妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その9)
現代に生きる人は忙しい、などといわれている。
その忙しい人にとっては、
ワーグナーの楽劇もツール・ド・フランスも長すぎる、ということになるであろう。
長すぎるから……、
通しで聴く(観る)など、そんな時間はとれない……、
そんな時間があったら、他のことをする……、
そういう忙しい人にとっては、ワーグナーの楽劇を、自分のものとすることはできない。
ワーグナの楽劇の長さも、ツール・ド・フランスの長さも、
人によっては長すぎると感じてしまう、その長さも、
ワーグナーの楽劇、ツール・ド・フランスならではの個性のうちだといえよう。
だから、長さとじっくり、最初から最後まで通してつき合う必要があるし、
それを聴き手に要求している。
そういう作品をハイライト盤で何度聴こうと、
多くの人のハイライト盤で聴こうとも、
ワーグナーの楽劇を聴き得た、ということにはならない。
こんなことを書いている私だが、
「パルジファル」を通しで頻繁に聴いているわけではない。
いままで何度聴いただろうか。
数えたことはないけれど、そう多くはない。
それでも「パルジファル」を聴くときは、
最初から最後まで通して聴いてきた。