Archive for 8月, 2016

Date: 8月 18th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

オーディオがオーディオでなくなるとき(その1)

「オーディオがオーディオでなくなるとき」は、
吉田健一氏の「文学が文学でなくるとき」にならってのものであり、
しかも永井潤氏が1982年に、ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurで使われている。

オーディオがオーディオでなくなるとは、どういうことなのか。
まずそのことについて書いていかなければならないのだが、
同時に「ステレオサウンドがステレオサウンドでなくなるとき」とか、
「オーディオ評論家がオーディオ評論家でなくなるとき」とか、
他にもいくつか「文学が文学でなくなるとき」にならって考えている。

すぐに答が出せそうでいて出せないもどかしさを感じている。
まだはっきりと言葉に変換できないから、
「ステレオサウンドがステレオサウンドでなくなるとき」といったことを考えている。

昨夜、友人でオーディオ仲間のAさんと数年ぶりに会って、あれこれ話していた。
オーディオの話もしたし、海外ドラマの話、同世代だけにゴジラやガメラの話などをしていた。

Aさんが以前訪れたことのあるあオーディオマニアのことが話に出てきた。
そのオーディオマニアのことを聴きながら、
その人はオーディオマニアなんだろうか、と思っていた。

そのオーディオマニアの方とは面識がない。
会ったことのない人について書いていることは承知している。
そのうえで、世間一般から見れば、その人はすごいオーディオマニアということになるけれど、
私にはどうにもそう思えない何か、Aさんの話から感じていた。

そんなことがあったので、ふと「文学が文学でなくなるとき」を思い出したし、
「オーディオがオーディオでなくなるとき」について考えてみようと思っているところだ。

Date: 8月 18th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(雑器の美)

五味先生の「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」と柳宗悦氏の「雑器の美」。
どちらも読んでほしい、と思う。

「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」を読んでいる人は、一度「雜器の美」を読んで、
もういちど「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」を読んでほしい。

そう思った理由は書かない。
「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」と「雜器の美」を読めば、わかってもらえると思うからだ。

Date: 8月 18th, 2016
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その6)

SMEの3012-Rの最初の広告には「限定」の文字があった。
SMEもそれほど売れるとは考えていなかったのかもしれない。
けれど3012-Rは高い評価を得た。

特にステレオサウンド 58号の瀬川先生による紹介記事を読んだならば、
このトーンアームを買っておかなければ、と思ってしまう。
私もそのひとりである。

3012-Rはかなり売れたのだろう。
いつのまにか「限定」の文字がなくなって、販売は継続されていった。
それだけでなく、さらなる限定モデルとして金メッキを施した3012-R Goldを出す。

その後3012-R Proも出してきた。
このトーンアームの内部配線も銀線であり、
ピックアップケーブルも銀線になっていた。

ステレオサウンド試聴室では、
マイクロのSX8000IIに、この3012-R Proを取り付けて、
ケーブルも付属の銀線をリファレンスとしていた。

つまりこのアナログプレーヤーにオルトフォンのSPU-Goldを取り付ければ、
発電コイルから出力ケーブルまで銀線で揃えられる。
いうまでもなくオルトフォンもSMEも、当時はハーマンインターナショナル扱いブランドだった。

ちなみにケーブルの両端についている保護のためのコイルスプリングは外していた。
この部分にアセテートテープ貼ってみる。
これだけでも音は変化する。
さらにこれを取り除くと、その変化はもっと大きくなる。

このコイルスプリングは鉄でできている。
機械的共振と磁性体を取り除くことになる。

銅線でもそうだが、銀線では特に、
このコイルスプリングがあると良さが出難くなる印象を持っている。

Date: 8月 17th, 2016
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その5)

1970年代後半、他の国はどうだったのかは知らないが、
少なくとも日本では銀線という文字を、オーディオ雑誌で見かけることが急に増えてきた。

広告では、新藤ラボラトリーが、
ウェスターン・エレクトリックも銀線を使っていた、と謳っていた。

それから木製ホーンで知られていた赤坂工芸は、
オルトフォンのSPU-AEのコイルを銀線に巻き直すサービスを行っていた。
オルトフォンが銀線コイルを使用したSPU-Goldを出すよりも以前のことである。
赤坂工芸の広告には、50ミクロンの銀線を使用、とあるだけで、
詳細はお問い合わせ下さい、とのこと。

どのくらいの価格でやってくれるのかは、なので知らない。
いったんカーリトッジをバラしてコイルをほどき、巻き直すわけだし、
しかもひじょうに細かな作業だから、それほど安くはなかっただろう。

《その結果は、まさに筆舌につくしがたいというところです。ただ聴きほれるだけです》
と広告には、そう書いてあった。

この広告から二年半後に、オルトフォンからSPU-Goldが登場している。
なので当時は勝手に想像していた。
赤坂工芸の銀線SPUの音を聴いた人が、オーディオ関係者にいたのかもしれない。
それでオルトフォンに……、そんなふうに想像できなくもなかった。

SPU-Goldはステレオサウンド 61号で、山中先生が紹介されている。
     *
在来のSPUに比べてわずかながら音の鮮度と低域の分解能が向上し、よりアキュレートな音になっているのが新しい魅力である。
     *
この項の(その1)で引用したことと、
SPU-Goldの音の印象は重なってくるし、そのことで銀線のイメージができあがりふくらんでいった。

Date: 8月 17th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その60)

ステレオサウンド 52号の表紙は、マッキントッシュのC29とMC2205のペアである。
黒をバックに、夏号(51号)とはがらりと雰囲気を変えた秋号らしさ、と感じた。

52号を手にして気づくのだが、
49号はマッキントッシュのMC2300、50号はMC275、51号がアルテックの604-8Hで、
52号がC29とMC2205ということは、
一年四冊のステレオサウンドの表紙の三回をマッキントッシュのアンプが飾っている。

こういうことを書くと、へんなことを勘ぐる人が出てくる。
念のために書いておくが、このころのマッキントッシュの輸入元はヤマギワ貿易である。

52号の特集は「いま話題のアンプから何を選ぶか──最新56機種の実力テスト」である。
セパレートアンプ、プリメインアンプの試聴と測定である。
特集の冒頭には、
瀬川先生の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」が載っている。

51号とは打って変っての内容である。
特集だけではない、新連載も二つ始まっている。
主菜も副菜も充実していた、というか、充実させようという意気込みのようなものがあった。

嬉しくなった。
51号がああだっただけに、その嬉しさを伝えたかった。
だからステレオサウンド編集部に手紙を書いた。

しばらくしたら編集部から返信があった。
返事があるとはまったく思っていなかっただけに、また嬉しくなった。

いま思えばつたない文章の手紙だった。
そういうのに対してもきちんとした返事を送ってくれた。
念のためにいっておく、この時代から電子メールではなく封書の手紙だ。

Date: 8月 17th, 2016
Cate: オリジナル

オリジナルとは(SAEの場合)

ステレオサウンドについて(その59)」で、SAEの輸入元変更について書いた。

SAEのパワーアンプMark 2600に関しては、
RFエンタープライゼス輸入のモノと三洋電機貿易輸入のモノとがある。

私は迷わずRFエンタープライゼス輸入のMark 2600を選ぶが、
世の中にはオリジナルでなければ絶対にダメだ、という人たちがいる。
その人たちは、どちらを選ぶだろうか。

ここでのMark 2600のオリジナルとは何を指すのか。
SAEはアメリカの会社だから、アメリカで売られているMark 2600とまったく同じモノであり、
SAEが日本に出荷したモノということになる。

RFエンタープライゼスでは、届いたMark 2600に手を加えていた。
私はそのことを改良と受けとめているが、
オリジナル至上主義者は、オリジナルに手を加えている、と憤慨するかもしれない。

RFエンタープライゼスが勝手にやっていたことではないだろう。
SAEの承認を得てやっていたことだろう。
それでもオリジナルに手を加えていることは事実である。

RFエンタープライゼス輸入のモノと三洋電機貿易輸入のモノとを比較試聴したことはない。
どれだけの音の差があるのかははっきりとしないが、
少なくともある程度の音の差があるのは間違いない。

おそらくRFエンタープライゼスのMark 2600の方が音はいい、と思う。
だから私は、オリジナルではなくなっていてもRFエンタープライゼス輸入を迷わずとるが、
オリジナル至上主義者は、ここでは迷わず三洋電機貿易輸入を選んでもらいたい。

でもオリジナル至上主義者の何人かはいうだろう。
聴いて音が良ければ、RFエンタープライゼス輸入をとる、と。

オリジナル至上主義者の人たち何人かと話して気づいたのは、
彼らがオリジナルに執拗にこだわるのは市場価値とか商品価値を重視しているからでもある。

つまり手放すときに、どれだけ高く売れるか。
そのためだけにオリジナルであることにこだわっている人がいるのは事実である。

ということは、そういう人にとっては三洋電機貿易輸入のMark 2600は、
中古市場での価格は、RFエンタープライゼスのMark 2600よりも低いはずだから、
RFエンタープライゼスのMark 2600がオリジナルということになるのか。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その59)

ステレオサウンド 51号に関しては、もうひとつ書いておきたいことがある。
といっても記事ではなく、広告である。

当時マークレビンソンやSAEなどの輸入元であったRFエンタープライゼスの広告のことだ。
そこには大きな文字で「さようならSAE」とあった。

文字だけの広告だった。
〈SAE社からの手紙〉が上段にあり、
下段に〈RF社からSAE社への返信〉があった。

SAEが拡大路線を、輸入元のRFエンタープライゼスに要請したものの、
RFエンタープライゼスとしては望むべき道ではない、ということで、
SAEの取り扱い業務を停止する、というものだった。

SAEは三洋電機貿易が取り扱うことになった。
これはけっこうショックだった。

SAEのパワーアンプMark 2500は、瀬川先生の愛用アンプであり、
私の欲しいアンプのひとつだった。
51号のころはMark 2500からMark 2600にモデルチェンジしていた。

基本的な内容は同じであっても、パワーアップしたMark 2600の音は2500とは違っていた。
私はMark 2500の方が好きだったし、いいと思う。
瀬川先生もMark 2600になって、気になるところが出てきた、ともいわれていた。

RFエンタープライゼス取り扱いのSAEがなくなる。
そんなことをいって輸入元が変るだけだろう、と人はいうだろう。

けれど当時のRFエンタープライゼスは、輸入して売るだけの商売をやっていたわけではない。

広告には、こう書いてあった。
     *
当社では、これまで米国SAE社製品の輸入業務を行うとともに、日本市場での高度な要求に合致するよう、各部の改良につとめてまいりました。例えば代表的なMARK 2600においては、電源トランスの分解再組立てによるノイズ防止/抵抗負荷による電源ON-OFF時のショック追放/放熱ファンの改造および電圧調整によるノイズ低減/電源キャパシターの容量不足に対し、大型キャパシターを別途輸入して全数交換するなど、1台につき数時間を要する作業を行うほか、ワイヤーのアースポイントの変更による、方形波でのリンギング防止やクロストークの改善など、設計変更の指示も多数行ってまいりました。
     *
これだけの手間を、次の輸入元がやるとは思えなかった。
三洋電機貿易が輸入したMark 2600を聴く機会はなかったが、
特に聴きたいとも思っていなかった。

そのMark 2600だが、
数年前、ある人から「瀬川さんがいいというからMark 2600を買ったけれど、ちっとも良くなかった」
といわれた。
だから聞き返した。「輸入元はどっちですか」と。
「三洋電機貿易のモノじゃないか」ともきいた。
そうだ、という。

だからだ、と答えた。
RFエンタープライゼスがどういうことをやっていたのかも説明した。
でも、その人は納得していない様子だった。
同じ型番のアンプなのだから、輸入元の違いで音の違いなどあるはずがない、
そう思っているようだった。

そして執拗に「瀬川さんがいいといっていた……」とくり返す。
この手の人に対する私の態度は冷たい。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その58)

このころのステレオサウンドの音楽欄は、
いまとはずいぶん趣の違う構成だった。

ジャズに関しては「わがジャズ・レコード評」というページを、
安原顕氏が書かれていた。

いまとなっては安原顕氏がどういう人なのか説明するところから始めないと、
「誰ですか、安原顕って?」となる。

51号の「わがジャズ・レコード評」の書き出しはこうだ。
     *
 ジャズ喫茶に詳しい人なら、国分寺から千駄ヶ谷に引っ越してきたPeter-cat(マッチに例のジョン・テニエル描くところの『不思議の国のアリス』の笑いながら消えていくチェシャー猫の絵を使っている)という洒落たお店のことは知っていると思うが、そこのマスターの村上春樹君が、『風の歌を聴け』と題する中編小説で第22回群像新人賞を受賞した。この村上君は、ぼくのジャズ友達で現在『カイエ』の編集長をしている小野君から紹介されて、国分寺時代のころから知っていた人だったので早速読んでみたのだが、これがちょっと信じられないくらい(といっては村上君に悪いが)面白くかつ感動的な小説だった。
     *
村上春樹氏についての記述はもう少し続くが、このへんにしておくし、
これは、余談である。

51号464ページは、告知板という記事である。
メーカーのショールームがオープンしたり、キャンペーンを行っているとか、
オーディオ機器の価格改定が行われたとか、そういった告知をあつめたページである。

ここにフィリップスが発表したコンパクトオーディオ・ディスクが載っている。
このころはまだディスクの直径は11.5cmである。
このころフィリップスのスピーカーやカートリッジは、オーディオニックスが輸入していた。
だから、このコンパクトオーディオ・ディスクの問合せ先も、オーディオニックス。

CDの誕生前、ひっそりと記事となっている。

51号を弁当にたとえれば、主菜が期待外れだった。
けれど副菜が意外なもので美味しかったりしたので、
弁当として満足はそれなりに得られたものの、
やはり51号のベストバイは失敗と断言してもいい。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その57)

瀬川先生の「ひろがり溶け合う響きを求めて」は、
単にリスニングルームだけのことに留まらず、さざまなことに関係してくる予感があるだけに、
ここではこれ以上書かない。

いずれ項を改めて欠くつもりだが、
どういうテーマにするのかも含めて、まだ何も決めていない。

ブログを書いていると、こんなふうにして書きたいことが次々に出てくる。
項を改めて……、と保留にしているテーマがもうすでにいくつかもある。

ステレオサウンド 51号の記事については、だから次にうつる。
「#4343研究」である。

副題は「JBL#4343のファイン・チューニング」である。
4343をチューニングするのはオーディオ評論家ではなく、
JBLプロフェッショナル・ディヴィジョンのゲーリー・マルゴリスとブルース・スクローガンのふたり。

1979年4月中旬に、
山水電気主催でJBLのプロフェッショナル・ユーザーを対象としたセミナーが開催され、
講師として、このふたりが来日している。

「JBL#4343のファイン・チューニング」は10ページの記事。

海外メーカーの人は、昔からよく来日している。
その度にステレオサウンドをはじめオーディオ雑誌はインタヴュー記事を掲載する。
けれど、読者が読みたいのは、それら多くのインタヴューの先にあるものである。

51号の、この記事はそういえる初めての記事、
少なくとも私にとっては、ステレオサウンド以外にもオーディオ雑誌を読んでいたけれど、
こういう記事は初めてであった。

自社のスピーカーシステム(4343)をセッティングしていく様には、
ロジックがあるといえよう。
特にレベルコントロールの方法は、まさに目から鱗であった。

この時の4343の音は、心底聴いてみたかった。

ファイン・チューニングという言葉を、
数年前のステレオサウンドも記事のタイトル使っている。
ずいぶん51号とは意味合いが違っている。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その56)

51号掲載の「ひろがり溶け合う響きを求めて」の二回目は、
IEC(International Electrotechnical Commission)が1977年に各国に配布した
リスニングルーム原案について紹介されている。

この原案の要約が表になっている。
 ①部屋の容積:801(±30)㎥
 ②天井までの高さ:2.75(±0.25)m
 ③寸法比:L:B:H=2.4=1.6=1
 ④残響時間:100Hz 0.4s(Min), 1.0s(Max) 400Hz 0.4s(Min), 0.6s(Max) 4kHz 0.4s(Min), 0.6s(Max) 
       8kHz 0.2s(Min), 0.6s(Max) 
 ⑤スピーカーの背面(半斜面)は吸音性でないこと。
 ⑥スピーカー直前の床面にカーペット等を用いないこと。
 ⑦リスナーの背面は吸音性の材料を含んでもかまわない。
 ⑧天井にはいかなる吸音材を用いてはならない。
 ⑨屋内でのフラッターエコーが感知できないこと。
 ⑩基本的にこの屋内は拡散音場であること。
 ⑪室温:15〜35℃ ただし20℃が好ましく、リスニングテストの際は25℃を限度とする。
 ⑫湿度:45〜75%
 ⑬気圧:860mbar〜1060mbar

瀬川先生は、日本流に直していえば、
やや天井の高い十八畳弱の、残響時間が長めのリスニングルーム、と表現されている。

そして、こう書かれている。
     *
 わたくし自身が(前号にも書いたように)長いあいだ数多くの愛好家のリスニングルームを訪問した体験によって、とても重要だと考えていた条件がひとつある。このことは、ふつう、こんにちの日本ではほとんど誰も取上げていない問題だが、それは表1の⑧の、「天井にはいかなる吸音材も用いないように……」という部分である。これは、新しいリスニングルームを作る計画を立てる以前から、ずっと固持してきたわたくしの考えと全く同じであった。
     *
瀬川先生の連載「ひろがり溶け合う響きを求めて」は、
単にリスニングルームの記事で終っているわけではない。

欧米のオーディオ機器の音とも深く関係してくる。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その55)

ステレオサウンドを毎号買っている人でも、ベストバイの号だけは買わない人がいる。
43号のベストバイのやり方で、もっと良くしていっていれば、
そんな人は出てこなかったかもしれない。

でも現実には51号のベストバイのやり方は55号にも踏襲されている。
51号のベストバイをどう思ったかについては、
55号の時にまとめて書く。

私は51号と55号のベストバイのやり方に愛想を尽かした人がいた、と思う。
その人たちが、ベストバイの号だけは買わない、になっていたようにも思うのだ。

50号都州の座談会での、
瀬川先生の「熱っぽく読ませるためには……」はどこに行ってしまった。
50号の次がこうであることに、ひどく裏切られた感じがした。

50号のベストバイについて書き始めると止らなくなるから、このへんにしておこう。
では51号は全体としてはつまらなかったか、といえば、そうでもなかった。

50号から始まった瀬川先生の連載の二回目が載っている。
それから「#4343研究」が始まった。
そして見落している人が少なくないようだが、
51号が手元にある人は、ぜひ464ページを見てほしい。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その54)

ステレオサウンド 51号「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」の扉には、
編集部原稿で、次のように書いてある(105ページ)。
     *
 本誌31号(’74年)にはじめた「ベストバイコンポーネント特集」は、35号、43号、47号とつづき、今回で5回目を迎えた。ただし31号は読者投票の結果のみだったので、評論家の選ぶベストバイは、今回で4回目ということになる。
 ベストバイ特集も、回を重ねることによって、おのずと別な視点がでてくる。そのひとつはベストバイに選定された製品の年次的な推移見ることができる点で、今号では本年度のベストバイ製品のリストに過去3回(35号=’75年、43号=’77年、47号=’78年)の実績を提示した。
 また、今回のベストバイ選定は過去3回よりもさらにシビアな選考方法をとったことをご報告しておこう。
 前回までは、評論家の推選が一人であってもベストバイ製品として掲載してきたが、今回からは二人以上の推せんがあった製品のみ取り上げている。さらにその製品について、八人の評論家にそれぞれ3点以内のランクづけをしてもらっている。したがって、満票は24点、最少得票は2点ということになる。
 今回はさらに各ジャンルに価格帯を設けそれぞれの価格帯の中での評価を導入しているのも従来とちがう点である。
     *
前回、前々回よりもシビアな選定方法をとった、とある。
そうかもしれない。
けれど、そのことが誌面に反映されているとは思えなかった。

ベストバイに価格帯を設けたことは新しい試みであるが、
価格帯を設けるということは、どこかで線引きをすることであり、
この線引きが、実に微妙な問題を内包していることは、
この時点(1979年)では気づかなかったが、後に気づく。

それに51号の掲載方法だと、誰がどの製品に票を入れたのかがまったくわからない。
しかも解説は、それまでは票を入れた人がそれぞれ担当していた。

だが51号では、スピーカーシステムとレシーバーは菅野沖彦、アンプは上杉佳郎、チューナーは長島達夫、
アナログプレーヤー関連は柳沢功力、テープデッキは井上卓也が、それぞれを担当して一括しての文章である。

読み手としての私が知りたいことが、ばっさりと削られている。
そう感じて、がっかりしていた。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その53)

ステレオサウンド 51号の表紙は、アルテックの604-8Hである。
604-8Gまでのマルチセルラホーンから、マンタレーホーンに置き換った。

外観の変更はホーンだけであるが、
全体のイメージはずいぶん違って見える。

マンタレーホーンの604-8Hの方が新しいと感じるといえばそうなのだが、
それまでのマルチセルラホーンと比較すると開口部がフラットということ、
当然ホーン開口部にもスリットがないため、平面的な印象を受ける。

しかもユニットの前面のみで磁気回路を含めた後側が写っていないから、
よけいに平面的と、いまも見えるのは特集の内容も関係してのことである。

51号の特集はベストバイ。
私にとっては43号、47号に次ぐ三回目のベストバイの号である。

51号を手に取って最初のページからめくっていく。
広告をのあとに最初に登場するのは、「続・五味オーディオ巡礼」である。
51号では、H氏(東京)とある。

このときはH氏が誰なのかはわからなかった。
「五味オーディオ教室」にもH氏のことを書かれている。
ヴァイタヴォックスのCN191を鳴らされている人だとは、だから知ってはいた。

そのH氏のリスニングルームに、五味先生が訪ねられている。
わくわくしながら読んだことを、いまも憶えている。
     *
〝諸君、脱帽だ〟
 ショパンを聴いてシューマンが叫んだという言葉を私は思い出していた。
     *
他にもここに書き写したいところはいっぱいあるが、これだけでいいだろう。

五味先生のオートグラフは、タンノイではもう製造されなくなっていた。
輸入元であるティアックのカタログに載っているオートグラフは、
タンノイの承認を得た国産エンクロージュアである。

エンクロージュアはオリジナルに限る。
五味先生の書かれたものを読んできた私にとって、
ヴァイタヴォックスのCN191はオリジナルのエンクロージュアのままの現行製品だった。

CN191を、いつか鳴らしてみたい、と思った日でもあった。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その6)

別項「2405の力量」でのことが、ここに関係してくる。

スピーカーの接続、アンプのセッティングが終り、どんな音が鳴ってくるか。
毎日触れている自分のシステムではなく、セッティングから始めるこういう音出しでは、
緊張とは違うが、少しどきどきに近いものがある。
あまりにもひどい音が鳴ってきたとしたら、残り時間はそうないわけで、
どうするのかを考え行動しなければならないことも関係してくる。

でもいまのところそんなことはない。
「新月に聴くマーラー」では、確認のために最初に鳴らしたのは、
レイ・ブラウンとデューク・エリントンの”This One’s for Blanton!”から、
一曲目の”Do Nothin’ Till You Hear From Me”である。
出だしのピアノが鳴ってきた。

私の中にある、このディスクのピアノのイメージは、
長島先生が鳴らされていた音である。
同じ音が出てきたとはいわないが、
長島先生が、このディスクで出そうとされていた方向と同じではあった、といえる。

つづいてバド・パウエルの”The Scene Changes: The Amazing Bud Powell (Vol. 5)”から、
“Cleopatra’s Dream”を、さらにボリュウムを上げて鳴らした。

扉はもちろん閉めていたけれど、隣の喫茶室にも音は漏れていた。
しばらくしたら店主の福地さんが扉を開けてきいてきた。
「これ、バド・パウエルの演奏とは違いますよね」

きかれた私は、ちょっと考え込んだ。
何をきかれているのかがつかめなかったからだ。

誰が聴いても、バド・パウエルの演奏だから、
ジャズの熱心な聴き手でない私が、仮に喫茶室にいたとしても、
漏れ聴こえてくる音で、バド・パウエルとわかる。

彼がそう訊いてきたのは、バド・パウエルのディスクとは思えない音で鳴ってきたから、だった。
誰か、いまのジャズの演奏者が、バド・パウエルそっくりに演奏して、
それを最新録音で捉えたものだと思った、という。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その52)

ステレオサウンド 50号の表紙はマッキントッシュのMC275だ。
50号は1979年春号だから、この時点でMC275は製造中止のモデルである。

それまでのステレオサウンドの表紙は、現行製品が飾ってきた。
製造中止になったMC275なのは、やはり50号だからと、
特集の内容からいっても、納得できる。

50号の巻末にはステレオサウンド創刊号から49号まで総目次がついている。
さらに49号までのテストリポート掲載機種総索引もついている。

この巻末附録は、読みはじめて三年に満たない読み手にとってはありがたいものだった。
それまでのステレオサウンドがどういう特集を組んできたのか、
どういう連載を続けてきたのか、
どういう書き手がいたのかがわかる。

50号という区切りにぴったりの附録といえた。

それにしても私が読みはじめる前のステレオサウンドに書いていた人が、
そのころになるともう書かれていないことにも気づく。
古いステレオサウンドを読むことができなかったから、
どういう理由でそのころの書き手に絞られていったのかはわからなかった。

50号で熱心に読んだ記事(といってもいいのだろうか)のひとつである。
50号には、平面バッフルの記事もあった。
1190mm×1190mmの、さほど大きくないサイズの平面バッフルの記事である。
平面バッフルは大きい方がいいのはわかっていても、
目の前にあって圧迫感のないサイズといといえば、このくらいであろう。

それでどの程度の低音が出せるのか。
そのことにある程度答えてくれる記事であった。

そして50号では瀬川先生の連載が始まった。
「ひろがり溶け合う響きを求めて」である。
副題として「私とリスニングルーム」とあることからわかるように、
瀬川先生が世田谷にリスニングルームを建てられる記事である。

最初の見出しは、こうだった。
「発端── 生来の衝動買いでリスニングルームを」

50号を、私は熱っぽく読んでいた。