「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その41)
オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為。
前者をめざしていたはずなのに、気づいたら後者であった。
それが朝沼予史宏さんが、Components of the yearの選考委員ではなくなった理由だ。
具体的ないくつかのことは、
菅野先生からではなく、他のオーディオ業界の人らから聞いている。
ここで、その具体的なことは書かない。
朝沼予史宏はペンネームである。
五十音順で最初にくるように、「あ」で始まる苗字にした、
予見、予知の「予」を名にいれたかった、
そんな理由を、朝沼さんから直接きいている。
そのことをきかされたとき、沼田さん(朝沼さんの本名)は野心家なのかも……、と思った。
そうだったのかもしれない。
そうだったからこその、あのヴァイタリティであった、とはいえないだろうか。
私が先生と呼ぶオーディオ評論家の人たちは、
一般的なイメージとしてのオーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事もされていた。
どの人がどういうことをも、ある程度は知っているが、
これもここで書くことではない。
朝沼予史宏さんも、そのへんのことは私と同じか、それ以上に知っていたはずだ。
だから、そこを目指されたのかもしれない。
けれど、時代が違っていた。
同じ人が、違う時代に生きていたら、
オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事をできたかは、なんともいえない、と思う。
オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事をめざしていたのに、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為を、気づいてらやっていた──、
そういうことなのかもしれない。
菅野先生は、「やりすぎたんだよ」といわれていた。
確かに、朝沼予史宏さんのそれらの行為は「やりすぎ」である。
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為である。