Archive for 11月, 2019

Date: 11月 13th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その15)

メリディアンの218は、手を加えるたびに、音が澄明になっていく感がある。
透明度が増していく、という感じではなく、澄んでいく音という雰囲気を漂わす。

私は218のキャラクターをいじろうとはまったく思っていない。
そう考える人は、218の部品を交換したりするのだろうし、
信号ケーブルや電源コードにしても、個性的な音の製品を選んでいくのだろう。

私は、ただただ218の可能性を抽き出したい、それだけを考えている。
今回の218における、その試みは成功した、といえる。

手を加えることは、自己満足で終りがちである。
audio wednesdayのような場で、比較試聴するということは、
あまりないのではないか。

自信はあっても、やはり音が出るまでは内心どきどきしている。
たいして違わなければ……、
そのぐらいだったらまだいいが、音が悪くなっていたら……、
その可能性だってなくはない。

218と218の比較試聴なのだから、いいわけはできない。
そんなそぶりは見せずに、鳴らす。

喫茶茶会記の218よりも、今回の218は、音が澄明である。
だから、音楽の表情が濃やかになる。
それにみずみずしい音でもあった。

喫茶茶会記のスピーカーはアルテックの2ウェイに、
JBLの075を追加した、変則的な3ウェイである。

なのに、といったら、アルテックに惚れ込んでいる方たちに失礼になるだろうが、
ラドカ・トネフの歌声が、こんなにもみずみずしく鳴るのか、と驚く。

マッキントッシュのMCD350とMA7900の組合せからは、どうやっても出せなかった音が、
いとも容易く出てきてしまった。

今回はトランスポートとしてMCD350を使い、
218の出力はMA7900のパワーアンプ入力に接続して、
ボリュウム、トーンコントロールは218で操作した。

Date: 11月 13th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その8)

私が10代、20代のころ、
インターネットに接続できる環境はなかったし、
SNSも当然なかった。

オーディオについて何かを書いたとしても、
それを不特定多数の人に向けて発表できる場はなかった。

いまは違う。
スマートフォンがあれば、いつでもどこでも接続できるし、
SNSもあるから、書くだけで公開できる、という環境が揃っている。

オーディオマニアも世代によって、違っている、ともいえるし、そうでもないといえるし、
世代による違いよりも、結局は個人の違いのほうが大きい、ともいえる。

それでもオーディオを始めたころから、
SNSがある世代とそうでなかった世代とでは、明らかな違いがあるようにも感じている。

いつでも、思ったこと、感じたこと、考えていることなど、
公開した、と思えば、すぐにできる。

そこに、「いいね」がついたりする。
会ったこともない人たちからの反応がある。

そういう世代のすべての人たちが──、とはいわないが、
一部の人たちは、反応を意識してのSNSの利用なのではないか。
そんな気がしてならないのだ。

他人の目(評価)なんて、まったく気にせずにオーディオを楽しめばいいのに──、
そう思うのだ。

SNSに捕われてしまっていることに気づかないままでいいのか。

Date: 11月 12th, 2019
Cate:

賞からの離脱(BCN+Rの記事・その2)

BCN+Rの記事の最後には、
《しかし、一番厳しい目は消費者の購買行動そのものだ。市場の洗礼を受ける前に専門家だけで製品の序列を決めてしまうことには、やはり大きな疑問が残る》
とある。

これが消費者不在のグランプリを容認してしまう、ともある。

そのとおりといえば、そのとおり、である。
でも、考えれば、市場の洗礼を、すべての製品が等しく受ける、ということはあるのだろうか、
という疑問がわいてくる。

例えば新製品が、12月とか4月とか、決った時期に各社から一斉に発売されるのであれば、
まだわからなくもない。

実際はそうではない。
1月に出る新製品もあれば、夏ごろとか秋が過ぎて、とか、
さらには12月ぎりぎりに登場したりする。

1月の新製品と12月の新製品とでは、一年近い差があるわけだ。
2019年に発売になった新製品を、
2020年に評価するとしよう。

それで市場の洗礼を受けたことになるだろうが、
1月の新製品と12月の新製品とで、市場の洗礼が等しい、とは誰も思わないだろう。

それに新製品を出すメーカーとしては、
早くに新製品を出したメーカーにすれば、発売後約一年後に賞という形で評価されるのを、
どう思うだろうか。

BCN+Rの記事は、そのへんの事情をどう考えているのか。
雑誌の、現在の賞の在り方が、いまのままでいいとはまったく思っていないが、
だからといって、BCN+Rの記事は現状を無視しているだけでなく、
どこかケチをつけるためだけの記事のようにも思えてくる。

Date: 11月 12th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その7)

(その6)にfacebookで、若い方からのコメントがあった。
私よりも二回りほど若い人である。

そこには、
オーディオ側から「どう、このいい音は」と言われているような音が好きではない、
だからそういう音にしないようにしている──、
そう書いてあった。

好き嫌いは誰にでもあることだから、第三者の私がとやかくいうことではない。
それはわかったうえで書くのは、
そういう音を、自在にだせるだけの力量を身につけているのか、である。

若いのだから、いろいろな音を出していってほしい、と思う。
コメントの人だけではない。
若いのだから、もっとのびのびオーディオをやってほしい。

好き嫌いもある時期無視してでも、
そこ(オーディオ)から出せる音の幅の広さを、とことんしゃぶりつくしてほしい。
なんという不徹底ぶりなのか、とも感じてしまうし、
中途半端なオーディオを、若い人がやるものじゃない、とも思う。

若いうちから老成ぶって、そういうことをいうのは早い、といっておく。
大人ぶることはないのだ。

大人ぶった子供(あえてそう書いておく)になぜなろうとするのか。
子供じみた大人(大人といえないのだろうが)にでもなってしまいたいのか。

Date: 11月 12th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その14)

喫茶茶会記の218と今回の218の音を違いを聴いて、
audio wednesdayに来られた人たちは、
今回の218は、そうとうに手を加えたモノだ、と思われたかもしれない。
そのくらいの音の違いは、はっきりとあった。

聴いた人、みな驚いていたけれど、
いちばん驚いていたのは私だ。

私だけが、喫茶茶会記の218と今回の218の、手の加え方の違いをわかっているのだから。
ノーマル(つまり手を加えていない)218と喫茶茶会記の218の音の違いは、
きちんと把握している。

ノーマルの218と喫茶茶会記の218の音の違いも小さくはない。
手を加えていない218と手を加えた218なのだから、その音の違いの大きさは、
いわば当然といえることだ。

けれど今回の218は、ノーマル218と喫茶茶会記の218の違いが、
さらに大きくなったように感じられた。

喫茶茶会記の218と今回の218の、手の加えた方の違いで、
これだけの違いが生じる、ということに、驚くとともに、
218の優秀さを実感もしていた。

ここがデジタル機器の面白さである。
基本性能は218もULTRA DACも基本的に違いはない。

だからこそ、手を加えていくことで、ノーマルの218との違いが出てくるわけだ。
おそらくULTRA DACで、218に施したことをやったとしても、
ここまで音の違いは生じないように思っている。

218の音は、つくり込まれているわけではない。
それだからこその面白さがあり、
この面白さを加味すれば、218こそベストバイという気もしてくる。

Date: 11月 12th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その6)

オーディオでも、フツーにいい音、という表現が使われているのだろうか。
耳にしたことはある。

といって、私の周りではほとんど使われていない。
けれど人が変れば、フツーにいい音、という表現はよく使われているのか。

そういえば、普通の音、という表現もある。
この普通の音が使われるのは、
どこといって特徴のない音、際立ったところのない音、魅力のない音、
そういった音に対して使われることもある。

一方で、さりげない、なにげない、けれどいい音に対しても、
普通の音という表現は使われる。

そして後者の場合、普通の音を出すのが難しい、というふうにもつけ加えられることがある。
こうなると普通の音は褒め言葉である。

フツーと普通。
こうやって文字で表現すると、カタカナと漢字の違いもあるし、
フツウではなくフツーと、あえてしているわけで、音引きがつくかつかないのか、もある。

フツーにいい音、とはいうが、普通にいい音とは、まずいわない。
普通の音は、それ自体が、いい音である、ということを含んでいる場合があるからだ。

ただ普通の音こそだすのが難しい──、
こういったことをきくと、どのくらいの世代の人がいっているかによって、
私のなかでは、そういうことは、もっと歳をとってからにしようよ、といいたくなることがある。

いいたくなるだけで、いったりはしないし、
コメントに書いたりはしない。

それでも若い人が、普通の音こそだすのが難しい、といっているのをきくと、
若いのだから……、とおっせかいをいいたくなる。
余計なお世話といわれるのはわかっているが、
若いうちにしか出せない音があるのに、
若いうちから「普通の音こそだすのが難しい」といっている人も、
歳をとってから気づくのではないだろうか。

Date: 11月 12th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その13)

11月6日のaudio wednesdayに来た人が驚いたのは、
喫茶茶会記にあるメリディアンの218ではなく、
もう一台の218の音に対して、である。

喫茶茶会記の218にも私の手が加わっている。
ちなみに写真家の野上眞宏さんのところの218もそうである。

この二台の218は、ほぼ同じ手の加え方をしている。
この二台を比較試聴したことはないけれど、そう大きく音は変らないはずである。

今回喫茶茶会記に持ち込んだ、もう一台の218は、さらに手を加えている。
喫茶茶会記の218、野上さんの218にも、やらなかったことを施している。

さらにこまかい作業になり、二三度やりなおしているぐらいなので、
施さなかった、というわけである。

今回は、どこまで218は良くなるのか、
しかも喫茶茶会記の218と同条件で直接比較できる。

本音は、半分、私自身の腕試しの意味あいもあった。
前日の夜に作業を行った。
なので、私の部屋では音を聴いていない。

私も、今回の218の音を聴くのは、audiowednesdayで、来られた方と一緒なのが初めてである。
喫茶茶会記と野上さんのところの218も、かなりいい音に仕上がっている。

それとどこまで違うのか。
たいして違わなければ、そこまでやる必要はあまりない、ということになる。
喫茶茶会記の218を聴いて、今回の218に交換する。

置き場所、設置条件、電源コードすべて同条件で比較試聴した。
自信はあったが、音ばかりは聴かないことにはなにもいえない。

能書きだけはいっぱいあっても、出てくる音がさほど違わなければ、
それまでの評価に終ってしまう。

自信はあったが、ここまで違う(良くなっている)とは、予想を超えていた。

Date: 11月 12th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その12)

私はメリディアンの218に手を加えた。
それは218への、いわば愛情からである。

愛情を感じないオーディオ機器に手を加えようとは、私はまったく思わない。
この種の行為を、オーディオ機器への愛情がないからだ、と批判する人がいる。

そう言う人で、まったくこの種の行為を行っていない人がどれだけいることか。
いや、自分は手を加えたりは絶対にしない、とうい人はけっこういる。

けれど、そういう人たちはケーブル一本交換しない、したことがない、
そう言い切れるのか。

たとえば電源コード。
いまでは着脱式がほとんどだが、
電源コードをこれまで一度も交換したことがない人はどれだけいるのか。

着脱式になっているオーディオ機器にも、電源コードは付属している。
その付属の電源コードを交換するということは、
もう手を加えていることである。

このことが、どうにも理解できない人が、手を加えることに絶対的に批判の人のなかにいる。
オリジナルを尊重しなければならない──、
そう言う人が、電源コードを交換していたりする。

そこに矛盾を感じていないのか。
着脱式になっているからが、交換してもかまわない理由となるのか。

もっといえば、昔のオーディオ機器には信号ケーブルも付属しているのが多かった。

例えばずっと以前のマッキントッシュのアンプには、
赤白の、あの安価そうなラインケーブルが付属していた。

つまりそのしたいのマッキントッシュのオリジナルを尊重するのであれば、
ラインケーブルには、その赤白のケーブルを使うことになる。

けれど、そこまでしている人がどのくらいいるのか。
そこまで徹底している人から、手を加えるなんて……、と批判されるのであれば、
何か言い返したりしないし、そういう考えもあると認める。

けれど、そういう人にいつまで出逢ったことはない。
そういう人がいないとはいわない。

それでも手を加えてはいけない、という頑なに主張する人は、
なんのことはない信号ケーブルや電源コードはとうぜんのように交換していて、
自分の行為に矛盾を感じていない。

そう指摘すると、元に戻せるから、という返してくる。
だから、218へは、元に戻せることしかやっていないのだ。

Date: 11月 11th, 2019
Cate: plus / unplus

plus(その17)

つい先月も引用した瀬川先生の文章は、
ここでのテーマでも引用したくなる。
     *
 N−氏の広壮なリスニングルームでの体験からお話しよう。
 その日わたくしたちは、ボザークB−4000“Symphony No.1”をマルチアンプでドライブしているN氏の装置を囲んで、位相を変えたりレベル合わせをし直したり、カートリッジを交換したりして、他愛のない議論に興じていた。そのうち、誰かが、ボザークの中音だけをフルレンジで鳴らしてみないかと発案した。ご承知かもしれないが、“Symphony No.1”の中音というのはB−800という8インチ(20センチ型)のシングルコーン・スピーカーで、元来はフル・レインジ用として設計されたユニットである。
 その音が鳴ったとき、わたくしは思わずあっと息を飲んだ。突然、リスニングルームの中から一切の雑音が消えてしまったかのように、それは実にひっそりと控えめで、しかし充足した響きであった。まるで部屋の空気が一変したような、清々しい音であった。わたくしたちは一瞬驚いて顔を見合わせ、そこではじめて、音の悪夢から目ざめたように、ローラ・ボベスコとジャック・ジャンティのヘンデルのソナタに、しばし聴き入ったのであった。
 考えようによっては、それは、大型のウーファーから再生されながら耳にはそれと感じられないモーターのごく低い回転音やハムの類が、また、トゥイーターから再生されていたスクラッチやテープ・ヒスなどの雑音がそれぞれ消えて、だから静かな音になったのだと、説明がつかないことはないだろう。また、もしも音域のもっと広いオーケストラや現代音楽のレコードをかけたとしたら、シングルコーンでは我慢ができない音だと反論されるかもしれない。しかし、そのときの音は、そんなもっともらしい説明では納得のゆかないほど、清々しく美しかった。
 この美しさはなんだろうとわたくしは考える。2ウェイ、3ウェイとスピーカーシステムの構成を大きくしたとき、なんとなく騒々しい感じがつきまとう気がするのは、レンジが広がれば雑音まで一緒に聴こえてくるからだというような単純な理由だけなのだろうか。シングルコーン一発のあの音が、初々しいとでも言いたいほど素朴で飾り気のないあの音が、音楽がありありとそこにあるという実在感のようなものがなぜ多くの大型スピーカーシステムからは消えてしまうのだろうか。あの素朴さをなんとか損わずに、音のレンジやスケールを拡大できないものだろうか……。これが、いまのわたくしの大型スピーカーに対する基本的な姿勢である。
     *
まさしく、ここでのテーマ、カテゴリーであるplus/unplusの実例である。

unplusという単語はない。
私の勝手な造語である。
un-は、形容詞·副詞につけて「不…」の意を表わすから、plusの前につけた。

ボザークのスピーカーシステムはフルレンジを中心として、
トゥイーターとウーファーを足してマルチウェイとすることで帯域を拡大している。
まさしくplusである。

そのボザークのシステムからトゥイーターとウーファーを電気的に切り離す。
フルレンジユニットのみでの音となる。unplusの音である。

フルレンジのつまでは気づかなかった発見が、
plus/unplusによって浮び上ってきた、ともいえる。

plusすることに積極的であるならば、
unplusにも臆することなく取り組んでこそのオーディオのはずだ。

Date: 11月 10th, 2019
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その4)

11月7日のaudio wednesdayで、圧倒的であれ、がどういうことなのか、
少しは示すことができたと自負している──、
これは、別項で書いているメリディアンの218のことである。

Date: 11月 10th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その11)

5月のaudio wednesdayで初めてメリディアンの218を聴いた。
その時のことは別項で書いている。

そこではいろんなことを試した。
試しながら、218の可能性を探っていた、ともいえる。

こういうことをやってどういうふうに音が変化するのか、
その時の音の変化量の大きさはどのくらいなのか、
そういったもろもろのことを聴きながら、
私なりに218の可能性の大きさを感じていた。

ここでの可能性とは、いいかえると素姓の良さでもある。
その素姓の良さを抑えている、スポイルしている要素を、
どれだけなくしていける(少なくしていける)か。

部品など交換しなくても、
これまでのことからやっていけるという自信はある。

218にどんなことをしたのかは、詳しくは書かないが、
くり返すがハンダゴテは使っていない。部品は何ひとつ交換してない。

かかった費用は数百円程度である。
作業には、慣れていないと時間はかかるが、特殊な技術を求められるものではない。

いわゆるツボさえわかっていれば、確実に成果をあげられる。
出し惜しみして、ここに書かないわけではない。

直接会った人から訊かれれば、隠すことなく基本的には教える。
けれど、この人に教えたら、218を壊しそうだな、と判断した場合には、
教えないこともある。

その程度の手の加え方で、218の音がどれだけ良くなるのか(変るのか、とは書かない)。
疑問に思う人が多数だろうが、
11月6日のaudio wednesdayに来た人は、その成果をはっきりと聴いている。

Date: 11月 10th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その10)

私が、購入したオーディオ機器にまったく手を加えないタイプであったなら、
CDプレーヤーをアキュフェーズのDP70かスチューダーのA727、
どちらを採るかは、そうとうに迷ったことだろうか。

でも、DP70とA727を比較試聴している時には、
手を加えることも考えていた。
その上での、両機種の可能性を考慮しながらの試聴であった。

つまりそれまでにもCDプレーヤーに手を加えてきた。
それがあるからこそ、
いまそこで感じている不満点は、
どうにかできるという自信があったうえでのA727という選択だった。

だからといってA727を購入後すぐに手を加えたわけではない。
じっくり聴いて、ある程度の期間が過ぎてから、である。

一度目をやって、
A727と同じピックアップメカニズム、デジタルフィルター、D/Aコンバーターを採用した、
別メーカーのCDプレーヤーを別途購入して、
二度目のために、徹底的に、このCDプレーヤーに手を加えていった。

これはもう実験だった。
最終的にはトレイも外してしまった。
実験用だったため、元に戻せなくなるまで手を加えた。

その上で、A727に二度目の手を加えたわけだ。
もちろん、二度目も完全に元に戻せることを絶対条件とした。

DP70ではなくA727にしてよかった、と二度目の手を加えたA727の音を聴いて、そう思えた。
念のためいっておくが、DP70よりも、製品としてA727がすべての点で優れているわけではない。

何を優先順位とするかによって、DP70も選ばれるはずだ。
私は、DP70との比較試聴で、A727の可能性を、DP70のそれよりも高く評価した。
そして、A727の可能性は、私が期待した以上でもあった。

Date: 11月 10th, 2019
Cate: 憶音

憶音という、ひとつの仮説(その6)

人はどうやって音を聴いているのか。
特にオーディオマニアは、どうやって音を聴いているのか、
そしてどうして音が比較できるのか。

そんなことを考えて思いついたのが、憶音である。
別項「50年(その9)」で書いたことが、憶音の発想のきっかけである。

根拠は特にない。
ただ、これまでさまざまな機会で音を聴いてきて、
その時々で感じたなぜ? に答を見出そうとして思いついたことである。

なので妄想じみた考えなのは自覚している。
それでも思うのは、人はその場で鳴っている音を聴いているのではなく、
実のところ、いったん脳に記憶にされた音を聴いているのではないだろうか。

ようするに3ヘッドのテープデッキのような仕組みである。
録音ヘッドがテープに記録した磁気変化を、すぐ隣りにある再生ヘッドが読み取り電気信号へと変換する。
テープが脳にあたる。

耳から入ってきた音(信号)を、脳が記憶する。
この記憶の仕方・性能は、人によって違ってくるだろうし、
同じ人であっても、その日の体調やその他によって左右されるのかもしれない。

そうやって記憶した音(信号)をなんらかの方法で再生して、
その音(信号)を聴いている。

しかもテープのトラック数は一つとは限らない。
これも人によって違ってくるように感じている。

それにトラックによって、記憶の性能にバラツキもあるのかもしれない。
ただひとつ違うのは、テープには「記録」されるのであって、脳には「記憶」されることだ。

少なくとも音楽に関しては、
そして、これもなぜなのかはまったくわからないが、
オーディオを介して鳴ってくる音楽に関しては、少なくともそうなのではないのか。

Date: 11月 10th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その9)

音を聴いて、あるオーディオ機器を評価する。
オーディオマニアならば、みな行っている。
けれど、そこでの評価の仕方は、人によって違うこともある。

評価の結果が違う、というよりも、
どこを聴いているのか、という意味での評価の仕方である。

オーディオ機器の開発に携わっている人ならば、
プロトタイプを聴く機会はあたりまえのようにあるわけだが、
オーディオマニアが聴くのは、ほとんど製品化されたオーディオ機器である。

出てきた音がすべて、とよくいわれる。
確かにそうではある。
けれど、その出てきた音に何を聴くのか。

そのオーディオ機器の可能性を、出てきた音に聴くことだってある。
オーディオ機器の比較試聴をして、
どちらのオーディオ機器が優れているか、
自分の好みにあっているか、
そういう評価の仕方をすることもあれば、
常にオーディオ機器は商品でもあるから、
可能性の方を優先しての評価をすることだって、私の場合ある。

別項「EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その11)」で、
アキュフェーズのDP70とスチューダーのA727を、
ステレオサウンドの試聴室でじっくりと比較試聴したことを書いている。

そして、私はA727を選んだ。
その理由も、そこに書いてるが、書いていない理由もある。
それが、可能性をどう評価しての選択の結果である。

Date: 11月 10th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その8)

喫茶茶会記で10月中旬から鳴っているメリディアンの218は、
実は私が少しばかりを手を加えている。

といってもハンダゴテを使っての作業ではない。
そういう作業は、ようするに部品交換であり、
部品を交換するということは、もう元には戻せない、ということである。

元々ついていた部品に戻せば……、
それで元の音に戻ることは絶対にない。

取り外した部品をまたプリント基板にハンダ付けする、ということは、
その部品にハンダゴテの熱を三回加えることである。

製造時に一回、
部品を交換する際にプリント基板から取り外すときに一回、
元に戻すため再びプリント基板にハンダ付けするときに一回、
計三回のハンダ付けするわけで、三回分の熱が部品に加わっている。

アンプを自作したり、部品を実際に交換したことのない人には、
ハンダ付けの熱ごときで──、と思ってしまうようだが、
ハンダ付けの熱を軽く考えてはいけない。

確実に、ハンダ付けに必要な熱を加えれば部品は劣化し、
元々ついていた部品に戻しても、音は元には戻らない。

絶対に元に戻す必要はない──、
そんな絶対の自信のもとに手を加えるのは、その人の勝手であるが、
私は、自分のオーディオ機器ならばまだしも、
誰かが使うオーディオ機器には、そういう手の加え方はしない。

元に戻す、とは見た目だけ戻すことではない。
元の音に戻せてこそ、である。

喫茶茶会記にある218には、そういう手の加え方を施している。