Date: 7月 12th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
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「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その44)

ステレオサウンドに入って、一年くらい経ったころに、
菅野先生からいわれたことは、いまもはっきりと心に刻んでいる。

世の中には無駄なことはひとつもない、といわれた。
続けて、無駄なことと思うのは、そう思う本人が、無駄なことにしているだけだ、と。

そんなの無駄、そのひとことで片付けてしまう人こそ、バカだ、とも、
はっきりといわれた。

ほんとうにそのとおりだ、と思ってきいていた。
このことは、歳を重ねるとともに、深く実感している。

かっこつけているつもりなのか、
オーディオのことに限っても、「そんなの無駄!」と切り捨てるかのようにいう人がいる。
そういう人には、もう何もいわない。
心の中で、「あなただけが無駄にしているだけでしょう」と呟くだけだ。

人は、どんな人であれ、間違いを犯したり、失敗をやってしまう。
間違いも失敗も、完全に拒否するには、何もしないことだ。

問題は、自らの間違いや失敗から、目を背けてしまう人がいる、
目をつむってしまう人がいる──、
つまりなかったかのようにふるまう人がいる、ということだ。

簡単に記憶から消し去ってしまっているのだろうか。
だとしたら、ひとつの特技といえよう。

けれど、そういう人は、無駄をそうやって生み出していることに気づいていない。
無駄なことはひとつもない、とは絶対に思っていない人だ。

ジュニアさん、朝沼予史宏さんは、そういう人ではない、と信じている。
けれど、ステレオサウンドの染谷一編集長は、どうなのか。

そこが知りたいし、そこをはっきりさせたい、と思い書きつづけている。

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