使いこなしのこと(四季を通じて・その3)
季節の変り目の息吹を感じとることは、
日常を発見していく行為にもつながっていると思う。
そしてこの「日常を発見して行為」が、音を良くしていく行為へ、とつながっていく。
日常をしっかりと見つけ、感じとることができること、こそが使いこなしにおいて大事ことであり、
これができない人は、結局は、
目先を変える──つまり器材やアクセサリーを頻繁に変えていく──ことに終始してしまう。
これはなにも使いこなしについてだけいえることではない。
オーディオ評論についてもいえよう。
批評・評論は非日常のなかでは成り立たない気がする。
日常をしっかり見つめられる人でなければならないのは、使いこなしと同じ。
ここでも、このことができない人は、何かを書くために、器材を変えていく、
新しい製品を聴いていくことのみにとらわれてしまう。
結果として目先を変えなければ、何も書けないことになってしまう……。