瀬川冬樹氏の「本」(思っていること)
今年になり、2度、見聞きしたことがある。
そこで語られている言葉には多少の違いはあっても、内容はまったく同じことだった。
紙の本(いわばこれまでの「本」)をつくるのは真剣な行為であって、
ネットや電子書籍には、その真剣さがない、お気楽にやっているもの、ということだった。
しかも、これを発言しているのが、オーディオ業界にいる人だった、というのに、
正直がっくりした。この程度の認識なのか……、と思う。
目で捉えることのできない音に向かい合うオーディオなのに、
そこで働いている人たちが、こんな表面的なものの考え方・捉え方をしているところに、
オーディオの将来が、これから先どうなっていくのかが、暗に語られている。
(こんな人たちは、ごく少数だと信じてもいる……)
紙の本、という従来からの形にするという行為は、「残す」ということである。
少なくとも私には、そういう感覚がある。
いま電子書籍の形で、瀬川先生の「本」づくりをしているから、いえることがある。
電子書籍には、紙の本をつくっていたころには感じなかったものが、確実にある。
それは「運ぶ」という感覚。
この「運ぶ」ということは、いうまでもないけれど、
書き手・作り手から読み手へ、という意味ではない。
もっと深い意味で、肯定的な意味での「運ぶ」である。
「残す」という感覚ももちろんあるけれど、この「運ぶ」という感覚がはるかに強い。
何を、どこからどこへ、と運ぶのか、を考えたときに、やはり浮んでくるの「運命」ということばだ。