批評で褒めていたのを読んだ記憶があり、それで買ったものらしいが、聴いて怒髪天を衝くイキドオリを覚えたねえ。近ごろこんなに腹の立った演奏はない。作品一一一は、いうまでもなくベートーヴェン最後のピアノ・ソナタで、もうピアノで語るべきことは語りつくした。ベートーヴェンはそういわんばかりに以後、バガテルのような小品や変奏曲しか書いていない。作品一〇六からこの一一一にいたるソナタ四曲を、バッハの平均律クラヴィーア曲が旧約聖書なら、これはまさに新約聖書だと絶賛した人がいるほどの名品。それをポリーニはまことに気障っぽく、いやらしいソナタにしている。たいがい下手くそな日本人ピアニストの作品一一一も私は聴いてきたが、このポリーニほど精神の堕落した演奏には出合ったことがない。ショパンをいかに無難に弾きこなそうと、断言する、ベートーヴェンをこんなに汚してしまうようではマウリッツォ・ポリーニは、駄目だ。こんなベートーヴェンを褒める批評家がよくいたものだ。
(「いい音いい音楽」より)
     *
激怒することはなかったけれど、
ひどいベートーヴェンだ、と感じた演奏はある。
決して少なくはない。

それでも激怒することがなかったのは、
あらかじめ、そうなりそうな演奏を聴かなかったから、でもある。

アンドラーシュ・シフのベートーヴェンは、素晴らしい、とは思っている。
けれど、これまで書いてきたように、私にはなくてはならない演奏だとまでは感じていない。

シフのECMへのベートーヴェンの録音を絶賛する人がいるのは知っている。
そのことにケチをつけたいわけではない。
なのに、こうやって書いているのは、自分に問い続けていたいからである。

1980年代、デッカに録音していたころのシフの演奏にも惹かれるものがあった。
だからくり返し聴いていた時期がある。
けれど、ある時からパタッと聴きたいと思わなくなった。
つまり聴かなくなっていた。

(その2)で書いたけれど、
シフをふたたび聴きはじめたのは、ECMでのゴールドベルグ変奏曲のCDを、
「気に入ると思って」という言葉とともに、ある人からもらったことからだった。

その人のことば通りに気に入って、くり返し聴いた。
シフのECMの録音を聴くようになっていった。

それでも、今回もまたパタッと聴かなくなってしまった。
先日、TIDALでシフのゴールドベルグ変奏曲(MQA Studio、44.1kHz)で聴いていた。
最後まで聴けなかった。
途中で、おなかいっぱい、という感じがしてしまったからだ。

あらためて、なぜなんだろう……、とおもう。
だから問い続けていくことになる。

1 Comment

  1. Hiroshi NoguchiHiroshi Noguchi  
    7月 18th, 2022
    REPLY))

  2. 五味康祐のOp.111に対する激怒というのは大変興味深く拝読しました。僕は彼の演奏を70年代に文化で聴いています。その演奏は他にディアベルディ変奏曲と美しい叙情性をたたえたバガテルでしたが、ハイテンポで揺らぎの無いディアベルディとその頃でたLPと変わらないOp.111にはただただ圧倒されました。その頃までにバックハウスやケンプ、ゼルキンのLPで聞き慣れたものとは全く違う音楽が鳴り響いていたのを今でよく覚えています。時代を思い返すと吉田秀和がグルダの演奏について、ドイツの放送局で現代の最も標準的な演奏でお送りします、と「明確な価値観を含んだコメントのもとに」放送していた、と権威付けしたほど日本のレコード評論の世界でははっきりとした位置づけもなかった頃です。
    その後ポリーニに関しては、明確に否定した評価はお目にかからなかったのですが、最近になって、お茶の水出身者のピアニストで、ドイツで教育され認められて国際コンクールの審査員などを務めている山崎という方の演奏批評に、ポリーニの棒弾き、和声についてでしょうが、というのがあり、「あれほど上手なピアニストにして何故なんだろうか」とさえ疑問を投げかけているのに出会いました。僕は演奏を聴いた後で、あの頃学園祭で招待された入野義郎が十二音音楽を紹介し論じていたのを思い出し、ポリーニはベートーベンでも音階の12の音を、意図的に等価に鳴らそうとしているのではないかとさえ思ったものです。
    一方でショパンの練習曲を「気障」というのは絶妙な表現で、文士としての面目躍如だと思います。ここのところを宮﨑さんが引用なさっているのは、これまた腕の冴えだと思います。気障ということば、最近はあまり耳にしませんが、これはやはり吉田秀和がエチュードの録音を評して「この演奏を聴けば、この人がショパンの演奏の伝統や積重ねられた文化そのものを完璧に身につけていることが分かる」と書いたことの正に表裏一体だと思います。実に見事な言葉の選び方だと感嘆しました。
    シフのgoldbergは現代ピアノの可能性を尽くして、特に音響の多様性を駆使しているからでしょう。ポリフォニーのラインを表現できるように実に細やかだと思います。その線の音楽の仕掛けがきっと、TIDALでよりよく聞き取れるのだろうと思います。それだけに疲れるのでは。僕はもう誰の演奏にしても、それだけ集中し聞くだけの根がなくなってきました。

    1F

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