Archive for 2月, 2017

Date: 2月 20th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その12)

AXIOM 80について書きながら、また写経のことを考えていた。

川崎先生が2月5日に『とうとうその時期「写経」で自分の書を晒します』、
2月20日に『書そして運筆なら空海がお手本になる』、
書と写経についてブログに書かれている。

だからことさらにオーディオにおける写経について考えている。
昨晩、友人のOさんから連絡があった。
森本雅樹氏の記事を見つけた、という連絡だった。

森本雅樹氏については、天文学(特に電波天文学)に関心のある方ならご存知のはずである。
私は天文学にはほとんど興味はないが、森本雅樹氏の名前は、瀬川先生の文章に出てきているから、
なんとなくではあるが記憶にある。

ラジオ技術 1961年1月号掲載の「私のリスニング・ルーム」に、
瀬川先生が登場されている。タイトルは「ハイファイざんげ録」。

ここに森本雅樹氏の名前が出てくる。
     *
 それまでの私は、海外のオーディオ・パーツ、特にスピーカにはほとんど関心を示さず、かって、白い眼さえ向けさえ下。それは多分にラ技の影響でもあった。その私を〝改宗〟させたのが、いまだ愛聴しているGoodmansのAXIOM-80である。しかし私は、このAX’-80についてラ技誌上で多くを語ることをためらわずにいられない。かえって58年8月号に、森本雅樹氏がこのスピーカについてふれられた際〝……どうして、高域はまったくお話になりません〟ウンヌンと極言されておられ、さらにまたその年の2月のこの欄では、室蘭工大の三浦助教授が、AX’-80をやめて〝P社の12インチにとりかえた〟と書かれている。私自身はこのスピーカを、〝鳴らす〟ことがきわめてむずかしいスピーカだとつくづく感じているが、森本氏や三浦氏のようなベテランがこのスピーカごときを使い誤るようなことはあり得ようはずがない。とすれば、その〝お話にならない〟高音を、たいへん美しい、生々しさをともなったみごとな音だ、と感じる私の耳は異常なのだろうか、と私はたいそう心細くなるのである。
     *
ラジオ技術 1958年8月号の森本雅樹氏のアンプ製作記事のコピーを、
Oさんは送ってくれた。

Date: 2月 20th, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(体調不良になって・その4)

井上先生が何度もいわれていたことを思い出している。
「頭で聴くな、耳で聴け」
そういわれていた。

そして頭で聴くとだまされてしまう、ともいわれていた。
また「頭で聴く人ほど音でだましやすい」とも。

耳は確かに空気の疎密波を受けとめる。
けれど音を「聴いて」いるのは頭である。

そんなことは井上先生はわかったうえで「頭で聴くな」といわれていた。

頭で聴く、ということについて、それ以上は語られなかったけれど、
いまならばバイアスを取り除け、ということだと理解できる。

Date: 2月 20th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その11)

AXIOM 80を鳴らすパワーアンプのことに話を戻そう。
真空管の格からいえば、45よりもウェスターン・エレクトリックの300Bが上である。
300Bのシングルアンプということも考えないわけではないが、
まずは45のシングルアンプである。

満足できる45のシングルアンプを作ったあとでの300Bシングルアンプ。
私にとってはあくまでのこの順番は崩せない。

既製品でも鳴らしてみたいパワーアンプはある。
First WattのSIT1、SIT2は一度鳴らしてみたいし、
別項「シンプルであるために(ミニマルなシステム・その16)」で触れていように、
CHORDのHUGO、もしくはHUGO TTで直接鳴らしてもみたい。

でもその前に、とにかく45のシングルアンプである。
45のシングルアンプにこだわる理由はある。

17年前、audio sharingの公開に向けてあれこれやっていた。
五味先生の文章は1996年から、瀬川先生の文章、岩崎先生の文章をこの時から入力していた。

入力しながら、これは写経のようなことなのだろうか、と自問していた。

手書きで書き写していたわけではない。
親指シフトキーボードでの入力作業は、写経に近いといえるのだろうか。

オーディオにとって写経とは、どういうことだろうか。
オーディオにとっての写経は、意味のあることなのだろうか。
そんなことを考えながら、入力作業を続けていた。

私がAXIOM 80、それに45のシングルアンプにここまでこだわるのは、
写経のように感じているからかもしれない。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(「3月のライオン」を読んでいて・その1)

羽海野チカの「3月のライオン」のことは昨年12月に二回書いている。
その後も「3月のライオン」にハマっている。

単行本を買うのは止しとこう、と思っていたのに、手を出してしまった。
五巻、六巻、七巻は胸に迫るものがあって、立て続けに何度も読み返した。

「3月のライオン」の主人公は高校生のプロの棋士だ。
将棋のことが描かれる。

登場するプロ棋士の自宅には、立派な碁盤と駒があるとかぎらない。

私が小学生のころ、長旅の時間つぶしに持ち運びできる将棋盤と駒があった。
いまならスマートフォンがあるから、この手のモノはなくなってしまっただろう。
でも昔は新幹線のスピードも、いまよりも遅かった。

博多・東京間を何度か新幹線を使ったことがあるが、
ほんとうに時間がかかっていた。

そういう時に、折り畳み式で駒がマグネットで盤から落ちないようになっていたモノが発売されていた。
当時はテレビコマーシャルもよくやっていた。

立派な碁盤と立派な駒であっても、
こんなオモチャのようなモノであっても、将棋は将棋であることに変りはない。

それこそオモチャのようなモノすらなければ、紙にマス目を描いて、
紙を切って駒にしても将棋は将棋である。

それすらなければ、プロ棋士ならば、頭の中だけで対局をやっていくのだろう。

私は将棋は駒の動かし方をかろうじて知っているだけで、
それも小学校の時に親から習って、それからこれまで将棋を指したことはない。

そんな私の考えることだから、大きく違っている可能性もあるだろうが、
プロ棋士にとって、目の前にある碁盤の立派さとは、どれくらい影響するものだろうか。
ほとんど影響しないのではないか。

将棋とオーディオは違う。
そうなのだが「3月のライオン」を見ていると(読んでいると)考える。

そういう視点からピュアオーディオということばを捉え直してみることを。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その1)

別項で触れた技術用語の乱れ。
他にも例がある。

パワーアンプの動作を表す用語に、A級、B級がある。
AB級もある。

AB級とは小出力時はA級動作を、
それ以上の出力ではB級動作に移行する。

どの程度の出力までA級動作をさせるかは、メーカーによっても、製品によっても違う。
だいたいは数Wから10W程度までA級で、これ以上の出力ではB級である。

けれど最近のオーディオ雑誌では、こんな表記があった。
小出力ではA級動作、それ以上ではAB級に移行する、と。

こんな間違いを平気で活字にしている例を見たことがある。
それも一度ではない。
これもおそらくメーカーからの資料にそう書いてあるからなのだろう。

いまではオーディオ雑誌の編集者でも、
A級、B級、AB級の違いがわかっていないようだ。

他にも技術用語の乱れの例は挙げられるが、
オーディオ雑誌の編集者が気づくべきことだから、このへんにしておく。

オーディオ雑誌も、いまや程度の低いキュレーションサイトと同じになっている。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(余談)

グルンディッヒのProfessional BOX 2500というスピーカーシステムは、
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、
瀬川先生の組合せ(予算50万円)で登場している。

続いてステレオサウンド 54号(1980年春号)の特集にも登場し、
瀬川先生は特選機種にされている。

Professional BOX 2500は4ウェイ。
ウーファーとミッドバスはどちらも19cm口径。
密閉のブックシェルフ型で、
4ウェイということがイメージする本格的なスピーカーシステムというイメージからはほど遠い。
価格もJBL4343の約1/6の10万円である。

あまり注目されることのなかったスピーカーともいえる。
グルンディッヒには、このProfessional BOX 2500のアクティヴ型があった。
Akitiv Box 40というモデルで、4つのユニットにそれぞれ独立したパワーアンプを備えている。

4ウェイのマルチアンプ・ドライヴのシステムである。
価格は16万円。
Professional BOX 2500よりも6万円高いだけで、
4チャンネル分のパワーアンプとエレクトリッククロスオーバーを内蔵している。

Professional BOX 2500の価格もそうだが、
Aktiv Box 40もかなり安いと感じる。

Aktiv Box 40は、いったいどんな音だったのか。
瀬川先生は聴かれていないのか、
それとも聴かれたけれど芳しくなくて……、ということだったのか。

瀬川先生は、Professional BOX 2500の音を、
《ハイファイのいわば主流の、陽の当る場所を歩いていないスピーカーのせいか、最近の音の流れ、流行、
そういったものを超越したところで、わが道を歩いているといった感じがある》
と評価されていた。

4ウェイのマルチアンプ・ドライヴになっても、そういうところはそのままのはずである。
むしろマルチアンプ・ドライヴということから受けるイメージとは、
かなり遠いところで鳴っている音なのかもしれない。

「確信していること」の(その21)を書こうとしていて、
Akitv Box 40のことを思い出した次第。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(体調不良になって・その3)

タイミングのいい偶然なのか、
Forbes Japanのウェブサイトに、
サラダがもたらす「死の危険」? 健康的な食品が肥満をもたらす2つの理由
という記事が、今日公開されている。

空腹感についての記事である。
それほど長い記事ではないので、ぜひリンク先をお読みいただきたい。

記事の最後には、こう書いてある。
《「食べる」ことに関して最も重要な臓器は、脳だったのである。》

「聴く」ことに関して最も重要な臓器もまた、脳なのだろう……。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: オーディオの科学

オーディオにとって真の科学とは(その7)

(その5)で「あの程度のレベルの人を相手にすることはない」と書いた。
どういう考えで「あの程度のレベルの人」と言ったのかは聞いていない。

けれど私は「あの程度のレベルの人」とは、
己の耳を鍛えることから逃げて、
それでは己のプライドが傷つくのか、ケーブルでは音は変らない、という人のことである。

音の聴き分けにも得手不得手はある。
それはオーディオ仲間といっしょに音を聴いていれば実感することのはずだ。

あるところに敏感に違いを聴き分ける人でも、
別のところでは意外にもそうでなかったりする。

それにオーディオマニアの誰もが、わずかな音の違いまで聴き分けることはない。

例えば誰かをあるシステムをセッティングして、チューニングしていく。
その過程をいっしょに聴く。

何をやっているのかはわからないところもあるだろうし、
それによる音の変化も、聴き分けられるところもあれば、そうでないところもある。

それでも最初に鳴っていた音と、
数時間後に鳴っている音の違いがわかれば、オーディオは趣味として楽しめる。

私はケーブルの違いはあまりわからないという人を揶揄したいわけではない。
ケーブルの違いがあまりわからなくてとも、音を良くしていくことはできる。
(その6)で書いた、評価軸がその度にブレてしまうことがなければ、音は良くしていける。

私がオーディオに弊害をもたらしている、と捉えているのは、
己の耳を鍛えることから逃げて、安易な道を選び、
けれど己のプライドだけはしっかりと守りたい、という人のことだ。

そういう人が「オーディオは科学だ」という。
何度でも書くが、科学であれば観察力が問われる。
オーディオにおける観察力とは耳の能力のことだ。

これは高域が20kHzまで聞こえる、といったことではない。

そして大事なのは、
オーディオを科学として捉えるには観察力、
その己の観察力を冷静に観察し、得手不得手を把握する観察力である。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: オーディオの科学

オーディオにとって真の科学とは(その6)

これまでに何度も書いているように、
再生系のどこか一個所でもいじれば、音は間違いなく変化する。
その変化量は、ごくわずかなこともある。

そのため時として、人によっては、音の変化が掴めない、もしくは掴みにくいことはある。
それでも音は変化している。

そんなごくわずかな音の変化を聴き分ける人を、耳がよい人だという。
ただし、ほんとうに音の変化を確実に聴き分けているかという、
そうでもない人がいるのも事実である。

音の評価軸が、一回ごとに(もしくは数回ごとに)ブレてしまう人がいる。
そういう人は、何も変えていなくとも、変えているような仕草を見せると、
音が変ったという。

そういう人は何度かいっしょに音を聴いていると、わかる。
そういう人といっしょに音を聴いても、耳を鍛えることはできない。

ほんとうに耳のよい人といっしょに音を聴くことこそが、
己を耳を鍛えていく道である。

私が幸運だった、と別項で書いているのは、そういうことでもある。
ほんとうに耳のよい人といっしょに音を聴くことで、
自分の耳を知ることができるし、鍛えることもできる。

ほとんどの人が、最初からわずかな音の変化をはっきりと聴きとれるわけではないだろう。
オーディオ仲間が聴き分けている音の違いを、聴き分けられない体験をしたことがあるはずだ。

そんな時どうするか。
オーディオマニアの多くの人は、己の耳を鍛えようとする。
けれどごく一部の人は、別の道に逃げ込む。
「オーディオは科学だ、そんなことで音は変化なぞしない」と主張する。

己を耳を鍛えようとはせず、安易な選択をする。
オーディオは趣味だから、そのこと自体を否定はしない。
けれど、黙っていろ、といいたい。

なのに、ごく一部の彼らは、我らこそが真実だ、と声高に主張する。
滑稽にも関わらず。

Date: 2月 18th, 2017
Cate: オーディオの科学
1 msg

オーディオにとって真の科学とは(その5)

(その4)に対して、facebookでコメントがあった。
(その4)で書いたような人たちを相手にすることはない、というものだった。

同じことは、以前も別の人にいわれたことがある。
七年前、「オーディオの科学」について少し書いたことがある。

そのことに腹を立てたと思われる人(どん吉というハンドルネームだった)から、
コメントというよりもいちゃもんをつけられた。
その時も、「あの程度のレベルの人を相手にすることはない」といわれた。

そうかもしれない──、とは思っていない。
こういう人たちがいるからこその弊害がある。

観察力がないから、
いままでの知識だけで音を判断してしまう。

ここでの観察力とは、音を聴き分ける能力のことである。
この種の人たちの不思議なのは、
自分たちにできないことは他の人もできないと思っている節がある。

なぜそう思うのか。
人には得手不得手がある。
能力の違いがある。
多くの人がわかっていることを理解できない人たちのようだ。

自分の耳では聴き分けられないから、
ケーブルでの音の違いなどない、という結論にもっていく。

その人が聴き分けられなくても、聴き分けられる人はいるという事実を、
どうも認めたくないようである。

例えば100m走。
オリンピックに出る選手たちは10秒を切る速さで走る。

100mを10秒を切ることは、大半の人には無理なことである。
だから、すごいと思う。

自分にできないことだから、100mを10秒前後で走るのは、
何かトリックがある、オカルトだ、などというバカなことは思わない。

音のこまかな聴き分けも、同じことである。
すべての人の音に対する能力が同じなわけがない。

速く走れる人もいれば、高くジャンプできる人もいるし、
速く泳げる人もいる。

味覚や嗅覚でも、それを仕事としているプロフェッショナルがいる。
ケーブルで音など変らないと頑なに主張する人でも、
味覚や嗅覚のプロフェッショナルがいて、
そういう人たちの味覚、嗅覚と自分の味覚、嗅覚が同じレベルであるとは思っていないであろう。

なのになぜか聴覚だけは違うようだ。
聴覚検査で問題がなければ、音の聴き分け能力まで同じだと考えているのだろうか。

Date: 2月 17th, 2017
Cate: 欲する

資本主義という背景(その1のその後)

その1)で、サムスンによるハーマンインターナショナルの買収のニュースについて触れた。

この時点では買収で合意した、とあり、買収が完了していたわけではない。
その後、どうなったのか検索してみると、1月の時点ではまだ完了していなかった。
これだけの大型買収だと、両社が合意していても、すんなりとはいかないようだ。

そして今日(2月17日)、サムスンの事実上のトップが退歩された、というニュース。
ハーマンインターナショナルの買収は完了していたのか、
そうでなければどうなるのだろうか、と、また検索してみると、
中央日報の2月14日の記事『サムスン電子「80億ドルでハーマン買収」17日に決着』があった。

2月17日は、今日である。
アメリカ時間の2月17日だろうから、まだ決着はついていないのだろうか。

この日にはあわせての逮捕というわけではないと思うが、
すんなり決着とはいかないような気もする……。

Date: 2月 17th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その10)

それにしてもいつごろからオーディオ雑誌で、
技術用語が正しく使われなくなってきたのだろうか。

チョークコイルをチョークトランスともいう。
出力管の前段をドライバー段ともいう。

メーカーや輸入商社からの資料にそう書いてあるから、そのまま使う(写す)。
ひどいのになると、整流コンデンサーなるものを新発明している文章もあった。

誰しも間違える。
でも誰も気付かないというのは問題にしたい。

オーディオ評論家と呼ばれている人たちは、その間違いを指摘しないのだろう。
指摘しないのは、間違いだということに気づいていないからであるはずだ。

オーディオ評論家と呼ばれている人たちにも得手不得手があっていい。
すべてを知っているわけではない。

オーディオ評論家と呼ばれている人たちが、
チョークトランスとか整流コンデンサーとかを、原稿に書いてきたら、
編集者が朱を入れればいいのだが、ここでも気づかれずに活字になってしまう。

一度活字になってしまうと、チョークトランスが当り前になってしまう。
出力管の前段をすべてドライバー段(管)とするのが当然になってしまう。

いまの時代のオーディオ評論家と呼ばれている人たちや、
オーディオ雑誌の編集者たちは、そんなこまかいことどうでもいい、と思っているのかもしれない。

ならば、細部に神は宿る、といったことも口にしないでほしい。
ディテールが大切だ、ともいわないでいただきたい。

そんな感性では、AXIOM 80は鳴らせない、と断言しておく。

Date: 2月 16th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その9)

AXIOM 80を、私ならどう鳴らすか。
そんなことを妄想している。

まず考えるのはパワーアンプである。
ここは絶対に疎かに、いいかげんに決めることはできない。

まず浮ぶのは瀬川先生がAXIOM 80を鳴らされていたように45のシングルアンプ。
既製品では、そういうアンプはないから自分でつくるしかない。
瀬川先生は定電圧放電管による電源部、無帰還の増幅部で構成されている。

同じ構成にする手が、まずある。
45のフィラメントを、どうするか、とも考える。

シングルアンプだから、それにAXIOM 80の能率の高さと、
ハイコンプライアンスという構造上の問題からすれば、
ハムは絶対に抑えておきたいから、必然的に直流点火となる。

整流回路、平滑回路による非安定化電源か定電圧電源か。
ここは定電流点火としたい。

前段はどうするか。
最近のオーディオ雑誌では出力管の前段を、ドライバー段と表記しているのが目立つ。
前段の真空管をドライバー管ともいっている。

だが真空管アンプのベテランからすれば、わかっていないな、と指摘される。

トランジスターアンプと真空管アンプは、同じではないし、同じように語れるところもあれば、
そうでないところもある。
そのことがオーディオ雑誌の編集者も、
オーディオ評論家と呼ばれている人たちもわかっていないようだ。

無線と実験の別冊として以前出版されていた淺野勇氏のムック。
この本の巻末には、座談会が載っている。
ここでの伊藤先生の発言を読んだことのある人ならば、
出力管の前段をドライバー段とか、ドライバー管とはいわない。

もちろん正しくドライバー段と呼ぶ場合もあるが、
たいていの場合、ドライバー段と呼ぶのは間違いである。

私も、淺野勇氏のムックを呼ぶまでは(10代のおわりごろまでは)、
ドライバー段などといっていた。

Date: 2月 15th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その6)

いつごろから使われるようになったのか正確には記憶していない。
ここ数年よく耳にするようになったのが、
「フツーにうまい」とか「フツーにかわいい」といったいいまわし。

フツーはいうまでもなく普通であわけだが、
文字は別として、耳には「普通にうまい」ではなく「フツーにうまい」に近い。
普通にフツーにしても、「うまい」の頭になぜつけるのか、と思う。

うまい(おいしい)ということは、ふつうのことなのか、といいたくもなる。

オーディオも「フツーにいい音」といったりするのだろうか。

この「フツーに○○」が使われるようになる前から、ラーメンはブームになっていた。
東京に住んでいるとラーメン店の増殖ぶりはすごい。
さまざまなタイプのラーメンがある。

ラーメンがブームになって感じるのは、まずいラーメン店がきわめて少なくなってきたこと。
ラーメン・ブームの前は、あきらかにまずい店が少なくなかった。

よく言っていたのは、インスタントラーメンでもこれよりずっとうまいよ、とか、
どうやったら、これほどまずくつくれるんだろう……、とかだった。

いまではそういうラーメン店を見つける方が難しくなってきている。
このことはラーメン・ブームが定着した証しなのかも、とも思ったりする。

けれど、ほんとうにおいしいと感じるラーメン店の絶対数は、
それほど増えていない気もする。

昨晩も知人ととあるラーメン店に行った。
常時ではないが、時間帯によっては行列ができているくらいには評判の店だ。
男性客だけでなく、女性客も多い。

出てきたラーメンは、おいしいかと問われればおいしい、と答えるが、
食べながら、「これがフツーにうまいというものか」と思ってしまった。

まずくはない、といった意味でのうまいではなく、
確かにうまいラーメンである。
でも食べながら、どこか冷静に食べていることに気づいている。
夢中になって……、というところからは離れての食事だったともいえる。

Date: 2月 14th, 2017
Cate: 新製品

新製品(新性能のCDトランスポート・その1)

CDプレーヤーは最初はひとつの筐体のモノばかりだった。
だからこそ、CDプレーヤーと呼ばれていた。

ソニーとLo-Dがセパレート型CDプレーヤーを、同時期に発表した。
CDトランスポートとD/Aコンバーターとのふたつの筐体になった。

トランスポート(transport)の意味は輸送、搬送、運送などである。
信号処理の分野では、情報、データ、信号などを伝送する、伝達する、転送する、などの意味を持つ。

CDトランスポートを、そう呼ぶのはなんとなく納得できるものの、
これまでのCDトランスポートを、素直にトランスポートと呼んでもいいのだろうか、
という気持は少しばかりあった。

それでも他にいい言葉も思いつかないし、
便宜的にはCDトランスポートと私もいっていた。

1月下旬にCHORDからCDトランスポートBlu MkIIが発表になった。
発売は3月の予定だそうだ。

Blu MkIIがどんな新製品なのかは、
ステレオサウンド、ファイルウェブでも紹介されているから、
輸入元タイムロードのサイトよりも、情報としては詳しい。

CHORD独自の信号処理技術M-SCALERによって、CDを705.6kHz(最大)までアップサンプリングする。
CDだけでなくBNC端子によるデジタル入力も備えており、M-SCALERはこちらでも使える。

聴いていない新製品の音については語れないが、
ステレオサウンド、ファイルウェブの記事を読むと、早く聴きたいと逸る。

数日前に、仕様変更のニュースがあった。
外部入力としてUSB端子が設けられるとのこと。
もちろんUSB端子からの入力信号に対してもM-SCALERによるアップサンプリング処理は行われる。
こちらは最大768kHzとなっている。

初代Bluにもアップサンプリング機能は搭載されていて、
88.2kHz、176.4kHzでも信号出力を、CHORDのD/Aコンバーターとの接続時において可能だった。

けれど初代Bluにはデジタル入力はなかった。
信号処理大幅に向上したBlu MkIIだが、
まだ聴いてもいない製品についてここで書いているのは、
デジタル入力を備えているからである。

Blu MkIIがもつ機能こそ、CDトランスポートと納得ずくで呼べる。
USB入力を装備して、ますますそう呼べるようになった。
同時に新性能の登場ともいえよう。

2017年2月25日追記
PSオーディオからも興味深いCDトランスポートDirectStream Memory Playerが登場した。
なのでこの項を続けて書くことにした。
タイトルも「新製品(CHORD Blu MkII)」から「新製品(新性能のCDトランスポート」へと変更した。