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Date: 6月 14th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その7)

JBLのコンシューマー用スピーカーシステムも、
L300の登場によって変化の兆しをみせた。

L200、L300はJBLのスタジオモニター、4320(4325)、4333のコンシューマー用モデルである。
L200、L300ともにフロンバッフルを傾斜させたエンクロージュアで、
袴をもつフロアー型システムである。

4320、4331、4333はフロアー型でアはあるものの、
スタジオでの実際使用条件を考慮したつくりなので、
ある程度の高さのあるスタンド、もしくは壁に埋めこんで、
やはりある程度の高さまで持ち上げることが求められる。
床に直置きして鳴らすことは考えられていないフロアー型スピーカーシステムである。

L200、L300はコンシューマー用だから、そのへんを考慮しているわけである。
L200は広告でもオーディオ雑誌の記事でもサランネットがついた状態で紹介されることが圧倒的に多かった。
L200のサランネットをはずした状態の姿をすぐに思い浮べられる人はそんなにいないと思う。
そのくらいサランネットをつけた状態の姿のいいスピーカーシステムである。

これがL300になると、サランネットをはずした状態の写真が多く見受けられた。
それでもL300はサランネットをつけた状態が、いいと思う。

4331がL200、4333がL300ならば、
4341のコンシューマー用にあたるL400。
これは誰もが想像したであろうモデルである。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」で、
岩崎先生はL400がもうじき出る、と発言されているし、
サウンド誌1976年の6号の
「岩崎千明のグレート・ハンティング これだけは持ちたいコンポ・ベスト8(スピーカー編)」で、
L400について書かれている。

L400は想像・架空のモデルではない。
実際にJBLでは開発をすすめていた。
けれど登場することはなく、数年後、4ウェイのL250が登場した。

Date: 6月 14th, 2013
Cate: きく

舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その1)

昨日、舌読ということばがあることを知った。
ハンセン病により視力を失い、
末梢神経麻痺により指先の感覚も失った人が、点字を舌で読むこと。
「舌読(ぜつどく」」ということばも知らなかったけれど、
想像したこともなかった。

舌読を知って、思い出したことがある。
手塚治虫の「ブラック・ジャック」のエピソードのひとつに、
そろばんの日本一を目差す少年の話がある。
ブラック・ジャックの手術により、少年は指でそろばんのこまをはじけるようになる。
けれど持久力が備わっていない腕では、決勝戦で戦えなくなってしまう。

そこで少年は、ブラック・ジャックによる手術を受ける前にやっていたこと、
舌でそろばんのこまをはじく。

点字を舌でなぞっていく、
そろばんのこまを舌ではじいていく、
想像を絶する、とはこういうことにつかう表現なのかもしない。

本に書かれていることを知るのであれば、
誰かに本を読んでもらえばいい。
いまではパソコンによる文章の読み上げもできる。
最新の読み上げのレベルが、どのくらいなのかしらないけれど、
ずいぶん進歩していることであろうし、これからも進歩していくものである。

活字がテキスト化(電子化)されていっている時代。
これから先もどんどんテキスト化されていく。

本が読めなくなっても、本の内容を知ることはできる時代になっていっている。
多くの本がそうなっていっている。
それでも舌読で、本を「読む」人はいる、とおもう。

Date: 6月 13th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その6)

JBLにはコンシューマー用とプロフェッショナル用の、ふたつのラインナップが用意されている。
コンシューマー用とプロフェッショナル用とでは、どこがどう違うのか。

こまかく見ていけばいくつか挙げられる。
けれど個人的な、もっとも大きな違いとしてまっさきにあげたいのは、
コンシューマー用のスピーカーシステムは、
スピーカーユニットを見ずに、その音を聴くモノであり、
プロフェッショナル用のスピーカーシステムは、
スピーカーユニットを見ながら、音を聴くモノである、という違いである。

JBLのコンシューマー用スピーカーシステム、
たとえばパラゴン、ハーツフィールド、オリンパスなどがある。
もちろんHarknessもそうである。

オーディオマニアであれば、
これらコンシューマー用スピーカーシステムがどういうユニット構成になっているのかは知っている。
私も知っている。
どういう配置でフロントバッフルに取り付けられているのかも知っている。
知ってはいても、例えばオリンパスときいて頭に浮ぶイメージは、
スピーカーユニットが露出していない状態のオリンパスである。
それは、他のJBLのコンシューマー用スピーカーシステムにおいても同じである。

とにかくユニットが見えていない状態のイメージが、
最初に浮ぶのが、私にとってのJBLのコンシューマー用スピーカーシステムである。

Date: 6月 13th, 2013
Cate: audio wednesday

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(audio sharing例会・その2)

それにしても、facebookとはなんと便利なツールなんだろう。
もしfacebookというものが存在していなかったら、
片桐さんと西松さんへお願いするとしても、おふたりの連絡先から調べていかなければならない。

そうなるとすんなりわかる場合もあるし、そうでないことだってある。
ところがfacebookで「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」というページをつくっていたおかげで、
すんなりと連絡できる。

facebookのメッセージ機能は、相手のメールアドレスは知らなくてもブラウザーから送信できる。

インターネットがこれだけ普及して、SNSと呼ばれるものをいくつか登場し広く普及していることで、
人と会わずに済ませられることは増えてきた。

以前、黒田先生がいわれていた。
最近の編集者は電話で原稿を依頼してきて、書き終ったらファクシミリで送る。
編集者と一度会うことがないこともめずらしくなくなってきている、と。

これが1988年のころの話である。
いまはそれ以上に、こういう面に関しては便利になっている。
インターネットだけで原稿を依頼して原稿を受けとることは、もう当り前のことだろう。

インターネットにより人と会わなくなる。
たしかにそういう面はある。
けれど、今回のことのように、インターネットがあったからこそ、
私は西川さん、片桐さん、西松さんと連絡がとれ、6月5日に会うことができた。

Date: 6月 12th, 2013
Cate: 言葉

石岡瑛子氏の言葉

スイングジャーナル 1979年1月号に新春特別座談会として、
「ジャズを撮る」というタイトルで、石岡瑛子氏、操上和美氏、内藤忠行氏、武市好古氏らが、
映像の世界から見た、ジャズという素材について語っている。

新春特別座談会といっているわりにはわずか4ページしかないのがもったいない気もする。
きっと座談会そのものは、かなり濃い内容だったように感じられる、たった4ページの記事である。
おもしろい記事である。
機会であれば、ぜひ読んでほしい、とおもえる記事である。

この座談会で石岡氏の言葉が、私の心に、特にひっかかってきた。
     *
ジャズというものが総体的に、時代に対してオープン・マインドな姿勢を失っていることを残念だと思ったんです。レコード・ジャケットに表われている面が、その時代の音楽のエネルギーを示しているとすれば、ジャズにはそれが欠けている。ジャズのアートワークを見るとほとんど80%近くがミュージシャンの写真であるわけです。そこには冒険とか実験の精神が欠如している。姿勢がオーソドックスなんですね。
(中略)
ジャズのフィールドの中のファンはあるいは、それでいいかも知れないけれど、もっとワイドレンジなオーディエンスに対してハッとさせる、聴いてみたいと思わせるためにはその時代を的確に把握した上でビジュアルな面で意識をクロスオーバーしていかなければならない。
     *
石岡氏は「オーディエンスに対してリアリティのある関係」という表現も使われている。

そしてスイングジャーナルの将来を予言されているかのような発言もある。
このとき(1978年の11月ごろか)は、石岡氏もスイングジャーナルがどうなっていくのかなんて、
まったく想像されていなかったのかもしれない。
けれど、このときの石岡氏の発言こそが、スイングジャーナルがもっとも耳を傾けておくべき、
そしてこころに深く刻み込んでおくべき言葉になっている。
     *
スイングジャーナルは自身で発想の転換を時代の波の中でやっていかなければならない。ゴリゴリのジャズ・ファン以外にもアピールする魅力を持たなければ表現がいつか時代から離れていってしまうでしょう。ジャズというフィールドを10年も20年も前のジャズの概念できめつけているのね。今の若い人たちの間で、ビジュアルなものに対する嗅覚、視覚といったものがすごい勢いで発達している今日、そういう人にとって、今のジャズ雑誌はそれ程ラディカルなものではありません。スイングジャーナルという雑誌の中で映像表現者が果せる力って大きいと想うし、時代から言って必要なパワーなのですね。時代の波の中で、読者に先端的なものを示し、常に問題提起を続ける。それを読者が敏感に感じとってキャッチ・ボールを続けるうちに、誌面はもっとビビッドなものになり得るんじゃないですか。
     *
この座談会のあとのスイングジャーナルが、何をやってきたのかは、ここで私が書くことではない。

Date: 6月 12th, 2013
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その11)

BOSE博士が不満をもったヴァイオリンの再生が、
いったいオーケストラにおけるヴァイオリンなのか、弦楽四重奏におけるヴァイオリンなのか、
それともヴァイオリン・ソロなのか、
そのあたりははっきりとは、どこにも書いてない。

だから勝手な想像でしかないけれど、
私がこのエピソードを読んだ時に頭に浮んでいたのは、ヴァイオリン・ソロについてだった。

ヴァイオリンの再生は、たしかに難しい。
それはオーケストラにおけるヴァイオリンでも、ソロであってもそうなのだが、
ソロのほうが気になるとこがいくつもありすぎて、
ヴァイオリン・ソロの再生は、いまでも難しいと感じている。

ヴァイオリン・ソロも、モノーラル録音よりもステレオ録音になって、
難しさはある面で難しくなってきたのではなかろうか。

ヴァイオリンは、その音の放射パターンが音域によってかなり変化する。
これも含めてヴァイオリンの音色は形成されていることはわかっているけれど、
このことがステレオによる再生面で難しさにもなっている。

Date: 6月 12th, 2013
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その10)

BOSE・2201は半径が22インチの1/8球体。
専用イコライザーとパワーアンプも内蔵しているわけだから、
それほどサイズとしては大型とはいえない、と思う反面、
見慣れぬ形状のスピーカーゆえに、実際に部屋に置いたときに、
どういう印象を抱くのかは、正直想像しにくいところがある。

形状的にもコーナーに設置することになるだろうから、
スペースファクターは悪くはない、といえる。

エンクロージュアの製作は大変だろうな、と思う。
とにかく2201は60セット程度しか売れなかった、らしい。

901はBOSE博士が二週間こもりっきりで考え出したアイディアを基に開発されたスピーカーシステムで、
2201の22本のフルレンジユニットは半分以下の9本に減り、
サイズも、そして見た目も、2201よりもずっと家庭に受け入れやすいモノとして仕上っている。

2201のコンセプトと901のコンセプトは完全に同じものとはいえないにしても、
まったくの別物のスピーカーシステムというわけではない。
その意味で、901は2201のコンパクト化に挑んだがゆえに誕生した形態ともいえるのかもしれない。

BOSEはボストンにある。
ボストンといえば、ブックシェルフ型スピーカーの元祖であるアコースティック・リサーチ(AR)もそうである。
そのことが901が、あのサイズにまとめられたのにどこかでつながっていくのかもしれない。

901は成功した。

BOSE博士が学生のころに、ヴァイオリンの再生がひどく悪かったことから始まったともいえるBOSE。
ふり返ってみると、901の音はたびたび聴いている。
にも関わらずヴァイオリン・ソロを聴いたことがないのに気づいた。

Date: 6月 12th, 2013
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その9)

BOSE・901は1967年に発表され、翌68年から発売されている。
これだけ長い間、いまも現役のスピーカーシステムは他に何があるだろうか。
もう40年以上、小改良を何度か受けているというものの、
基本的な形・構造にほとんど変化なく、いまもBOSEのトップモデルである。

901に続くロングセラーのスピーカーシステムとなると、
タンノイのウェストミンスターだけだろう。

そういうスピーカーシステムなのに、いま日本には正式に輸入されていないということを、
日本のオーディオマニアとして、どう受けとめるべきなのだろうか。

901はBOSEを代表するスピーカーシステムではあるが、
BOSEの最初のスピーカーシステムではない。
これはBOSEの広告にも使われていたのでご存知の方も多いだろう、
1/8球体のエンクロージュアに22本のフルレンジユニットを取り付け、
疑似呼吸体を目指したスピーカーシステムである。
1966年に世に登場している。

このスピーカーシステム、2201の開発時のエピソードも、
オーディオ雑誌に何度か記事になっている。

BOSE博士がまだ大学生だったころ、
オーディオを購入し、ヴァイオリンのレコードをかけたところ、あまりにもひどかった。
それで疑問を抱き、音響に関する勉強を始めたことがきっかけとなっている。
これが1956年のこと。価格はペアで2000ドル。

いい音がしていた、ときいている。
けれど商業的には成功とはいえず、1967年ごろのBOSEは経営に行き詰まる。
そして登場したのが、901である。

Date: 6月 11th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その7)

SMEの最初のトーンアーム3012は、よく知られているように、
瀬川先生が何度か書かれているように、オルトフォンのSPU、
それもGシェル・タイプを活かすために、アイクマンが自らのためにつくったモノである。

だからSME(アイクマン)は、プラグイン・コネクターと呼ばれる、
カートリッジを含めたヘッドシェルの着脱を容易にする交換方式を採用している。

これこそはオルトフォンが最初に考案した規格であり、
SME(アイクマン)がそれに倣ったわけである。

そしてSMEのトーンアームの、こういうところを日本のメーカーがマネしてくれて、
日本ではカートリッジの交換が容易にできるトーンアームが主流となっていった。

実際、SMEの初期の3012には、オルトフォン製のヘッドシェルが付属していたらしい。

このカートリッジの交換のための規格を日本を広めたきっかけとなった存在が3012だけに、
日本では3012はユニバーサル・トーンアームのように受けとめられがちである。

けれど、くり返すが、3012はアイクマンにとってSPU専用のトーンアームなのである。

そのアイクマンはSPUばかりをずっと使い続けてきたわけではなく、
SPUからシュアーのカートリッジへと移行している。
そのころSMEはシュアーと提携もしていて、アメリカではShure = SMEのブランドで売られていたらしい。

そうなると3012ではシュアーのカートリッジには、もう不向きである。
だからアイクマンは1972年に3009/SeriesII Improvedを発表し、
シュアーのカートリッジにターゲットを絞っているかのように、
最大針圧を1.5gまで、と軽針圧用となっている。

Date: 6月 11th, 2013
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その8)

1970年代の前半、BOSEの輸入元はラックスだった。
ラックスはB&Wのスピーカーも輸入していたことがある。

1972年ごろの、そのラックスの広告に、
「日本で苦戦しています」というキャッチコピーがつけられて、
BOSEの901が、日本市場で良さが認められにくく苦戦していることを訴えていた。

このころは、まだオーディオに関心をもっていなかったけれど、
日本のそのころの住宅事情を考えても、
901は、なかなか理解されにくいコンセプトのスピーカーシステムである。

70年代後半になり、ボーズコーポレーションが取り扱うことになった。
そのころは901の広告は、著名な人が使っている実例をだったり、
海外のオーディオ雑誌で高い評価を得ていることの紹介だったりした。

音場再生ということを厳密に考えれば、
録音されたプログラムソースには、録音現場の音場に関する情報が含まれている。
充分に含まれいてることもあれば、わずかな情報量だったりすることもあるにせよ、
とにかく録音現場の音場に関する情報はなにがしか記録されている。

そのレコードを再生する聴き手のリスニングルームにも、
部屋の大小、部屋のつくりなどによって異ってくるものの、
やはりここにも音場空間が存在し、
録音の音場と再生の音場がまじり合うことになる。

901のようなスピーカーシステムは、そこにスピーカーの音場といえるものがはっきりと附加される。

狭い理屈だけで考えれば、901による音場はよけいなものとして受けとめられる。
それに専用イコライザーを使わなければならないことも、901への抵抗となっていたはず。

901はロングセラーを続けている。
けれど私の知る人で、901を鳴らしている人はいない。
いまも受け入れられにくいスピーカーであることに変りはないようだ。

そのためなんだろう、いま日本では901は取り扱われていない。
BOSE本社ではいまもつくられている、にも関わらず。

Date: 6月 11th, 2013
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その9)

手塚治虫の代表作に「火の鳥」がある。
太古から、ものすごく遠い未来まで描かれている「火の鳥」にはいくつもの話から成りたっている。

その中のひとつ、「復活編」にロビタというロボットが登場する。
ロビタとトビオ──、似ているといえば似ている。

けれど手塚治虫によって描かれるロビタの外観とトビオ(アトム)の外観は、まったく異る。
ロビタは最初、基本的に人型のロボットだったけれど、
重量バランスが悪すぎたため不安定な歩行しかできず、
最終的に脚を省かれ、臀部にあるベアリングによって移動する。

腕も、いかにもロボットアームと呼ばれるものであり、指もカニのように2本のみ。
顔にも表情はない。
鉄で造られているイメージさせる、そんな外観をもつ。

ロビタは、「復活編」の主人公であるレオナの記憶と、
チヒロと呼ばれる事務用ロボット(なんとなく女性的な外観をもつ)を融合させて誕生したもの。
26世紀にロビタは誕生し、その後、31世紀までコピーが大量生産される、という設定である。

完全な人型のロボットであるアトムとロビタは、こんなふうに違う。
外観だけの違い以上に大きく異るのは、「記憶」に関して、である。

ロビタにはそれまで生きていた人間(レオナ)の記憶がコピーされているわけだが、
アトムは、飛雄の記憶を移したのではなく、
あくまでも飛雄の父親による天馬博士の記憶によってつくられたものである、という違いである。

Date: 6月 11th, 2013
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その13)

黄金の組合せとして冒頭に例にあげたタンノイのIIILZとラックスのSQ38Fは、
スピーカーシステムとアンプという、別ジャンルのオーディオ機器の組合せである。

黄金の組合せとまでは呼ばれることはなかったであろうが、
すくなくともステレオサウンドでは一時期よく組み合わされることの多かった、
AGI・511とQUAD・405の組合せは、コントロールアンプとパワーアンプとはいえ、
スピーカーシステムとアンプといった、完全に別ジャンルというわけではなく、
あくまでも同じアンプというくくりの中にはいる。

スピーカーとアンプの組合せ、
コントロールアンプとパワーアンプというアンプ同士の組合せ、
相性のいい組合せ、と同じ表現で語られても、何か違う要素が隠れているような気もする。

AGIとQUADは、およそ共通項のないメーカー同士の組合せのように見えて、
そこにひとつでいいから共通項はないかと見つけようとすれば、
何かひとつは見つかるものである。

511と405では、フィードフォワードということが、それにあたり、
これをとっかかりとして子細に見ていくと、意外にも共通しているといえそうなところが、
他にもいくつかあるのが見えてくるようになる。

あえて共通項を見つけようとしているのであるから、
こじつけようと思えばできないわけでもない。
それでも、AGI・511とQUAD・405には、他にも共通するところがあげられる。

Date: 6月 10th, 2013
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その12)

フィードバックといえば、特にことわりがなければ、ネガティヴフィードバック(NFB)のことである。
フィードバックの前にネガティヴがつくことからも推測できるように、
フィードバックにはポジティヴフィードバック(PFB)もある。

PFBは同相で、NFBは逆相で信号を出力から入力側へ戻す。
つまりNFBをかければゲイン(増幅度)は低下し、PFBをかければゲインは増える。

PFBは真空管アンプの時代から使われている。
小容量のコンデンサーを使い高域だけPFBをかける。
NFBをかける前のアンプの高域のゲインを充分に確保するために行う手法である。

AGI・511の小容量のコンデンサーを使ったフィードフォワード、
その手法も理解してしまえば、このPFBの手法と通じるところがあることに気づく。

気づくと、511の設計者、デヴィッド・スピーゲルの発想とセンスに23歳の若者とは思えぬ、
ある種のしたたかさみたいなものを感じるし、
同時に定型なアンプにとどまらない意地に近いもの、
こういうところが、私のなかではQUADのピーター・ウォーカーと重なっていくのである。

Date: 6月 10th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その7)

誤植やミスのない本をつくることは、編集経験のない人が考える以上にたいへんなことである。
とくに手書きの原稿時代、写植の時代には、いま以上に大変なことだった。

瀬川先生の著書に「オーディオの楽しみ」がある。新潮社から出た文庫本である。
この本にも、やはりミスがある、それも小さくないミスである。

新潮社は、私が働いていたステレオサウンドよりも大きな出版社であり、
歴史も古く、本づくりの体制においてもしっかりしたものにも関わらず、
あるミスが幾人もの人の目をすり抜けて活字になってしまっている。

ただ、これは仕方のない面もある。
文章としてはつながっていて、オーディオにさほど関心のない人ならば、
書いてあることの意味は理解できなくとも、文章としておかしなところはないのだから。

これなどは、手書きの原稿で、前後の文章を入れ換えたり、あとでつけ加えたりしたために発生したミスである。
きれいに清書された原稿であったならば、こういうミスは発生しなかったであろう。

「オーディオの楽しみ」のどの部分が、そういうふうになっているのかは、
私が公開しいてる瀬川先生の著作集のePUBと比較すればわかる。
この電子書籍の作業時に、前後の文章を並べ替え直して、
意味がきちんとつながるように直している。

これは元原(手書きの原稿)がなくても、瀬川先生が意図された通りに直すことはできた。
でも、いつもそうとは限らない。
入力作業をやっていると、明らかな誤植と判断できるのはいい、
けれど微妙な箇所も意外と少なくなく、どっちなんだろう……と悩むことがある。

とくにスイングジャーナルはそういうところが多い。
そういう箇所にぶつかる旅に、「元原を見たい、元原で確認したい」と思うわけだが、
それはかなわない。

Date: 6月 10th, 2013
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その11)

AGI・511の概略図には、アンプを表す三角マークがふたつある。
左側(つまり入力側)にある三角マークがOPアンプであり、
この三角マークのところには、こう記してある。
“CONVENTIONAL LOW DISTORTION, LOW NOISE, BUT SLOW OP-AMP”

たしかに511の初期モデルに使われていたフェアチャイルド製のμA749は、そういう性格のOPアンプである。

右側(出力側)の三角マークが、511ならではの特徴である。
この三角マークのところには、こう記してある。
“ULTRA HIGH-SPEED SUMMING OUTPUT AMPLIFIER”

このサミングアンプが外付けのトランジスターで構成されているアンプであり、
このアンプには”CONVENTIONAL LOW DISTORTION, LOW NOISE, BUT SLOW OP-AMP”の出力と、
入力の所で分岐された信号(それもハイパスフィルターを通った信号)が入力される。
このふたつの信号が合成され”ULTRA HIGH-SPEED SUMMING OUTPUT AMPLIFIER”から出力される。
この出力信号の一部が、OPアンプへのフィードバックへとなっているし、
RIAAカーヴのイコライジングも行っている。

つまり入力から分岐された高域信号はフィードフォワードであり、
サミングアンプがOPアンプの出力と合成することによりスルーレイトを飛躍的に向上させている。

511がフィードフォワードを採用していたことは知っていたけれど、
全体域にかけているものだとばかり思い込んでいたから、回路図だけをみても理解できなかったわけだ。

電圧増幅にOPアンプを使い、トランジスターによる回路と組み合わせ、
さらにフィードバックだけでなくフィードフォワードをかけている点で、
AGI・511とQUAD・405は共通している、といえる。