Archive for 8月, 2021

Date: 8月 18th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その9)

ステレオサウンド 49号の新製品紹介の記事冒頭の対談で、
井上先生と山中先生は、C4について次のように語られている。
     *
井上 この製品をみていると、音的にも内容面でも現在は本当に従来からあるオーソドックスな管球アンプのイメージは完全に改めなくてはならない時代になったことをはっきりと感じますね。前号で紹介したコンラッド・ジョンソンは、管球式コントロールアンプとして新しい時代の音を聴かせてくれたのですが、内部をみてみると割合トラディショナルな回路構成になっていました。それが、このプレシジョン・フィデリティでは、内容的にも管球式アンプの新しい動きが顕著にみられます。このアンプでは、真空管はもはや新しいディバイスとして扱われているといってもいいのではないでしょうか。
山中 多分昔のオーソドックスな管球アンプを実際には体験していない人達が、ソリッドステートアンプをつくってきて、そして真空管という新しいディバイスを再発見し、そのメリットを活かそうとしたアンプといえばその意味あいをはっきりさせることができると思います。
     *
コンラッド・ジョンソン、プレシジョン・フィデリティに続いて、
アメリカではビバリッジ、ミュージックリファレンス、カウンターポイントなどが登場してくる。

これらのブランドの管球アンプは、井上先生、山中先生が語られているグループに属する。
新しい管球アンプといえるわけだが、
造りという面では、その新しいさを諸手をあげて歓迎はできないレベルだ。

ここまで書いてきて、一つ忘れていたブランドを思い出した。
パラゴンオーディオである。

ステレオサウンド 47号、五味先生のオーディオ巡礼に登場している。
日本に正規の輸入元はなかったはずだ。
このブランドの実力は、どれほどだったのだろうか。

このパラゴンオーディオの製品もそうだが、
どの管球式アンプもプリント基板を使っている。

これらのブランド以前にも、プリント基板を使っていた管球式アンプはある。
有名なところではダイナコがある。
それから日本のラックスもそうだった。

ラックスといえば、
コンラッド・ジョンソン、プレシジョン・フィデリティよりも先に登場していたCL32、
この薄型の管球式コントロールアンプは、新しい管球式アンプの流れのなかでは、
ほとんど語られることはなかったように感じている。

Date: 8月 18th, 2021
Cate: ディスク/ブック

秋吉敏子リサイタル

TIDALでMQAになったアルバムばかり聴いているわけではない。
MQA化されたソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルのアルバムを、
確かに重点的にいまは聴いている。

でも検索している途中で、こういうアルバムもTIDALにあるのか、という発見がある。
「秋吉敏子リサイタル」も、そういう一枚だ。

ジャケットの写真からでも、ジャケットにある朝日ソノラマの文字からでも、
かなり古い録音であることはすぐにわかるのだが、
聴いてみると、楽しい音がしてくる。

ジャズにうとい私は、秋吉敏子のアルバムが、朝日ソノラマから出ているのを知らなかった。
TIDALで見つけなければ、ずっと気づかなかったかもしれない。

CDは2010年に二十数年ぶりに復刻されている、とのことで、
いまも入手できるようである。

友人に確認したのだが、「秋吉敏子リサイタル」は、菅野先生の録音である。

Date: 8月 17th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その8)

プレシジョン・フィデリティのC4は一度、個人宅で聴いている。
聴いている、といっても、ほかのコントロールアンプと比較したわけではなくて、
あくまでも、その方の音を聴いた(聴かせてもらった)ということなのだから、
C4の音がどうだった、ということは何もいえない。

その後、C7aは聴く機会があった。
C7aはC4の廉価版といえるコントロールアンプ、というよりも、
ボリュウムつきフォノイコライザーアンプである。

ようするにC4のラインアンプを省いた構成がC7aであり、
フォノイコライザーの回路構成はC4とほぼ同じであり、
真空管アンプの回路としてはめずらしくカスコード接続を採用している。

C4の存在があったため、C7aには期待していた。
けれど、その期待に応えてくれた、とはいえなかった。

C4と比べても未完成という印象がつよい造りだったし、
ましてマランツのModel 7を基準にしてみれば、実験機? という印象すらわく。

実のところ、C4の実力はどれほどだったのだろうか。
高かったはず、といまでも思っている。

アメリカのオーディオメーカーは、日本に輸入されなくなってずいぶん経っていて、
ウワサも聞こえなくなってくると、解散した、倒産したものとつい考えがちだが、
意外にも活動を続けているブランドがあったりする。

プレシジョン・フィデリティはどうなのか、と検索してみると、
さすがに解散していたようだった。

けれどC4を高く評価している国があることを知った。
韓国である。

KTS Audioというブランドが、
C4をベースにWaltzという型番のコントロールアンプを出している。

WaltzもC4同様、洗練されたパネルフェイスではない。
C4とWaltz、どちらのパネルフェイスが好きかといえば、
愛矯が感じられるC4の方である。

Waltzは、なんとなく以前のエアータイトのコントロールアンプをどこか思わせる。
そこが個人的気になっていて、好きになれない。

とはいえ、内部の写真をみると、C4とは、いい意味で別物といえる。

Date: 8月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ソニー・クラシカルのジュリーニ

カルロ・マリア・ジュリーニが、ギュンター・ブレストの招きで、
1989年にソニー・クラシカルに移った時、すこしイヤな予感があった。

ソニーの音で、ジュリーニのよさが活きるのか。
ベートーヴェンの交響曲が最初に出た。
一番と七番のカップリングだった。

もちろんすぐに買って聴いた。
それから続けてベートーヴェンの交響曲が出た。
これらも買って聴いた。

九番は出なかった。
録音の予定はあったようだが、全集完成とはならなかった。

その時は残念とは思わなかった。
ドイツ・グラモフォンから、
ベルリンフィルハーモニーを指揮しての素晴らしい第九がでていたからである。

理由はそれだけではなく、ソニー・クラシカルの録音に満足できなかったこともある。
これがひどい録音ならば、あきらめもつくのだが、大きな欠点がある録音ではない。

優秀な録音なのだろうが、何かが欠けている感じがつきまとう。
それかジュリーニの良さを捉え切れていない(活かし切れていない)ように感じられる。

演奏もすこし精彩を欠くようにも感じられた。
とにかく、聴いていてもどかしい。
それをどうすることもできない。

ソニー・クラシカルに、ジュリーニは、いい演奏を残している。
なのに夢中になれない。

TIDALでソニー・クラシカルがMQA化に積極的である。
ジュリーニに関しても、MQAが出ている。
そしてやっとベートーヴェンが出た。

1990年前後の録音だから、44.1kHzでの録音である。
けれど、MQAで聴くソニー・クラシカルのジュリーニは、みずみずしい。
量感もきちんとある。

CDで聴いた時に感じた欠けているものが、MQAで聴いていると明らかになる。
そして、ソニー・クラシカルでも第九を録音してほしかった……、
いまそう思っている。

Date: 8月 16th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その6)

ほぼ毎日のようにTIDALについて書いていると、
ふとした拍子に六本木にあったWAVEのことをおもいだす。

WAVEが出来た当時、WAVEが東京で最大規模のレコード店だったはずだ。

規模の大きさでいえば、その後出来た渋谷のタワーレコードのほうが大きいだろう。
ここでのタワーレコードは、東急ハンズの近くに出来た最初のタワーレコードではなく、
現在もあるタワーレコードの店舗のことである。

WAVEが成功してから、1990年ごろから東京には大型店がいくつもできた。
新宿にはヴァージンメガストアが、渋谷にはHMVができた。
WAVEの池袋店も出来た。

新しいレコード店が出来れば、やっぱり行ってみたくなる。
何度か足を運んでも、
六本木のWAVEのようなワクワク感は、私にはないように感じた。

渋谷のタワーレコードも、いまではクラシック、ジャズ売場ともに縮小しているが、
できた当時は、売っているディスクの点数の多さに、すごいと思った。

でもすごいと思うこととワクワク感をおぼえることは別である。
WAVEには、なぜ、あれほどワクワクしたのだろうか。

いまTIDALにワクワクを感じているから、よけいにどうしてなのだろうか、と思う。

Date: 8月 16th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その7)

1970年代後半に登場してきた新世代の管球式コントロールアンプの走りは、
コンラッド・ジョンソンのPreamplifierといっていいだろう。

丸いツマミが六つ、左右対称にフロントパネルに配置されている。
そのことでマランツのModel 7に重ねて語られることもあったが、
デザインの完成度という点では、コンラッド・ジョンソンは素人のそれである。

でも、音の評価は高かった。
シイノ通商が輸入元だったことも関係しているのだろうが、
実物を見る機会はほとんどなかった。

私は20代のころ、一度だけ見ているくらいだ。
当時は内部写真も見れなかった。
いまではインターネットのおかげで内部写真も、すぐに見ることができる。

次に登場したのが、プレシジョン・フィデリティのC4である。
この管球式コントロールアンプは、コンラッド・ジョンソン以上に気になった。

C4もデザインに関しては、素人のそれでしかないが、音の良さはかなりのレベルであったようだ。
ステレオサウンド 49号での新製品紹介でも、井上先生、山中先生の評価は高い。

49号と同時期に出た別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」の巻頭でも、
瀬川先生の高い評価が読める。
     *
78年度の動きのひとつに、真空管をもういちど新しい増幅素子として見直そうという動きがみえはじめたのはおもしろい。すでに海外に限らず、いまの三十才代以下の若手のエンジニア達は、学校でいきなりトランジスターから勉強をはじめた世代である。そうした彼等が、真空管を過去の素子としてはじめは退けていたが、トランジスターを一応手中に収めてこんにちのアンプを完成させたとき、ある部分はトランジスターよりも優れた面を持つ真空管という素材を、こんにちの技術でもういちど洗い直してみようと考えるのは当然かもしれない。
 そのあらわれが、たとえばコンラッド・ジョンソン(本誌48号)や、おそらくこれから紹介されるプレシジョン・フィデリティ(スレッショルドの社長のプライベートブランド)C4などのコントロールアンプにみられる。これらはおそらく、マランツ、マッキントッシュまでの管球時代を知らない人たちの作品だろう。また、オーディオリサーチのSP6のように、一旦は管球から出発しながらソリッドステートの方向に進み、再び管球に戻ってきたという製品もある。
 私自身は右の製品のすべてを良く聴き込んだわけではないが、プレシジョン・フィデリティのコントロールアンプは、管球特有の暖かい豊かさに、新しい電子回路の解像力の良さがうまくブレンドされた素晴らしい音質と思った。残念な点は、パネルフェイスが音質ほどには洗練されていない点であろう。そのことが残念に思えるほど逆に音は素晴らしい。
     *
聴きたくなるではないか。

Date: 8月 15th, 2021
Cate: 境界線

感動における境界線(その4)

(その1)と(その2)で、
フルトヴェングラーのことば、
「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」を引用した。

五味先生が「ビデオ・テープの《カルメン》」が書かれていることが、
このフルトヴェングラーが語っていることと結びつく。
     *
そもそもレコードで音楽を聴くというのは——少なくともクラシックのそれは——単に精神の慰藉であるよりも、精神そのものの集中と凝視によって、美を、忍耐づよく、純粋に感受せんための一種の訓練行為であり、そういう凝視と集中の訓練のうちにおのずと、深い喜びが湧き、美を味わえる、そういう行為だと私は思っている。旋律はスピーカーから鳴っているが、その旋律に美と音楽を付与するのは、あくまで聴く側の創造によることである。極言すれば、作曲はスピーカーがしているがそれを真の音楽とするかどうかは、あくまで聴く者の感受性に関わっている。だからこそスピーカーから鳴ってくるバッハを、一人は難解と退屈に、一人は深い喜びで聴く。同一人の場合でも、十代で感動する曲が三十代ではもう退屈になっている。
     *
フルトヴェングラーがいうところの「人と人」とは、
コンサートホールにおける演奏家と聴き手を指しているはずだ。

われわれはオーディオというシステムを介して音楽を聴く。
その場合の「人と人」とは、五味先生が語られていることのはずだ。

感動とは、そこに存在しているわけではない。
確かなものとして、どこかにある存在でもなく、
うまれてくるもののはずだ。

フルトヴェングラーは「人と人の間にあるもの」という。
「間」は、この場合、あいだと読む。

けれど「間」は、あわいとも読む。

感動とは、あわいものなのだろう。

Date: 8月 15th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その5)

TIDALという巨大すぎる書店(図書館)を、どう歩きまわるのか。

TIDALは日本でサービスを開始していないこともあって、
日本語での検索はほとんど結果として得られない。

日本語での検索は可能である。
ごく一部だけヒットするが、ほとんどはアルファベットでの入力である。

クラシックの何人かの演奏家は、それでも問題なく入力できるが、
正しいスペルはどうだっけ? とまず、ここから検索することから始まる。

ようするにGoogleで日本語(カタカナ)で、演奏家名を検索する。
それでアルファベット表記を調べて、TIDALで検索するわけだが、
Googleはおせっかいだから、
検索結果として、他の人はこちらも検索、というのを表示してくれる。

ここに関連する演奏家の写真と名前が複数出てくる。
なので、次はこのなかから選んでクリック。
アルファベット表記の名前をコピーして、TIDALにうつる。

Googleで新しい演奏家をクリックすれば、また、他の人はこちらも検索、がまた表示される。
これを何度もくり返しながら、TIDALを歩きまわる(検索していく)。

クラシックの演奏家でも、新しい人だと知らない人がけっこういる。
古い人で知らない演奏家はほとんどいないけれど、
それでも存在を忘れてしまっている人はけっこういるわけで、
そうだそうだ、この人がいた、ということになる。

これがジャズ、ポップスとなると、けっこう知らない人のほうが多いから、
こういうひとがいる(いた)のかと、けっこう新鮮である。

Date: 8月 15th, 2021
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その39)

今週木曜日(8月19日)に、
オンキョーの10cm口径フルレンジがついていくるムックが、
音楽之友社から発売になる。

振動板にバイオミメティクス技術を採用したもので、
昨年にオンキョーから発表になった、この技術については、
すでに知っている人が大勢だろうから省く。

今回のスピーカーユニットがどういう内容かも、
今年2月に販売の予告がなされていたから、これも省く。

私がオンキョーの製品で購入したのは、PC1だけである。
PC1はスピーカーユニットの極性チェッカーであり、当時8,000円だった。

オンキョーの製品で欲しいとおもったのは、
以前も書いているがプリメインアンプのA722nIIぐらいである。

オーディオマニアの中には、今回のスピーカーユニットが、
オンキョー最後のオーディオ機器になるかも──、そんなことをいう人がいる。

だから記念に買っておこう、ということらしい。
その可能性はあるだろうが、私も今回のスピーカーユニットは買おうと思っている。
記念に買っておこうというわけでもないし、オンキョーというブランドに思い入れもない。

今回のスピーカーユニットを面白いと感じたからだし、
聴いてみたい、と思ったからである。

このユニットが高すぎたら、別にいいや、となっただろうが、安価である。
試しに買ってもみてもいいと思わせる価格である。

私は、これで純セレブスピーカーを試してみようと考えている。

Date: 8月 15th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その6)

管球式コントロールアンプならば、どれでもいいというわけでないことは、
念のため、強調しておく。

優れた管球式コントロールアンプ、
完成度の高い管球式コントロールアンプの代表格といえば、
やはりマランツのModel 7がすぐに浮んでくる。

Model 7を20代のころ、手に入れる機会があった。
程度も上々だったし、「君になら、安く譲ろう」とその人は言ってくれた。

その人は、私に譲る前に、最後ということでModel 7の音を、
ひさしぶりに聴いたら、手放すのが惜しくなった──、
そういわれて手に入れる機会を逸してしまった。

その人の気持はわかる。
手元に置いときたい気持は、よくわかる。
常用の機器ではなくなっていても、Model 7だけは手放したくない──、
その気持が理解できないオーディオマニアは、私よりも若い世代なのだろう。

Model 7が完璧なコントロールアンプとは考えていない。
それでも完成度の高い管球式コントロールアンプの数少ない一つである。

とはいっても、Model 7とMark 2500を組み合わせてみたい気持は、まるでない。
Model 7をいまでも手に入れたい気持はあるけれど、
それとMark 2500とペアになるコントロールアンプ選びとは別のことである。

私がMark 2500と組み合わせてみたいと思っている管球式コントロールアンプは、
1970年代後半以降に登場してきた、いわゆる新しい世代のそれらである。

Date: 8月 14th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その5)

コンヴァージェントオーディオテクノロジーのSL1とSAEのMark 2500、
この組合せの音に関心はすごくあっても、現実的ではないのだが、
この組合せを思いついたきっかけみたいなことは、ずっと遡ったところにある。

セパレートアンプの場合、
同じブランドの組合せこそ最高という人がいる。

1980年代もなかばごろになると、
以前のように、コントロールアンプを得意とする、とか、
パワーアンプを得意とする、といったところは薄れてきたように感じていた。

ある程度キャリアを重ねてきたメーカーならば、
セパレートアンプならではの組合せ、
つまり違うブランドとの組合せをあれこれ試すのも面白いけれど、
落ち着くということでは同じブランドの組合せということになる。

確かにそうなのだが、オーディオはコンポーネントであり、
組合せを自由に試せることに楽しみがあると考える私は、
セパレートアンプは、あえて他社での組合せにこそ面白さがある、と捉えている。

その組合せのなかに、セパレートアンプならではの組合せは、
どちらかを管球式というのがある。

コントロールアンプを管球式、パワーアンプをソリッドステート、
その逆でコントロールアンプをソリッドステート、パワーアンプを管球式、
というのがある。

どちらがうまくいくかなんて公式みたいなものはない。
やってみるしかないわけなのだが、
個人的にはコントロールアンプを管球式というのが、好きである。

そのころ、そんな話を、オーディオ好きの人としていた。
その人は私よりも年上。彼は、私と反対でパワーアンプを管球式という考えだった。

彼は、管球式のコントロールアンプだとS/N比の点で不満があるからだ、と。
その頃はまだまだアナログディスク再生が、
コントロールアンプ選びでもウェイトが置かれていた時代で、
S/N比が……、という彼の主張も、アナログディスク再生に主眼をおいたものだった。

Date: 8月 13th, 2021
Cate: 夢物語

真夏の夜の戯言(その2)

三日前に書いた時は、私の妄想でしかないのだから、
タイトルに戯言とつけたし、続きを書くことはない、と思っていた。

ソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルのTIDALへのMQA音源の提供は、
いまも活発すぎるほどである。

関心はどうしてもクラシックがいちばんで、次にジャズ、ポップスとなるわけだが、
J-Pop、歌謡曲に関しても、ソニーの勢いはなかなかのものである。

五日前に、松田聖子のアルバムもMQAで聴ける、と書いているが、
さらにアルバム数は倍くらいに増えている。

ざっと見ただけなのだが、郷ひろみもかなりの数がMQAで聴けるようになっている。
南沙織もある。こちらはSaori Minamiで検索してもだめで、Cynthiaで検索すると出てくる。

J-Popも、歌手、グループ名で検索してみると、すごいことになりつつあると実感できる。

それから数は少ないが落語もMQAになっている。

日本人を対象としているラインナップの拡充とうつる。

ソニーがTIDALをほんとうに買収したとしよう。
これまでTIDALは日本では利用できなかった。

日本市場はTIDALにとっても魅力的なはずだろうが、なぜだか、なのは、
それなりの理由があってのことだろうし、それをなんとかするのには、
ソニーに買収されるのがもっとも有効な気がする。

それにソニーのウォークマンはMQAに対応している。
これでTIDALが日本に参入する。

ウォークマンを持っている人は、MQAの音をすんなり聴けるようになる。
そうなったら──、ということを、つい想像してしまう。

MQAは、オーディオマニアからではなく、そうではない人たちのあいだから広まり、
大きな流れになっていく可能性がある。

Date: 8月 13th, 2021
Cate: ディスク/ブック

On My New Piano

2015年に、バレンボイムが考案した構造のピアノで録音する、というニュースは、
なにかで読んで知っていた。
2016年に、“On My New Piano”が出たの知っていた。

けれど、今日まで聴いていなかった。
理由は、ほかの人からすれはどうでもいいことだ。
バレンボイムかあまり好きじゃないこと、
なんとなくアルバムのタイトルがいいとは思わなかった──、
そんなくだらない理由で聴かなかった。

“On My New Piano”で使われているピアノは、
すべての弦を平行に張っている。
低音弦と中音弦を交差させることなく張る構造で音の濁りをなくしている、とのこと。

理屈からいっても、そのはずだ。
上下で低音弦と中音弦が交差していないのだから、干渉は大きく減る。

それでも聴きたい、と強く思わなかったのは、収録曲目にもあった。
スカルラッティのソナタ、ベートーヴェンの創作主題による32の変奏曲、
ショパンのバラード第一番、リストである。

“On My New Piano”はTIDALで聴いた。
TIDALでは、MQA Studio(96kHz)で聴ける。

一曲目のスカルラッティのソナタ K.159の冒頭からして、
ピアノの響きがまるで違う。

これを聴くだけで、“On My New Piano”というタイトルにした理由がわかる。
最後まできいたあと、好奇心でMQAでない、一般的なPCMだとどう鳴るのか。
TIDALには、両方ある。

小さくない違いがある。
私の耳には、バレンボイム考案のピアノの良さがいきているのは、MQAだと感じる。

けれど、人によっては、MQAでないほうがクリアーというかもしれない。
そういう人がいても不思議とは思わない。
そういう人に対して、あれこれいうのはやめにする。

私は、“On My New Piano”をMQA Studioで聴いてよかった、と思っている。
2016年の時点では、通常のCDで聴くことになった。
MQAては聴けなかった。

“On My New Piano”の発売時にあまり関心をもたなかったことが、
結果としていい方向に働いてくれた。

Date: 8月 12th, 2021
Cate: ディスク/ブック

はっぴいえんど写真集「ゆでめん」(8月15日まで)

昨日、野上眞宏さんの写真展「ゆでめん」に行ってきた。
はっぴいえんど写真集「ゆでめん」も購入した。
野上さんのサインももらってきた。

会場にはKEFのLS50 Wireless IIがある。
はっぴいえんどの音楽がかかっている。

BGMということだけでなく、きちんと聴きたい人のために、
聴取位置には丸椅子が一脚置かれてある。

1963年生まれの私には、1970年録音のはっぴいえんど「ゆでめん」は、
リアルタイムで聴いてきた音楽ではない。

はっぴいえんどの名前だけは知っていても──、という時代が私には長かった。
きちんと聴くようになったのは、野上さんと知りあったからである。

展示されている写真、写真集におさめられている写真、
すべてモノクロであるわけだが、モノクロであることが、
1970年(昭和45年)という時代を強く感じさせたということはなくて、
くわえ煙草、煙草を手にしているところ、煙草を火をつけようとしているところ、
そういう写真を見て、強く感じていたのには、
前日に、フランチェスカッティとカサドシュのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを、
TIDAL(MQA Studio)で聴いていたことも関係している。

この二人のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの七番のジャケットには、
カサドシュがくわえ煙草で演奏しているところが使われている。
1953年の録音だ。

この二人が写っている写真で、
別アングルからの写真でもカサドシュがくわえ煙草だったのも見たことがある。

いまの時代、くわえ煙草で演奏するなんて、ということにすぐなるだろう。

でも、そこに煙草があることに違和感をおぼえないシーンがあるのも、
音楽のもつ一側面のような気がする。

Date: 8月 12th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その37・追補)

八年前の(その37)で、ノーノイズCDについて触れた。
1988年、フィリップスから出たノーノイズCDは短命だった。

ノーノイズCDに興味をもった人がいまいたとしても、
ノーノイズCDを手に入れるのはヤフオク!か中古CD店で探すしかない。

そこで、ここでもTIDALである。
ノーノイズCDのいくつかはTIDALで聴ける。
ジャケット写真が、ノーノイズCDのジャケットそのままなのだから、
同じ音源と思われる。

ざっと見たところ三枚はノーノイズCDが、TIDALで聴ける。
この三枚は、ノーノイズ処理をしていないアルバムもTIDALにあるから、比較試聴が可能だ。