Archive for 7月, 2012

Date: 7月 20th, 2012
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その22)

グレン・グールドのピアノしか聴かない人がいる、という話は、
黒田先生の著書「音楽への礼状」のグールドの章のところに出てくる。

この、グールドについて書かれた章で、黒田先生は”A Glenn Gould Fantasy”について、ふれられている。
     *
戯れということになると、ぼくは、どうしても、『ザ・グレン・グールド・シルバー・ジュビリー・アルバム』の二枚目におさめられていた、あの「グレン・グールド・ファンタジー」のことを考えてしまいます。あの奇妙奇天烈(失礼!)なひとり芝居を録音しているときのあなたは、きっと、バッハの大作「ゴルドベルク変奏曲」をレコーディングしたときと同じように、真剣であったし、同時に、楽しんでおいでだったのではなかったでしょうか。もしかすると、あなたは、さまざまな人物を声で演じわけようと、声色をつかうことによって、子供っぽく、むきになっていたのかもしれません。
「グレン・グールド・ファンタジー」は、悪戯っ子グレンならではの作品です。ほんものの悪戯っ子は、「グレン・グールド・ファンタジー」のために変装して写真をとったときのあなたのように、真剣に戯れることができ、おまけに、自分で自分を茶化すことさえやってのけます。あなたには、遊ぶときの真剣さでピアノをひき、ピアノをひくときの戯れ心でひとり芝居を録音する余裕があった、と思います。そこがグレン・グールドならではのところといえるでしょうし、グールドさん、ぼくがあなたを好きなのも、あなたにそうそうところがあるからです。
     *
グレン・グールドのピアノしか聴かない人は、”A Glenn Gould Fantasy”は聴かない。
そうだとしたら、グールドしか聴かないグールドの聴き手には、真剣に戯れる余裕がないのかもしれない。

グレン・グールドのピアノしか聴かない──、
そう口にした人は、なぜわざわざ、こんなことをいってしまうのか。

グレン・グールドのピアノしか聴かない、ということで、
なにかをアピールしたいのだろうが、そのアピールしたいことは、
別の、グレン・グールドのピアノしか聴かない人にとって、
アピールしたいことはそのまま伝わり同意を得られるだろうが、
“A Glenn Gould Fantasy”を聴いて楽しみ、グルダのピアノも聴き、もちろんそれだけではない、
他のピアニストの演奏も聴いてきている人にとっては、
「グレン・グールドのピアノしか聴かない」によって、このことばを発した本人がアピールしたいことには、
同意はできないし、窮屈なものを感じてしまうのではないだろうか。

グレン・グールドのピアノしか聴かないことの窮屈さから、
「感情の自由」は追い出してしまうし、押し殺してしまうことにもなるのではないか。
そうやって、本人だけが気づかぬうちに、音楽の聴き手としての「感情の自由」をなくしてしまう。

Date: 7月 19th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その3)

「いまさらねぇ……」
これを口にするは、別に難しいことでもなんでもない。
誰でも、いおうと思えばいえる。

「いまさらLNP2ねぇ……」「いまさら4343ねぇ……」、
そんなことは懐古趣味だとばかりに短絡的判断を下す人がいる。
そう思いたければ、ずっとそう思っていればいい。

私だって、「いまさらLNP2ねぇ……」「いまさら4343ねぇ……」と誰かにいったりはしなかったものの、
私は私自身に対して、そんなことをつぶやいていた時期がある。

「いまさらねぇ……」を口にする人の中には、
LNP2や4343を実際に使ってきた人、憧れをもっていた人もいる。
そういう人の「いまさらLNP2ねぇ……」「いまさら4343ねぇ……」には、
自分はとっくに、それらのオーディオ機器から卒業した、
もしくはいまの自分にとっては、自分の要求するところからは、
力不足のオーディオ機器、さらにいえば役立たずのオーディオ機器、と暗にいいたいのかもしれない。

「いまさらねぇ……」の裏からは、
いまの自分は、もうそんなところにはいないよ、といった自負が臭ってくることがないわけではない。

「いまさらねぇ」のあとにオーディオ機器の型番を続ける人と話したことが、数回ある。
話してみれば、わかる。
自分にもそういう時期があったからこそ、わかるものがある。

ほんとうに、この人は「いまさらねぇ」の後に続けるオーディオ機器を、理解しているのだろうか。

私は、人でもオーディオ機器でも再会するということは、
再会する自分が、実は試されているところがあると、いまは感じている。

「いまさらねぇ……」は、その試されることから逃げるには、最適の言い草であるからだ。

Date: 7月 18th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その20)

Standard Speaker System、
試作の3ウェイのスピーカーシステムにつけられた、この名称に、
このスピーカーシステムの開発にかかわった人たちのスピーカーとアンプについての考え方の、
その一部ではあるものの、推し量れることがある。

少なくとも、このStandard Speaker Systemを開発していた時点でビクターは、
スピーカーの駆動方法として、一般的な定電圧駆動ではなく定電流駆動が望ましい、
という判断を下していた、ということだ。

だからこそ一般的な定電圧駆動ではなく、定電流駆動を採用しながらも、
Standard Speaker Systemと、その名称に”standard”をつけている。
standardの意味はいうまでもなく、標準とか基準である。

標準となるべきスピーカーシステム、基準となるべきスピーカーシステムに、
1978年ごろのビクターの開発者たちは、定電流駆動を採用していることを強調しておきたい。

このころ、テクニクスも試作品のスピーカーシステムに、やはり定電流駆動を採用している。
リニアフォースドライブスピーカーと名付けられた、この方式は、スピーカーの徹底した低歪化を目指したもので、
スピーカーの歪をBl歪と電流歪にわけて考えられることから、
前者のBl歪(ボイスコイルに信号が流れることによって生じる磁束密度の変調によるもの)には、
外磁型マグネットの前後にプレートを配することで対称構造としたうえで、
このふたつのプレートの間に磁束コイルをおき、
ボイスコイルの両端に捲いてある制御コイルからの信号により、
磁束コイルに対し専用アンプによる磁束フィードバックをかけている。
電流歪(ボイスコイルがセンターポールやプレートなどのヒステリシスをもつ材質に囲まれているために発生)には、
対称構造としたプレートに対し、それぞれボイスコイルをおき(つまり2組ある)、
こちらも専用アンプでドライヴする、という仕組みである。

磁束フィードバック用アンプも、ボイスコイル用アンプも、定電圧出力ではなく定電流出力となっていることも、
リニアフォースドライブスピーカーの、大きな特徴といえる。

リニア(linear)は、直線の、直線的な、の意味をもつわけだから、
リニアフォース(直線的な力、言い換えれば非直線的な要素のない力)を実現するために、
テクニクスは定電流駆動を選択した、とも受け取れる。

Date: 7月 17th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その19)

アンプとスピーカーの関係について考えてゆくにつれて感じているのは、
現状の、定電圧出力のパワーアンプと、定電圧駆動を前提としたスピーカーシステムの組合せだけでなく、
もういちど定電流出力のパワーアンプによるスピーカーの駆動を再検討してみるべきではないか、ということ。

電圧をパラメータとする電圧駆動、それに電圧伝送が、オーディオの世界では標準の方法として定着している。
それでも電流をパラメータとしたオーディオ機器が、これまでにも登場している。

私がオーディオに関心をもちはじめた1976年以降の製品だけにしぼってもいくつかある。
まずヤマハのヘッドアンプのHA2がそうだ。
ヘッドシェルにヘッドアンプの初段のFETをとりつけることで、
MC型カートリッジの出力電圧を電流変換してヘッドアンプ本体まで伝送していた。

その次には登場したのはビクターのコントロールアンプのP-L10がある。
P-L10は、ヤマハのHA2のように見た目ですぐに特徴的なところがあるアンプではない。
けれど、このコントロールアンプは内部では電流伝送を行っていた。
おそらくビクターではパワーアンプとの接続に関しても電流伝送を実験していた、と私は思っている。
けれどコントロールアンプとパワーアンプをペアで必ずしも購入されるわけではなく、
他社製のパワーアンプやコントロールアンプと組み合わされることのほうが実際には多いのかもしれない。
だからコントロールアンプ・パワーアンプ間に電流伝送を搭載するということは、
他社製のオーディオ機器との使用を考慮すると、そういう冒険はやりにくい。
だからP-L10内部だけの電流伝送にとどまったのではないだろうか。

そう考えるのには、ひとつ理由がある。
ビクターが1978年ごろに発表したスピーカーシステムの試作品が、それである。
試作品だから型番はなく、たしかStandard Speaker Systemと呼ばれていた。

卵形のエンクロージュア平面型のスピーカーユニットを納めた、この3ウェイのスピーカーシステムは、
3台のパワーアンプを内蔵したマルチアンプ駆動てある。
そしてそれぞれのアンプは、すべて定電流駆動となっている。
ウーファーに関しては、さらにMFBもかけられている。

このStandard Speaker Systemは市場に登場することはなかった。
このStandard Speaker Systemのコンセプトを受け継いだスピーカーシステムも現れなかった。
けれど、いまビクターのサブウーファーのSX-DW77はDクラスアンプによる定電流駆動となっている。

Date: 7月 16th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その18)

アンプによってスピーカーは鳴り方を変える。
ときには、まるで別物のスピーカーに変ってしまったかのように錯覚するほどの音の変り方を示すことだってある。

D130は1948年に登場したスピーカーユニットだから、
64年のあいだ、さまざまな時代の、さまざまなアンプで鳴らされてきたことになる。

出力トランスの2次側からのNFBがかけられていない真空管によるパワーアンプ、
とうぜん出力インピーダンスは高い(ダンピングファクターが低い)。
それがNFBが積極的に使われるようになり、同じ真空管アンプでも出力インピーダンスは下り、
ダンピングファクターも高くなっていく。

そしてトランジスターが登場し回路技術が発展していくことで、
D130の登場の1948年では考えられないくらいのNFBが安定にかけられるようになり、
出力インピーダンスはさらに下っていく。
ダンピングファクターが100を超えるアンプは珍しくなくなったし、1000を超えるアンプも登場してきた。

あるジャンルの製品の多彩さをみていったとき、
パワーアンプの多彩さはコントロールアンプのそれをはるかに上回っている。
出力数Wの直熱三極管のシングルアンプもあれば、
1kWを超える出力をもつトランジスターアンプも存在している。
アンプの規模にしても、手のひらにのってしまうのに数10Wの出力をもつDクラスアンプもあるし、
モノーラル仕様で、さらには電源部と増幅部が別筐体で、
それぞれのシャーシー重量が50kgを超える規模のアンプも存在する。

こうしてみるパワーアンプの多彩さ、
いいかえるとパワーアンプという製品としてのダイナミックレンジの広さはなかなか凄いものがある。

実にさまざまなアンプにつながれてD130は鳴らされることで、
それまでのアンプではみせなかった一面を新たに聴かせてくれたりしたことだと思う。
新しいパワーアンプのすべてが、以前のパワーアンプよりもすべての面で上廻っているわけではないが、
それでも良質の、ほんとうによくできたパワーアンプであれば、
D130のような古典的なスピーカーから、新鮮な音を引き出してくれることは、そう珍しいことでもない。
いわばスピーカーそのものが若返ってしまうかのような、そういう音の変化をみせる。

だから高能率スピーカーだから大出力のパワーアンプで鳴らす必要はない、とはいわない。
D130のような非常に高能率のスピーカーを、数100Wの出力のパワーアンプで鳴らしてみる、とか、
D130が登場した時には考えられなかったほどの高いダンピングファクターのアンプで鳴らしてみる、とか、
高能率同士の組合せとしてDクラスのアンプで鳴らしてみる、とか、
固定観念にとらわれることなく、多彩なパワーアンプで鳴らしてみてもいい。

基本的にそう考えている私だけども、D130について考える時、
現代のアンプが、どれだけD130に寄り添うアンプかという観点から見た時に、
どうしても組み合わせてみたいパワーアンプとして、
別項でも取り上げているファースト・ワットのSIT1が頭から離れなくなっている。

Date: 7月 15th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その2)

1970年代後半のころのマークレビンソン・ブランドのアンプは、私にとっては憧れだった。
LNP2にしてもML2にしても、ML6も含めて、いつかは手に入れる、と思っていた。

LNP2、ML2は、そう思っていたためか、聴く機会はわりとはやく訪れたし、その後も何度となく聴く機会があった。
LNP2はステレオサウンドのリファレンスコントロールアンプとして使われていたこともあって、
聴こうと思えば、ステレオサウンドの試聴室で聴くことができた。

こういう環境は恵まれている、と思うと同時に、憧れを大切にしたいのであれば、どうかな、とも思う。
憧れのLNP2は、その後続々と登場するコントロールアンプによって、少しずつ旧型のアンプへと変りつつあった。

憧れはいつしか失せていた。
LNP2を「いつかは手に入れる」という気持はなくなっていたのか、忘れてしまっていたのか……、
どちらなのかは自分でもわからないものの、LNP2に関心をもつことはながいあいだなかった。

これは、なにもLNP2に対してだけのことではない。
ML2に関しても、ML6に関しても、いつしかそうなっていたし、
マークレビンソンのアンプに関してだけのことでもない。

実を言えばJBLの4343に対しても、4345に対しても……。
こうやってひとつひとつ挙げていくときりがないほど、10代のころに強く憧れ、
いつか必ず手に入れる、と思い込めていたオーディオ機器への関心がなくなっていた。

LNP2もML2も4343も、その時代の先端を走っていたオーディオ機器であっただけに、
時が経てば、色褪せて、どうしても旧さを感じてしまうようになるのは、しかたないことかもしれない。

そんなふうに感じていた20代の私は、もうLNP2や4343を欲しい、と思うことはない、と思っていた……。
なのに、いまは「再会」をつよく意識している自分に気がつく。

Date: 7月 15th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続×八・作業しながら思っていること)

KA7500の開発・設計担当者が、誰のブラームスのレコードを聴いていたのか、
その手掛かりとなるものはほとんどないわけだが、
ひとつあげるとすれば、やはりKA7500とKA7300のコンストラクションの違いがある。

KA7500もKA7300も聴いたことがないから断言することはできないものの、
KA7300はKA7500と比較の上でも、さらに他社製の同時期のプリメインアンプと比較しても、
いわゆる音場感の再生能力は、10万円以下の製品としては、かなり高いものであったと判断できる。
そのKA7300と比較すると、KA7500はというと、
左右への音の拡がりにしても奥行き方向の再現性に関しても、旧型のアンプ的音場の展開であるはずだ。

だから音楽の見通しはKA7300の方が優れていよう。
前のめりにならなくとも、音楽の細部はKA7500よりも聴き取りやすいはず。

反面、KA7500の音場はその分、左右のスピーカーの中央附近に厚みが感じられよう。
この厚みが、ときとして、そして音楽の性格によって、
のめり込むような聴き方を聴き手に要求していくのかもしれない。
流麗なブラームスではなかったはず、これだけはいいきれる。

だとすれば、KA7500の担当者がのめり込むように聴いていたブラームスは、
意外にもモノーラルのレコードが多かったのかもしれない、と、そんな気がしてくる。
たとえばフルトヴェングラーのレコードがある。
ヨッフムがベルリン・フィルハーモニーを振っていれたグラモフォン盤もある。
トスカニーニはNBC交響楽団によるものとフィルハーモニアによるものの2種がある。

ステレオ録音になってからのもので、1974年ごろまでのものとなると、
ベーム/ベルリン・フィルハーモニー、カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー(デッカ録音)、
セル/クリーヴランド管弦楽団などは、1番から4番まで揃っている。

1番だけ、2番だけ……、となっていくと、ここで挙げていくときりがなくなる。

誰かのブラームスだけにのめり込まれていたわけでもないだろうから、
ここで誰の演奏だったのかをあれこれ想像したところで、意味がないといえばそうだろう。

でもKA7500の担当者が、
この時聴いていたのはヨッフム/ベルリン・フィルハーモニーによる演奏だったのではなかろうか、
そんな気がしている。
それからヴァイオリン・ソナタは、シェリング/ルービンシュタインか、
デ・ヴィート/フィッシャー(1番と3番)、アプレア(2番)のレコードが、頭から消えない。

これは、私の勝手な想像でしかない。
意外にも若きバーンスタインとニューヨークフィルとのレコードだったのかもしれない。

Date: 7月 14th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続×七・作業しながら思っていること)

KA7500とKA7300の内部写真を見ていると、
このふたつのアンプが、同時期に同じ会社から出た、
価格的にも大きな差のないプリメインアンプとは思えぬほど多く異っている。

KA7300は、デュアルモノーラルコンストラクションのパワーアンプかと思える造りである。
シャーシーのほぼ中央に左右独立した電源トランスをふたつ配してその両端にパワーアンプ部、ヒートシンクがある。
KA7500はというと電源トランスは1つで、
いかにもこの時代のプリメインアンプといえるコンストラクションである。

KA7500とKA7300の音は聴いたことがない。
KA7300Dの音は聴いているけれど、その前身のKA7300は聴く機会がなかった。
KA7300Dは型番末尾のDからわかるように、KA7300をDCアンプ化したものである。

KA7300を開発・設計担当者と同じ人がKA7300Dを手がけたのかは知らない。
仮に同じ人だとしても、KA7300のときには新婚ほやほやだった人も、
KA7300Dの時には、そうではなくなっている。
そう考えると、KA7300DよりもKA7300の音が好き、という人がいることも、
なんとなくではあるけれど理解できる。
アンプとしての完成度はKA7500よりもKA7300のほうが、
さらにKA7300よりもKA7300Dのほうが上、といえる。

それでも、音の魅力ということに関しては、
アンプの完成度が増しているからといって、音の魅力度も増している、とはいえないから、
中野英男氏の「音楽 オーディオ 人びと」にもあるように、
KA7300の音を酷評しKA7500の鳴らすブラームスやブルックナーの音楽に精神性の深味を感じとっている人が、
少数とはいえ、いるということ。

この人たちはKA7300Dの音は、さらに酷評されただろうか、
それとも新婚ほやほやの幸せ気分が抜けているであろうから、KA7300よりも高く評価されたかもしれない。

こんなことを考えつつ、
KA7500の開発・設計担当者がのめり込むように聴いていたブラームスのレコードは何だったか、をおもうわけだ。

Date: 7月 14th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その1)

オーディオ機器の買替えが頻繁な人は、それこそ1年ごとにスピーカーを買い替えない人もいる。
頻繁でない人でも、いままでずっと1つのスピーカーシステムだけを使ってきている人は、ほとんどいないと思う。
少なくとも、自分にとって理想と思えるスピーカーシステム、
永くつきあえるスピーカーシステムと出合うまでには、何度かの買替えを体験している、はず。

買替えが頻繁な人が経済的に必ずしも裕福とは限らないし、
ほとんど買い替えない人が経済的にめぐまれていないわけでもない。
これは、もうその人の性格的なものでもあろうし、
たまたま理想的なスピーカーシステムと早くにめぐり合える幸運に恵まれていただけかもしれない。

スピーカーはほとんど替えない人でも、アンプやプレーヤー、
それにケーブルなどのアクセサリーは割と買い替えている人もいよう。

買替えの頻度は、いろんな事柄が関係してのことだから、
まわりがとやかくいうことではない、と思っている。
買替えが頻繁な人を浮気性ということもできるし、積極的な人ということできる。
買い替えない人を、じっくりと物事に取り組む人ともいえれば、消極的な人という見方もできなくはない。

だから買替えの頻度は、ある時期からぴたっと止る人もいる。
かと思えば、いきなり買替えの頻度が増す人もいて不思議ではない。

ただ、どちらにしても買替えは、基本的に新しい出合いを求めての行為である。
よりよい音を求めての選択であり、新鮮な感覚を求めての選択でもある。

だから、われわれは新製品の登場に、多かれ少なかれ、なんらかの期待をし、わくわくするわけだ。
新製品でなくてもいい、その人にとって未知のオーディオ機器であれば、新製品となんら変らない。

そういうオーディオ機器との出合いを求める気持とともに、
私の裡で「再会」という選択が日々大きくなってきている。

Date: 7月 13th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×二十六・原音→げんおん→減音)

ネルソン・パス主宰のパス・ラボラトリーズのパワーアンプの新作はXs300。
300Wの出力をもつAクラス動作モノーラル仕様、しかも電源部は別シャーシー。
つまり2チャンネル分で、W48.3×H29.7×D71.2cmという、そうとうに大型の筐体が4つ必要となる、
いかにもアメリカ的な規模を誇る。
重量はアンプ部が59kg、電源部が76.2kgと発表されている。

Xs300の規模はシャーシーの大きさと重量からも推測できるように、
内部に使われているパーツの数も、ファースト・ワットのSIT1とは、もう比較にならないほど大がかり、ともいえる。

輸入元のエレクトリの資料によると、出力段にはMOS-FETを18並列使用。
この出力段に対して、定電圧ソースを用意しており、ここにもMOS-FETが使われ、
アンプ内で使われているMOS-FETの数は72個と、STASIS1と思い出されるほどの多さである。
しかも電源部には定電流ソースのために40個のMOS-FETを使っているため、
アンプ部とトータルで112ものMOS-FETを使っていることになる。
これだけではXs300の回路は成り立たないから、電圧増幅段の半導体の数を含めると、
これまで市場に登場したアンプの中でも、もっともトランジスター、FETの使用数の多いアンプの筆頭格のはずだ。

ファースト・ワットのSIT1は、何度も書いているように、型番にもなっているSITをわずか1石のみ、である。

こんな両極端なパワーアンプを、ネルソン・パスはほぼ同時期に開発している。
ネルソン・パスが、どういうオーディオ観をもっているのかは知らない。
けれど、このふたつのアンプの存在からいえることは、
ネルソン・パスというひとりの男の中に、SIT1を生み出した、いわば諦観といえる考え、
Xs300を、現在のところ頂とする、いわば諦観なんていうものとまったく無縁の考え、
このふたつが二重螺旋のように存在している──、ということである。

この二重螺旋はネルソン・パスの中だけに存在するものではないはずだ。
私の中にも、はっきりとある。
おそらく、ほとんどすべてのオーディオマニアの中に、この二重螺旋はある、と私は信じている。

そして、この二重螺旋こそが、「減音」へとつながっていっている、と確信している。

Date: 7月 12th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続×六・作業しながら思っていること)

トリオのKA7500はいつ登場したのか、ステレオサウンドのバックナンバーを手にとってみた。
35号のトリオの広告に出ている。だから1975年6月には市場に登場していたことになる。
ステレオサウンドの記事に出たのは36号の井上先生による新製品紹介のページにおいて、である。

KA7300は、というと、広告ではステレオサウンド 36号で登場し、
記事では37号の、やはりこちらも井上先生による新製品紹介のページに出ている。

ステレオサウンドの広告からだけでは、正確な発売日まではわからないものの、
KA7500登場の2、3ヵ月後にはKA7300が登場している。

35号、36号、37号は1975年発売のステレオサウンドである。

発売時期が近いためであろう、
KA7500とKA7300のパワーアンプ部はどちらもモジュール化されている。
KA7500に搭載されているモジュールの型番がTA100W、KA7300に搭載されているのがTA80Wで、
内部の回路構成と同等と思われ、型番の数字が表すようにパワーの違いだけとも思える。

つまりKA7500もKA7300もパワーアンプ部に関しては、まったくとはいわないものの、ほぼ同じである、といえる。
にも関わらず、このふたつのプリメインアンプの音楽表現は、異るわけだ。

こうなってくると、KA7500の開発・設計担当者が、
開発・音決めのときに、彼がのめり込んで聴いていたブラームスの交響曲とヴァイオリン・ソナタは、
誰の演奏によるものだったのか、と、やはり想像してしまう。

1975年に登場しているわけだから、
KA7500の担当者が恋に悩んでいたのは1974年、1973年ごろということになる。
このころ日本で手に入れることのできたブラームスの交響曲、ヴァイオリン・ソナタのレコードは、何があったか。

カラヤン/ベルリン・フィルハーモニーは1977年、78年だからまだ登場していない。
バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニーのレコードも、もちろんまだである。

ヴァイオリン・ソナタはどうだろう。
グリュミオー/シェベックのレコードも間に合っていない。
ズッカーマン/バレンボイムが1974年で、ぎりぎり間に合っているかどうかだ。

Date: 7月 11th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続×五・作業しながら思っていること)

何度か取り上げている「音楽 オーディオ人びと」(トリオの創業者・中野英男氏の著書)のなかに、
次のようなことが書かれている。
     *
 自社のことでまことに申し訳ないが、一時代を劃したアンプKA−7300が発売され、その響きの透明感と定位感の見事さが評判になったとき、
「トリオはどうしてあんなアンプを作ったのか。ブラームスやブルックナーのような音楽を、7300で聴けというのか。私はKA−7500の鳴らす後期ロマン派の音楽を最高と考える。トリオは堕落して精神性の深味を失ったのではないのか」
 と酷評を加えた有力ディーラーが少なくとも二軒はあった。私が云々するまでもなく、その後の経過と世評はこのディーラー氏の意見の逆になった。しかし、私はこの人々の意見を全て間違ったもの、と言い切ることはできない。確かにアンプの特性という見地から見る限り、値段の安さにも拘わらず、KA−7300の性能は兄貴分のKA−7500をかなり上廻っていた。7500のユーザーには申し訳ないが、音も良かったと言わざるをえないだろう。だが、ブラームスの交響曲を鳴らしたとき、KA−7500の音がKA−7300にまさるという感想は、或いは正しかったのかもしれないのである。
 KA−7500の設計に携わり、その音質を追求していた男は、当時恋に悩んでいた。ことは個人の問題にかかわるので、いかに私は創業者・会長であるといっても、その全てを語るわけには参らず、またその表裏のすべてを知っているわけでもない。確かなのは、その男が粘り強さをもって自他共に許す青年であり、しかもその恋愛がその辺にザラに見られるような甘酸っぱいものではなくて、「暗鬱」ないし「凄絶」とも称しうべき重苦しさを湛えたものであったこと、更には、その頃この青年が、かねて好きだったピンク・フロイドに加えてブラームスの四つの交響曲と三つのヴァイオリン奏鳴曲にのめり込んでいたことである。KA−7300を批判したディーラーのひとりは、東北の方であった。私はその方がこのアンプの音を聴いて、製作者の心の深淵を探りあてた能力に櫟然とした。もとよりKA−7500は彼ひとりによって作られたものではない。しかし、彼はこのアンプの「音質」の担当責任者であった。
 そのあと、確かKA−9300を出した時だったと記憶するが、評論家の長岡鉄男氏が『電波科学』に「トリオのアンプは、300番シリーズと500番シリーズとでは明らかに音が違う。設計者のチームが違うのではないか」という趣旨のことを書かれたことがあった。私は言葉が出なかった。7500と5500は同じ彼が担当責任者であり、7300、9300の責任者とは別人であった。電源の供給方式が異なり、開発時点が異なり、更には設計・開発の人間が異なる以上、差が出るのは当然でもあろうが、かくも鮮やかに本質を指摘されてはメーカーとしては脱帽せざるをえない。それにしても、〇・〇何%というオーダーの歪率を問題にするアンプで、これだけの差が出るということ、しかも、製作に携わる男の性格から心理状態まで反映することの恐ろしさは如何なものであろうか。ちなみに、300番台のアンプの音質を担当し、大当りをとったエンジニアは新婚ホヤホヤの青年であった。
     *
このころのトリオのプリメインアンプには、KA7300D、KA9300の300番シリーズ、
KA7100D、KA8100の100番シリーズ、KA7500、KA5500の500番シリーズがあった。

私が聴く機会があったのはKA7300DとKA9300の300番シリーズだけである。
「音楽 オーディオ 人びと」を読めば、
300番シリーズだけでなく、100番シリーズ、500番シリーズとまとめて聴いてみたい、と思う。
なかでもKA7300DとKA7500だけでもいいから、
このふたつを、もちろんコンディションのいいものを比較してみたい、と思う。

恋に悩み、ブラームスの交響曲にのめり込んでいた開発・設計担当者による500番シリーズ、
新婚ほやほやの開発・設計担当者による300シリーズ、
「音楽 オーディオ 人びと」には出てこないが100番シリーズの開発・設計担当者は、
クラシックよりもポップスを愛する人だったかもしれない。

ステレオサウンド 43号(ベストバイの特集号)のなかで、瀬川先生はKA7100Dについて書かれている。
     *
型番のうしろ三桁に300のつくシリーズが最もオーソドックスなのに対して、100番のつくのは若いポップス愛好家向きで、メーターつきはメカマニア向きというような作り分けをしているのではないか、というのは私の勝手なかんぐりだが、ともかく7100Dは、調味料をかなり利かせたメリハリの強い、5万円台の製品の中で独特の個性を聴かせる。
     *
こういう話を読んでいると、オーディオはほんとうにおもしろい、と感じてしまう。
開発・設計担当者の精神状態(音楽の嗜好・のめり込み・聴き方)が音に現れてきている。

トリオが、いわゆるガレージメーカーならば、そういったことが音にはっきりと出るのは容易に想像できるが、
トリオくらいの規模の会社がつくり出す製品であっても、
こういうことが音に出てくるところが、オーディオなんだ、と思ってしまう。

こういうおもしろさ(興味深い)ことが、トリオのセパレートアンプには、ないように私は感じている。
だから、私にとってトリオといえば、プリメインアンプがまず頭に浮ぶわけだし、
プリメインアンプに積極的であったメーカーであったわけだ。

Date: 7月 10th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続々続々・作業しながら思っていること)

すべてのものが変化していくわけだから、
オーディオのブランドもすべからく変化していく。

名門と世間ではいわれているブランドでさえ、創業当時から同じイメージを保ち続けているわけでもない。
時には失墜に近いところまでいくことすらあって、そのまま終ってしまうブランドもあれば、
復活してくれるブランドもある。

1976年からオーディオに関心をもちはじめてから今日まで、
まったくイメージの変化しなかったブランドは、ないんじゃないか、と思うほど、
変らなかったブランドをまったく思いつかない。

the Review (in the past)の入力をやっていると、
このブランドには、こういう時代があったんだなぁ、とか、いまとはずいぶんイメージが異るんなぁ、とか、
よけいにそんなことを思う。

私が知っているトリオは1976年からのトリオである。
トリオのプリメインアンプは、KA7300Dのあとは、がらっと変ってしまった。
シグマドライヴを搭載したことを、外観上でもはっきりと表すためなのか、
フロントパネルのデザインをすっかり変えてしまった。
KA1000、KA900、KA800といった一連のプリメインアンプのデザインは、
KA7300D、KA9300、KA7100D、KA7700Dといった路線のイメージはまったく感じられない。

どちらのデザインが優れているのか、ということではなくて、
KA1000、KA900のフロントパネルを見ていると、
しっとりした質感ある音が聴こえてくるとは、どうしても思えない。
KA7300Dに感じた良さが、デザインの変更とともにすべて払拭されたかのような印象を受けてしまう。

トリオは変ってしまった……、と思った。
でもケンウッド・ブランドでL01Aを出していた。L01Aになると、これはこれでいいかな、とも思っていた。

ケンウッド・ブランドが、この時まま、トリオの高級機のブランドとして続けていてくれてたら、
トリオの製品で、いまも手に入れたいモノはKA7300DかL01Aで迷ったところだが、
残念ながらケンウッド・ブランドも、また変化していった。

Date: 7月 9th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×二十五・原音→げんおん→減音)

ネルソン・パスはどうなのか。
──と、勝手に考えてみる。

いつごろからあるのかはっきりと憶えていないけれど、
1990年の終りごろにはあったように記憶しているのが、PASS DIYというサイトである。

サイト名からわかるように、ネルソン・パスによるオーディオのDIYのサイトである。
ここで取り扱われるもののメインは、やはりアンプ中心であるが、
以前はスピーカーに関する記事もいくつかあった。

このPASS DIYのサイトで目につくのは、Zen Amplifierである。
1994年から続いている。いくつかのヴァリエーションが存在する。
PDFがダウンロードできるので、興味のある方は英文の記事をお読みいただきたい。

このZen AmplifierのZenは、ほぼ間違いなく「禅」のはず。
Zen Amplifierは、どのヴァリエーションも、増幅素子の数は極端に少ない。
基本的にはFET1石による、ブリッジ構成のヴァリエーションもあるがSingle-Ended Class Aアンプである。

実際の回路は増幅部はFET1石だが、
定電流回路を構成するトランジスターとFETが1石ずつあり、
最初のZen Amplifierはチャンネルあたり3石が使われている。
この定電流回路をライト(電球)に置き換えたヴァージョンもある。

しかも±両電源ではなく+電源のみだから、
直流カットのため出力には大容量の電解コンデンサー(2200μFが2本並列)が入ることになる。
いまでは当り前になっているOCL(output condenser less)アンプでもないわけだ。

FETのドレインから出力を取り出している。
NFBはごくわずかにかけてある反転アンプである。
出力インピーダンスは1Ωを少し切る程度であり、2kHz以上ではやや上昇していく。
出力は10W。

最新の、高度な回路に物量を投入したアンプを見慣れた目には、
このZen Amplifierは、なんとも古めかしい、アンプ作りの腕の発揮しようのないアンプのように映るだろう。
そういうZen AmplifierからALEPHのパワーアンプが誕生し、
ファーストワットのSIT1とSIT2へと進化でもあり深化していった、といえるだろう。

Date: 7月 8th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×二十四・原音→げんおん→減音)

直熱三極管のシングルアンプの音として、
私は、いかにも日本的な音の世界というイメージが根底にある。

けれどアンプの歴史をふりかえってみると、最初のアンプはシングルアンプである。
アメリカでつくられている。
プッシュプルプが登場するのは、もう少し先のことである。
プッシュプルアンプが主流となって時代に、
ウェスターン・エレクトリックは91という300A(300B)のシングルアンプをつくっている。

何度も書くけれど、伊藤先生の300Bシングルアンプは、
このウェスターン・エレクトリックの91型アンプを範とされている。
だから、つまりシングルアンプ・イコール・日本的な音の世界、と捉えるのはおかしい、といえばそういえる。

けれど、ウェスターン・エレクトリックの25Bや91が登場した時代と、
現在とではオーディオの状況は様変りしている。

当時は大出力アンプといえども数10Wクラスがせいぜいだった。
そのかわりスピーカーの能率が、いまとは比較にならないほど高く、
91型アンプの8W程度の出力でも中程度の規模の映画館であれば充分な音量が得られていた、ときいている。

もちろん、このころのスピーカーの周波数レンジは狭い。
いまのスピーカーシステムのような周波数特性の広さのまま、
当時の高能率を両立させることはそうとうに困難なことであり、
スピーカーシステムの周波数レンジが広くなるとともに能率は低下し、
その低下分を補うかのごとくアンプの出力は増していく一方である。

いまでは500W以上の出力を安定して得られる時代になっている。

そういう時代に直熱三極管のシングルアンプを使うということは、
25Bや91といったアンプが登場した時代に使うのとは意味あいが違っていて当然である。

当時は当り前の数字であった数Wの出力は、いまではきわめて小さな出力である。
しかもプログラムソースのダイナミックレンジも、周波数レンジとともに拡大している。
そうなると、いま直熱三極管のシングルアンプと高能率スピーカーとの組合せは、
スピーカーシステムの規模が大きかろうと、ある種の諦観が聴き手に要求される。
これを、私は日本的な音の世界と捉えているのである。