JBLのユニットのこと(先入観・その3)
先入観は思い込みでもある。
思い込みであれば、先入観は決していいイメージではない。
はっりきと悪いイメージといっていい。
先入観は思い込みだけだろうか。
思い入れも、ある種の先入観といえなくはないだろうか。
思い込みの「込み」と思い入れの「入れ」は、
「入」という字が共通してある。
先入観にも「入」が共通してある。
またくり返すことになるけれど、
五味先生の文章からオーディオをスタートした。
それを核として、瀬川先生、岩崎先生、菅野先生、岡先生、黒田先生といった人たちの文章を読み、
肉付けしていった、ともいえる。
そんな私にとってはタンノイのオートグラフは特別な存在のスピーカーであり、
JBLの4343も、やはりまた特別なスピーカーシステムである。
他にもいくつかの特別な存在のスピーカーがある。
これらのスピーカーを鳴らす機会があったとする。
うまく鳴らなかった、としても、そこには思い入れという先入観が私にはあるから、
そこで目の前にあるスピーカーのせいだとは、決して思わない。
うまく鳴らない理由は、自分の側にある、と判断することになる。
特別な思い入れがあるから、たとえひどい音からスタートしたとしても、
いつかは必ず、と思い、鳴らし込んでいくことだろう。