妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その8)
「パルジファル」は、ワーグナーの楽劇で、最も美しいのではないだろうか。
そして、宗教的な気配が「パルジファル」にはあるようにも感じる。
宗教的な気配とは、どんなものなのかについての説明は、うまくできない。
というかまったくできない、と書いた方がいい。
それでもクナッパーツブッシュの「パルジファル」を聴けば、
そこに宗教的な気配が存在していることは、ワーグナーを通しで聴いていた聴き手には感じられる。
ワーグナーの楽劇を、ハイライト盤でしかきいた事がない人は、
「パルジファル」を聴こうとは思わないかもしれない。
でも、全曲盤でワーグナーを聴いてこなかった聴き手が「パルジファル」を聴いて、
どう感じるか──、そこにあるのは退屈なのかもしれない。
ワーグナーの楽劇は長い。
クラシックの作品の中でも、長いといえる長さである。
この長さが、ワーグナーである、とも思うことがある。
フランスにはワグネリアンが多い、ときく。
なんとなくでの印象であるが、フランス人とワーグナーがうまく合わさらないところがあった。
なぜフランス人が、ワーグナーを聴くのか。
けれど、自転車に興味をもつようになり、
ツール・ド・フランスを見ていると、
こういう競技をうみ出し、それに熱狂しているフランス人を見ていると、
ワグネリアンが多い、ということに納得がいく。
ツール・ド・フランスもワーグナーの楽劇も、とにかく長い。