Archive for 7月, 2018

Date: 7月 13th, 2018
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるグラシェラ・スサーナ

ハイレゾリューションの方式のひとつであるMQA
まだ聴く機会はないが、すでに聴いている友人の話では、そうとうに期待がもてそうである。

ユニバーサルミュージックからMQAを採用したハイレゾCD名盤シリーズが出ている。
9月19日から邦楽30タイトルが新たに発売になる。

ラインナップを見ていた。
そこに期待していなかった名前があった。
グラシェラ・スサーナの「アドロ・サバの女王」が30タイトルの中に入っている。

おぉっ、と声が出そうになった。
まったく期待していなかっただけに、よけいに嬉しい。

すぐに聴ける環境はないし、すぐに整えられるわけでもないが、
ディスクだけは購入しておきたい。

それにしても、私にとっては微妙な時期に出してくれるな、というところ。
なぜ微妙な時期なのかは、いまのところまだ書けない。
一ヵ月後くらいには、はっきりしてくるし、書けるようになるはずだ。

二週間ほど、グラシェラ・スサーナの一枚だけでも発売を早めてほしいところ。

Date: 7月 13th, 2018
Cate: 終のスピーカー

無人島に流されることに……(その7)

無人島に流されることになったら、何をもっていくのか。
ここではレコード(録音物)について書いている。

そのレコードがLPであれ、CDであれ、他のメディアであれ、
それを再生するためのシステムが絶対に必要になる。

そのシステムをどうするのか。
ここから始めなければ、答は出るようで出ない、ところもある。

それに、その無人島にどのくらいの期間いるのか。
死ぬまでなのか、それとも期限付きなのか。

その期限は一年、二年、もっと長くて五年、十年なのか。
その長さによっても、答は微妙に変ってこよう。

それにその無人島の環境はどうなのか。
暖かいのか、それとも寒い地域にある無人島なのか。

つねにどんよりした雲が覆っている日ばかりが続くのか。
それともからっとさわやかな風が吹き、青空の下で音楽を聴くような環境なのか。

そんなことをひとつひとつ考えていったら、きりがない。
「無人島に……」と聞いて、真っ先に浮ぶレコード。
上記したこまかなことなどは関係なく真っ先に浮ぶレコードはなんなのか。

まず浮んだのは、グレン・グールドのレコード(録音物)である。
バッハでもない、モーツァルトでもない、ブラームスでもない、
ハイドンである。

Date: 7月 13th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その15)

(その14)へのfacebookでのコメントに、
オリジナルでなければ、それほど後ろ髪をひかれることもないのでは……、とあった。

オリジナルでないから、グッドマンのAXIOM 301や401を見つけてこようとは、
さほど強く思わなかった。

いまになって後悔しているのは、
現行製品の30cmダブルコーンのフルレンジをあれこれ試していくのに、
なかなか都合のいいエンクロージュアだったかも……、と思っているからである。

SICAのダブルコーンもいいし、
友人のOさんが購入したBeymaのそれもいい。

特にBeymaのスペックを見ると、
いまどき、よくこんな性格のユニットを製造しているな、と感心するくらいのモノ。
インピーダンスカーヴだけでも、そのことはわかる。
かといって、古いまま造っているわけでもない。

コイズミ無線で購入できるモノには、ドイツ製のユニットもある。
コイズミ無線が取り扱っていないメーカーのなかにも、
30cmダブルコーンのフルレンジは、そんなに多くはないだろうが、あるような気がする。

中古にまで目を向ければ、使いたい(鳴らしてみたい)ユニットは、いくつかある。
それらのユニットを、どれか手に入れたとして、
じゃ、箱はどうするのか? となる。

平面バッフルもいいけれど、箱もいい。

いま同じ箱(シャーウッド型のエンクロージュア)で、
同程度のしっかりとした造りのモノを、当時と同じ価格で手に入れられるとはあまり思えない。

それに現実問題として、いまの部屋では、スペース的にちょっと無理がある。
そんなことがわかっていての、少々の後悔なのである。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その14)

十年以上前になるが、グッドマンのシャーウッド型と呼ばれるエンクロージュアを手に入れた。
立方体に近い形状で、リアバッフルにグッドマンならではのARUがついていて、
フロントバッフルは傾斜しているエンクロージュアである。

オリジナルではなかった。
国産箱だったけれど、そうとうにしっかりと作られたモノだった。

ユニットは30cm口径が取り付けられるようになっていた。
古いモノだから、くたびれていると感じるところもあったが、
そのころ、こんなエンクロージュアをほしがる人もいないようで、格安だった。
とりあえず買っておこうかな、そんな気持だった。

30cm口径のウーファーを入れて、マルチウェイにしようか、とも考えたし、
30cm口径のフルレンジを入れてのシステムもいいなぁ、と考えていた。

グッドマンのユニットが、中古で出たらそれにしようか、とか、
現行製品の30cm口径のフルレンジを取り付けようか、とか、
そんなことを考えるのが楽しいことは、オーディオマニアならば分ってくれよう。

引っ越しのときも捨てずにいた。
けれど、スピーカーが増えて、どうにもならなくなり、粗大ごみとして処分した。
そのときはそれほどもったいない、とは感じなかった。
もちろんまだ持っていたかったけれども。

いまごろになって急に、やっぱり捨てなければよかった、と後悔している。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その7)

友人(オーディオマニアでもある)のAさんと、
先月も今月も、とんかつを食べにいっていた。

とんかつ屋で飲み、あれこれ食べて、最後に定食。
そしてデザート、コーヒーというのが、二人の間で流行っている。

そんなことができるとんかつ屋は、東京でもそう多くはないはずだ。
それに、あまり遠くに出掛けるのも億劫だし。

とんかつ屋も、やはりブームのようである。
つい先日も、二軒のとんかつ屋に行列ができていた。
どちらも予定していた店である。

飲んで食べてデザートまで、という店は、
最高のとんかつの提供を掲げている店ほどではない。

気軽に入れる店で、美味しい店だから繁盛するのもわかる。
最高のとんかつの提供を掲げている店も、行列はすごいのは知っている。

長い行列に並んでまで、という気持は二人ともない。
入ろうとしていたとんかつ屋が行列だったから、違う店に入り少しばかり飲み食いして、
行列がなくなったころをみはからって、ふたたびとんかつ屋に向う二人である。

東京で話題になっている最高級のとんかつ屋にはまだ行っていない。
そこでのとんかつがどういうものなのか、食べてないのだから何も言えないのだが、
先日Aさんと二人で食べたとんかつは、ご飯とよく合うのだ。

これは嬉しい驚きである。
とんかつだけを食べるよりも、ご飯といっしょに食べたくなるとんかつである。

もしかすると、最高級のとんかつ屋のとんかつは、
とんかつだけで食べた方が美味しいのかもしれない……、
そんなことを勝手に思いながら味わっていた。

今回食べたとんかつ屋のとんかつよりも、もっと美味しいとんかつはあるだろうし、
ご飯にしても、もっと美味しいご飯を出すところはあるはずだ。

けれど、とんかつとご飯をいっしょに食べての美味しいは、
個々のとんかつ、ご飯が美味しければ、それで味わえるとはかぎらない。

スピーカーとアンプの組合せは、そこはまったく同じである。

伊藤先生が《ラーメンと共に日本人に好かれる食いもの》とされるとんかつは、
ご飯と合うからこその《日本人に好かれる》わけだろう。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年 黎明期〜トーキー映画まで(さらに追記)

スピーカー技術の100年」を読んでいる。

細部まで熟読まではしておらず、最初から最後までパッと目を通した程度なのだが、
ひとつ気になったことがある。

333ページに《オーディオ研究家の加藤秀夫》とある。
これはそのとおりである。

331ページ《レコード演奏家として著名な高城重躬》とある。
ここがひっかかっている。
些細なことである。

けれど、高城重躬氏は、菅野先生の定義されるところのレコード演奏家だろうか。
オーディオ研究家に、なぜされなかったのか。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その44)

ステレオサウンドに入って、一年くらい経ったころに、
菅野先生からいわれたことは、いまもはっきりと心に刻んでいる。

世の中には無駄なことはひとつもない、といわれた。
続けて、無駄なことと思うのは、そう思う本人が、無駄なことにしているだけだ、と。

そんなの無駄、そのひとことで片付けてしまう人こそ、バカだ、とも、
はっきりといわれた。

ほんとうにそのとおりだ、と思ってきいていた。
このことは、歳を重ねるとともに、深く実感している。

かっこつけているつもりなのか、
オーディオのことに限っても、「そんなの無駄!」と切り捨てるかのようにいう人がいる。
そういう人には、もう何もいわない。
心の中で、「あなただけが無駄にしているだけでしょう」と呟くだけだ。

人は、どんな人であれ、間違いを犯したり、失敗をやってしまう。
間違いも失敗も、完全に拒否するには、何もしないことだ。

問題は、自らの間違いや失敗から、目を背けてしまう人がいる、
目をつむってしまう人がいる──、
つまりなかったかのようにふるまう人がいる、ということだ。

簡単に記憶から消し去ってしまっているのだろうか。
だとしたら、ひとつの特技といえよう。

けれど、そういう人は、無駄をそうやって生み出していることに気づいていない。
無駄なことはひとつもない、とは絶対に思っていない人だ。

ジュニアさん、朝沼予史宏さんは、そういう人ではない、と信じている。
けれど、ステレオサウンドの染谷一編集長は、どうなのか。

そこが知りたいし、そこをはっきりさせたい、と思い書きつづけている。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: 405, QUAD

QUAD 405への「?」(その5)

QUADの405の全ヴァージョンを集めて比較試聴できれば、
そうとうな音の変化を確認できるのではないだろうか。

もっともいま全ヴァージョンを集めたところで、
古いヴァージョンにおいては、まったく手が加えられていない405はまずないだろうし、
そんな405があったとしたら、きちんと動作していない405の可能性が高い。

厳密な比較試聴は、まず無理である。
特に、そんな比較試聴をやりたいわけではなく、
405の音が変っていった理由を知りたいだけである。

ひとつ考えられるのは、コントロールアンプの44である。
405が登場した1976年は、44はなかった。
QUADのコントロールアンプは33だった。

33+405という組合せもあった。
実際に、この組合せで当時聴いていた人はいた。

QUADは、製品開発にじっくりと取り組む。
有名なのはESL63である。型番末尾の63は、開発が始まった1963年を表わす。
ESL63が登場したのは、1981年である。

44の場合、そこまで長い開発期間ではないだろうが、
一年よりは長い、と思っている。

405の発売直後あたりから、開発にとりかかっていたのではないか。
最初のプロトタイプが出来、405と組み合わせての試聴。
そして改良、また試聴。
その工程のくり返しにつれて、405の音が変っていった、とはいえないだろうか。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その9)

駅からの帰り道。
すれ違った小学中学年くらいの女の子とそのお母さん、それにお母さんの友だち、
と思われる三人組とすれ違った。

女の子が主張していた。
「映画館って、映画観るだけでしょ。何が楽しいの。観る以外何もないでしょ」と。

お母さんも、その友だちも苦笑いしているように見えた。
映画館は、女の子のいうように映画を観るところであり、
映画を観る以外の何かは、ほとんどない。

パンフレットを買ったり、上映中の映画の関連グッズが少し販売しているくらい。
あとは、おきまりのポップコーンくらいか(私は嫌いなので買わないけれど)。

私が、その女の子と同じくらいのころ、
映画はけっこうな娯楽だった。
近所の歩いて行ける名画座でもそうだったし、
バスに一時間ほど乗って、熊本市内のロードショー館でみる新作映画は、
もっともっと楽しい娯楽であった。

映画を観るだけ、であった。
それが、たまらなく楽しかった。

いまは、どうも違うのか。
それとも、その女の子だけが特別なのか。
その女の子と同世代の子たちも、同じように映画館をつまらない場所だと思っているのか。

この女の子は、映画館を、ディズニーランドとかのテーマパークと比較して、
そんなことを言っていたのか。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その13)

(その12)で、友人のOさんが、秋葉原に行く、ということを書いている。
コイズミ無線で、Beymaの30cm口径のダブルコーンの12GA50を購入。
さっそく今日聴いています、という連絡があった。

ダブルコーンのフルレンジユニットの周波数特性は、
グラフをみると中高域がアバレ気味で、中高域のクセが強いのでは? と、
つい思いがちになる。

そういう傾向のダブルコーンのフルレンジがあるのも確かだ。
けれど30cm口径ともなれば、中低域の量感もきちんとある。
バランス的に、小口径の、同じ傾向のダブルコーンのフルレンジよりも、
案外気にならないのではないか、と思っている。

Beymaの12GA50の音は、懸念されるようなクセはない、とOさんから連絡があった。
そうだろう、と思う。

12GA50は、こんな値段で大丈夫なの? と思いたくなるような価格設定だ。
一本約一万五千円。

ふつう、この価格の、この口径だとフレームはプレス製だと思いがちだが、
アルミダイキャストである。

振動系、磁気回路が同じでも、
フレームが違えば、聴感上のS/N比が違ってくる。
聴感上のS/N比は聴感上のfレンジにも関係してくることは、
以前書いている通りだ。

Oさんは、このブログを読み、12GA50を購入されている。
つまりOさんにとって、このブログは、
別項「黒田恭一氏のこと(「黒恭の感動道場」より)」に出てくる「口コミ」となったわけだ。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その43)

問題を起した人のクビを切るだけなら、上に立つ人ならば誰でもできる。
切っただけでは、それで終ってしまう。

菅野先生は、やり直す機会を与えられていた。
ひとつの組織の上に立つ人しての行動といえる。

オーディオ評論家は、いわばフリーだから、
組織という言葉を持ってくるのはおかしいと思われるだろうが、
実際には「組織」といっていい。

逆にいえば、そういう認識なしに、
オーディオ評論家としての、ほんとうのところでのいい仕事はできないはずだ。

ステレオサウンドという、ひとつの組織で、ジュニアさんは追い出されている。
仕事のやり方に問題があったのは否定できない事実だが、
菅野先生が朝沼予史宏さんに向けた配慮を、
ステレオサウンドはジュニアさんに向けることはなかった。

ジュニアさんは、あのとき健康を害されていた。
少しばかり長い休養も必要だった。

しばらく離れて、またやり直せる機会を、ステレオサウンドは与えなかった。
だから、それで終ってしまっている。

私は、朝沼予史宏さんよりもジュニアさんのほうが才能が上と見ている。
このへんは人によって見方が変ってくるだろうから、
私はそう思っている、というだけである。

その6)から取り上げている今回の件、
ステレオサウンドの染谷一編集長が、avcat氏という匿名のオーディオマニアに、
207号の柳沢功力氏のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記のことで謝罪した件。

ジュニアさんの問題とも、朝沼予史宏さんの問題とは性質が違う。
今回の件を、何が問題なの? という人がいるのも知っている。
ここも、ジュニアさん、朝沼予史宏さんの件とは違うところだ。

染谷一氏本人も、なんの問題があるのか、ぐらいに思っているのかもしれない。

ジュニアさんの場合は、
彼自身がほんとうにつくりたかったオーディオの本の編集において起ったこと。
一人で突っ走りすぎた、ともいえるのかもしれない。

朝沼予史宏さんの場合も、私には、(その41)で書いたことが原因のように思える。

どちらも想いが暴走してしまったのかもしれない。

染谷一編集長の件は、ここがはっきりと違う。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その42)

菅野先生の「やりすぎたんだよ」は、
朝沼予史宏さんを慮ってのことばである。

菅野先生はComponents of the yearの選考委員長として、
朝沼予史宏さんを選考委員から外されている。

苦渋の決断である。

菅野先生は、こう続けられた。
「朝沼くんならば、きっとやり直せる」と。
それを期待してのことだった。

菅野先生は、そのころの朝沼予史宏さんの行為はやってはいけないことだし、
そんなことを続けていては、朝沼予史宏という一人のオーディオ評論家をつぶしてしまうことになる、
朝沼予史宏という才能を殺してしまうことになる。

そんなことになる前に、なんとかしないと……。
選考委員から降ろされることが、朝沼予史宏さんに与える影響の大きさは、
菅野先生がいちばんわかっておられたはずだ。

それによってしんどい時期があっても、
朝沼予史宏さんならば、はい上がってくれる、と。

それには一年、二年……、もう少し必要なのかもしれない。
それでも腐らずにオーディオ評論という仕事を全うしていけば、
そこで再びComponents of the yearの選考委員になれたのである。

なのに朝沼予史宏さんが、突然逝ってしまわれた。
こんなことになろうとは、菅野先生もまったく予想されていなかった。

あの日の菅野先生の落ち込まれ方は、
朝沼予史宏さんへの期待への裏返しでもあった。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その41)

オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為。

前者をめざしていたはずなのに、気づいたら後者であった。
それが朝沼予史宏さんが、Components of the yearの選考委員ではなくなった理由だ。

具体的ないくつかのことは、
菅野先生からではなく、他のオーディオ業界の人らから聞いている。
ここで、その具体的なことは書かない。

朝沼予史宏はペンネームである。
五十音順で最初にくるように、「あ」で始まる苗字にした、
予見、予知の「予」を名にいれたかった、
そんな理由を、朝沼さんから直接きいている。

そのことをきかされたとき、沼田さん(朝沼さんの本名)は野心家なのかも……、と思った。
そうだったのかもしれない。
そうだったからこその、あのヴァイタリティであった、とはいえないだろうか。

私が先生と呼ぶオーディオ評論家の人たちは、
一般的なイメージとしてのオーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事もされていた。

どの人がどういうことをも、ある程度は知っているが、
これもここで書くことではない。

朝沼予史宏さんも、そのへんのことは私と同じか、それ以上に知っていたはずだ。
だから、そこを目指されたのかもしれない。

けれど、時代が違っていた。
同じ人が、違う時代に生きていたら、
オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事をできたかは、なんともいえない、と思う。

オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事をめざしていたのに、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為を、気づいてらやっていた──、
そういうことなのかもしれない。

菅野先生は、「やりすぎたんだよ」といわれていた。
確かに、朝沼予史宏さんのそれらの行為は「やりすぎ」である。
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為である。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: フルレンジユニット
1 msg

大口径フルレンジユニットの音(その12)

(その11)で終りにするつもりでいたが、
友人のOさん(私より10くらい若い)が、この項を読んでくれて、
30cm口径のダブルコーンのフルレンジに興味を持った、という連絡があった。

しかも今日これから秋葉原に行き、購入してくる、とのこと。

audio wednesdayに来てくれたブラジル音楽好きのHさんも、
メールで、7月の会はおもしろかった、と伝えてくれた。

Kさんは、いつも鳴らしているアルテックよりも、ずっと好ましい、
これからも、これ(AXIOM 402)で行きましょう、といっていた。

AXIOM 402を聴いて、何か感じるものは人それぞれあったはずだ。

AXIOM 402の背面にある周波数特性の範囲。
40Hzから11,000Hz。
40×11000=44,000である。
ほぼ40万の法則にあう。

AXIOM 401は30Hzから12,000Hzで、こちらは36万。
どちらも40万に近い値になる。

数値での周波数特性は、表記の仕方によって違ってくるから、
ユニットの背面の数値をそのまま鵜呑みにしているわけではないが、
それでも、と思うところはある。

小口径のフルレンジであれば、高域にはのびていくが、
低域方向は逆に苦しくなる。

シングルボイスコイルのフルレンジユニットで、
40万の法則的といえるのは、30cm口径のダブルコーンかもしれない。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: マーラー

マーラーの第九(Heart of Darkness・その11)

ストコフスキー/ロンドン交響楽団のマーラーの二番を聴いてみたい。
急に、そう思うようになった。

ストコフスキーの名を知らない人はいないだろう。
クラシックにさほど関心のない人でも、どこかで耳にしたり目にしたりしている、と思う。

名は知られていても、いまもストコフスキーの残した録音を、
熱心に聴いている人はどのくらいいるのだろうか。

クラシック音楽を聴いてきた時間の長い人ほど、
どこかストコフスキーを、巨匠と呼ばれる指揮者よりも低くみている。
私もそうだ。

ストコフスキーのレコードといって、すぐに浮ぶのは
グレン・グールドとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第五番ぐらいでしかない。

ほんとうにストコフスキーのレコード(録音)を、積極的に聴いてきたわけではない。
これから先も、ストコフスキーを熱心に聴いていこうとも思っていない。

なのにストコフスキーのマーラーの二番が、ひっかかっている。
1974年に録音している、ということは、
1882年生れだから、92歳でのマーラーの二番である。

CBSコロムビアと100歳までの録音契約を結んでいたことは、私だって知っている。
そういうストコフスキーだから、92歳という年齢をふつうの感覚ではかっても、
あまり意味のないことだろうが、それにしても一番や四番ではなく、
二番を録音しているということを、うまく言い表せずにいるもどかしさがある。

微にいり細にいり、という演奏ではないであろう。
多少の瑕疵もある演奏かもしれないが、少なくともレコード会社が発売にOKを出している。

タワーレコードが、ストコフスキーのマーラーの二番を復刻している。