Archive for 1月, 2011

Date: 1月 24th, 2011
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・その1)

どの新聞だったのかは忘れてしまったけど、
日本でiPhoneが発売されてしばらく経ったころ、「iPhone、日本市場で苦戦」といった記事があった。
iPadが登場したときも、似たような記事を見かけた。

でも、それらの記事が出るすこし前に、電車に乗っていると、iPhone、iPadを使っている人を、
毎日、必ず見かけるようになっていた。
iPhoneに関していえば、一車両に、ひとりということはなく、
複数の人が使っていることが多く見かけていただけに、なんと間の抜けた記事なんだろう、と思った。

こういう記事を書く人は、電車に乗らないのだろうか。
少なくとも、東京に住んでいて、電車に乗ってまわりを見渡せば、それが流行りつつあるのかどうかは、
なんとなく感じとれる。

その例でいえば、最近電車でよく見かけることが多くなったのが、
ノイズキャンセリング機能付きのヘッドフォンで音楽を聴いている人だ。

ヘッドフォン、イヤフォンで聴く人は、増えているのだろう。
若い人のなかには、スピーカーに関心をもたずに、ヘッドフォン、イヤフォンだという話も耳にする。
そういう人たちのなかからスピーカーに移る人も、少ないような話も聞く。

スピーカーで聴くのがメインの私でも、ときにはヘッドフォンで音楽を聴く。
思うのは、スピーカーとヘッドフォンを併用している人の音楽への接し方と、
ヘッドフォンだけという人では、もしかすると違うのかもしれない、と、
電車の中でのノイズキャンセリングのヘッドフォンを見て、思う。

ノイズキャンセリングにするのは、雑音を打ち消して、
いい音をそれほど音量をあげずに聴けるという効果が認められてきたのだろう、と昨年までは思っていた。

でも、今年になって思うのは、耳を閉ざしているのではないか、ということだ。

Date: 1月 23rd, 2011
Cate: 「本」

瀬川冬樹氏の「本」(思っていること)

今年になり、2度、見聞きしたことがある。
そこで語られている言葉には多少の違いはあっても、内容はまったく同じことだった。

紙の本(いわばこれまでの「本」)をつくるのは真剣な行為であって、
ネットや電子書籍には、その真剣さがない、お気楽にやっているもの、ということだった。
しかも、これを発言しているのが、オーディオ業界にいる人だった、というのに、
正直がっくりした。この程度の認識なのか……、と思う。

目で捉えることのできない音に向かい合うオーディオなのに、
そこで働いている人たちが、こんな表面的なものの考え方・捉え方をしているところに、
オーディオの将来が、これから先どうなっていくのかが、暗に語られている。
(こんな人たちは、ごく少数だと信じてもいる……)

紙の本、という従来からの形にするという行為は、「残す」ということである。
少なくとも私には、そういう感覚がある。

いま電子書籍の形で、瀬川先生の「本」づくりをしているから、いえることがある。
電子書籍には、紙の本をつくっていたころには感じなかったものが、確実にある。
それは「運ぶ」という感覚。

この「運ぶ」ということは、いうまでもないけれど、
書き手・作り手から読み手へ、という意味ではない。
もっと深い意味で、肯定的な意味での「運ぶ」である。

「残す」という感覚ももちろんあるけれど、この「運ぶ」という感覚がはるかに強い。

何を、どこからどこへ、と運ぶのか、を考えたときに、やはり浮んでくるの「運命」ということばだ。

Date: 1月 23rd, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その8)

4ウェイ構成のスピーカーシステムで、もっとも重要、と昔からいわれているのは、ミッドバスである。

あえていうことでもないと思うが、ここで言う「4ウェイ」とは、
瀬川先生の提唱されたもの、
JBLの4343、4350などの同じもの、
岡先生のいわれる2ウェイの両端の帯域を拡張したもの、のこと。

スペンドールのBCIIIのように、3ウェイのBCIIIにさらにウーファーを足したもの、とか、
3ウェイにスーパートゥイーターを足したものではなく、ミッドバス帯域に専用のユニットのもつモノのこと。

この種の4ウェイで、なぜミッドバス(中低域)のユニットが重要となるのか。
もちろん、音楽のメロディ帯域を受け持つ、ということもある。
でも、オーディオ的にいえば、
それ以上に、このミッドバスのユニットのみが、40万の法則に従っている、ということだ。

このことはふしぎと誰も指摘していないことだが、他のどんな構成のスピーカーでは、
ウーファーやトゥイーターはもちろん、スコーカーでも、40万の法則を満たすことは、まずできない。
4ウェイのスピーカーシステムにおいて、ミッドバスだけが、そうである。

40万をミッドバスの下のカットオフ周波数300Hzで割れば、上限は約1.3kHzになる。
ほぼ4343のミッドバス(2121)の受持帯域に重なる。

このことに気がつけば、瀬川先生がフルレンジからスタートされ、ユニットを段階的に足していくことで、
帯域の拡大を実現されてきたことを、少し違う視点から眺められるようになる。

Date: 1月 22nd, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その7)

スピーカーシステムとして完成させるときに、4ウェイという形態はそうとうに難しいことなのだろうか。

井上先生はマルチウェイのスピーカーは、方程式を解くのに似ている。
2ウェイなら二次方程式、3ウェイなら三次方程式、4ウェイなら四次方程式で、
次数が増えてゆくにつれて、解くのは難しくなるのと同じだ、とよく言われていた。

一方で、岡先生はすこし違う意見だった。
4ウェイよりも、むしろ3ウェイのほうがクロスオーバー周波数を、
どこにとるかによって、かえって難しくなることもある。
4ウェイ、それも2ウェイをベースにして、
それの低域と高域を拡張するためにユニットを2つ足すかたちの4ウェイであれば、
むしろ3ウェイよりもシステムとしてまとめやすい、といったことを言われていた。

井上先生と岡先生の意見のどちらが正しいか、ということではなくて、
4ウェイにすることによって生じる難しさもあり、
4ウェイにすることによってかえって簡単に解決できることもある、ということだろう。

私の中には、4ウェイ絶対論、とまで書くと大げさすぎるけれど、
それでも4ウェイ構成に対しては、負の印象はほとんどない。

それはやはりJBLの4343の存在があり、瀬川先生のフルレンジから始まる4ウェイ構想を読んできたからだ。

なにがなんでも4ウェイでなければならない、とは言わない。
それでも、十分につくりこまれたモノであれば、4ウェイの優位性を認めたい、という気持は残っている。

でも、いまや4343のJBLからも、4ウェイが消えていく時代だ。

Date: 1月 22nd, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その6)

JBLのカタログには、4348はまだ残っている。

センタースピーカー用のLC2CHと4348だけが、JBLのラインナップで4ウェイ構成だ。
つまり実質的に4348、1機種のみ、といってもいいだろう。
その4348も、いまオーディオ雑誌で取り上げられることも極端に少なくなっている。

4365、その前に登場したS9900、それにDD66000の取り扱われ方と比較すると、
残っている、という表現が、かなしいかな、ぴったりという感じだ。
(いましがたハーマン・インターナショナルのサイトを見たら、生産完了品につき流通在庫のみ、とあった)

バイアンプ仕様の4350を別格とすれば、4341から始まったJBLのスタジオモニターにおける4ウェイ・システムは、
4343でピークを迎え、そのあとはゆっくりと消えていくような印象すら受ける。

4348のスタイルを見ると、あきらかに4343を意識している、と思う。
スラントプレートの音響レンズを、JBLはもう採用することはないはず。
ゆうえに4343の、インパクトあるデザインは、もうJBLのスピーカーには望めないだろう。

それでも4348は、バスレフダクトの数と位置、そしてインラインのユニット配置、
それにミッドバスフレームの形、こういうところに4343を、わずかとはいえ感じさせる。

だからかえって、4343と、頭の中でつい比較してしまう。

そういうデザインのことは措いて、音に関していえば、
以前も書いたように4343の後継機は4348だろう。
4344よりも、ずっと4343をうまくリファインしたところがあって、
鳴らそうと思えば、1970年代後半の、あの時代の音の片鱗を確実に聴かせてくれる。

4348が、さらに4365の技術をベースにして、
4368といった型番のスピーカーシステムとして再登場したら……、そういったことも考えたくなる。

けれど、現実には、もうJBLから4ウェイのスタジオモニターは、出ない気がしてならない。

Date: 1月 21st, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その5)

昨秋登場したJBLの3ウェイ・スタジオモニターの4365の評価は高い。

見た目のプロポーションは決していいとは思っていないが、音は、うまくまとめられている。

オーディオ機器のプロボーションは、とても大事であって、ときに仕上げよりも気になることがある。
たとえば、最近の製品でいえば、ラックスのSQ38uと同じくラックスの新しいアナログプレーヤーのPD171。

この2機種に関しては、デザインが、というよりも、プロポーションがおかしい、と思う。
どちらもずんぐりして、鈍重な感じが漂っている。
プリメインアンプとアナログプレーヤーという、どちらも必ず頻繁に手をふれるもの。
目につくところに、どちらも置くモノにも関わらず、
なぜあえて、こういうプロポーションにしたのだろう……。

しかもどちらも型番からわかるように、以前のラックスを代表してきたモノである。
とくにPD121は、木村準二氏による素晴らしいデザイン(瀬川先生のデザインと勘違いされている方が多いけれど)。

テクニクスのSP10と同じモーターを使いながら、SP10のすこし野暮ったいデザインと正反対の、
あれだけ洗練されたデザインに仕上げたのと較べると、
同じメーカーのアナログプレーヤーとは思えないほど、
あえていえば、あの艶めいた漆黒のレコード盤を演奏するものとは思えない野暮さである。
PD121の洒落気は、みじんもない。

SQ38uについても同じだ。
なぜ同じ型番で、ああいうふうにしてしまったのだろうか。
まだ別の型番、それもSQ38をまったく連想させないような型番だったら、まだしもなのに。

その、大切なプロポーションで不満を感じる4365だが、音を聴くと、
もうJBLは4ウェイをつくることはないんだろうな、と感じてしまう。

Date: 1月 21st, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その4)

瀬川先生の「本」づくりで、けっこうな量の文章を入力したが、
意外にもJBLのユニットの音質そのものについて書かれているものは、少ない。

スイングジャーナル、1971年8月号とステレオサウンド 35号、ベストバイの特集の中に見つかるくらいだ。

ステレオサウンドのベストバイは、いまと違い、スピーカーユニットも選ばれている。
フルレンジ、トゥイーター、スコーカー、ウーファー、ドライバー、ホーンと分けられ、
それぞれの中から選ぶという形だが、
フルレンジ、トゥイーター、スコーカー、ウーファーではJBL以外のユニットも瀬川先生は選ばれているが、
ことドライバーに関してはJBLだけ、である。
ウーファーではアルテックの515Bについて書かれているのに、アルテックのドライバーは選ばれていない。
エレクトロボイスもヴァイタヴォックスのドライバーについても、同じだ。

だから当然ホーンも、JBLだけの選択となっている。
しかもJBLのドライバーも、プロ用の2400シリーズのみの選択だ。
(ウーファー、トゥイーターに関しては、JBLのコンシュマー用も選ばれている)
242024402410の3機種だけ。

おもしろいことに、この3機種は、岩崎先生も選ばれている。

この3機種については、それぞれ瀬川先生の書かれたものを読んでいただきたいが、
2440のところには、やはり「2420より中〜低域が充実する」と書かれている。
反面、2420よりも「中〜高域」で少しやかましい傾向」とある。

Date: 1月 20th, 2011
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(四季を通じて・その3)

季節の変り目の息吹を感じとることは、
日常を発見していく行為にもつながっていると思う。

そしてこの「日常を発見して行為」が、音を良くしていく行為へ、とつながっていく。

日常をしっかりと見つけ、感じとることができること、こそが使いこなしにおいて大事ことであり、
これができない人は、結局は、
目先を変える──つまり器材やアクセサリーを頻繁に変えていく──ことに終始してしまう。

これはなにも使いこなしについてだけいえることではない。

オーディオ評論についてもいえよう。
批評・評論は非日常のなかでは成り立たない気がする。
日常をしっかり見つめられる人でなければならないのは、使いこなしと同じ。

ここでも、このことができない人は、何かを書くために、器材を変えていく、
新しい製品を聴いていくことのみにとらわれてしまう。

結果として目先を変えなければ、何も書けないことになってしまう……。

Date: 1月 20th, 2011
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(四季を通じて・その2)

季節は、ある日とつぜん変るわけではない。
昨日までが冬で、今日から春、といったものではないことはいうまでもない。いつしか変っていくもの。

けれど、どこかにその変り目を感じさせてくれるものがある。
何に感じるかは人によって多少違うだろうけれど、
なにかひとつは、たとえば春なら春の息吹を感じさせるものがあると思う。

季節の変り目を感じさせる「息吹」に対して敏感であることは、
音の変化に関しても、使いこなしに関しても、大事なことだと思う。

わずかな息吹を感じとり、確実なものとしていくこと。
使いこなしも同じこと。

2日前に書いたことのくり返しになるが、
この息吹を、へんにいじくりまわしてしまうと、死んでしまう。
無視して放っておいても、ひからびてしまう。

Date: 1月 20th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(続・余談)

ジェームズ・ボンジョルノは、GASの前には、SAE、ダイナコにも関わっている。

ダイナコではStereo400(パワーアンプ)、AF6(チューナー)の開発に携わっていて、
SAEでは、XXXIB、IIIC/CM、IVD/DM(パワーアンプ)などを設計、
さらに日本で、というよりも、瀬川先生が高い評価をされたMark2500も、
直接ボンジョルノが手がけたものではないけれど、回路の基本的なところはボンジョルノの手によるもの。

たしかにMark2500とGAS・Ampzillaの回路図を見比べると、そのことにうなずける。

その前には、ハドレーの622C(パワーアンプ)、マランツのModel 15(パワーアンプ)を手がけている。

GAS、SUMOの輸入元の人から聞いた話では、
マランツ時代も、ボンジョルノは優秀なアンプ・デザイナーだったらしい。
でも、彼はマランツを辞めたのではなく、辞めさせられたんだ、という話だった。

なんでもいい部品をがあるとポケットに入れて持ち帰ってしまうんだとか。
それが会社にバレてしまい、結果としてマランツを離れることになったらしい。

どこまで本当のことなのかはわからない。
けれども、なんとなくボンジョルノだったら、ありそうな話だとも思う。

これは井上先生から聞いた話。
GAS時代に来日した彼とクラブ(女性のいる店のほう)に行ったら、
音楽、オーディオ、ワインの話を夢中でする一方で、視線はつねに女性のほうを追いかけていた、とか。
当時、彼の靴の色は、紫だったらしい。

いまのAmpzillaのサイトを見ると、赤のジャケットを着たボンジョルノの写真がある。

ピアノの腕前はそうとうなもので、ヴァイオリンも弾く、ときいている。
ボンジョルノのCD(もちろんピアノを弾いている)は、3枚発売されている。
Prelude」「This is the Moment」「Candlelight」だ。

楽器の違いはあるけれど、マーク・レヴィンソンの弾くベースとボンジョルノのピアノ、
ふたりの性格・人間性の違いが現れている、といったらすこし大げさだろうか。
(ここには、演奏時の年齢の違いももちろんあるけれど……)

Date: 1月 19th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー, 岩崎千明

スーパーウーファーについて(その11)

スーパーウーファーの使いこなしに苦手意識をもっている人は、
実際に確かめたわけではないが、スピーカーの自作の経験のない人かもしれない、と思うことがある。

そのスピーカーの自作も、いきなり2ウェイなり3ウェイといったマルチウェイからとりかかるのではなくて、
最初はフルレンジからはじめて、トゥイーターを追加して2ウェイ、さらにウーファーを追加して3ウェイ、
こんなぐあいに段階を踏んでマルチウェイのスピーカーの自作のことだ。

たとえばカートリッジを交換する、CDプレーヤーを交換する、アンプを交換する、
交換によって生じる音の違いには、エネルギーの総体量の変化は、基本的にはないといっていいだろう。

厳密にいえばワイドレンジのカートリッジもあればナローレンジのモノもある。
アンプにしても、古い古典的な、トランスを多用した管球アンプと、最新のソリッドステートアンプとでは、
やはり周波数特性も違うし、ノイズレベルも異るから、エネルギーの総体量は、決して同じではない。

でも、フルレンジのスピーカーにトゥイーターを足したり、
メインのスピーカーシステムにスーパーウーファーを足すのに較べると、
その差は、ないとはいえないまでも少ない。

つまり上に書いたスピーカーの自作の経験のある人は、エネルギーの総体量の変化に対して、耳が馴れている。
ない人は、スーパーウーファーの使いこなしに対して、臆病になっている、そういう面がありはしないだろうか。

ここから話はズレるけれど、
フルレンジからスタートしたスピーカーに、次の段階としては、
ふつうトゥイーターを追加することが一般的ではないだろうか。

少なくとも、私はそう思っていたし、これは瀬川先生の4ウェイ構想の影響でもあるけれど、
私には、ウーファーを、まず追加する、という発想はなかった。

いま瀬川先生の「」に関連した作業で、
岩崎先生の文章を先日入力していた。

パイオニアのスコーカーPM12Fについて書かれた文章を読んで、岩崎先生らしい、と思った。
     *
これをフルレンジとしてまず使い、次なるステップでウーファーを追加し、最後に高音用を加えて3ウェイとして完成、という道を拓いてくれるのが何よりも大きな魅力だ。
     *
こういう驚きは、気持がいい。

Date: 1月 18th, 2011
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その13)

息吹は、呼吸でもあり、
たとえば「春の息吹」「新時代の息吹」という使い方では、気配とか生気という意味も含んでいる。

息吹を感じさせるものは、生きている。そう言えるはず。

音楽の息吹を感じさせる音、
音そのものが音楽の息吹、だとすれば、
音そのものの息吹がある「音」こそ、肉体の存在を感じとることのできる音、といえるだろう。

息吹をもつのであれば、音は生きている。
だがいじくりまわせば、音はあっけなく死んでしまう。
だからといって、放っておいても、ひからびてしまう。

Date: 1月 18th, 2011
Cate: audio wednesday

公開対談

イルンゴ・オーディオの主宰者、楠本恒隆さんと私との公開対談を行います。

2月2日(水曜日)、夜7時開始です。終了予定時間は、8時30分から9時を予定しています。
場所は四谷三丁目にある喫茶茶会記のスペースを借りて行います。

そのため、1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

予約はいりません。
けれど、椅子の数など、会場の準備がありますので、
できましたら事前にメールをいただけると助かります。

この公開対談は、今回かぎりではなく、毎月1回、定期的に続けていきたいと考えています。

Date: 1月 17th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(その10)

メインスピーカーとのあいだの調整がうまくいったときの音は、
メインスピーカーとスーパーウーファーの息が合っている──、
そういう感じの音になる。

具体的にかけば、音楽のフォルティッシモにおいての音の伸びが、
質の良いエキスパンドをかけたように、それまでとはあきらかに違う次元で、
音のエネルギー量そのものが勢いをつけて増してくる。

だから、結局のところ調整にかけるディスクは、ふだん聴きなれているもののなかから、
比較的録音のよいもの、とくにダイナミックレンジがよく録れているものであればいい。

変に低域に耳の注意がいきがちのディスクを、あえて用意する必要はない。
くり返すが、聴きなれているディスクがいちばんいい。

スーパーウーファー側の調整のなにかが、うまいところにおさまっていないと、
なかなか、上に書いたようには鳴らない。

できれば聴きなれたディスクが数枚、
それもジャンルが違っているものがあれば、それらを鳴らしてみる。
音楽のジャンルが大きく変っても、調整がうまくいっていれば、
フォルティッシモでの音の伸びは、それこそめざましいものが聴きとれる。

録音におかしいところがなければ、ほんとうに気持よくなってくれる。

スーパーウーファーを附加することは、スピーカー全体のエネルギー量に大きな変化を加えた、ということだ。
このことを忘れなければ、スーパーウーファーの調整は、そう難しいものではないはずだ。

もっともその先に、さらに進もうというのであれば、また違う難しさが出てくるけれど、
少なくともレベル調整をやっていくうちに、
スーパーウーファーが鳴っていなかった、ということにならない。

Date: 1月 17th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(その9)

これも厳密に測ってたとしても、やはり目安にしかならない。
最終的には耳で聴いて、の判断となる。

訊られるのは、結局、このところである。
耳で判断するというが、実際には、どういうプログラムソースを使い、どういうところに注意して聴けばいいのか。

スーパーウーファーの調整だから、最新録音のもので、低域のかなり低いところまで、
ときにはノイズ成分のほうが多くなりがちだが、そういうソースを使った方がいいのか、とか、
楽器編成としては、ベースのソロの優秀録音が、編成の大きなものよりも向いているのか、とか、
注意するポイントとしては、低音楽器の定位なのか、とか。

デジタルディレイの調整がうまくいくと、どういうふうになるのか。
これを、まず考えてほしい、と思っている。

最初の調整としては、まずディレイによる、おおまかな音の変化を実際に聴いてみること。
とにかくディレイをかけていない音、そして距離的にだいたい合っている値の音、
そして思いきりディレイをかけた音、最低でもこの3つのポジションの音を確認すること。

だいたいの距離であわせて、その前後で、0.1刻みで上げ下げする前に、このことをやっておくこと。
もちろん、デジタルディレイの調整経験がすでにあるのならば、省いてもいい。
でも、はじめてディレイを使った調整を行なうのであれば、細かい調整はあとまわしでいい。

クロスオーバー周波数、レベル調整、設置位置の調整、デジタルディレイの調整を、
最初は大胆にいじってみて、時間をかけてすしこずつ範囲を狭めていく。

そうやっていっても、どこが最適なのか。
それがはっきりしない、最適に調整したとしたら、どういう音になるのか、が、つかめない。
そういう話を聞くことがある。